一時の安堵
不思議と緊張はしていない。
披露目の儀を受ける生徒は今、廊下に並んで待機をしている状態である。順番に名を呼ばれ、一人ずつ入室していくスタイルのようだ。私の後ろに誰もいないということは、恐らく私が一番最後なのだろう。みなそれぞれの属性に合わせた制服を着ている中で、やはり白を着ている生徒は私だけ。待機している生徒達からも、すでに視線は痛いほど送られている。
しかし、やはり緊張はしていない。人は自分より強い感情を目の当たりにすると、幾分か冷静になれるものだ。私はその傾向が強く、人が泣いていると涙は引き、人が熱く語れば語るほど冷めてしまう。そんな性質の私は平静な心で、ただただ前方の鮮やかな赤を見つめて時間をやり過ごす。
「……おい、あんま見んな」
赤い頭がぎこちなく振り返り、忌々しそうにこちらを睨んだ。ただ妖精に自分の姿を見せるというだけなのに、なぜここまで緊張するのかと問いたくなるほど、ミカエラの動きは鈍い。まるで錆びたブリキのおもちゃのようだ。
「弟の頭見て何がいけないのよ」
少しでも和らげようと仕掛けてみるが、ミカエラは一瞬息を詰まらせ口は開閉を繰り返すばかりで、結局その口から言葉が発せられることはなかった。大方「お前の弟になった覚えはない!」とか「こんな姉いるか!」とか、そんなことでも言いたかったのだろう。しかし今の彼には、それすら声にならないようだ。こんなにもあからさまに緊張する人がいるのかと感心するほどである。列に並ぶ生徒は皆各々に緊張した様子ではあるが、うちのミカエラがダントツだと断言できる。
ミカエラは緊張していることを悟られたくないのか、話は終わりだと言わんばかりに視線を逸らした。警戒の解き方を知らないその背中を見ると、どうにも心が痛んでしまう。家を出てから、どのような暮らしをしていたのだろう。きちんと衣食住は確保できていたのだろうか。前世の分20年ほど記憶が多いせいか、つい保護者感覚になってしまう自分がいる。
血の繋がりのない家族というものは、別にこの世界では珍しいことではないことは知っている。例えば子供に恵まれない貴族が爵位を後継していくために、家柄の良い次男や三男を養子として迎えることもある。我が家にはアルバートがいるため後継者には困っていないが、それでも補佐として養子を迎えることはあり得る。
ただし今回の件が正式に決まれば、養子云々ではなく別の問題が出てくるだろうが……まぁ私はただの令嬢だし?そのあたりは大人に頭を抱えていただこう。
──もし。
これは経験したことのない私が容易に想像できるものではないが、もし自分に子供がいたとしたら。自分が赤髪を憎んでいたとしたら。そして我が子が赤髪だったら。愛せないだろうか。
そんなはずはないと否定したい。けれど、どうなんだろう。両親と全く違う色の髪の子。この世界観ならあり得そうな話だが、クイラックスの話を聞く限りはあまりないのだろう。そもそもそんな何百年と青色の髪を受け継いでることが珍しいと感じてしまうが、そこはまさにファンタジーらしい──というか、そんな派手な頭ならもう赤でも青でも何でもいいだろう。
「……あのこと、本気なのか?」
ぽつりとミカエラが声を漏らす。何を、と聞くのは野暮だろう。
「迷惑だった?」
「……分からない」
視線は合わない。そのまま黙ってミカエラの横顔を眺めていると、俺は、と再び口が開いた。
「家族がどういうものか、分からない。どうせ俺に拒否権なんてないんだろ?手続きが終われば、俺は戸籍上はメルモルト公爵の養子になり、お前の弟になるのかもしれない。けど、だからと言って俺がどうなるのか、どうすればいいのか分からない」
俺は知らない。そう言い、彼はまた俯いて口を閉ざした。
家族の正しい形なんて分からない。けれど前世の記憶では、友人の家庭と比べて文句を言う私に、よく母が言っていたセリフがある。
「鬼は外、福は内」
「……は?鬼?」
あまりの疑問に、ミカエラはこちらを向く。
「正しい家族の在り方は、私にも分からないわ。だって、家庭ってね、本当にそれぞれルールが違うのよ。でもね、それでも分かることがあるわ」
私はなるべく優しい声を心がける。ミカエラの瞳がわずかに揺れた。
「弟はね、常に姉の機嫌を察知して行動し、姉の指示に従い、時に反抗し、けれどもやっぱり言うことを聞いてしまう。そういう可愛らしいものよ」
