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CROWN   作者: 山木京、
白猫の探偵と黒犬の警察
13/20

11

 フォードさんはいつもそうしているかのように、靴箱の内側に車のカギを掛けた。靴を脱ぐと天井を仰いだままのジャックさんを横目に家の中に入ってくる。

「またカップ麺か。たまにはいいけど程々にしろよな」

 テーブルの上に置かれたままのカップ麺を見てフォードさんは言った。食材の入った袋をテーブルの上に置くと、卵のパックがクシャっと音を立てた。

 黒のワイシャツに、同じく黒いパンツ姿の彼は病院で見ていた白衣姿と相まって違和が酷かった。

「いつまでそうしているつもりだ?晩飯作るからお前も手伝え」

「……うん」

 顔を覆っていたジャックさんは観念したのか袋の中から食材を取り出し始めた。

「少年。何か食べられないものは?」

 フォードさんはシンクで手を洗いながら僕に訊いた。

「……ネギ以外なら」

「好き嫌いが無くてよろしい」

 そう言って掛けてあったタオルでフォードさんは手を拭いた。台所の引き出しから包丁を取り出し、まな板を戸棚から手に取った。使い慣れた様子で着々と準備を始めていた。

「……僕も何か手伝いましょうか?」

「ん?いや、君はお客さんだ。『招かれざる』の方だけど。気持ちだけ受け取っておくよ。ゆっくりしておいてくれ」

 フォードさんは顔だけこちらを向けながら言った。手元では赤いパプリカが真っ二つに切られている最中だった。野菜や肉をフォードさんが切っている間、ジャックさんは言われた通りに動いていた。鍋に水を入れてコンロに火をつけようとしている。しかし何回ひねっても着火しない。見かねたフォードさんが代わりに捻ると一回でついた。ジャックさんは不服そうに口をとがらせていた。

 僕は椅子に腰かけて台所に立つ二人を観察していた。

 不思議に思っていたことが僕の頭の中で少しずつ繋がっていった。点と点が線で結ばれていく。そんな感覚だった。

 僕とヒロが病院に到着した時、もしくは僕がフォードさんの携帯に電話をした時、すでにフォードさんはジャックさんに連絡をしていたのだろう。だからあんなにも早くジャックさん達は病院まで駆けつけられた。

 はじめは警察と病院との間で裏に繋がりがあるのかもしれないと思っていたが、なんてことはない。多分この二人の個人的な繋がりだけなのだろう。

 きっとヒロが行方をくらませたあたりでジャックさんがフォードさんにその事を話し、一方でフォードさんは病院でヒロを調べている僕のことをジャックさんに話していたのかもしれない。

「ほら、できたぞ。そいつは置いといて冷めないうちに食え」

 しばらくしてカップ麺の原材料表示を見ていた僕の前に、丼鉢がゴトンと重たい音を立てて置かれた。湯気の立つ鉢の中で、ご飯の上にはタレで炒めた肉と野菜、その中心に温泉卵が乗せられていた。タレの香りだろうか、甘辛い香りが鼻孔をくすぐり食欲をそそる。

「ご飯は冷凍してたやつだが勘弁してくれ。……ジャック、どこかに余ってる箸あったか」

 フォードさんがジャックさんに訊くと「あー、それなら」とジャックさんは食器棚の小さな引き出しの奥から新品の箸を取り出した。

「あ、でも女物しかないや。ちょっと短いけど大丈夫?」

「大丈夫だろう、箸は箸だ。使えるさ」

 ジャックさんは袋から取り出した箸を軽く洗って僕に差し出した。僕はそれをお礼を言って受け取った。

「さぁ、食べるか」

「なんか久しぶりだな、フォトさんの料理」

「まあ最近帰って無かったからな」

 二人は話しながら席に着いた。

「じゃ、いただきまーす」

 手を合わせてそう言ったジャックさんを皮切りに、僕とフォードさんも食べ始めた。シャキシャキとした歯ごたえと一緒にピリッとした辛さが口の中に広がった。温泉卵の黄身と混ぜると黄身のコクが加わってより一層おいしい。

