29 ルートヴィッヒ王子
文字通りファルシ家から消えた私は、リターからミリエンヌ様への謁見許可が叶った事を報告された。
執務室にいるベル様に帰城したと顔を見せると、彼は切実な表情で目を細めた。一瞬だったが。
「よく、帰ってきた」
そう言っていつものように髪を梳く。体がじんわりと幸せに満たされて、私はこうされるのが好きなのだな、と今更実感した。
「帰ってこないと思っていたのですか」
私はその手を引き込んで指を絡ませてみる。男の人の大きな手だ。ベル様の。と愛しさが制限なく湧き上がる。
彼が指を絡ませながらも親指で私の手のひらを撫でるから、くすぐったくて緩んだ口から息が漏れた。
すると。
「くっ」
小さく呻いたかと思ったら彼は無表情で天井を見上げているではないか。
「ベル様?」
つられて私も天井を仰ぐが特に何もない。
「大丈夫、大丈夫だ」
まるで自分に言い聞かせるように呟いたベル様は、絡めたままの私の指を自らの口元へ。指に、口付けをされた。
殿下の侍従が赤い顔で咳払いをしたものだから、申し訳なさと居た堪れなさに苛まれた。
「あ、わ、わたくしまだ仕事が残っていましたわ。お邪魔してしまってごめんなさい」
「邪魔ではないぞ」
何故か少し憮然としたベル様にこくこくと頷き、慌てて縮こまるようにして彼の執務室を辞した。
頭がしっかり冷えた私は、姿見鏡の前に立ってリターにドレスを宛がわれていた。いつの間に。
「ふふ。本当に仲が良ろしくてなによりで……」
「わ、分かったわ。わかったから」
それはもういい、と鏡の中のリターに苦笑いで返した。
これから先代聖女様とお茶会なのだから、このまだ少し赤い顔を冷ましておかねば。恐らく大事な話にもなるだろうと予想して。
「お時間をとっていただきありがとうございます、ミリエンヌ様」
「また会えて嬉しいわジェシカ」
柔らかな笑顔で、作りすぎたという洋菓子を勧める先代様。丁度良かったと言っていたが、私が気を遣わないようにしてくれているのだろう。
今日は少し暑いから室内でお茶会だ。
「教会の……デイヴィット神官の事について。だったわね」
静かな、涼やかな声が、目の前におわす目を伏せた美婦人から放たれる。
ぴん、と部屋に糸が張り巡らされたような心地になって、伸ばしている筈の背筋が更に伸びる。
この反応、もう確定だ。
初孫の行方を聖女が見逃すはずがなかったのだ。いや、彼が教会に渡った事すらも先代聖女の手引きかもしれない。
「私に、内密にデイヴィットの事を聞きたい、と……貴女はあの子の素性を知っているのね」
「はい。陛下の御子だと。わたくしが知っているのはそれだけです」
「どうして知ってるのか、なんて聞いちゃ駄目よね」
薄く微笑む先代様。やはり美しいが今はどこか儚い。
「歴代の聖女たちは皆なにかしらの柵、因果を持っているのだと、私も痛いほどに学びましたからね」
その配慮に感謝し、私は頭を下げた。
顔を引き締めた先代様は、現状を何処まで把握しているのだろう。
「今、貴女からあの子の話が出てきたのは、どうして?」
「デイヴィット神官がとある令嬢と情を交わし、その令嬢が子を宿したためです」
笑顔を消して目を見張る先代様の様子から、この情報は全く知らなかったのだと分かる。
「それは、確かなの?」
困惑を隠す事のない先代様はゆっくりと紅茶に口をつける。私も倣って口を潤す。
音も無くソーサーにカップを置き。
「その令嬢は他にも男性と仲良くしていたので、デイヴィット神官の子だと確定している訳ではありません」
遺伝子鑑定も考えていると伝える。
すると明らかにミリエンヌ様は安堵して、その後溜息と共に口を押さえた。そして私の言葉からその令嬢が誰なのか理解したようだ。
「貴女に冤罪を着せた令嬢、なのでしょう? まったく……いつの時代にもそういうのはいるのね」
「え?」
「いえ、何でもないのよ?」
上品に笑いを零し、にっこりと有無を言わせない笑顔を返されたので大人しく頷いておくしかない。
ミリエンヌ様も聖女時代、色々あったのかもしれない――。触れないほうがよさそうだ。
気を取り直したミリエンヌ様は、確かなカードを切った。
「それならあの子ではないでしょう。あの子は……子が成せないのだから」
私は喉に何かが詰まったように声が出なかった。
子が、成せない?
