27 お疲れアリス
大公殿下は私たちが来るまで待っていてくれたようだ。彼は全員が着席したのを見て、話を切り出した。
「ロミに異常はないそうだ。薬のせいで眠っているだけで時間経過で目を覚ます……そうだな?」
私に視線で窺う大公に頷く。
「問題はここからだ。ロミは、子を宿している」
はっきりと、確実だという口調で彼ら――ロミの取り巻きたちを見回す。
三者三様の反応だ。驚愕に固まるトーマ。顔をしかめ俯くサッシュ。唖然として、その後顔を真っ赤にするハクス。
「正直に言え。ロミと……同衾した奴はいるか? 言っておくが俺は一度も無い」
「叔父上、信じても?」
すかさずベル様が突っ込む。
「当然だ。俺がロミに……狂っていた事は認めるが、謀反を疑われるような真似は絶対にしない」
大公はロミに心酔して、更に聖女だと心の底から信じていた。
そんな少女相手に子を成すような事をすれば――まあお察しだ。というか当時の立ち振る舞いだけでも危うかったのでは。
トーマたち三人の反応からして、関係がありそうなのはサッシュか。あとは候補生講師の誰か。デイヴィット神官の事は後回しにして。
そもそもあの胎児は今どれほどの段階なのだろう。心臓が作られ鼓動が僅かだが聞こえたのは確かで、うっすらと形もあった。
胎児、と言っていいのかどうかという程のものだったが。
胎児が人の形になるにはどれくらいの月日がかかるのか――はっきりとわからない。
確か、個人差はあれどお腹が目立ってくるのが5ケ月くらい? 妊娠の自覚が出てくるのは? わ、わからない。
こういう知識が備わっていない、という事は前世の私は。
――考えない事にしよう。
ファルシ家の執事ナディの「今はまだその関係ではない」という言葉を信じるのなら、トーマの子ではない筈だ。
案の定トーマは関係を否定しているようだ。ハクスも同様。俯いて返事をしないのはサッシュだけだった。
「サッシュ。正直に答えて。ロミさんと関係を持ったの?」
「っ、はい……」
押し殺した声は、だが確かに肯定をした。
「じゃあ、まずは第一候補ね」
私がそう言い、ベル様も大公も頷くと、それに驚愕したのは元取り巻きたち。
「だいいち……?」
「そ、それじゃあまるでロミさんが他の……っ」
トーマとハクスの唖然とした疑問に私は答えられなかった。
この二人は特に。ロミが初恋で、愛と言ってもいいほどの情を抱いていたというのに。何ともやるせないではないか。
だが無慈悲にも。
「むしろあれだけ喜んで男を侍らせているのに純潔だと思っていたのか」
嫌悪感が露骨に見えるベル様が彼らを打ちのめす。
「言った筈だ。ロミは今や罪人。王家がその素性、素行を調べていない訳がないだろう」
大公も追撃する。心底呆れたような態度からして、彼は本当にロミに対する想いを吹っ切ったのだと分かる。
「爛れた異性関係もある程度は把握してるが、お前たちに確認したのは念のためだ。後は……自覚を促すため、だな。罪人の子の父親になる事への」
王家はロミの人間関係を把握していて、当然陛下の耳にも入っているという事か。
だがゲームの設定を持ち出すのなら、陛下はデイヴィットが自分の子であるとは知らない。とあるイベントを経て察しはするが。
彼らの会話を耳に入れながら、私は違う事を考えていた。
正直ロミとデイヴィットが体の関係にあったという確証は無いし、あの時のそれが最初の一回だったかもしれない。
「大公殿下。デイヴィット神官も彼女の信奉者でしたわ。彼は、どうなのです?」
何も悟らせず、まるでついで、のように聞いて。
「ああ。あいつも関係があったと報告を受けている。まだ候補生時代……一年程前からか、デイヴィットは夜に外出願いを出す事が多々あったと」
それを何でもない事のように教えてくれるのなら、大公もデイヴィットの素性を知らない可能性が高い?
「そう言えば、彼は今どうしているのでしょう」
問いかけたのはトーマ達に。一応つるんでいた仲なのだし、知っているのではと聞いたのだが。
「いや、あの時……聖女お披露目で神殿に集まった後から、見ない、な」
気まずそうなトーマに首を傾げる。
ああ、そうか。彼らにしてみればあの聖女アリスが私だったと今知ったわけで。それは確かに気まずい。
それよりトーマの言葉が気になった。あの時からデイヴィットはロミの取り巻きをやめてしまった?
