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CROWN   作者: 山木京、
白猫の探偵と黒犬の警察
2/20

01 出会い


僕はその日、探偵事務所で働き始めてから何回目かの猫探しの依頼をこなしていた。猫という生き物は定期的に行方をくらます生き物なようで、こういった類の依頼が事務所には季節を問わず寄せられてくる。僕が働き始める前はハルさんが担当していたと聞いたが、この春からは僕の仕事になった。ボスはこういう仕事をしないのかとハルさんに訊くと、「ボスはやらないんじゃなくて出来ないの。ほら、猫が寄って来るわけないじゃん」と小声で教えてくれた。ひそひそ話す僕とハルさんを見て眉間に皺を寄せるボスの顔を見て納得した。狼人のボスはどちらかというと猫からは避けられる方だろう。本人の意思とは無関係に……。

 今日も僕は猫じゃらし片手に路地裏にいた。猫は自由な生き物だ。自由の象徴として鳥がシンボルマークに使われることがあるようだが、猫の方がふさわしいと僕は思う。自分の好きなように生きる。好きな時間に寝て起きて、好きな場所に行き、そして好きな場所で最期を迎える。猫の飼い主は飼っているつもりでも、きっと猫の方は飼われているつもりはない。まさに自由気ままに生きる生き物だ。

 それゆえ天気がどれだけ良かろうが、昼寝するのにうってつけの暖かな陽が差していようとも、ひっそりとした路地裏の日陰た室外機の上でくつろいでいたい子もいる。

 猫を捕まえる時、強引に捕まえようと追いかけても逃げられておしまいだ。いくら猫人の祖先が猫だと言われても、二足歩行に進化した猫人が猫の走る速度にはとてもではないが敵わない。数人のチームワークで猫を追いかけて捕まえる描写が小説や漫画で出てくるたびに、この人たちは超人なんだと思うようにしている。

 超人じゃない僕は室外機の上で寝転んでいる猫に静かに近づいた。あと数メートルのところで猫は僕の存在に気がついた。敵かどうかを判断するために耳と目をこちらに向けて意識を集中している。

 きっとこのまま近づいたら建物の間の細い道を走って逃げられてしまうだろう。そうならないためには警戒心を解いてやらないといけない。僕が『敵』ではないことを示さないといけない。

 僕は猫の視線よりも下になって同じように寝転んだ。僕もまた、この場所が気に入っただけの猫になる。誰もいない路地裏でしか出来ない方法だ。

 猫になりすまして数分した頃、警戒心を解いてくれた猫が僕の方へ近寄ってきた。鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅いでいた。猫流の挨拶であろうその行為が一通り終わるとまた室外機の上に戻っていき、大きなあくびをするとそのまま目を瞑ってしまった。

 ここまでくるともうあと一息。ゆっくりと猫のそばに寄り手を差し伸べる。猫が自分から手に頭を擦り付けてきたら額をかき、首のあたりをかいてやると気持ち良さそうに喉を鳴らした。そして僕はどさくさに紛れて猫の首根っこを掴んだ。

 これで迷い猫の捕獲は完了。首輪に取り付けられたプレートに書かれた名前と依頼主から聞いている名前と一致しているのを確認した。当の本人は全然迷っているつもりは無いのだろうが、これで無事に飼い主の元に返せる。あとは事務所まで連れ帰って依頼主から報酬を受け取るだけだ。

「面白い捕まえ方するねぇ」

 突然背後から聞こえてきた声に、心臓が口から飛び出しそうになった。

「……ハルさん、いつからここに?」

「うーん、いつからというか。事務所出てからかな?」

 衝撃の事実を言った彼女の手には、僕が持ってきていた猫用のバッグがぶら下げられていた。

「前から気になってたんだ。シュトレン君、猫捕まえてくるの異常にうまいからさ。どうやってんのかなーって」

「はあ、そうですか」

 僕はバッグの中に猫を入れてファスナーを閉める。猫は自分の状況を察したのかおとなしく入ってくれた。犬だったら間違いなく吠えじゃくっているだろう。

「そういえばハルさんはどうやって猫捕まえていたんですか?この仕事、前はハルさんの担当だったんでしょう?」

 僕がそう訊くとハルさんは「そりゃあ、もう力づくで」と答えた。

「例えば……あの子を捕まえるとするでしょ」

 そう言ってハルさんが指した方を見ると、どかからともなく現れた黒猫が建物の壁際を歩いてきた。ごみをあさりに来たのだろうか、表の飲食店が出したごみ袋に爪を引っ掛けていた。

