幕間:とある隠密の心境
「二人を追い聖女の正体を探れ」
鋭利さを隠そうともしない美貌のアンドレイ・ノースクライン侯爵。彼は騒ぎの最中、場をはける王子と聖女をじっと見て陰に控えていた俺に呟いた。
そうは言うが、侯爵は聖女が何者なのかを知っているのではないか。ここに来てからも、王子と聖女の挨拶中も、二人の元に神官たちが次々挨拶にやってくる間も、じっと……何かを見極めるように二人を、いや、聖女を見ていた。
その目には警戒や懸念、疑念などの色は無く、ただ本当にじっと見ていた。
小部屋に当たりを付け、その天井裏で二人が入室したのを確認した。
「殿下。わたしの事で腹を立ててくださるのは嬉しいですけど……あれではトーマ様に」
聖女の言葉の意味を理解しようとする前に。俺は信じられないものを見た。
まだどこか幼さの残る銀髪の聖女が、俺のよく知る人物の姿、そっくりそのままに徐々に変わっていった。
真っ直ぐな黒髪。意志の強そうな目。ジェシカ・ノースクライン。
そう。ジェシカお嬢様だ。幼い頃、何度も侯爵家専属医師である俺が世話した、あの令嬢。何度となくぶっ倒れる事を秘密にしてほしい、と謎の契約書で俺が秘密に口を開く事を封じた、あの令嬢。教会に上がってからは姿を見ていないが、随分大人になったものだ。妙に感慨深くなる。
しかし、まさか。あの聖女が。いや違うな。
候補生から落第したジェシカお嬢様が聖女そのものだったのだ。
「殿下、何をするのです。返してください。もし誰かに見られたら!」
「もういいだろう。君がそこまでして庇うような男か、あれが」
よく見ると、王子が聖女の手首に巻いていたブレスレットを持っている。あれが姿を変化させていたのだろうか。
幼い頃から妙な魔術を操るお嬢様なら、さもありなん、という感じだが。それは口を封じられた俺だけが知っている事だ。
それにしても、お嬢様が庇う男とは?
「殿下……説明した筈です。彼が悲惨な末路を辿らないためにも。殿下もご友人がそんな目に合うのは嫌でしょう?」
「私はもういい。今回の奴を見て完全に見限った」
彼、とは? 奴?
殿下の友人、そして当の王子の言葉で、おおよその人物に行き当たった。その人物を頭に描いたところで、王子はあろうことかお嬢様を壁に押し付けた。
「……それほどまでにトーマがいいのか? 君がどれだけ自分のために心を砕いているのかすら気付かない男なのだぞ」
やはり騎士トーマか。そう思いながらも王子の行動に、こめかみがひきつる。
「前にも言った筈です。彼には強い同情と同調を感じているのです。自分と似ているからこそ、どうしても不幸になってほしくない。彼の未来を視てしまったからには出来る事をしたいだけだと」
まずい。
情報整理は得意だと思っていたが、次々出てくる新しい情報が多すぎる。
「どうだか。何か……それ以上の執着を感じるのだがな。でなければ自分に冤罪を被せるような男を庇うとは思えん」
そう言えば侯爵は、ジェシカお嬢様が屋敷に帰ってきた時、まるで突然の輿入れを知っていたかのような言動をしていた。と無表情で語っていた。
トーマ・ファルシに嫁入りすると知っていた?
しかも、トーマを好いているのだろうか。だから抵抗もなくあっさりと。
「いいえ、それだけです。トーマ様には恋慕といった感情はありません。云わば……親心?」
しかしお嬢様はあっさりと否定した。
「まあ、今の所はそういう事にしておいてやろう」
「殿下! 早くそれを返してください」
話は終わったようだが、王子は未だお嬢様を壁に追い込んでいる。しかも、楽しそうに。
「そうだな……私を名前で呼ぶのなら返してやらん事もない」
「ベルディウス殿下」
あっさりと呼んだ事に俺は若干口が緩む。らしいな、と。だが王子は不服なのを隠そうともしない。
その後の照れるお嬢様とそのお嬢様にご満悦な王子のやりとりに、胃がきりきりと痛む心地がした。
王子め。手が早すぎやしないか?
