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天の聖女  作者: みど里
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30 糖分補給の日

 先日陛下に謁見し、正式にトーマとの離縁手続きが終わっている事を告げられた。そして、私は私のまま聖女を続けてほしい、という事も。

 こちらの私情による都合で振り回している自覚はあるため、申し訳なく思う。


 そんな私は今、ベル様にエスコートをされている。城に来てから二回目の天読みのために、閑散とした廊下を歩く。

 問題がひとつ片付いたと思ったらまたひとつ問題が増え、ベル様はベル様で多忙で。

 二人でゆっくりする時間が取れないのだ。だからこうして一緒に歩くだけでも嬉しかったりする。贅沢は言うまい。


 私はもうアリスの幻術をまとう事はない。リターと二人の女性騎士は事情を知っているからいいが、天読みの書記たちに何と説明したものか、と考えていたら。

「ジェシカ」

 はっとして斜め上を見上げると、しっとりとした無表情が見下ろしていた。少し強く手を握り直される。

「はい、殿下」

 何だろうと首を傾げるが。

「いや、今言う事でもなかった。急ごう」

 足を止める事なく先を見た瞬間のその僅かな笑みが、とても。寂しそうに、見えた。

 何だろう? まあいいか。


(なんて――思う訳ないでしょう)


「ベル様」

 足を止めた私に彼は少し驚いて振り向いた。

「言ってくださいませ。私に言いたい事を。隠さないで、全て曝け出せなんて言うつもりはありません。けれど」

「後ろを向いていろ」

 ベル様が私の言葉を遮って指示、いや、鋭く命令したのは私に付いている従者たちに、だ。リターはじめ騎士たちは速攻で回れ右をした。

 途端に。


 上を向かされたと思ったら口付けが降ってくる。

「っ」

 私は思わず声を出してはならない、と口をしっかり閉じてしまう。しかしそれを許す彼ではない。

 閉じた唇を割って熱い舌が私の歯をこじ開けようとしている。意志の弱い私はすんなりと侵入を許し――。

 リターたち、密かに訓練でもされていたのか? と思う程に、命令ひとつで俊敏に動いた事への疑問が湧くが。それすらもあっさりと溶かされ落とされてしまう。

 くぐもった声がどうしたって出てしまって、カッと顔が熱くなる。聞かれている、絶対に。

 熱い。

 目を閉じていても判る視線も、密着しては離れまた隙間なく埋まる唇も、絡め合う舌も、飲み込んだ唾液も。自分の体も。

 熱い。

 一見すると冷たい色と印象しかない人なのに。こんなに火傷しそうな位の熱を隠し持っている。


 体感、数分だろうか。やたら長い口付けを終えて、ゆっくりとベル様の顔が離れていくが。

 見てしまった。お互いの口を繋ぐ明かりに光るその細い唾液に。

「っ!」

 ぷつりとそれが切れた瞬間に、私は両手で顔を覆い隠し俯いた。未だかつてない羞恥が襲う。

「言えと、言うから……」

 ぼそりと呟かれた低い声は、感情を無理矢理押し殺したようなそれで。

 言っていないじゃないか、などとここで文句を言える空気ではない。ああ、でも分かった。彼の言いたい事が痛いほどに。

「私、も……寂しい、です」

 顔を覆ったままそう呟いた。もう息も絶え絶えな私は強く抱擁される。

 私これから天読みをしに行くのだった。果たして集中力はもつだろうかと不安になるのも無理なからぬ事だ。


 天読み台に既に待機していた以前と同じ書記たちは、初対面であるはずの私に何事も無かったかのように振る舞う。戸惑う私に。

「書記にはあらかじめ君の事は説明してあった」

 少し屈んで囁くベル様に、は? と変な返事をしそうになり気合で呑み込む。

 あらかじめ? 説明してあった? いつから?

 色々聞きたいというか問い詰めたいところだが、こうして茫然としている場合ではない。私は書記官たちの前に出た。

「ジェシカ・ノースクラインですわ」

 軽く淑女の礼をすると書記長ゴールは笑って頷いた。

「これは申し訳ありません。では、再度自己紹介をさせていただきます。書記長のゴールと申す者です」

 若い二人も倣って二度目の自己紹介をしてくれた。するとゴールが。

「やむを得ない事情で姿を変えていた、と聞いております。こうして本来の聖女様のお姿を拝見出来た事、嬉しく思います」

 恭しく礼をした。え、本当にいつから事情を知っていた? 最初から?