生意気のようで忠犬なソウシ、そしてまだ反抗期を迎えていない甘えん坊のアルバートを思い浮かべる。どちらも宝だ。
「姉弟って素敵よね」
「待て、良いこと言ってるような雰囲気だけど、ほぼほぼ主従関係だろ、それは」
俺は騙されねぇぞ、と言わんばかりに、ミカエラは飲み込まれそうな空気を払おうと頭を振った。
「それに、拒否権ならあるわよ。私をお姉様と呼ぶかどうかは、あなたに選ばせてあげる」
「全力で拒否する!」
噛みつくようなミカエラを見て、思わず笑みが溢れる。よしよし、元気になったな。
「それにね、私にもこの件はメリットがあるのよ」
「私にもって、さっきから俺のメリットは一つも見当たらないけどな」
そう。この養子縁組は、何もミカエラに対しての慈善活動だけではない。ちらりと周囲を見れば、緊張していた生徒達は様子を探るようにこちらを見ていた。中には前後の生徒同士でヒソヒソと話している者もいる。
ロイという婚約者がいながらもミカエラと親しく接していることで、周囲はあらぬ噂を立てる。そしてそれは、面白い方へ面白い方へとすり代わり、今では【ロイ殿下とアイーシャが愛し合っているにも関わらず、婚約者の立場を利用して私が邪魔をしている】または【ミカエラとアイーシャが惹かれ合っていることに嫉妬してミカエラを権力で押さえつけて二人を引き離している】というところまで来ている。
「……ミカエラ、アイーシャって子知ってる?」
「あ?誰だそれ」
「そうだよね」
予想通りの反応である。そもそもなぜ噂話にアイーシャの名が挙がるのか……ミカエラはもちろん、ロイも接点があるようには見えない。これもヒロインが持つ補正力なのだろうか。
いずれにせよ、私は順調に悪女のイメージを背負い始めている。勿論立派な悪女を演じるのも悪くない。悪くないが、婚約者でいる間は私の評価がロイに影響してしまう。そして、ミカエラやクイラックス、そしてレイビーなど、ロイ以外の異性と話す度にあらぬ噂が広まり、大切な友人との時間を心から満喫できないことがストレスである。
「つまり俺が養子になれば、関係が変な方向へ疑われることはない、と」
「そういうこと」
説明を理解したミカエラは、納得したように頷いた。
「女ってのは面倒だな。他人の交流を妄想して何が楽しいのか」
こちらを見ながら小声で何か話している女子生徒をミカエラが睨めば、彼女達はびくりと肩を揺らして目を反らした。
「まぁまぁ、そう言いなさんな。女というものは、古くから群れの中で生きてきたのだよ。周囲の情報に敏感になるのは仕方がないの」
と言いつつも、正直なところそんな可愛らしいものではないということは理解している。何せ私の周囲にいる男性陣は、皆乙女ゲームの攻略対象であろうと容易に推測できるほど美しい。申し訳ないが他の生徒とは桁違いだ。誰でもいいから一人くらいはお近づきになりたいとチャンスを伺う女性陣から見れば、全員と親しげな私は嫉妬の対象だろう。幸い憧れてくれている子も多くいるが、それこそそれなりの家格の令嬢などは、私の人生転落すら望んでいるだろう。
大人しく地に落ちてやるつもりもないし、私はあくまでもカッコいい悪役令嬢を目指したいのだ。ヒロインに陰湿な悪事を働くのではなく、貴族としての厳しさを教え、そしていざという時は潔く身を引く。
大切なみんなとは、絶対に離れたくない。
「ま、ミカエラは何もする必要はないわ。あなたは黙って私に愛されていなさい」
「姉というより、まさに女王様だな」
ミカエラが鼻で笑う。
「あら、王はロイだから、私は王妃よ、まだ決定ではないけどね。もしロイに他に想い人ができれば、それこそ潔く身を引きますから!」
「………あの人があんたを手放すなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないだろ」
「え?何か言った?あ!ねぇねぇ!もうすぐだよ私達!もうすぐ呼ばれる!どうしよう、会場静かじゃない?拍手とかないの?いや、この人数ずっと拍手してたら手ぇ腫れるか!音楽が小さいのよ!もう少し音量上げてもらえないかしら?あれよね?会場入ったら階段降りればいいのよね?それだけだよね?」
「あーうるせぇ!先に行くからな!」
「分かった!頑張って!」
煩そうにしながらも、背中を向けながらも、去り際にさりげなく手を振るミカエラ。
「可愛いなぁ」
これだから放っておけないのだ。