「ファルシ邸にも来ていませんでしたわ。お誘いになったのでしょう?」
何て事のないように言ったせいか彼らは俯いた。別に嫌味で言ったつもりはないのだが、失言だった。
「神殿での意趣返しが不味かったのでしょうか」
タイミング的にはあれしか原因は考えられない。額を押さえて俯いた。
「とにかくデイヴィットはじめ、ロミと関係を持った男たちに接触してみるか」
腰を上げ、事情を知る侍従に後を任せ退室していった大公を横目に、私は考える。
私がすべきことがあるならば、あの子供の父親を探す事だろうか。いや、厳密には、あの子の父親がデイヴィット神官かどうかを確かめる事、か。
この世界の舞台は中世のようであるにも拘わらず、医療技術は割と進んでいる。ただ遺伝子検査、エコー検査などという技術はない。
遺伝子、という概念は一応あって、産まれた子がなぜ両親、親族と似るのかという理由は漠然と知っている感じだ。
産まれた子の魔力の質で両親を判別したりはするが、胎児の状態での判断材料は今の医療技術では不可能、といったところ。
「ジェシカ、どうする?」
「え」
思考を振り切って顔を上げると、ベル様がしっかりと私を見ていた。
「君の一番の不安は消えた……もう、いいだろう?」
もう、いい? 何が。
「だがその前に」
ベル様の一段と低くした声に目線を上げた。
「いつまでもファルシ夫人とは名乗らせない。トーマとは速やかに離縁させる」
「あ……」
「不満そうだな」
そんな事を言うベル様が不満そうだ。
トーマは私を監視のために娶りそこに愛はなく、私はそれを知っていて彼を見守るつもりで大人しく嫁入りした。
そう、ずっとそんな生活が続くと思っていたのに結局すぐに離縁となってしまった。
王家としては醜聞のつきまとう私を聖女にしてもいいのだろうか。と懸念したが、そもそも私ではなくアリスが聖女なのだし問題はないのか。
ぐるぐると考える私にベル様は更なる爆弾を落とす。
「そもそも、すでにファルシ家から離縁状は届いている」
信じられない気持ちで、私はトーマを見た。彼は項垂れるようにして確かに頷いた。
「……君が、消えた日。どうやって知ったのか、侯爵殿……あんた……いや、君の父上に言われたんだ」
トーマが語る、父との対話。何故か私の動向をすぐに知り得た父。
そんな父は私の境遇に文句を言ったのだそう。
「はっきりと、突かれたくないところをきっぱりとね……。お前は実父と同じ事をしている、と」
項垂れるどころか、座ったまま蹲るように頭を抱えたトーマ。
父は正式に離縁状をトーマに受理させたのだ。尚且つトーマたちが本格的に私を拘束するつもりだという事を、父は何故か事前に情報を得て知っていた。
あらかじめ用意しておいた離縁状をこの期につきつけた、という事らしいが――。
(お父様。大義名分を得ましたね)
まあそれを得てまで私をファルシ家から離した理由というか目的は分からないが。まさか不遇な境遇に見える私を鑑みた訳でもないだろう。
それにしても、私が城で楽しくやっていた裏で色々物事が動いていたようだ。
「ジェシカ、嬢……すまない。軽蔑して憎んでたはずの両親と、俺は、同じ事を」
「トーマ様」
私はすかさず強く言い返す。
ロミの本性を知り、弱りながらも心を正常に保っているというのに、これ以上彼を追い詰めてはならない。
「トーマ様。わたくしの力をご覧になられたのでしょう?」
のろのろと顔を上げたトーマに、少し語気を弱める。
「わたくしが現状に不満を感じ逃走を図ろうとするのなら、誰にも勘付かれず痕跡すら残さずに消える事もできました。私自身を……死んだ事にするのも可能でしたわ」
顔を悲痛に歪め、トーマは再度俯いた。本当に、繊細で、触れただけで溶け壊れてしまいそうだ。
私は、まだ削除していない記憶容量にある情報を引き出した。
「トーマ様」
私の口から自分よりも少し高い少女の声が出る。
音が鳴る程の勢いで顔を上げたトーマも、サッシュもハクスも。そこには驚愕の表情が浮かぶ。
