婚約破棄3
目の前には、片膝をついたロイ。本当は正座させたいところだけど、これがこの世界での礼だろうし、何より一国の王子に正座をさせるのも気が引ける。なんていう私の配慮をよそに、ロイはその姿に似つかわしくないほどの笑みをたたえている。どこか清々しく、スッキリした様子だ。ずいぶんとまぁ満足そうで……反省してねーだろコノヤロウ。見れば見るほど怒りのボルテージは上がっていった。
「で、これは何なのか説明していただけるのかしら」
鼻息を荒くして、私は自分の左側の鎖骨を指差した。
「この、私の、決め細かな、整った美肌に、嫁入り前の、清らかな肌に、なんだこれは」
一言一言を刺すように放つ。トントンと指を当てた先には、不思議な模様ができていた。いや、不思議な模様などではない。よく見るとエンブレムであることが分かる。それもただのエンブレムではない。シルベニアの国章だ。
「何でティスニーの公爵家の娘である私に、シルベニアのエンブレム入っとんのじゃ!」
「まぁまぁ、落ち着いて、マナリエル」
先ほどのお色気全開から一転して、いつもの柔らかい雰囲気のロイに戻っている。がしかし、今の私にはそのヘラヘラした顔が気に食わない。とても。
「お?なめとんのかワレ。乙女の純情弄んどんのか」
ガラが悪くなる一方の私に何かを察知したのか、ロイは笑うのを止めて唇をキュッと結んだ。そして姿勢を正す。
「マナリエル。この際ハッキリさせておくけど、俺は君との婚約を解消するつもりはないよ」
「なんで」
好意を示す薔薇は確かに赤い。恋愛ゲームではこの状態になると、もはや何を言ってもプラスへ転じていくものだと知っている私は、今さらご機嫌をとろうなんて気持ちはなかった。
いや、むしろ突然あんなキスされて、おまけにタトゥーなのかアザなのか分からないものまで付けられたのだ。存分にご機嫌をとってもらわないと気が済まない。なんなら、とことん困ればいい。
「誰にも渡したくないから、かな」
ふて腐れた態度をとっていたら、案の定ロイは慎重に言葉を選んでいるようだ。
「ていうか、そもそもコレってどうやったの」
「それはシルベニアの王家に代々伝わる契約魔法だよ。限られた者にしか使えない魔法でね、心に決めた女性に送るものなんだ」
「つまり他の男が近付かないようにマーキングってことね」
「ほら、マナリエルは魔法学園に入学するだろう?只でさえ心配なのに、婚約破棄してもいいなんて言うから」
「否定しないんかい。そんで私に責任転嫁をするつもりか」
「申し訳ありませんでした」
ピシャリと言い放つと、ロイはすぐに頭を下げた。あ、これ大丈夫かな?シルベニアの王子に頭を下げさせて満足しているなんて、絵面的に良くないよね?ヒロインというより、悪役っぽいよね?悪役令嬢の立ち位置は避けたい!やめよやめよ、あくまでヒロインでいないと。
「まぁいいわ、婚約者であることには変わりないからね。婚約を解消した時には消えるんでしょ?」
「婚約を解消するつもりはないから、それはつまりマナリエルに入ったエンブレムは──「消えるんだよな?」はい、消えます」
若干顔が引きつっているロイ。ダメだこれ、なんか私悪役令嬢ぽくない?王子脅すヒロインなんている?いないよね?
ヒロインってもっとこう──ふわふわっとした素朴で優しい癒しタイプか、キラキラっとした笑顔が魅力的な努力家タイプか──だよね?マナリエル当てはまらなくない?
だぁれ?マナリエルがヒロインなんて思ってたのは。
はぁい、私です♥️
馬鹿野郎!!!
寝言は寝て言え!!!
「マナリエル!?なんで自分を殴ってるの!?」
「ちょっと黙って!今すごい頭使ってるから!」
「う、うん」
考えるのよマナリエル!エンブレム?契約?そんなん今はどうでもいいわ!
マナリエルって間違いなく絶世の美人だけど、ヒロインって案外普通の女の子が多いよね?普通の女の子なのに逆ハーレムとかになっちゃうとこが夢見せるポイントだよね?
この顔がモテるなんて当然じゃね?
それにほら、美人って顔きつく見えるし、意地悪そうって思えばそう見えなくもないよね。
まず私の性格からして、もし誰かに攻撃されても数万倍返しくらいできちゃうし。助けとかいらんし。
ほら、ヒロインが王子と恋に落ちるけど、王子の婚約者に意地悪されるとかあるあるストーリーだよね?
「ねぇ、ロイさんや」
「あ、はい」
ギギギっと油分の切れたブリキのように音を立ててロイを見る。ロイは何を言われるのかと、ごくりと息を飲んだ。
「私って、悪い顔してるかね?」