14 殿下の逆鱗
神殿の奥、聖女選定の間。
殿下が壇上で高らかに語るのを、私、聖女アリスは横で聞いている。
見上げる候補生たち。講師、教会関係者たち。いくら目を向けてもその中に捜している講師がいなくて、重い不安が胸を過る。
彼は無事なのだろうか。まだちゃんと講師をやれているのだろうか。
特に異質な空間がある。ロミとその信奉者たちだ。俯く彼女を取り囲むようにしてこちらを凝視、疑心による鋭い視線を向けている彼ら。
その中には当然、朝早くに妻に挨拶すらする事もなく外出したトーマの姿もある。ただ、彼は複雑な表情をするのみで特に敵意は感じない。
そして、風の噂でノースクライン家を解雇されたと聞いたサッシュもいる。見慣れた執事服ではない。
「――そこで神託を授かった私は聖女アリスを見つけた。これより聖女は、私、ベルディウス第一王子の婚約者となった事をここに宣言する」
あの時に落ちた稲妻を見た殿下は、聖女はこの候補生の中にはいない。という神託を授かった。という体にした。
打ち合わせ通り一歩前に出た私。
候補生の制服と似た純白の修道服を摘まみ、たどたどしい礼をする。
「ご紹介にあずかりました、アリスと言います。まさかわたしが聖女に選ばれるなんて……夢のようです。これからベルディウス殿下と共に頑張ります」
そして再度礼をし、一歩下がり元の位置に戻る。ここまでは台本通りだ。
私のそのままの言葉、態度でアリスを演じると素性がバレかねないらしい。謁見した際、両陛下や大公がわざわざアリスの演技監修までして下さった。そもそもが私の我儘だと言うのに、なんと寛大な事か。
しかしこの拙さでは逆に反感を買うのではないかと不安にもなる。現に、顔を上げて私を睨むロミがいる。難儀なヒロインだ。
自分より上なら、陥れ。
目立つ存在があれば自分の方が、と憎しみを露わにする。
どうしようもないではないか。
「案の定だ。私から離れるなよ」
「はい」
彼女たちの様子を見た殿下は小声で私に忠告する。
というか、私を睨む。という事は横にいる殿下にもばっちり見られている。という事に彼女たちは気付いていないのだろうか。
王家からの宣言も終わり、次々と挨拶にやってくる教会関係者、候補生たち。
「これはこれは。聖女様、とお呼びすればよろしいですか」
柔らかな笑顔……の仮面を被った若く端正な神官が、私たちの元へ歩み寄ってきた。
攻略対象者の一人、デイヴィット神官。ロミの信奉者で、彼女こそが聖女に相応しいと思っている筆頭だ。
私は一瞬、殿下と目線を交わし、デイヴィットに向かって愛らしい聖女アリスの顔で微笑んだ。
「アリス、で構いません。聖女様なんて私にはまだまだ荷が重いですから」
少し拙い、まだ無垢な少女のような口調を心がける。そんな私を嘲笑うかのように口から失笑を漏らした神官。
「荷が重い、など。聖女様の御言葉とは思えませんね。貴女は本当に……」
その先を言わせまいと、私は一歩近付き人差し指で彼の胸の中心に触れた。そして周りに聞こえないよう小声で。
「神の御心に反した神官様。あなたに聖女のなんたるかを教えられる筋合いはないわ。神は見ている……あなたが今朝方、何処で、誰と……何をしていたのかを」
他から見えないよう彼に上目使いで笑ってやると、目に見えてデイヴィットは動揺した。先に喧嘩を売ってきたのはそちらだ。覚悟してもらおう。
今朝方のロミの動向はナディが調査した結果教えてくれたので知っている。もちろん実際に何をしていたかなんて分かるはずもない。カマをかけただけだ。
やろうと思えば確実に動向を見張れるが、人のプライバシーを覗き見る趣味もないし見たいとも思わない。
「な、なに、を……!」
一歩後ずさるデイヴィットを逃がさないように、私は更に距離を詰める。
「そして。神託に逆らい、虚像を聖女の座に押し上げようと画策するその邪な心……見逃してもらえると思わないように」