こうして目の前でアリスに変化する様を見るのはさぞ驚くだろう。聖女だと思っていたロミを苛めていた、私が、聖女になるのだから。
私はアリスのあの笑顔を作る。
「顔をあげて、わたしを見て。心をしっかり持ってちゃんと話を聞いて」
トーマは眉を下げ、それでもアリスを視界の真ん中に捕らえたようだ。
「わたしはわたしの好きなように動いてきた。あの部屋で過ごす事が、私なりの楽しみのひとつだった、それは本当」
トーマだけじゃなく、彼らはじっとアリスの話を聞いていた。
「あなたは、わたしも、誰も不幸になんてしてない。後悔する事があるとするなら、彼ら……オーステッドやナディ、エスタ。ファルシ家の使用人たちに心配かけた事だけだわ」
「あいつ、ら」
弱弱しいが、トーマの口元が緩む。
何だか綺麗すぎるまとめだけど要は、くよくよするな、周りを見ろ! という事だ。一度の失敗を経て少し耐性が付いたらしい、今のトーマにならそれが言える。
裏切られて心が壊れる程にロミを愛していたトーマ。その傷を癒すのは途方もない時間がかかるだろう。ひょっとして一生傷を負ったままかもしれない。
けれど自暴自棄にならずあの使用人たちに囲まれて、前を向いて暮らしていればいつかきっと。
真に彼を愛する女性が現れる。
ベル様が横からブレスレットの着脱を繰り返しながら私の手で遊んでいる。
「今はこれで制御している訳ではないのだな」
「はい。最初の頃のように直接術をかけています」
「ジェシカ」
じっと、何かを咎めるように、それはもうじっとりと見てくるものだから、私はすぐさま術を解いた。
――ご満悦なようだ。
「そういう訳で、君はもう自由だ」
「ええと」
何の話だったかと一瞬考えた。ああ、そうだ。離縁状の事か。
「陛下が正式に離縁を認めたのは、君がファルシ邸から姿を消した翌日、だ」
あの日の翌日、つまり。
ベル様の口元が色を持って弧を描く様を具に見てしまって、音が鳴りそうな位に顔に血が集まってくる。
その見た目とは裏腹な唇の熱と感触、ベル様の悩ましい吐息を鮮明に思い出してしまったから。
私が想いを伝え返したあの日、ベル様と口付けしたあの時には、すでに私は離縁済みという訳で。
「あら……?」
気を抜いたらぼうっとしてしまう頭にひとつの疑問が浮かび頭を捻る。
「先程、速やかに離縁させる、と」
ああ、と頷き、私の髪を掬うように耳から後頭部、うなじへ手を滑らせるベル様。その手つきはどこまでも優しいのに、何とも――官能的で。
生理的な涙が浮かぶ。
「君の心持と確認の為だ」
「はい」
トーマが壊れる、という私の憂いは無くなったと言ってもいい。後は彼の、彼らファルシ家の問題だ。
私は肩の荷が下りた安堵で息を吐くが。
「これでようやくジェシカを聖女として発表できる」
ベル様のその言葉に冷水を浴びせられた気分だった。胸をつく寂しさ、焦り。様々な感情が織り交ぜになり。
「……アリスを聖女にはしないのですか」
「我々は最初からどう転んでもいいように用意してきた。最優先は君の希望を叶える事だったが……もう、いいだろう?」
ベル様の真剣な表情からして、いい加減に済まそうとしているとは思えない。ただトーマを守りたいという私の我儘から端を発した、アリスという幻像。
なんだか、胸に穴が空いたような、隙間風が通り抜けたような気持ちになった。
「アリス……」
思わず、本当に何も考えずに口をついて出てきた名前。
目線を落とすと、自分の手首にはめられたブレスレットが目に入る。縁に沿って撫でた。
「もうアリスは誰の前にも現れる事はない……」
短い間だったけど、ものすごく愛着というか、未練、というか。あのアリスの姿は自分の理想そのもので。分身、と言われると妙にしっくりくる存在だった。
あまり憶えていないけれど、もしかして前世でお気に入りのキャラだったのかもしれない。
「お疲れさま……アリス」
そう声に出してしまうと、何故かどうしようもなく寂しくて。熱くなる目頭を誤魔化すように目を閉じた。