 じゃあ、最初の天読みの時のアリスの演技は? 中身が私だと知っていて生暖かく見ていたという事?

 それを理解した途端、急に気恥ずかしくなって俯いた。

「では、天読みを始めます」

 そのまま私はいそいそと円の中心まで歩み寄る。魔力の奔流を感じ、居た堪れない気分も、先程のあれこれによる熱までも鎮まっていく。

 やはり、この装置は魔力の増強だけではなく、精神を落ち着かせる効能もあるようだ。


 魔力の糸の動き、流れ、ギリギリの強度を保つために集中した方がやり易いのだが、なんというか――。

(アリスなら絵になるけれど……私だとちょっと滑稽なのよね)

 無駄な視界情報を閉じ、糸の中心に気を、重心を置くイメージを掴むため。

 両手の指と指を胸の前で組んで集中する構えをとる。更に天を読んでいる、という見せかけのために少し天を仰いで。

 まるで聖女の祈りのような姿。アリスやヒロインのような容姿だからこそ映えるというのに。


 天読み自体は、先週行った結果と変わらなかった。

 ほっと息を吐いて書記官たちに向き直る。

「お疲れ様でございました。ではまた一週間後、で宜しいですかな」

「ええ。ご苦労さま」

 そうゴールと若い二人にも労いの言葉をかけたのだけど。少年の方は目が合うとさっと視線だけを俯かせてしまう。

 やはりアリスの方が可愛くてとっつきやすいのだろう。残念だが、こればかりは我慢して貰うしかない。


 円を出ると寄ってきたベル様に、帰ろう、と笑顔を向けるが。彼はじっと私を見下ろしたまま、表情も何も微塵も動かない。

 さすがに引きつってきそうなので笑みを消した。

「殿下?」

「ああ。凄く、綺麗だ」

「はい?」

 今度こそ変な声が出た。いきなり何を言い出すのだ。

「まあ、その話は後でゆっくりと、な」

 私にしか聞こえない程の声で囁かれて、息が詰まり意識が朦朧(もうろう)としそうだ。今日は一体何度赤面すればいいのだ私は。


「アリスにも、祖母にも感じた事のない感覚だった」

 あれから、お互い執務を終え夕食を摂った後。ベルディウス王子殿下の私室に呼ばれて寛いでいる時に、そんな事を呟かれた。

「清らかで、まるで触れてはならない、穢しては……ならないような。まさに天から舞い降りた天女のような神聖な君の姿に」

 言動が伴わない彼に突っ込むべきか、と思いながらも口を噤む。

 触れてはならないと言いながら、隣に座り手を握り、撫で、その逞しい胸に引き込んでいるのだから。

 決して私がいっぱいいっぱいだから突っ込めないのではない。

「あのような姿……誰にも見せたくはない」

 あの聖女ポーズが思いの外ベル様の何かしらに響いたようなのだ。

「天女伝説の童話など、初めて聞いた時は子供ながらに愚かだと思ったものだがな」

 前世の世界にもあった、天女の羽衣を盗んだ男の話。この世界にも似たような童話がある。出典はここから遠い国のものだが。

「今なら分からなくもない。君を俺に縛り付けて、何処にも戻れないようにしたい、と」

「まあ。私は聖女の力があるというだけのただの人間。それに貴方の婚約者ですわ。近い将来……」

 そこで言葉を止めて見上げると、ベル様は口元を緩めた。

「近い将来、な。本当は今すぐにでも君を堪能……いや、何でもない」


 誤魔化せていないが。しかし私はまんまと熱を上げ俯くしかなくなる。

「……済まない。これくらいは許してくれ」

 そう謝りながら肩を押されソファに寝かされる。いや、押し倒された。深く息を吸い、吐きながら私の首筋に顔を埋めてくるベル様。

 熱い。全身が心臓になったような気分を享受して、彼への想いだけを。

 この人が可愛い。愛おしい、切ない。好き。

「ジェシカ……好きだ。愛してる。ようやく、俺だけの君になったというのに……どこぞの阿呆共がやらかしたせいで自制を……見えないところなら、いいか」

 最後はぼそりと口の中で呟いたつもりなのか分からないが、位置のせいではっきりと聞こえてしまった。

 私の耳裏とうなじの間辺りに。

 ちくり、とした熱と刺激。その後、そこを舌で撫でられた感覚に身を震わせる。


 つけた。

 この人、見えないところとか言いながら、微妙に危ういところに、つけた。疑う余地もないくらいに、はっきりと分かる。

