披露目の儀
「マナリエル・ユーキラスさん。中へどうぞ」
案内役の先生に名を呼ばれ、礼をしてから会場へ足を踏み入れる。と、同時に耳に小さな破裂音が響き、それまで静かだった会場から、大勢の人々の会話が混ざり合うざわめきが聞こえた。なるほど。防音魔法をかけていたということか。
しかしそれも一時のこと。私が前方の階段へ一歩、一歩と近付く度にそれらざわめきは小さくなり、やがてまた防音魔法がかけられたかのような静けさへと戻る。まさにシーンという擬音語が適切であろう。
だからこそ聞こえてくる音もあり、意識は自然とそちらへ向く。
まるで祝福を受けたようだ。それが第一印象である。精霊が住みやすいように自然に囲まれ美しく造られている学園だが、中でもここは見事だと感嘆のため息がもれる。周囲の木々は新緑のように瑞々しく光輝いている。色とりどりの花は咲き誇り、まるで歌っているかのように揺れる。優しく風は微笑み、空は光の雨を降らす。まさにファンタジーな光景に、ただただ魅了されるばかりだ。
もちろん、多少耳障りな声も否応なしに入ってくる。
「白だ……」
「生徒会に入るのか?」
「なんて美しさだ……」
「惑わされるなよ!魅了の魔法を使うらしいぞ!」
「マナリエル様はそんなことしないわよ!あぁ、まるで女神のようですわ」
「ふん、偉い家に生まれただけじゃない」
……鬱陶しい。それが正直な感想だ。こんなテンプレートな声に震えて怯えるほど私の精神年齢は幼くないのよ。それに魅了の魔法を使っているのは私ではなくアイーシャだ。苛立ちでしかめそうになる眉を上げ、呼吸を深くした。冷静に周囲を見渡せば、大勢の人々の中にロイやミカエラ、レイビー、イリス、少し離れたところにはシャルロッタがこちらを向いて微笑んでいるのを見つけた。安心から一気に顔の筋肉が緩む。
やはり悪役令嬢なのだろう。微笑みは嗤笑、優雅さは高慢、謙遜すれば嫌味のように捉えられることは少なくない。これがデフォルトなのだろうか、何をしても反感を買う気がする。中には心酔しきったような目をしている者も見受けられ、それはそれで厄介である。
あぁ、さらに面倒な者も見つけてしまった。アイーシャ。普通にしていれば愛らしい顔をしているのに、なぜああも勝ち誇ったような意地の悪い笑みを浮かべるのか。見上げながら見下せるスキルはすごいと思う。ふとアイーシャの肩を見れば、美しい小さな猫のような生き物がいる。あの生意気な勝者の笑みはアレが理由だと瞬時に理解した。
契約をしたのだろう。あの猫は恐らく精霊の類いだ。精霊にも様々な姿があると聞いたことがある。光の力を持つ精霊にとっては、アイーシャの魔力は気持ちが良いのだろう。ウットリと首に寄り添っている。しかしペットは飼い主に似ると言うが、瞬時に起こり得ることなのかと認識してしまいそうなほど、生意気な表情が2つ並んでいる。
この会場で。皆が集う場面で光の精霊と契約を交わし、これぞヒロインと言えるイベントを味わえたのだろう。得意気になってしまうのはよく分かる。しかしなぜ、いちいち私を敵対視するのか。先日の騒動もそうだが、数々の乙女ゲームをこなしてきた私の中のヒロイン像のテッパンからは、だいぶかけはなれているアイーシャ。ヒロインの心は、汚れを知らない純粋無垢でなければ。その澄みきった心が、傷を背負った男達を次々と癒していくというのに。そのヒロインを操作していた自身が純粋無垢であったかどうかは置いておき、どうにも違和感を覚える。しばらく様子を見ておく必要があるな。そう判断したところで、私はアイーシャから視線をそらした。
この後の流れは事前にレクチャーを受けている。膝を折り、床につけ、両手の指を絡め目を閉じる。まるで神への祈りのようだと思った。そこで精霊からの、いわゆる品定めが始まる。基本的に下級精霊とは契約を結ばないため、中級精霊からの声かけを待つことになる。特に契約の声がかからない場合も、自分の属性の下級精霊から加護を受け、階段を降りて皆と合流する───はずなのだが。
………。一向に何かが起こる気配が感じられない。しばらく沈黙が続いた後、少しずつ会場のざわめきが広がり、思わず薄く目を開いた。その景色は、目を閉じた時と何も変化は見られない。けれど他の生徒や先生が驚いている姿が見える。
「妖精が加護を与えないなんて──」
ざわめきの中から聞こえた声。そうか。変化がなかったことが問題なのか。私の周りには、中級精霊はもちろん、下級精霊の誰も近付いてきていない。品定めすら行われなかったということなのだろうか。
「やめてください!」
突然、甲高い声が会場に響く。
声の主はアイーシャ。彼女は階段を背に、私を守るように両手を広げている。意外な展開に、立ち上がることも忘れ呆然とした。
アイーシャは華奢な肩を震わせ、大きな瞳には涙を溜めている。
「皆さん、やめてあげてください。妖精から見放されてしまったマナリエルさん……妖精の誰からも加護を受けられなかった、可愛そうなマナリエルさん……これ以上、恥ずかしい思いをさせないであげましょう?」
今にも溢れそうな涙をぐっとこらえ、他の生徒に訴えかけるアイーシャ。なんていい子なんだ……なんて感動的な空気が生まれ始め、先程のざわめきとは違う、温かなムードに包まれる。
え、私、妖精の誰からも加護を受けなかったの?それってやっぱり魔法使いとしてあり得ないのかしら。加護なしとかっていうやつ?自分がどのような状況なのか分からないまま、どんどん哀れみの目が増えていく。それに比例して、アイーシャへの好感度は上がるばかりだ。
振り向いたアイーシャは、ニヤリと口角を上げた。その時にやっと、「やられた」という状況に気が付いた。彼女はすぐに哀れみの表情に切り替える。
「マナリエルさん、どうしてあなたが加護を受けられなかったのかは分かりません。例え魔法使いとして不適合の烙印を押されたとしても、例えロイ殿下との婚約が破棄となったとしても、マナリエルさんは何も悪くありません!ただ妖精に好かれなかっただけなんですから!」
然り気無く、けれど確実に、魔法使い失格な上に王妃としても相応しくないかのような印象を与えようとしている強かさ。彼女の一言一言に従うように生徒の表情も変わっていく。今、この会場の空気はアイーシャが支配しているようなものだ。
レイビーとイリスには元々「何が起こっても、私が助けを求めるまで手を出すな」と命令を下しているため、ぐっと堪えているようだ。そして今にもこちらに駆けつけそうなロイの姿を捉え、片手で制止の合図を送る。今来てはダメだ。ロイが私を庇えばこの空気は一掃され、何事もなく終わるだろう。しかしそれは解決ではなく、水面下に隠れてしまうだけ。このまま終われば、私は魔法使いとしても時期王妃としても信頼を失ったままとなってしまう。
何より、ここで見極めておきたい。誰が味方で、誰が敵なのか。自分が可哀想だとか、哀れみの視線が恥ずかしいだとか、そんな気持ちに飲まれてはいけない。閉じ籠っても、事態が良い方向へ進まないことは知っている。焦るな。焦るな。
アイーシャは堪えられないとでもいうように、再び口角を上げた。




