幕間:とある侍女の辛抱
私は床に広がった汚れた水を見下ろし溜息を押し殺した。
「ほら、早く掃除しないと。旦那様がきちゃうわよ?」
「あーあ。きったないわね」
メイドたちが自分で撒いた汚水を見て笑っている。
まったく……。人間というのはここまで下らない事ができるものなのか。いい歳をして。私はモップを持ち、無言で床を拭き始めた。
「ざまあみろ、よ。お嬢様に楯突くからこうなるのよ。侍女様から召使いに格下げくらい当然でしょ」
「解雇されて放り出されなかっただけでも旦那様に感謝しなさいよ。……なによ、その目は」
楯突く、って。
男を次々と侍らせ、無関係な令嬢を悪者にして男たちの同情を集め、その事ばかりに労力を注ぎ候補生としての勉学を疎かにして。それを注意する事が楯突く、というのか。初耳だ。
「でも、もうすぐあんた辺境伯へ嫁ぐのよね? あの偏屈爺さんのところに」
「実際はその息子に、でしょ? 愛人が沢山いるらしいし、せいぜい可愛がってもらいなさいよ」
そう。大公殿下と伯爵様の手回しによって、私はもうじき50も上の辺境伯へ嫁がなければならない。ここでいつまでも不当にいびられるよりも、女好きでだらしない中年の息子に好きにされるほうがマシだろうか?
そんな訳ない。
だけどこればかりは私にはどうしようもない。
どれだけ事実を訴えても、あの大公殿下直々の証言だ。私のほうが嘘を言っていると思われるのは当然だろう。
悔しい。
今までも多少理不尽な事なんて山ほどあった。だけど、ここまで常識を疑うような頭のおかしい事象は初めてだ。
この国は、世界は私の知らないところで歪んでしまったのだろうか。
ただ、私よりも……あの侯爵令嬢の方が無念で仕方がないに決まってる。
まったく火の気のないところから煙を上げさせられ、よりにもよって落第に処されたと言うではないか。意味が分からない。
無言で、何度もモップを絞りながら床を拭いていたら旦那様が入ってきた。
「……リター。お前に来客の予定がある。1時間後、玄関ホールで待っていなさい」
「かしこまりました」
辺境伯がわざわざ来るのだろうか。
それともその息子? ……どっちでも同じだ。