「正確には成せないようにした、と言うべきね。去勢するのは気が進まなくて……どうしてもできなかったの。でもそのままで市井に置いてはおけない」
つまり、根本から種子を絶ったのだ。
聖女の力で。
恐らく青くなっているであろう私に、ミリエンヌ様は容赦がなかった。
「聖女として、王妃として民衆の上に立つからには、時に非道ともいえる選択をしなければならない。孫の未来を絶ち、その母を陰で処分するような事も、ね」
はい。
そう言おうとして口を開くものの、そこからは息しか漏れなかった。
「とか言いながら、あの子を処分したくなくてこういう結果になったのだけどね」
悔恨渦巻き目を伏せる、その憂いまでも美しい表情を見たまま、私は首を振って否定した。
私の恐怖、悩みなど足元にも及ばない程に、彼女はきっと苦悩したはずだ。ずっと悩んで、自問自答を繰り返し、これでいいのかと、何度も。
それでも孫に生きていてほしくて。
私は頭を下げ。
「わかりました。では彼は候補から除外します。ありがとうございます」
頭の位置はそのままにして。
ここで謝るのは違うだろう、と。
ふと、デイヴィット神官を思う。
彼の周りの大人たちはデイヴィットに生きてほしいがために、このような処置をとった。だが彼からしてみれば、どうなのだろう。
私が彼について知っている事はゲームの設定だけだ。ただ詳細はぼかされていて、トーマのバッドエンドほどの過激さは表面上は見えない。
ベルディウス王子の腹違いの兄で、お家騒動のために赤子の時教会に預けられる。本来第一王子に名付けるはずだった『ルートヴィッヒ』という名をつけられたものの、彼の後見人は『デイヴィット』と名乗るよう彼を育てた。
ある時、後見人でもある育ての親の、手記という名の遺言書を見てしまう。
自分の素性、真名、実母の末路。全て理解し呑み込んだ後、彼に残ったのはただの虚無。
王や、王家。王子として認知されている弟に憎しみを抱かないどころか、なんの情も湧かなかった。
それが時系列でゲーム開始前。ヒロインが聖女候補生になる前の出来事だ。
彼、ルートヴィッヒ王子がもし。陛下の第一子として認知されていたらどうなっていただろうか。
考えたくないと思いながらも、あったかも知れない未来が頭をよぎる。
ミリエンヌ様とのお茶会を終えた後、城で暮らすようになって用意された自室に篭って、ひとり思想に耽る。
持って帰ってほしいと包んでくれた、摘まんで食べられるお菓子を食べながら。
ほろほろと口の中で溶ける生チョコレート。おいしい、と一人で呟く。
デイヴィット神官が候補から外れた以上、私がロミを気にする必要は無いといえば無い。だが、いい加減ロミとはすっぱりと縁を切りたい。
トーマが無事で、私の冤罪も晴れ聖女として表に出る事になったのだから、白黒つけたいところだ。
(赤ちゃん……か)
ロミのお腹から感じた、薄く弱い鼓動がまだ耳に残っている。あの少女は、自覚しているのか。自分が子を宿した事を。
ロミが、果たして母親になんてなれるのだろうか。あの赤ん坊は、今後どうなってしまうのか。
もう関わりなどないと言うのに、その事ばかりが私の頭を占めていた。
私は自分のお腹を撫でた。いつか、ここに。
そう、他人事ではないのだ。私も近い将来――いや、数年で子を宿す事になるのは確定だ。
あの人の、子を。
本当に他人事ではない。母親の自覚。王子妃としての覚悟。聖女としての――。
私は、もう一度自分の腹を撫でた。