そのまま人差し指を上に向ける。デイヴィットの目の前で。
彼の頭上に、一筋の光が。瞬間、心臓が縮みあがる程の地鳴りと轟音が神殿に響く。真上の天井に雷が落ちたかのように。
周りが騒ぎ、デイヴィットは私を驚愕の表情で見たままその場にへたり込んだ。当然神殿のどこにも損害はない。実際は、雷を落とした訳ではなく光と音を同時に発生させただけなのだから。
「あ、だ、大丈夫ですか? えーっと……」
尻餅をついたデイヴィットに私はあざとく近寄り、目線を合わせ、小声で。
「ルートヴィッヒさん?」
「っ!?」
これでもかと驚愕に見開かれた切れ長の目に、無邪気に微笑むアリスが映っているのが見える。
「あれ……? 間違ったかな。あ、デイヴィットさんっていうの? ごめんなさい。そうよね……そんな事情があるなら……名乗れないよね」
固まる神官に目を細めて笑って。
「アリス。何をしている。こちらに来い」
「はーい」
まるで何事も無かったかのように体勢を戻し、私を呼んだ殿下の元へ小走りに駆け寄る。
特に被害は無かったと次第にざわめきが収まる周囲と、未だ尻餅をついて茫然とするデイヴィット。
その様子を気にも留めない殿下は私の腕を引く。
「何を話していた?」
「……ちょっとした意趣返しを」
候補生時代もデイヴィットにはやたら絡まれたのだ。ロミと比べられ、容姿や性格までも貶されて散々だった。
「少しは溜飲が下がったか?」
「ええ。少しは、ね」
デイヴィット神官。
ルートヴィッヒ、が彼の真名である。
名付け親は現陛下。そして、遺伝子上の父親も……陛下である。ベルディウス殿下とは異母兄弟。殿下の腹違いの兄。
これは恐らく今隣にいる殿下も知らない事だろう。私は『ゲーム』での彼の設定を知っているが故のカマかけだ。
この現実でもそこらの設定は変わっていないらしい。
そして、次に挨拶に来たのはトーマとサッシュだ。
何故この二人が一緒に。と、少し嫌な予感が頭を過る。
「殿下。聖女様。ご婚約非常に目出度く存じます」
普段の笑顔の仮面を微笑のそれに代え、洗練された仕草で当主の品格を見せるトーマに私はほっとした。ちゃんと当主をしている、と。
「ああ。ありがとう」
「ありがとうございます」
殿下と二人、揃って感謝を返す。
「ところで見ない顔だが。お前の新しい従者か」
殿下はサッシュを知らないのか。まあ無理もない。
「……はい。職を失い路頭に迷っていたところを、我が邸で雇う事になりました」
何という事だ。
今日からあの屋敷にサッシュがいるのか。なるべく接触してこないようにオーステッドに頼んでみよう。
サッシュは一礼して、トーマの一歩後ろに下がった。
「どこに勤めていたのだ? とても解雇されるようには見えんが」
……? 殿下の言葉に何か違和感がある。
「ノースクライン家の執事をしていました。このサッシュは、あのジェシカ嬢が候補生を落第されたその日に侯爵から解雇を言いつけられたそうです」
さすがお父様。行動が早い。
サッシュは私をファルシ邸に送った後、即解雇宣言をされたのだろう。私とは違い寝耳に水だったに違いない。
「ほう、侯爵が? それは何故だ?」
「そこまでは……侯爵殿は自分の胸に聞いてみろ、としか言われなかったそうです。恐らく、娘ではなく彼女が苛めていたロミ嬢に味方したからだと」
「トーマ」
殿下の力強い、でも静かな声がトーマの言葉を止めた。
「お前がそこまで愚かだとは……残念だ」
驚愕に目を見開くトーマと、後ろに控えるサッシュ。
やはり。
職を失ったとしか言っていないのに、解雇。と言い切ったあたり殿下はサッシュの事を知っていたのだろう。
当然か。王家が殿下の婚約者になる私の背後関係を洗っていないはずがない。
「従者はその主に最期の時まで付き従い裏切らない。という確かな契約を結んでいる筈だ。落第した娘を切り捨てる決断を下せる、かの侯爵殿が。娘のために一人の使用人をわざわざ解雇すると本気で考えているのか?
