09 早速の御指名
「奥様。お夕食の用意ができました」
扉の向こうからくぐもったエスタの声が聞こえる。
家から持ってきた置時計に目をやると、寝ていたのは殿下が帰られてから二時間程。すでに外は日が暮れてきた頃だろう時間だ。
私はエスタに入室を促してから、顔を洗いに脱衣所に足を進める。仮眠のお蔭で大分体が軽くなったような気がした。さっぱりして部屋に戻ると。
姿勢のいいエスタが綺麗な礼をして私を食堂へ誘うように先導した。割と緩慢な動きの彼女に私もゆっくりついていく。
「旦那様は多忙を極め執務室で食事を摂るとおっしゃっています。ですので奥様はおひとりで召し上がっていただきますが……」
「ええ。わかったわ」
まあ、建前だろう。忙しいのは本当だろうけど、それと私との食事を天秤にかけるまでもない事は分かっている。
「お食事を終えた後、家令のオーステッドにもう一度お話を……あの件についてお聞かせくださいませ」
「そう、話したのね」
「私一人ではお力になるのに限界があります」
つまり、私を聖女だと信じ協力してくれる、という事なのだろう。
夕食に舌鼓を打ち満足したところで席を立つ。特に分厚いローストビーフがとても美味しかった。ここの料理人は、私が相手だからといって手を抜かなかったのだろう。妙な混入物もなかったようだし。さすがに疑って掛かりすぎか。
エスタを伴って食堂を退室しようとしたところ、何やら客人の来訪があったらしく一人のメイドがやってきた。このメイドは見覚えがある。私が最初に屋敷に来た時に代表で挨拶した彼女だ。歳はエスタよりも上に見える。
メイドは戸惑いと嫌悪が入り混じった表情で私に客人に応対するように言ってきた。まずはトーマに報せに行こうとしたら、そこで家令のオーステッドが私に伝えるように、との指示を出したようだ。
不満げな顔でそんな事をわざわざ私に言ったメイドを目の当たりにし、エスタが視界の端で若干肩を強張らせた。
あまりな態度のメイドに警告をしておかねば。
「貴女。その態度はわたくしの前だけにしておきなさいね。この家と旦那様の評判を落とす事のないように」
「そんなこと、あなたに言われる筋合いはありません。私たちはあなたを認めていません」
しかし、まるで話にならない返答だった。
「そう。そういう感情を持つのは個人の自由よ、旦那様がそう認めていれば。外部に出さないように気を付けていればいいの」
だが、こういう使用人は総じて肝心な時にボロを出すものだ。普段の態度というものは咄嗟に誤魔化せるものではない。
客は王城からの使者、城仕えの魔術師だった。
応接室に通された私と、それにエスタは意外な来訪に戸惑っている。王城で何かあったのだ。
ふと、魔術師越しから見えた窓の外、良く晴れた星空が目に入った。日が落ちたばかりでまだ仄かに明るいその何の変哲もない平和な空に、私は得体の知れなさを感じた。
「ファルシ夫人。突然の来訪、ご容赦を。至急王城へ上がるよう王の御命令です」
彼は音も無く書状を広げて、中身を見せた。
登城願いだ。
強制でも連行でもないが、実質断れない命令である事に変わりない。
あのメイドが鼻を鳴らし笑っているのが見えた。恐らく、私が何かやらかして呼ばれたのだと思っているのではないか。
「何かあったのですか」
疑問をぶつけたつもりだったのに妙に確信めいた口調になってしまった。そんな私を気にする事もなく、魔術師は頷く。
「ここからは王家の威信に関わる事。内密に、他言無用に願います」
なんでも、王弟であるシュバルツ大公が重篤らしい。治療師の術も受け付けず延命処置のみで急場をしのいでいる状態だという。
「何故わたくしに?」
「ベルディウス王子殿下からの御指名です」
なるほど。
早速聖女の力を借りたいという事なのか、私が聖女である確信が欲しいのかは分からないが、これはさすがに見過ごせそうにない。
どうせ拒否はできないし。
「わかりましたわ。すぐに支度しますので少々お待ちください」
私は立ちあがり一礼をして、あのメイドを一人残し、エスタを伴って地下部屋へ舞い戻る。
クローゼットに並べた実家から持ってきたドレスを見て、私はしくじったと気付いた。……王城へ着ていけるようなドレスなんて、持参してない。
少し迷った後、数時間前まで着ていたその衣裳を取り出す。まさかまたこれを着る事になるとは。
一人で着替えを始めた私を手伝おうか戸惑っているエスタに、私は指示を出す。
「そうだわ。オーステッドにこの事を伝えて。彼の指示を仰いでちょうだい」
エスタは返事と共に一礼して、半ば速足で地下部屋を出て行った。
候補生の制服姿で再度応接室に現れた私を、魔術師は無表情で、メイドは眉を露骨にひそめて見た。
「申し訳ありません。本日越してきたばかりで場に相応しいドレスは現在持ち合わせていませんの。これが一番見られる服装ですのでどうかお許しくださいませ」
決してドレス等を与えられない境遇ではない、と言外に伝える。私の言い訳に、魔術師は特に感情を表す事なく立ちあがり頷いた。
「緊急事態です。陛下もそのような事をとやかく言うような矮小な方ではありませんので、問題はないかと」
後半は、あのメイドへ目を向けて。
「……ここの使用人は客の前で、奥方に露骨な悪感情を向けるのが当たり前だとでも躾けられているのですか? お里が知れる」
まるで呆れたような侮蔑を纏った彼の表情に、メイドは目を見開き、すくみ上がる。顔色は真っ白だ。案の定ではないか。
「申し訳ありません。ここの使用人たち全てがそうであると思わないでくださいませ。主人には何の非もございません」
私は殊勝にも頭を下げる。
トーマの品位が疑われるような事は避けたい。一応、私もここの女主人という肩書がある事だし。一応ね。
ノックの音が鳴り、応接室に現れたのはオーステッドに報せにいったエスタと、執事のナディ。
「オーステッド様から伝言です。城にはエスタを側仕えとしてお連れください」
他意があるのかは分からないが、助かる。
「わかったわ。すぐに戻れないようなら便りを出すから、後の事はよろしくね」
よろしく。とは、つまり何とか私が外出している事を誤魔化せ、という事。監視しているのだから私の動向を気にするかもしれないし。
心得たり、と頷くナディ。彼と、俯くメイドを部屋に残し私たち三人は連れ立って屋敷を発った。
馬車に乗りそのまま城門を通り、裏口へ通された。
「申し訳ありませんがこちらからお願いします」
使者の魔術師が言う事はもっともだと頷いて返事をした。大公が重篤で、よりにもよって聖女候補生を落第した私に救援を求めたなんて王家の醜聞になりかねないのだから。
目立たないよう私を誘導するのも理解できる。
だがそれだけでは無いようで。通された控室で少し待機するように言われ、何かあるのかと訝しんだ。至急では無かったのか、と。
魔術師も、やってきた護衛らしき騎士もどことなく申し訳なさそうにしていたから、私を振り回し蔑ろにしたいのではないらしい。
あちらはあちらの事情があるのだと自身を納得させた。
エスタも一緒に座るように言うと、彼女はぎこちなく動き出す。
「お城は初めて?」
「は、はい。中まで入るのは」
緊張しているのか。
大丈夫だ、という思いを込めてエスタの背に手を添えると、彼女は僅かにだが肩の位置を降ろしたようだった。
待機していたのはほんの数分だろうか。法衣を着た術士が入室してきて、恭しく私に退室を促し大公の元へ案内してくれた。
結局あの待機時間はなんだったのだろう。