 三人そろって黙々と丼をかっ込んでいるとフォードさんが口を開いた。

「そういえば少年。何か質問なかったか?」

「……ひつもん?」

「病院で何か訊きたいことがあっただろう。まあ別に俺にとったらどうでもいいんだが」

 僕は口の中で咀嚼していたものを飲み込んだ。

「ああそうでした。お二人は付き合ってるんですか?」

 僕の唐突な質問にフォードさんの横でご飯を頬張っていたジャックさんは噴き出した。僕の方に何か飛んできた。

「ああ、そうだ」

 フォードさんの言葉に今度は咳き込んだ。

「ち、違うからね。僕らそんな関係じゃないから!」

 手を振って必死に否定するジャックさんをよそに、フォードさんはにんまりと笑みを浮かべていた。

 そして今度はフォードさんが突然噴き出した。

「はははは、冗談だよ。冗談」

 ジャックさんはむすっとした顔つきになり再びご飯を食べ始めた。

「……無垢な少年にはそう見えたかい?」

 一通り笑い終えて落ち着いたフォードさんは僕に訊いた。

「……いまどき珍しくはないかなと思って。それにこんな家に二人で住んでるから、そうじゃないかなって」

「まあそうだな。こんな家で男が二人で暮らしてたら、そう見えても仕方ないか」

 フォードさんはそう言うと丼鉢に残っていたご飯を一気にかきこんだ。

「ごちそうさま。ちなみに、この家は俺の婆さんの家だ。それを俺が引き継いだ。そしてこっちの犬は何年か前に拾った」

 フォードさんは食べ終わった食器を片手に立ち上がった。

「拾った?」

 思わず声が出た。

「拾われました」

 横でジャックさんは照れ臭そうに片手で頭を掻いた。

 世の中にそんなことがあるのか。捨て犬を拾う感覚で人を拾うだなんて……。

「そんなわけで、こいつは今ただの居候だ」

「へぇ」

「へぇ、って関心ないなぁ。というかそんなことより他にもっと訊きたいことがあったはずだろう」

 フォードさんは冷凍庫からカップのアイス三つとスプーンを食器棚から取り出した。

「ユウ・ドーベルのベッドのお向かいさん。知りたくなかったのかい?」

「え、でも教えられないって……」

「ああ、気が変わった。それにあの時は知らなかったからな。彼女を院内で見かけたのも一回だけだ」

 フォードさんはアイスのカップを開け、まだ堅いアイスの表面をスプーンで削っていた。

 彼女とはユウが入院していたベッドの向かいに、同じく入院していた白い毛皮の猫人のことだ。

「ほんとですか!?じゃあ訊きたいことが沢山……」と僕が鞄から手帳を取り出そうとしていると、フォードさんはスプーンを持っていた手をかざして制止した。

「……なんですか?」

「それが、教えられないんだ」

「…………は?」

 訳がわからなかった。教えると言ったり教えないと言ったり、なんなんだこの狐は。

「そう不満そうな顔をするな。ほら、そんな顔をする君にはグリーンティーだ」

 そう言ってフォードさんは僕にアイスとスプーンを置いた。アイスのパッケージには緑茶の葉が描かれていた。

「どういうことですか?」

「まあなんだ、知らないことは教えられない。そうだろう?」

「……」

 アイスの蓋を開けると茶色のフィルムが、それをめくると緑色のアイスが現れた。少し溶け始めていてスプーンが簡単に入った。

「彼女のことを調べようとしたんだ。でもなかった」

「……え?」

 掬ったアイスが口に入る前にスプーンから零れ落ちた。

「不思議だろう?確かにそこにいたはずなのにデータがないんだ」

 フォードさんはアイスを掬ってそれを口に運んだ。

「パソコン上にもデータがない。カルテすらない……。まったく、あの病院はどうなってることやら」

「でも、彼女はいたんですよね?」

「ああ、居たさ。俺が見たんだ。間違いない。それに婦長や数人の看護師もそれを覚えている」

「……じゃあ、誰かが消した?」

「ああ、データベースから彼女のデータを丸ごと消した上、カルテとかの紙の情報も持ち出したか処分してしまったやつがいる」

「「なんで」」

 僕とジャックさんは口を揃えて疑問を口にした。ジャックさんはアイスのスプーンを咥えながら。

「それを調べるのがお前らの仕事だろう」

 フォードさんは空になったアイスの容器を持って立ち上がった。

「ま、可能な限り手伝ってやるさ。俺も、患者のデータを消したやつには興味がある」

 容器をゴミ箱に捨て、胸ポケットからタバコの箱を取り出した。フォードさんが台所の換気扇から伸びた紐を引っ張ると、ファンがゆっくりと回り始めた。彼は箱から煙草を一本を取り出してプラスチック製のライターで煙草の先端に火をつけた。

「調べるって言ってもヒロが目を覚まさないと……」

「ぐっすりだったね」

 ジャックさんがアイスをスプーンいっぱい掬って口に入れた。

「そういえばフォードさん、あの飲み物に何盛ったんですか?このまま目を覚まさないなんてこと無いですよね」

 僕が訊くとフォードさんは吸っていた煙を換気扇の方に向かって吐き出した。

「……即効性の睡眠薬。そこまで量は盛ってないから起こそうと思えば起きると思うぞ。俺としてはまだ眠っていてほしいんだが」

 心配なら見に行ったらどうだ?とフォードさんは言った。

「うーん、でも……」と僕が迷っているとジャックさんがこめかみを押さえながら言った。

「部屋ならそこの階段を上がってすぐのとこだよ……。一気に食べ過ぎた」

 ジャックさんは頭痛に目を強く瞑っていた。

 大丈夫だろうか、と僕は心配していた。なにせ病院でフォードさんに敵意むき出しだった状態でヒロは眠らされたのだ。寝起きでこの二人を合わせるのはよくないんじゃないだろうか。

「シュトレン君、ちゃんと布団かかってるかだけ見てきてもらえない?あいつ結構寝相悪いから」まるで母親のような心配をするジャックさんに僕は「じゃあ、見てくるだけ」と答えた。