いや、婚約者、という立場なのは分かるが、それにしてもこんなに親しかったとは聞いてないぞ。
とうとう王子を愛称で呼んだお嬢様のその手首に、王子は持っていたブレスレットをはめた。徐々に変化する姿。
理由ははっきりとは分からないが、正体を隠し聖女となっているのは間違いなくジェシカ・ノースクラインだ。
その後いちゃいちゃし出す二人からは特に有用な情報は得られなかった。
安心したのは、王子はアリスという聖女の姿ではなくジェシカお嬢様そのものに好意を抱いている事が分かった事か。
王子、見る目があるじゃないか。と俺は少し得意な気分になった。
控室に移動した侯爵の元に戻り、事のあらましを伝える。
二人がいい感じにいちゃいちゃした事は伏せた。俺への命は聖女の正体を探れ、という事だけだ。
「そうか。やはりあれはジェシカか」
どう見ても別人であるが、何か、侯爵にしか分からないジェシカお嬢様の特徴があったのだろうか。
そもそも聖女がどこの誰か素性を探れ。ではなく正体を探れ。という命からして侯爵はあの時点で聖女が誰かの変装だと気付いていたのだ。
いや、誰か、ではなく娘のジェシカお嬢様だと。
俺の無言の疑問に返答するかのように、侯爵は懐から筒状に丸まった紙を取り出して俺に差し出してきた。すっかり乾燥して日焼けしたそれを俺はおそるおそる開く。
そこには子供のらくがき……多分人を描いたものだろう。
女の子を描いたのか、くねくねの髪に、ぱっちりとした丸い目、ローブのような修道服のようにも見える服を身にまとっているその絵の横に。
ありす。
拙い子供の字で、そう確かに書かれている。
「これは、あの聖女?」
「あれが5つの時に描いた物だ」
ジェシカお嬢様が、幼い頃に?
「聖女が見つかったと、名と特徴を知らされた時に……その絵を思い出した。かつてこの絵を掲げ、聖女様だ。とあれが言っていたのもな」
「当時からお嬢様が聖女となる人物を知っていた、もしくは予知していたのか。今のお嬢様が、昔脳内で描いた聖女像を反映させたのか、と思われたのですね」
成程。どちらにせよ無関係ではないと思ったのか。
それにしても、お嬢様が描いた絵を未だに持っていたのか、この強面は。しかもわざわざ持参したのか……。
……王子が手が早そうなのは黙っておいた方がよさそうだ。
「……あれが妙な動きをし出したのもその頃だったな」
「5……いいえ、6歳程の頃だったかと」
俺の訂正に侯爵は、教会の質素なソファに座ったまま肩越しに振り向いて見上げてきた。その何でも見透かすような目で。
「それで。ジェシカは何をしていたのだ?」
「……」
俺は苦笑いしながらも口を開けなかった。
特に落胆など含まない侯爵の溜息が簡素な部屋に妙に似つかわしい。まあ、今まで何度も無駄に繰り返してきたやりとりだ。
「まあ、そうですよね。お嬢様が魔力の酷使でぶっ倒れ続けてたなんて俺も言えな……え?」
俺が口を開けたまま固まったのと侯爵が再度振り向いたのは同時だった。
「何?」
侯爵が立ちあがり俺を見据えた。
何故だ? 今までどれだけ言おうとしても言えなかった彼女の秘密。
「そうか、それで魔術医師のお前を」
侯爵が若干目を伏せた。
その仕草、妙に艶のある憂い顔が本当にお嬢様と似ている、と今じゃなくてもいいだろうと思わせる思考が頭を巡った。俺自身も混乱しているのだ。
「何故今、口を開く気になったのだ?」
「いえ、俺の意思じゃなくてですね……この事を口外しない、という契約みたいなもんを結ばされて……」
なんと、その事も話せるようになるとは。
「ふむ、あれが聖女であるならば不可能ではなさそうだ。となると、6の頃から自身が聖女だと知っていたのか」
聖女という存在を……まだ幼い少女である我が身を案じたのか? だからたとえ親でも真実を打ち明けられなかった? それとも厄介事を侯爵家に持ち込まないように?
だから俺に口止めを?
侯爵はまるでお嬢様の意図を察したかのようにひとつ頷いた。
「まあ、それはいい。謎なのは、その契約のような物が何故今無効になったか、だ」
いや、俺に説明は?
いちいち説明してくれない、って事は俺が考えつく範囲の理由なんだろう。肩をすくめてみせた俺を気にする事なく侯爵は続ける。
「まあ、事なかれ主義なあれの事だ。何かしら契約を破棄する条件を設けていたのだろうな」
この人は見てない振りをしてよくお嬢様の本質を見ていると思う。
相手が聖女の正体を確信している場合。俺が拷問等、身を傷つけられ自白を促された場合。俺が侯爵に疑われ信頼を落としそうになった時。
例えば、と前振りをして侯爵は淡々と可能性をあげていく。
「まあ予想でしかないがな。今はジェシカが国にとって害がなければそれでいい」
何でもないような顔をしてソファに座り直した侯爵。
「いつかご本人から聞きたいもんですね」
僅かに項垂れたように見えた侯爵のうなじにそう声をかけてやるが、彼は黙ったままだった。
事実を知ったからといって、こちらから接触するような真似はしないだろう。落第処分を受けながらも、わざわざ姿を変えて聖女を務めている娘の憂いにならないように。
全く、そういうところも本当にそっくりだ。




