10 罪紋の解呪
まるで隠されるようにして案内されたのは、城の奥まった位置にあるだろう部屋。
そこには陛下、数時間ぶりの第一王子殿下、そして法衣を身にまとっている中年の男性……彼が治療師、城仕えの医師だろう。
「よく来た。急な事で碌なもてなしも出来ないが」
陛下の言葉に礼と言葉を返す。候補生の制服しか着る物が無かった事などだ。
魔術師の言った通り特に気にした様子でもなく、どちらかと言えば安心したような表情をしておられたのは何故だろうか。
「問題ない。緊急だと言ってあるのに妙にギラギラと着飾ってくるようでなくて安心しただけだ」
何故か殿下が私の無言の疑問に答えてくれたが、そんな絵に描いたような非常識な人がいるのだろうか。
私は私であまりにも極端だが、この制服は正装扱いであるらしく安心した。
そんな中、彼らがある一点に視線を移したのを、私も追う。今まで気付かなかったが一つのベッドに横たわっている物体がある。
私は、戦慄した。
人型だ。
そう。黒い、人型を模した何かがそこに寝かされている。
胸の辺りが上下しているのを見て、戦慄が更に体中を駆け巡る。咄嗟に後ろに控えていたエスタの前に立ち塞がる。
ああ、なんてこと。私、お夕食を食べたばかりなのに。
こみ上げる吐き気を気合いで我慢し、陛下へと無言の目線を送る。
「察しの通り……シュバルツだ」
陛下の何かを押し殺したような平坦な声が耳を通り、脳に行き渡る。
これが、人。
焦げた皮膚のところどころはただれたような赤い肉が……。
陛下の手前露骨な態度をとる訳にもいかず、目を伏せてあまり見ないようにした。心臓が爆音を立てて、耳に煩い。エスタはこれを見ていないだろうか。一瞬でも見ていたらトラウマになるに違いない。
「わたくしに、治療を……」
何気なさを装い質問しようとしたが、喉に何かつっかえたような不自然な喋りになってしまって、私は慌てて手で口を押さえ、陛下を見た。
「お主のようなうら若き令嬢にこのようなものを見せるのは心苦しい。だが、頼む。シュバルツを治療してほしい……聖女ジェシカ」
「畏まりました。ですが、失礼を承知で申し上げます……メイドを、下がらせてもよろしいですか。彼女には見せたくありません」
私は陛下の返事を聞いてから、エスタの背を押し部屋の外へ出した。
私の侍女ならともかく、エスタはファルシ家のただのメイドだ。さすがにこれは巻き込めない。
「……奥様……顔色が」
「私は大丈夫。貴女は見ていないわね……?」
頷くエスタを扉の前で待機させ、控えていた騎士に任せ私は部屋へ戻る。
陛下方に深く礼をして失礼の詫びと感謝を示す。
「時間を取ってくださりありがとうございます。では、診させていただきます」
ふと、気遣わしげな視線の王子殿下と目が合った。
私はひとつ頷き、寝かされている黒い人型……シュバルツ大公へ歩み寄る。
あまり近くで見たいものではないが致し方あるまい。なるべくじっくりと見ないようにして、症状を探るために手をかざす。
そういえば。
「治療術が効かないと伺いましたが」
治療師のホリーと名乗った男性が、延命処置を施すまでの経緯を簡単に教えてくれる。雷に打たれた?