「あの子を捕まえるんですか?野良の猫は人馴れしてないから捕まえるのに時間が……」

 僕がそう言って振り向くとそこにハルさんの姿はなかった。思いがけず独り言になってしまった気恥ずかしさに口を結んでいると背後から騒々しい音が聞こえてきた。

「こんな感じで!」と黒猫を掲げたハルさんはごみ袋の山に半分埋もれていた。

「……全然参考にならないんですけど」

「にゃはは。シュトレン君も『クラウン』があればねー」

 ハルさんはごみの山から出てくると捕まえた猫を離して服についたごみを払っていた。猫はすたこらとどこかへ走って行ってしまった。

 彼女の言う『クラウン』とはこの世界に生まれた人間以外の獣人が使うことのできる生まれながらの能力のことだ。その種類は千差万別。ハルさんの場合は風を操れるそうだ。たった今猫を捕まえて見せたように、彼女はその力を使って通常ではありえない速度で移動することができる。そして先程ハルさんが僕に言ったように、僕にその能力は、ない。前世で余程の事でもしたのだろうか。生まれながらの能力を僕は持って生まれてこなかった。

「さて、土産話もできたことだし帰ろうか」

「……何ですか土産話って?ちょっと、ハルさん?」

  恐ろしいことを口走ったハルさんの後ろを猫の入ったバッグを持って僕は追いかけた。

 僕は口止め料として後日、パンケーキをハルさんに御馳走することになった。 



「あら~ミィちゃんどこ行ってたの~」

 全身を宝飾品で着飾った猫人で中年のおばさんは、満足そうにミィちゃんと呼ばれた猫を腕に抱えて満足そうにしていた。

 ハルさんはこの依頼人が苦手だと言ってこの人が到着する前に他の仕事に出かけてしまった。なんとなく僕も分かる気がする。全身から漂わせている甘い香りが鼻の奥にこびり付きそうだった。

 ミィちゃんはというと婦人の腕の中で不服そうに僕を見ていた。騙された。また逃げ出してやる。そんな表情をしていた。

「さすがこの街で五本指に入る婦人だ。ずいぶん羽振りがいいな」 

 ご婦人が満足そうに帰ったあと、ボスは封筒に入っていたお札を数えていた。

「猫探しの依頼料っていくら貰ってるんですか?」

「一応金額は大体決まっている。後は依頼主の気分次第で増えたり増えなかったりだな」

「へー」

 変な話だが働き始めて自分の仕事の相場を初めて知った。依頼料が一覧表になっていて項目ごとに料金が決まっていた。働いている自分が思っちゃいけないことなのだろうが結構なお値段だった。これほどのお金を払ってまで依頼しに来るなんて、世の中お金に余裕のある人たちが思っているよりもいるんだなぁと思っていた。

 この事務所に入ってから、そういえば依頼とかってどれぐらい来ているのだろう。そもそも依頼が来てなかったら働けないな、と思っていたが、僕の不安とは裏腹にこの事務所には依頼が途切れることなく舞い込んできていた。一見平和に思えるこの街にも意外と疑念と猜疑心が広がっていることを知った。

「さて、次どうする?」

 ボスが依頼の書かれた用紙をぱらぱらとめくっていた。

「猫探しの依頼はあらかたお前が片付けてしまったからなぁ……。お、これなんかいいんじゃないか?」

 一枚の依頼書を抜き出してボスが僕に差し出した。

「何の依頼ですか?」

「読めばわかるさ。その手の依頼は尽きることがないよ」

 僕は書類に目を通した。その書類は依頼主がこの事務所に来た時に、依頼内容を聞き取りハルさんが作成したものだ。そこには依頼主の個人情報とその依頼が書かれている。

「うわぁ、探偵っぽい」

「知らないようなら教えてあげようか?君はもう探偵であり、この仕事を続ける限りその手の依頼はこの先永遠に付きまとってくるぞ。人がいる限りな」

「……嫌な世の中ですね」

「まったくだ。カメラはどこかにあるはずだ。適当に見繕って持って行ってくれ」

 僕は依頼書と資料のコピーとカメラを鞄の中に詰め込み事務所の扉を開いた。

「行ってきます」

「おぅ」

 ボスの短い返事を聞いて扉を閉めた。喫茶店になっている一階に降りると、店内はお昼過ぎということもあって少しの賑わいをみせていた。鳥人の店長とバイトの子がせっせと働いていた。僕は邪魔にならないように静かに店内を抜けて外に出た。どんよりとした雲が空全体を覆っていた。依頼内容に似つかわしい空色だ。これからどろどろとした人間関係を調査する。生まれて初めての「浮気調査」に僕は内心ワクワクしていた。


