03 輿入れ先での待遇
馬車に揺られて到着したのはファルシ家の邸宅。
トーマが当主となった際、こじんまりとした屋敷を本邸にしたそうだ。昔は別宅として使っていたという。
私の付き添い……という名目の見張りである昔馴染みの執事は、屋敷を見上げる私に一瞥もくれる事なく、颯爽と馬車に乗り込み来た道を帰っていった。
私は深い溜息を吐いた。
彼も、私が教会へ行くまではそこそこ仲が良かったと思っていたのに。
所詮私の弁解よりも大勢の証言の方を信じてしまった、という事だろう。悲しいものがある。いや、正確にはヒロインを信じた、という事か。
そう、ノースクライン家の執事も攻略対象の一人だ。
屋敷に入ると、数人のメイドと執事が待ち構えていた。当然彼らの私を見る目は冷たい。
メイドの一人が進み出て礼をした。
「お待ちしておりました。旦那様へ御目通しいただきます」
「ええ。これからお世話になるわ」
そう柔らかく言ってやれば出迎えたメイドは虚をつかれ、その後、苦虫を噛んだような顔を作る。
(駄目よ。そんなあからさまに嫌な顔をしては。私しかいないからいいようなものの)
背中に数人の視線と舌打ちを浴びながら、先導するメイドについていく。
「やあ、ジェシカ嬢。随分早かったね」
立ちあがって私を迎え入れたトーマは、いつもの人好きのする笑顔はそのままに目は笑っていなかった。
「急な事ですまないね。どうしても君を娶りたくて」
いつも向けられている、『好感度が低い時の外行きの笑顔』だ。
私はゲームのキャラクター立ち絵段階を知っているから分かる事だが、知らない女性はこれにコロッと騙される。
「まあ、お上手ですこと。本日よりお世話になりますわ。旦那様?」
対抗してこちらも淑女の仮面を張り付けて、カーテシーをする。
「そうそう、実はね……急な事だから君の部屋をまだ用意してないんだよ」
そんな訳ないだろ、とは言わずに私は黙って首を傾げた。
「見ての通りこの屋敷は小さいんだ。空いてる部屋がなくて。申し訳ないけどしばらくは地下の部屋で過ごしてもらえないかな?」
地下ときたか。
まあ予想の範疇から外れる事のない対応だ。私の淑女の仮面は揺らぎなかった。
「急な事ですものね、仕方がありませんわ。地下だろうが屋根裏だろうが雨風を凌げれば問題ありませんわ」
口に手をそえてコロコロと笑ってみせると彼は、何を笑っている、と言わんばかりに一瞬眉をひそめた。
トーマと執事に案内された地下室は思っていたのとはちょっと違った。固まった私を、若い執事は無表情で見て、トーマはその長身を屈め覗き込んできた。
「どうかした?」
「いえ、思ったより普通ですのね」
さすがに地下牢。とまではいかなくとも、石壁に質素な家具、埃っぽく暗い部屋を想像していたのに。
オフホワイトに淡い青模様の壁紙、猫脚のチェスト、白亜の調度品、汚れのない衝立の奥には綺麗にベッドメイキングされた寝台。
流石に窓はないけど十分明るく快適に暮らせるだろう部屋だった。
(疑ってしまったけれど、本当に部屋が間に合ってなかったのかもしれないわね)
ちょっと反省した。
けれど、私を訝しげに見やるトーマを見て、やはりそうではないのだと思った。
(ああ、貴族令嬢が暮らすには足りなさすぎるのかもね。癇癪を起こすと思われたのかしら)
それともそれを大義名分に、私に大人しくしていろと釘を刺すつもりだったのかもしれない。
「ふふ。仮とは言わずにずっとここでも構いませんわよ? 素敵なお部屋をありがとうございます」
私は軽い足取りでトランクをクローゼットの前に置いた。すると。
「旦那様!」
慌てて駆けてきたメイドがトーマに小声で何かを話している。彼女は……出迎えの面々の中にはいなかった。
ひとつ頷いたトーマは私へ嘘くさい笑顔を向けた。そういう態度も私には『萌えポイント』にしか映らないけれど。
「どうやら客が来たみたいだ。疲れただろう? 君はゆっくりしてていいよ」
「はい。ではお言葉に甘えて少し休ませてもらいますわ」
礼をするとゆっくりとドアが閉まった。案の定、私に客の応対をさせるつもりはないようだ。
遠ざかる三人の気配を辿りながら鍵は閉められなかった事を確認して、私はトランクから数着ほどシンプルな部屋着を取り出しクローゼットにかけていく。
入口とは別の扉を開けると、清潔な脱衣所が出迎えてくれた。
更に待ち構える二つの扉の先は、お手洗いと浴室。両方とも綺麗だが、ここは地下。使っていく内にカビでも生えるのではないだろうか。
(まあ、除湿の魔術でどうとでもなるわね)
私は部屋に戻り、候補生の紺色の制服から部屋着に着替え、仮眠をしようとベッドへ体を預けた。