不思議な女【episodeミカエラ】
「おたんこなすのクソうんこ!」
「クソとうんこは同じ意味だろバーカ!」
「バカって言う方がバカなんですー!」
「今バカって言ったから、はいお前もバカー!」
「なんだとテメー!」
……。
なんだ。なんなんだ。この低レベルな罵り合いは。言葉をあまり知らない幼子が、思いつく限りの暴言を吐いているような。あいつ、母なる庭で試練を受けたんだから俺と同じ15歳だよな。
マナリエルが公爵家の娘だと知った時は衝撃を受けた。だってそんな育ちに見えないだろ、あいつ。相手の男の鼻に指突っ込んでるぞ。
正直、爵位を持つ者に好感は持てない。いや、むしろ嫌悪感でしかない。貴族との記憶は消したい記憶ばかりで、思い出すだけで心臓が冷えていく感覚がした。
貴族は人を見下し、利用する。決して自分の手は汚さずに、思い通りに動かそうとする。動かせると思っている。
あいつも、そうなんだろうか……。
「ケツの青いガキが粋がってんじゃねーぞ!」
……ヘッドロックかましてるし。思わず笑みがこぼれた。考えるのがアホらしくなってくるな。
「何やってるの?」
「!?」
突然聞こえた声の飛び抜けた色気に、声の主が男であると認識できたのは振り返って実際に姿を見てからだった。
なんだこいつは…。どう言葉で表せばいいのか分からないほどの圧倒的な存在感。思わず平伏したくなるような神々しさ。今まで見た貴族がどれほど陳腐な存在だったかを痛感させられる。全てを蹴散らし、全てを崇拝させるようなオーラ。
間違いない。こいつは王族だ。ティスニー国の王子か?
「何をしているのかな?」
王族だと思われる男は、柔和な笑みを浮かべていた。けれどその心は決して笑ってはいないことを、背後に抱えている黒いオーラが物語っている。
さっきまで誰の制止も聞かず(もはや周囲は諦めていた様子だが)、暴れまわっていた二人は一瞬で動きを止めた。
ゆっくりと声のする方を向き、お互いを掴んでいた両手の力を抜いていく。マナリエルは相手の鼻や口を掴んでいたからか、手を離したついでに相手の服で手を拭っていた。きたねぇな。
王族と思われる男は、一歩一歩、二人へ近付く。男が近付くほどに、二人の顔は青ざめていった。そんなにヤバいやつなのか。男が目の前に立つ頃には、正座をしている二人。
男は、変わらず口角は美しく上がっている。
「久しぶりに愛しい婚約者に会いに来れたのに、まさか弟の鼻に指を突っ込んでいる姿を見ることになるなんてね。この衝撃、分かる?」
周囲を向けば、マナリエルの家族やメイドらしき者達は揃ってコクコクと頷いていた。ていうか、あいつ王子のフィアンセだったのかよ。まぁ公爵令嬢なら、あり得る話か。
……王子はあんな奴でいいのか?
「むしろ見慣れた光景で安心したんじゃない?」
何やらマナリエルが挑発している。アホかあいつ。
男はいつの間にか笑みを消して、マナリエルを見下ろしていた。
「鼻の穴に指を突っ込む君の姿を見慣れろって?」
「あら、そこに穴があれば挿れるわよ私は」
漢字が違う。意味が変わる。お嬢様が発していいセリフじゃない上に、フィアンセからそんな言葉聞きたくないだろ。そもそも王子に向かってそんな発言……あいつ殺されないか?
「他に何か言うことは?」
「謝るのはそっちだからね」
思い残すことはないか、と言わんばかりの低い声に上乗せするマナリエルの声。
正座をしているのにあんなに上から目線ってできるのか。明日は処刑かもしれない。
二人はしばらく睨み合っていたが、それを打ち切ったのは男の方だった。男はため息を吐き、美しい動作で膝を折って座った。
「ごめん」
マナリエルの前に膝をついた男は、確かにそう言った。先ほどとはうってかわり、切な気な眼差しを向けている。
「寂しかった?」
マナリエルの長く伸びた柔らかい髪を一房掬い上げ、そう尋ねる。
「罪は軽くないわよ」
軽く目を細めて恨めしげに睨んだマナリエルを、それはそれは愛しそうに見つめる男。そして掬った髪にそっと口づけた。
「もちろんだよ、マナリエル。15歳の誕生日、残りの時間は一緒に祝わせてくれる?」
「もちろんよ!」
嬉しそうに抱きつくマナリエル。そんな彼女を受け止める男も嬉しそうで。
……。
見せつけられてる感。
俺はなぜここに居るんだろう。あの時、引きずられることへの抵抗を諦めたことを、心底後悔した。




