23 令嬢、告白する
執務室には既にベル様が待っていた。いつから待たせていたのだろう、と驚いて彼の座るソファへ早足で寄ると、彼は何とも意地悪な笑みで自分の隣を軽く叩いた。そこに、座れ、と。
若干息を整えて、大人しく隣に着席する。
思った通り彼はブレスレットを取り上げ、私は先代様と会った時のままの装いを晒してしまう。
「随分めかし込んだな。妬くぞ」
座ったままの私の全身を見て不貞腐れた後、苦笑いを浮かべるベル様は私の髪を撫で梳いた。
「綺麗だ」
目を細めて蕩けるような笑み、低い声。溶かされてしまいそうになる。
急にあっ、と思い立ちリターの姿を捜すが、彼女はすでに隣の衣裳部屋に引っ込んでしまっていた。本当に、気の利く侍女だ。
明らかに安堵してしまったのは――多分。
「あの、ベル様。お話をしましょう。大事な話を」
気を取り直し私は真正面からその視線を受け止めた。私も、腹をくくろう。この人の、想いに応えよう。
私の雰囲気に、ベル様も少し距離を離し笑みをしまった。
「王家の、王子の力について聞いたのだな」
「はい。詳しい事は、ベル様から直接聞きたいと……思ったのです」
じっと見ていると彼は目を細め、切なげに私の頬を撫でた。
「俺は、一度失敗した」
苦しそうに語るその過去。あった筈の、確かに辿った少し未来の話。
詳しい事は伏せているようだったが、聖女を見誤った故に間違いが起こったというのは分かった。
「王位継承者の逆行能力、と我々は称している。逆行が起こるその条件は未だ確証が得られていないが、何か……国にとって、王子にとって最大の失敗を犯してしまった時に発動するのではと言われている」
説明しながらも、彼はずっと私の手を柔らかく握っている。私も、自分の意思で握り返した。
「強い後悔、絶望。そんな感情を抱いた時、とも言われているが」
「もしかして、歴代聖女の伴侶である王子方も、逆行されて……?」
「ああ。ほぼ全員が逆行を経験している。先代王、私の祖父もだ。だから私たち節目の王位継承者に確かな情報を伝えられるのだろう」
そうか。王家が聖女を欲するのは。
「聖女の血を取り込まなければならないのは、この力のため、ですか」
神妙に頷くベル様。その表情から、まだ何か秘密がありそうではある。
「不思議な事に、新たな聖女が誕生する年、50年の節目には大なり小なり厄介事が起こるらしいな」
王家の敵の出現、聖女を脅かす人物、大きな災害。
過去に聖女から力を与えられた王子。その子孫と現代の聖女が、それらから国を守る使命を負っているのだとベル様は言う。
「聖女を娶らなかった王子も過去にいたらしいが、まあ、結局逆行して聖女を王家に迎えたという記録も残っている」
王子と聖女の子、次代の王はもれなく賢王として国を治めている。そしてその子。聖女の伴侶となる王子に力が受け継がれる、というサイクルらしい。
「そして、この秘密は王位継承者だけに伝えられている」
ようやく先代聖女ミリエンヌ様が記憶について言っていた事の意味が分かった。
「君は憶えていないのだろう? 前回の自分の事を。私のこの力は、この国、世界中の記憶を巻き戻させる。時間との整合性がとれるように」
前世の記憶がある私だが、前世、自分がどういう人間だったのかはあまり覚えていない。
ただ、この世界が乙女ゲームの舞台であり、自分も登場人物の一人で、その中に推しキャラがいて。
少し強引な解釈をするのなら、それらは記憶ではなく知識の枠内にあった。
ベル様の逆行能力によって、前回の私から私としての記憶は失われ――。『前世の知識』だけが何故か残った。その何故かが謎だが。
それなら、あの僅かに憶えている感覚、感情は――?