 まずリターには確定で気付かれる。それから、私の脇、後ろに位置どる事の多い護衛二人にも。


 私の真っ赤になっているだろう顔を見下ろし、ベル様は唇を綺麗な笑みに形づくる。

「これに気付くような男を牽制するための虫除けだ。そんな、顔をされると」

 私はソファに仰向けになったまま顔を隠す。

「顔って……貴方のせいでしょう……」

「ジェシカ……」

 ベル様は私の手をはがし、覆いかぶさるように深く、深い口付けを落とす。

 体勢のせいで昼間よりも体は密着して、この広い、静かな部屋にただお互いの息遣いと、湿った軽い音が満ちる。

 激しく内から叩きつけられる鼓動が混ざり合い、どちらの音なのかもう分からない。

 紡ぎ出される彼の熱い吐息。垣間見た双眸に宿る熱。陶磁器のような顔に滲む赤。求められている事が嬉しくて。

「ベル、さま……、すき」

 息を吐く合間にそう伝えると。

「っ、く……駄目だ。これ以上煽るな……辛抱が……我慢、我慢って何だ……?」

 熱に浮かされた目が据わっている。

 苦悩の表情をした後、機敏な動作で私の上から退き、私も起き上がらせてくれたベル様。手の甲で無造作に口を拭った色気にあてられないよう、視線を外して私もさっと身形を整えた。


「今、世間では」

 唐突な世間話が始まるのかと驚いて、再度彼に顔を向けるが。

「あの女が大公に見初められたというのに全く表に出てこない事に、新たな噂が立っている」

 噂。あまり良いものではないのだろうなと予想はつく。

「その噂自体はどうでもいいんだが。世間では今、君とあれの評価は正反対で、まるで対比されているようだぞ」

 手で髪を整え終えた私は、座ったまま若干隣に向き直る。

「それは今までもそうでしたわ」

「違う。逆だ」

 まさか。逆、とは、私とロミの評価が今までと逆になっていると?

「そ、んな、まさか」

 私は笑おうとして、彼の真剣な横目を受け顔を引き締めた。

「君の悪評の火消しはもう終わっていて、尚且つ聖女であると何処からか漏れた。そしてあの女の悪評が何故か立ち始め……すると、どうなるだろうな?」

 何処からか? 何故か?


 いや、どう考えても故意だ。そんな状況になっていたなど知らなかった。

 私はもう少し世間の情勢を気にしたほうがいいのだろうな、と思う。自分の為ではなく、聖女として。国のために。

 ん? と私は首を傾げた。

「つまり、私が聖女で、彼女は私を陥れた、という噂が立っているという事ですね……ええと」

 それが今何か関係があるのだろうか。

「噂も何も真実なのだがな。と、まあその事があるせいで、今後、君の素行に世間は目を向ける」


 私は瞬時に気を引き締めた。ベル様がやたら我慢、と言っていた訳。

 ひっくり返った世間の噂。悪女だと思っていた聖女。

「元々悪評のあった聖女の素行に世間は敏感になっている、という事ですのね」

 少し離れていた距離をまた詰め、ベル様が手に触れてくる。

「ああ。例えば……婚姻前に子を孕む事、とかな」

 じっと、真っ直ぐに熱い青い目を向けられる。

「王家としては子が出来れば万々歳なのだがな。喜んで婚姻を早めるだけだ。当然、私も」


 ああ――私のため、なのだろうな。


 だって、王家は聖女の重要性と確かな力を知っている。聖女が手に入るのなら世間の反発など取るに足らない筈だ。聖女自身の心、精神面を鑑みなければ、だが。

 それを指摘したところで肯定はしないのだろう、この人は。だったら私が我慢すればいい。

 私は気にしない、などとは言わない。

「そういう事でしたの。よく理解しましたわ」

 そうして私は、繋いだ彼の綺麗でありながら節ばった『男』の手を取り。


 その指先に、ゆっくりと、そっと。

 口付けを落とす。

 ぴくりと動いた手だが、そのままじっとしてくれている。

 私はそのまま目線だけを彼に合わせ、目を見開いている彼に笑って。そして。そのまま手の甲にも同じように口付けを。

 手を反してその少し汗ばんだ掌にも、口付けを。そのまま手首にも。

 尊敬も、欲望も、情愛も。

「私の全てを貴方に。ベルディウス……愛して、います」


 痛い程に手を掴まれ、引き込まれ。

 強く掻き抱いてくる人の背を、私も強く抱いた。

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