お前のそれは、単なる契約違反による解雇だ。それ以上でもそれ以下でもない」
静かな迫力で言い切った殿下。
「契約、違反……」
サッシュが茫然と呟く。
「それでも自身の感情を優先させたいというのなら、お前は使用人には壊滅的に向いていない。そういう人間は何処へ行っても結局同じ轍を踏む……主を、裏切る。もうまともにお前を雇おうとする所は無いだろうな」
目は笑っていないまま口元は仄かな笑みの形を作る殿下。何かを押し殺したようないつもよりも低い声。こんなにも怒気を露わにする殿下を見るのは初めてだ。
しかも、彼は残念、と言い放ったトーマではなくその後ろを睨んで――。
殿下、もしかして、私のために怒ってくれている?
私は思わず殿下の腕にしがみついた。
ああ、なんだろう。純粋に、ただ単純に、嬉しい。
候補生になってから。あのヒロインが現れてから。こんなに表立って私のために怒ってくれた人はいなかった。あの大公が彼女の背後にいた事で多大な影響を及ぼすからだ。
仕方がないと分かっているし、声を上げられずとも本当に私を気にかけてくれる人もいる。特に思うところは無かった。
はず、なのだが。
顔を上げられない私の頭に大きな手が乗る。
「なんだ。構ってもらえなくて拗ねてるのか?」
とことんまで優しい声が頭頂部に降ってきた。
「も、もう、違いますっ」
私は拗ねたフリをして、殿下の腕に顔を押し付けた。
思うところなんて無かったのに、こうして怒ってくれる言葉を実際耳にすると、心情は変わるのだと気付いた。殿下という地位ありきなのは分かっているが。
それでも……嬉しい。
もう一度殿下は私の頭を一撫でし、トーマたちに退場を促した。
「もういいだろう。去れ。後が閊えている」
嬉しいのは嬉しいのだが、トーマが真っ青になって意気消沈しているのも気になって、複雑で。胸が軋んだ。傷付いて、ほしくない。トーマには。
次に現れた人影を確認し、より複雑な心境になりながら咄嗟に私は殿下の腕から離れた。
物凄い形相で私を睨んでいるヒロイン・ロミ。
まずい。この場だけで彼女の化けの皮が剥がれてしまうのではないか。トーマの心がまずい。
少し離れた場所でロミを心配そうに見ているトーマの様子に、確信した。ヒロインは殿下狙いだったのだ。
横からさらっと聖女が出てきて、殿下の婚約者に難無くおさまった事にロミが心を痛めている、とトーマは思っているに違いない。
「殿下、アリスさん。ご婚約おめでとうございます」
淑女の礼と殊勝な祝いの言葉とは裏腹に露骨に私を睨んでくるロミ。
「ありがとうございます」
私は俯き礼をした後、僅かに殿下の陰に隠れるように動いた。
神経を逆なでする行動だとは分かっているが、それでも面と向かって彼女と話せる気がしない。特に、今は。さっき心の奥底にあった『わだかまり』を自覚してしまっただけに。
ふつふつと湧き上がる何かを抑えられる気がしない。
何故。
殿下が本命で聖女アリスに嫉妬するくらいなら、どうして逆ハーレムなんて築いたのか。何故、よりにもよって危うい結末が待つトーマに粉をかけたのか。ちやほやされたいという願望があるのなら、何故。
何故、今自分の周りにいる彼らに、もっと心を砕いてやらないのか。純真を演じるのなら何故最後まで貫き通さないのか。
何故、無関係な私を陥れたのか。人の人生を何だと思っているのか。
背後に下がった私の行動を察してくれたのか、殿下は一言礼を言って次の列に目を向けた。彼女の相手をする気はないらしい。
だが。
「まっ……待ってください! どうして? その人は候補生ではなかったではないですかっ!」