「雷、天罰」
屋敷から見た空がどこか不穏であった事。殿下が語った選定の儀での落雷。思い当たる節がありすぎて思わず呟く。
試しに私も治療術を施してみるが、あまり効果はなさそうだった。とても大きな力に遮られている感覚。
「神聖な力を感じます。この外傷はただの怪我ではなく……」
そう。外傷というよりは、どこか印のような、紋のような。しかし確かにこれは重度の火傷だ。
呪い。
私ははっとした。
「……解呪を試みてみます」
「解呪? それはどのような……」
ホリーが疑問を発した事に、私は納得した。
この世界の魔術に『呪い』という概念はあまり一般的ではない。なんと説明したものか。詳細は今はいいか。
「これは恐らく呪いによる外傷です。直接外側から肌を傷つけた訳ではなく、体全体、その生命、魂に癒えない呪い……痕のような物を刻み付けた故の症状ではないかと」
「呪い……まさに天罰か。痕、というと罪紋のようなものか?」
罪紋とは読んで字の如く、重罪人がそうであると知らしめるための、刺青。殿下が的確に表現してくれた。
「成程な。魂に刻まれた罪の痕。治療術が効かぬのも当然だ」
私の拙い適当な説明にも、殿下、陛下方は納得してくれたようだ。
正直こう説明する以外に私もどう表現したらいいのか分からないのが本音だ。
ただ言った事に嘘はない。外側からではなく、その神聖な気は内側から発せられているのが分かる。
大公の全身を薄い魔力の膜で覆い、レントゲン……X線検査を思い描く。私に専門的な知識はないが、前世の知識によるイメージで何とかなってしまうのが聖女の力の凄いところであり……恐ろしいところでもある。
目を閉じ、膜内の私の魔力と紐付けさせて脳内に内部画像を映し出し、異常のある個所を探す。
実際には探すまでもなく一目瞭然であったが。
胸の中心辺り。
心臓に纏わりつく黒いモヤ。私がそれを認識した瞬間、それは形となって心臓に直接張り付いた。
まるで御札、シールのように。
私は思わず目を開いた。
ああ、これを剥いでいくのか。綺麗に。こめかみから汗が流れていくのを皮膚が感じた。
一枚、一枚。
するりと綺麗にシールが剥がれるあの感覚をイメージして……。
少しでも欠片が残ってどうしようもない感じになったり、あの嫌な粘着性が残る映像を思い描かないように、集中する。
「ふぅ……」
目を閉じたまま、思わず吐息が漏れた。ようやく一枚。
ああ、私は前世から今世まで、こういう神経を使う作業は苦手なのだ。後で取り返しのつかない事になると分かっているのなら、そのままにしておくタイプだ。
一枚、更に一枚。
そして最後の一枚を剥がし終え、心臓を覆う力は消え去った。
見るに堪えない外傷が、緑の膜の中で徐々に変化していく。成功したようだ。
「おお……!」
「傷が癒えていく……」
治療師と、私をここまで案内した魔術師が呟くのを片耳で捕える。
「は、っ」
私は荒い息を吐き、額に浮かぶ汗を拭おうとした。が。
その前に私の額に当てられたハンカチに戸惑う。
「大丈夫か。随分疲れている」
殿下だ。
何という事だろう。まさか王子殿下そのお人に、手術時の汗拭きを担当させてしまうとは。
「殿下。いけません。私などにそのような」
「何を言う。ハンカチとはこのような時のために常備しているものだろう」
いや、それはそうなのだが。
「それよりも。本当に顔色が悪い。多く魔力を使う難しい治療だったようだな」
「いえ、これは魔力を多く使った訳ではなく……質の問題だと思われます……」
殿下には悪いが、喋るのもおっくうだ。
人知を超えた力による呪いだか天罰だかを解呪するためには、かなりの精神力が必要だった。魔力の上澄みではなく濁った強い部分のみを使わなければ、あの黒いモヤに触れる事すらできなかったのだ。魔力量自体は大して減っている訳ではない。
倦怠感と動悸が体全体を襲う。疲れだけではなく、無事に事が終わった安堵もあった。
他人の心臓に直接魔力を触れさせるなんて、とても恐ろしかった。何があるか分かったものではない。
いつの間にか私の体を支えていた殿下からやんわりと離れ、未だ目を閉じている大公殿下を見下ろす。
手首を取り、脈を測ってみる。
特に異常は無さそうだと分かる脈拍だ。額へ手の甲を添え熱も測ってみるがこれも同様に異常は無さそう。呼吸も一定の間隔で正常に行われているように見える。
ここから先は専門の医師が何とかしてくれるだろう。
「もう特に異常は見られません。もしも大公殿下が目覚められ、何か異常があればまた知らせ……」
言い終わる前に目の前が暗くなり天地がひっくり返ったような感覚を味わった。
最後に耳に残ったのは、若干の焦りを滲ませた私を呼ぶ殿下の声。