「あの、ベル様」
私が何か質問するのかと思ったのだろう。彼は頷いた。
「私、僅かに憶えている事があるのです。強い痛みや全てへの諦め……っ」
言い終わる前に、ベル様は力強く私を掻き抱いた。
「そんなものは忘れていい……! 君がそんな感情を抱く事はもう一生ない。君はこれから私の隣で幸せに笑う未来しか無い」
耳元で、切実に。血を吐き出さんばかりに苦痛を滲ませた声色でそんな事を言う。
そうか、この感情の元の記憶は、前回のジェシカの。
前世を思い出す前のジェシカは、なすすべなど無かっただろう。だって、彼女は侯爵家の令嬢としての矜持、自尊心、聖女への渇望。雁字がらめで、自分で自分を追い詰めるような人だった。
私は若干震えるベル様の背に手を回し、ぴくりと反応した逞しい背を撫でる。
そんな声を出さないで。泣きそうな、震える声を。
「ベル様……私、大丈夫です。今は全く辛くもないし、多分……幸せ、なのだと思います」
「だが、一歩間違えば前回と同じようになっていた。ファルシ邸で……あの女の取り巻きたちに押し入られたのだろう?」
前回、ジェシカは彼らに危害を加えられたのか。私自身は憶えていないのだから詳しい事を聞きたいとも思うが、ベル様がとても話してくれそうにない。
逆行能力の発動条件は、強い後悔、絶望、失敗。――ベル様が辛いのなら、私も無理に聞こうとは思わない。
「ベル様。信じてください。私、これでも聖女なんですよ?」
安心させるように笑うと、彼はゆっくりと体を離し、さっきよりも強い意志の見える表情で私を見下ろしてきた。
「それに、私は今は自分の我儘と願望に従って動いているだけなんです。諦めて現状を受け入れようなんて思いませんもの」
「……トーマか」
また不機嫌になる。
(あ、いま)
今、言わなければ。
急に暴れ出した心臓を落ち着けるように胸を押さえ深く息を吸い、吐く。私が何か言おうとするのをベル様はじっと待っていてくれた。
「ベル様」
見上げ、しっかりと目を合わせる。
「私、貴方のことだ……っ」
噛んだ。
血の気が引き、咄嗟に俯いて両手で顔を覆った。今度は逆に頭に血が昇って熱い。
とても誤魔化せない程に噛んだ。完膚なきまでに噛んだ。
何て事だ。肝心要の一大告白の瞬間に、よりによって噛むなんて。
「うっ」
あまりの恰好悪さに涙まで滲んできた。顔なんて上げられない。
「ジェシカ」
戸惑うでもなく笑っているようでもない声が降ってきた。とことんまで優しい声。
ああ、好きだな。
自然に、そう思う。
「好きです」
顔を伏せたまま、言った。言ってやった。もうどうにでもなれ。
「私、ベル様が、好きなんです。他の誰でもない貴方の事が……守りたいとか、愛し愛される人と幸せになってほしいとか、そんな感情じゃなくて、好き、なんです。恋を、しているんです……!」
頭痛がする程、耳に鼓動が鳴り響く。
本当はもっとスマートに決める予定だった――!
しばらく待ってみても何の反応もない。え、失敗した?
そう思い顔が引きつるのを感じながら、そろっと見上げると。
彼は片手で顔を覆って項垂れていた。その手の隙間から見える顔が。
「真っ赤」
「仕方がないだろう……」
あまり見るな、とでも言わんばかりに顔を背けられた。
金糸の隙間から見える耳まで赤い。またそうやって。ギャップという私のツボを的確に突いてくる。
唖然として徐々に落ち着いてきた、と思ったらまた動悸が襲う。
「……トーマじゃなかったのか」
私がトーマを好きだと本気で思っていたのか。
「ですから、私は彼にはただ幸せになってほしいだけなんです。彼の事を本気で愛して、心配して、時には叱ってあげられるような、そんな女性と……」
理想はヒロインと愛を育んでほしかったが――肝心のロミがあれでは。
ベル様は僅かに立ち直ったのか、姿勢を元に戻して私と向き直る。まだ顔が赤いが。
私の頬に手を添えそのまま流れるように耳に、髪を梳くように。
じっと私を見下ろし指が唇までやってきて、形を確かめるようになぞる。こ、この雰囲気は、もしや。
と、目を閉じようとするが。
「大丈夫か、噛んでないか?」
そんな事をのたまった。意地の悪そうな顔で。
私は熱い顔が更に熱くなるのを感じた。
「かっ、噛んでませんわ!」
「そうだな」
喉の奥で笑いをこらえたようなベル様を睨み上げると、そのまま。
唇同士が触れた。
ゆっくりと離れて行くベル様の、透き通った海のような青を凝視する。
「……こういう時は目を閉じるものらしいが?」
「ベルさま、こそ。目を開けていたではありませんか……」
自分の声がふわふわしているのが分かる。気恥ずかしさが体に満ちて。
「私はいいんだ」
何故。あ、そうだ。
「ベル様、お願いがあります」
僅かに首を傾げたベル様に、どうしても言わなければならない事があった。
「そんな、いとおしい顔……他の人がいる前であまり見せないでくださいませ」
私の切実な願いに彼は目を見開いて。
ベル様はもう一度私の髪を天辺から優しく梳き、今度は先程より密着させるように唇を合わせてきた。