ロミのまさかの言動に周囲は目を見張り、ざわつく。トーマや背後に控える攻略対象者たちも戸惑っているようだ。
「わたしたち、聖女になるために3年間も頑張ってきたのにっ……! 横から知らない人が聖女ですってやってきて……納得なんてできませんっ! ねえ、みんな!?」
彼女が見回して同意を求めたのは、候補生の面々。
口裏を合わせて私を陥れた訳ではなく、攻略対象者たちによる脅しに近い命令で、ただ一人ひとり偽の証言をしただけの加害者であり被害者の彼女たち。
彼女たちは気まずそうに俯き、誰もロミに同意する者はいない。それはそうだろう。もし、この場で自分がしたことが露呈したら。
戦々恐々としているに違いない。
だがロミの言い分も正論ではある。事情を知らないのなら、なんのための候補生だという話になってしまう。まさに茶番だ。
私としてもこの展開は困るのだけど、どうしてロミは自分の首を絞めるような言動を。こんなにも感情を高ぶらせてしまう程に殿下を……。
「気色が悪い」
静かな、しかしたった一言で場の空気が消沈した。殿下がロミに言い放ったのだ。
「え……」
ロミが信じられないものを見るかのように、殿下を見上げる。
「彼女が……聖女が我慢していたから敢えて知らぬ振りをしてやったが、私とて限界はある。お前は、お前達は異常で、異質だ。気色が悪い。この件は不問にしてやるからさっさと私たちの前から消えろ」
ロミは言われた事の意味が分からないようで、茫然と殿下の言葉を噛みくだいているようだ。
真っ先に反応したのは攻略対象の一人、教会仕えの魔術師の少年・ハクス。彼はそれほど背丈の変わらないロミを背後に庇い殿下に相対した。
勇気があるな。と私も地味に混乱している中、妙に冷静に感心してしまった。
「何故、ロミさんにそのような非道な事が言えるの、ですか? ロミさんはずっと……」
「苛められていた? 健気に耐えていた? だから聖女に相応しい?」
少年ハクスの言葉を遮って、殿下は追撃した。
「それがどうした。その苛めの首謀者と思わしき令嬢は候補生の中でも聖女筆頭であった。こればかりは覆る事のない事実。そんな令嬢を大勢で共謀して追い落とし落第に至らせる行為は……卑劣で不正ではない、と胸を張って言い切れるか?」
成り行きを不安そうに見守っていた候補生の何人かは、俯き、膝から崩れ落ち、静かに泣いている。
「そ、それは……自業自得で……」
「そうか。それが許されるのならば私も言おう。王家と教会から正式に聖女と認定された彼女を認めず、まるで自らが神の代弁者気取りで人を裁く輩が私に糾弾されるのも……自業自得だ、とな」
ハクスは殿下の圧に押され一歩下がり、その際ロミに少しぶつかる。出始めは割と恰好よかったのに。
胸を張って正しい事をした、と他人に堂々と言えない事はするもんじゃないなと再確認した。
しかし、そんな私はこうやってぼーっと傍観している場合ではない。
このままでは殿下はポロッとジェシカは冤罪だった、と普通に漏らしてしまう気さえしてしまう。
私が殿下の肘の裾をひっぱり制止している最中、周りは徐々にざわつき混沌とし出す。
教会の人間……恐らく何も本質を知らない神官や講師たちは、異様な様子の候補生たちを立たせ事情を聞いている。
彼女たちは首を振ったり、顔を覆って蹲ったりで会話にならない。
もちろん候補生の一部は何が何やらという顔をしていたり、殿下の言葉を察して軽蔑の目を同期の彼女たちに向けたりする者もいる。
そんな彼女たちは恐らく、大公たちの脅しに屈しなかった者たちだろう。
この混沌とした場を鎮めたのは、あの方だった。




