15 初めての(痴話)喧嘩?
「静粛に」
ざわつく場を、よく通る声が鎮める。様子を窺い沈黙していたシュバルツ大公殿下が、私たちと同じく壇上に上がり辺りを見渡す。そして。
「……ベルディウス殿下。少し冷静に。聖女様と裏にはけていて貰えるか」
有無を言わさない目線で、甥――殿下――を小声で促す。
殿下はしばし逡巡していたが、結局は私の手を取り場を去ろうとしている。私は慌てて大公殿下へ視線で問う。まさか、私の事を暴露するつもりでは……。と。
しかしそんな私の手に僅かに力を籠めた殿下。
「大丈夫だ。叔父上に任せていればいい。君の希望を最優先に動いてくれるだろう……大きな借りもあるしな」
殿下の囁きにつられ再度大公を見ると、彼はどこか気まずそうに頷く。彼はこれから自身の所業を公にする気なのだろうか。
しかし、ここは任せるしかなさそうだ。
彼の事は相変わらず嫌……苦手だが、私は感謝の意味を込め目礼だけして、殿下と共にその場をはけた。
控室も兼ねた教会の小部屋で、いろいろを込めた息を吐く。
「殿下。わたしの事で腹を立ててくださるのは嬉しいですけど……あれではトーマ様に」
言い終わる前に、憮然とした殿下は私の手首を取りそこに鎮座しているブレスレットを引き抜いた。
「あっ」
と、いう間に、私は聖女アリスの姿から、元のジェシカに戻ってしまった。
常に幻術をかけていて何か間違いがあった時に困ると思った私は、あれからアリスの幻術を組み込んだブレスレットを作成した。
突貫工事で一日。当然私以外には使えない代物で、割と自信作だったりする。
アリスの実態を知っている人には、こうして簡単に抜き取られてしまう事に気付いたのは、今だ……。
「殿下、何をするのです。返してください。もし誰かに見られたら!」
「もういいだろう。君がそこまでして庇うような男か、あれが」
斜め上からの返答が来た。トーマの事だろう。
「殿下……説明した筈です。彼が悲惨な末路を辿らないためにも。殿下もご友人がそんな目に合うのは嫌でしょう?」
「私はもういい。今回の奴を見て完全に見限った」
隙を見て殿下の手にあるブレスレットに手を伸ばすが、あっさりと手を上げ躱される。
「ジェシカ」
殿下は私を壁に追い詰め……背を屈め視線を合わせてきた。
……近い!
横に避けようとした私を、殿下は片腕で塞ぎ……。こ、これは前世で言うところの『壁ドン』というやつでは。まさか現実に実行する人がいるとは……。
内心混乱してあらぬところに思考を飛ばした私に気付く事のない殿下は、何とも言えない表情だった。
眉をひそめ怒っているのかと思いきや、切なげでもあり。
何で。そんな顔をするの。動悸が高まってくる。
アリスとして城に上がるようになったあの日から、殿下の様子がおかしいのだ。いや、おかしいという表現がおかしいのだが、二人だけの時に限り普通に感情を見せるようになった。
むしろ露骨な程に。私に見せつけるように。
何か言いたげにじっと見てきたり、気を緩めてふっと笑ったり、急に不機嫌になったり。
「……それほどまでにトーマがいいのか? 君がどれだけ自分のために心を砕いているのかすら気付かない男なのだぞ」
「? ……あっ」
そうか。殿下は勘違いをしている。
「前にも言った筈です。彼には強い同情と同調を感じているのです。自分と似ているからこそ、どうしても不幸になってほしくない。彼の未来を視てしまったからには出来る事をしたいだけだと」
「どうだか。何か……それ以上の執着を感じるのだがな。でなければ自分に冤罪を被せるような男を庇うとは思えん」
う。鋭い。
しかし、前世からの推しでした。なんて言えるはずもないし、どう説明したら分かってくれるのかも分からないし……何より殿下には、あまり言いたくない。
貴方たちの中ではトーマが一番好きでした、などと。
そもそもトーマは冤罪を着せたわけではなく、ロミが善で私が悪だと愛故に信じ込んでいるだけだ。
「いいえ、それだけです。トーマ様には恋慕といった感情はありません。云わば……親心?」
「まあ、今の所はそういう事にしておいてやろう」
尊大に言い放ち、殿下は体勢を戻すが距離はまだ縮まったまま。私は依然として壁に背を預けたまま。
とにかく……少し離れてほしい。駄目だ。意識しては駄目だ。
気を紛らわせようとして辺りを見ると、殿下の美しい指が私のブレスレットを回して遊んでいたのが目に入る。
指をすっぽ抜けてどこかへ飛んで行ったらどうするのだ。即席とはいえ気に入っているのだから勘弁してほしい。
「殿下! 早くそれを返してください」
「そうだな……私を名前で呼ぶのなら返してやらん事もない」
「ベルディウス殿下」
さらっと呼んだ私に、殿下は眉をひそめた。当然ブレスレットは返してくれない。
「そうではないだろう。ほら。トーマを呼ぶように呼んでみろ」
ほら、また。その美しい顔を近づけて……。心臓に、悪い。
殿下が何を言いたいのかは分かっている。しかし……このまま殿下の思惑に乗るのも何となく悔しい。癪だ。
「……ベルディウス様。早くしないと誰か来てしまうわ」
「ああ」
笑顔になり私を見下ろすが、まだブレスレットは彼の手の中だ。
嫌だ。何が嫌かって。
暴れる心臓を落ち着けるように、深呼吸をして。
「……ベル様。返してください」
どうして名前……愛称を呼ぶだけでこんなに頬が熱いのか。
「……可愛いな、ジェシカ」
ああ、嫌だ。頬どころか顔全体が熱い。そんな蕩けるような目で見ないで。
目線を逸らして手首を差し出したら、彼はそのまま私の手をすくい上げるようにして、両手で包み込むようにして撫でた。
この人は女性の手が好きなのだろうか、と思う事がままある。しかし、顔、というか頬を撫でる時もあるし、髪を梳くのも好きなようで。
やたらと触れ合いが多い。
私がもやもやと思考している間に、殿下はあっさりとブレスレットを元の位置に戻した。ジェシカがアリスになる。
ずるい。
鈍感で、無表情で、俺様で、少し天然で。
そんなキャラだと思っていた人がこんなに表情豊かに、愛おしそうに笑いかけてきたらギャップというやつでクラッときてしまうではないか。
それに。
「だがやはりその姿では今ひとつそそるものがないな」
おもむろに腕組みをしてアリスを見下ろし、そんな事をのたまう殿下を睨みつけてやる。私の理想の聖女像アリス。こんなに可愛いのに。
「公の場に出るための姿なんだから……そそられる必要なんかないでしょう……」
「砕けた口調も良いな。ジェシカの時に聞きたいものだ」
私は返事もせずに、顔を背ける。
「……ありがとう、ございます。凄く、嬉しかった」
背けた顔のまま視線を落として素直に感じた感情を伝える。何の事か分かっているだろうに、殿下は黙ってアリスの頭を撫でるだけ。
それに、ギャップだけじゃない。
あんなに本気で怒ってくれるのも、優しく気遣ってくれるのも、どうしようもなく。意識、するなという方が無理だ。