 浮気調査を初めて数日目、その日も調査対象の牛人の男性を尾行していた。朝から家の前に張り込んだ。彼は自宅から会社までの道のりをいつも通り通勤し、いつも通り会社のあるビルの中に入っていった。その建物の中には関係者以外は入れないことになっていたので、僕は建物の前にある公園でいつも時間をつぶしていた。ビルの出入り口は正面の一つしか無かったから見張るのは楽だった。牛人の男性はお昼時になると会社を出ていつもの定食屋で昼食をとり、定時になるまで会社で働いて、寄り道することなくまっすぐ家路についた。

 この人が本当に浮気なんかしてるんだろうか。奥さんの何かの勘違いじゃないだろうか。手持無沙汰になっって彼の日常を写真に収めていると、これじゃあ僕がストーカーしているみたいだなと思うことさえあった。

 そんな疑問が生じ始めた頃。確かその日は今年の最高気温になると朝の報道番組で狸人の天気予報士が言っていた。僕はいつも通り自宅から会社までを尾行し、彼がいつ出てきてもいいように公園のベンチで見張っていた。時々暇つぶしでファインダー越しに覗いた公園の植物や鳥や虫を写真に撮って時間をつぶしていた。

 その日の失敗は飲み物を持ってきていなかったことだろう。いつもなら水筒を持ってきているのだが鞄に入れ忘れたようで、朝家を出てから水分を一滴もとっていなかった。今思えば別に買いに行けば済むだけのことだったのだが、なぜかその時は持ち場を離れてはいけない。その内に彼がどこかへ行ってしまうかもしれないと思って、のどの渇きをずっと我慢していた。

 自分がどれだけ大丈夫だと思っていても体は正直で、あとから聞いた話では、僕は座っていたベンチの上で倒れこんでいたそうだ。

 次に目を覚ましたのは額に何か冷たいものを感じた時だった。目を開けると誰かにのぞき込まれているのだけが分かった。

 身体をゆっくりと持ち上げて目をこすると不明瞭な視界がだんだんクリアになってくる。

「よかった。君、熱中症になってない?これそこで買ってきたんだ。よかったらこれ飲んで」

 そこには端正な顔つきのしたドーベルマンの犬人の青年が僕の隣に座っていた。差し出されたスポーツドリンクを僕が受け取ると彼は優しく笑った。

 これが、僕とユウ・ドーベルとの初めての出会いだった。


                  ♦


「やあ、また会ったね」

「あ……こんにちは」

「あれから大丈夫だった?びっくりしたよ。ベンチで倒れてる人なんて初めて見たからね」

「あはは、おかげさまで……」

「あの日は暑かったからねー。毛皮が黒いと余計に大変だよー。白い君がうらやましい」

「……そうなんですか」

「ところで君は写真家だったりするの?」

「写真家?」

「うん。写真家。平日の昼間から公園でカメラぶら下げてるのなんて写真家くらいじゃないかなーと思ってさ」

「えっと……まぁそんなところ、です」

「いいよ敬語なんて使わなくて。僕はユウ・ドーベル。二十三歳の犬人です」

「……シュトレン・ヌーウェイルです……歳は十八です」

「なんだやっぱりそんなに変わらないね」

「いや、五歳の年の差は結構ありますよ。小学校高学年の子が高校生になっちゃうんですから」

「はは、確かにそうかも。でも、人生のうちの五年なんてとってもちっぽけなもんだよ。多分地球にとったらそれが時間にすら感じないかも」

「まあ、そうですけど……」

「ところで、さっき牛人の男の人の写真撮ってたけど……仕事?それとも趣味?」

「…………」


                   ♦


 雨が酷かった。

 梅雨の時期はとうに過ぎ去っていたというのに、ここ数日雨がずっと降り続いていた。お陰で気温は少しマシになったがジメジメとした空気が毛皮にまとわりつく。

 こんな日は何もやる気が起きない。いや、きっとやる気が起きないのは天候のせいでは無いのだが、そういうことにしておこう。

「おい、ヌーウェイル。仕事しないならさっさと帰れ。ゴロゴロするなら家でしろ。ここはお前の家じゃ無いぞ」

 デスクで仕事をしていたボスが何かの資料を見ながら言ったのを、僕は耳だけ傾けて聞いた。

 一方で僕はソファに仰向けになり、逆さまになった窓を見ていた。何か夢を見ていた気がするが忘れてしまった。事務所の窓に付いた水滴が重力に逆らえず、一筋の線を描いて天に上っていく。街灯の光を反射して輝く水滴一粒一粒が美しかった。

「……ボスだって朝からずっと紙見てるだけじゃないですか」

「馬鹿を言うな。これは捜査資料だ。それにここは俺の事務所兼別宅だ」

 ボスは火がついているわけでも、ましてや煙草すら入れていないパイプを咥えていた。

 ボスは大体出かけているか、ここで何かしらの資料に目を通している。以前、僕は一度、ボスが何の資料を見てるんだろうと覗き見たことがある。そこにはできれば見たく無い写真が印刷されていたことがあって、それ以来なんの資料を見ているのかは訊かないことにしていた。ボスには時々こうして警察から資料が送られてきて事件の捜査協力を頼まれているらしい。

「……別宅だったんですね」 

 僕のその言葉を最後に、事務所内の音は窓に打ち付けられる雨と風の嘶きだけになった。

 その沈黙を最初に破ったのはハルさんだった。

「うわぁ、見てボス!」

 黙々と帳簿をつけていたハルさんがノートを高らかに掲げた。

「見たくない」とボスは即答する。

「収益がなんとびっくり、赤字の五円!」

「……聞きたくもなかった」

 僕はボスとハルさんのやり取りを背中で聞いていた。僕がここへ来る前からこの状態らしい。赤字になったりならなかったり、ギリギリのラインを保っている。経費と言ってもそのほとんどがこの三人の給料と事務所の家賃くらいなものだから、相当な赤字にならない限り問題はないのだが、僕にとっては少し心配なところではある。

「そういえばシュトレン君、返済はどこまでいったの?」

「……十分の一ぐらいです」

「おっ、結構いったね。あと十分の九だ」

 ハルさんはなんだか楽しそうに言ったが僕は全然楽しくない。話は僕がこの探偵事務所で正式に働き始める前に遡る。簡単に言えば僕はある事件に巻き込まれた。それを解決するために僕の知らないところでお金がかかってしまい、そのお金が丸々僕の借金へと変貌した。この事務所から借りているお金とはいえ、僕は今、齢十八にして絶賛借金の返済中である。

「利子がない分とても良心的じゃないか」

「……そうですね」

 返済は僕の給料から毎月天引きされていく。給料の一割。時々上乗せして返済してやっとこ十分の一まで来た。でも正直、今はどうでもいい。借金を返したところでこの胸にぽっかり空いた穴を埋められやしない。暗く深いその穴の中にいろんなものが吸い込まれていくようだ。やる気も元気も明るさも……。

 明るさは元からないか。そんなことを思いながら再び瞼を閉じようとしたとき、僕の身体は無理やり持ち上げられソファの柔らかい感触が離れた。

「⁉……何ですか急に!」

 視界がいつもよりもだいぶ高くなり、ボスに担がれていることに気が付いた。

「軽いな、……もっと肉付けたらどうだ?」

 ボスに持ち上げられた僕はそのまま肩に担がれた。

「ちょっと!離して下さい!」とボスの大きな背中を叩いてみるがビクともしない。僕の抵抗もむなしく降りることはかなわなかった。

「ハル、ちょっとガス抜きに行ってくる。留守番を頼んだ」

「はーい。遅くならないでくださいよ」

 ボスとハルさんのやり取りをいつもより高いところから聞きながら、ボスと担がれた僕は事務所を後にした。

「どこ行くんですか⁉外雨ですよ⁉」

「そんなことは知っている。それに、こんなじめじめした奴が居たらどこに行っても一緒だ」

 担がれたまま階段を降り、雨のせいか閑散とした喫茶店内を通り抜けるとボスはドアを開けて僕をおろした。

「出かけるぞ」

 僕は投げてよこされた傘を受け取った。

「……どこ行くんですか?」

「秘密だ。黙ってついてこい」

 ボスはそう言うと大きな傘を開いて土砂降りの雨の中を歩いて行ってしまった。そのまま喫茶店の入口で突っ立っているわけにもいかないから僕はその後をついて行った。

 雨は弱くなるどころか一層強くなっていた。



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