「うん、よろしく」

 僕はジャックさんに言われた通り、とりあえず様子を見に行くことにした。

 ほとんど溶けて液状になったアイスを飲み込んだ。

「ごちそうさまでした」

「おう、起きてたらもう一回寝かしつけといてくれ」

 フォードさんは半笑いで言った。

 僕は絶対に無理だと思っていたが「はい」とだけ返事をしておいた。フォードさんも冗談で言ったのだろう。

 食器をシンクに置いて僕は二階に向かった。階段横のスイッチに手を掛けると照明が付いた。僕の目の前にかなり急な階段が現れた。数段上がるごとに軋む階段を上がり終えると、ジャックさんが言っていた部屋はすぐ左手にあった。

 音がしないようにゆっくりとドアノブを回して押した。蝶番がキーと音を立てて扉は開いた。

 部屋の中は窓から差し込む月明かりでうっすらと明るかった。

 窓際に置かれたベッドにヒロの姿はなかった。

「……」

 僕はその光景を目にしてはじめは冗談じゃないかと目を疑った。

 掛けられていたであろう布団は床に落ち、ベッドから落ちてその上で静かに寝息を立てるヒロがいた。

 ……寝相が悪いとかそういうレベルじゃないな。

 これはもう起こしていいだろう。僕はそう思ってヒロの肩を軽くたたいてみた。しかし、目を覚まさない。今度は強めに揺すってみたが結果は変わらず寝息を立てていた。

 僕は心の中で大きなため息をついた。

 ヒロの上半身を後ろから持ち上げ、ベッドの上に引き上げる。

 重たい。

 体格が僕の一回り大きいうえに、鍛えられた身体はたぶん僕よりもずっと重たかった。

 今度は腰から足にかけてを持ち上げる。

「……介護じゃないんだから」

 最後に落ちていた布団を掛けた。

 ヒロは相変わらず眠っていた。ゆっくりとした呼吸に合わせて布団が上下に浮き沈みしていた。

 ……やっぱり眠っていればユウにそっくりだな。

 僕は月明かりに照らされたヒロの顔を見下ろしていた。顔の形に耳の形。毛質からまつ毛の一本一本に至るまで、同じ物質でできているんじゃないかと思うほどにそっくりだ。

 あ、でも目つきが厳しいせいで眉間に皺ができてるな。

 ヒロの顔を観察していると、ユウには無かった皺が眉間に入っているのを見つけた。

 僕は指でその皺を伸ばしてみた。

 うん、これで完璧にユウだ。

 僕がヒロの顔で、どれだけユウに近づけられるかを遊んでほくそ笑んでいると、ヒロの瞼がピクリと動いてゆっくりと開いた。朧げにしか見えていないであろう目と、顔を覗き込んでいた僕は目が合った。

「あ、」

 僕はすぐに眉間に当てていた手を引っ込めた。

 まだ気づかれていないことを切に願いながら、ゆっくりと立ち上がってドアの方を向いた。

 まだ大丈夫だ。すぐにこの部屋を立ち去れば気のせいで済ませられるかもしれない。

 そう思った僕は音を立てないように一歩踏み出した。

「……」

 しかしその一歩以上、僕は前に進めなくなった。

 後ろからシャツを引っ張られる感覚があった。

「……行くな、………………ユウ」

 振り向くとヒロの手が僕の服の裾を掴んでいた。その手は震えていた。


 気まずい。非常に。

 ヒロに服の裾を掴まれた僕は身動きが取れず、かと言ってその手を払うこともできなかった。

 薬のせいか、それともただ寝ぼけているだけなのか、まだ半開きの目でヒロが見ていたのは僕ではなく、もうこの世にいないユウの姿だった。

「……ヒロ?」

 僕はまだ意識のはっきりしていないヒロに声をかけた。相変わらずその手は少し震えていた。

「ヒロ、しっかりして」

 今度は震える手を握って少し強めに言った。

 すると手の震えはだんだん小さくなり、やがて止まった。視界も明瞭になってきたのか、数回瞬きをすると今度ははっきりと目があった。そして目を強く瞑るとゆっくり上半身を起こした。

 ヒロは眉間から鼻先にかけてマズルを軽く掻くと、少しの間動きを止めた。

「……ヒロ?」

 動きを止めたヒロに僕は声をかけたが応答がなかった。

 二度寝?そんなバカな。

 僕がそんな事を思っているとヒロは大きく咳払いした。

 突然すぎて僕の身体はビクッとした。

「……忘れろ」

 今度は右手で顔半分を押さえながら言った。

「…………え?」

「それから手、離せ」

「あぁ」

 僕は握ったままだったヒロの手を離した。

「ここはどこだ?」

「……えっと、ジャックさんの部屋」

「ジャックだと?」

 ヒロは薄暗い部屋を目を細めて見渡した。

「……確かにあいつの部屋だな。あいつの匂いもする」 

 ヒロはそう言うと、かけていた布団の匂いを嗅いでベッドから出た。突っ立っていた僕を押しのけて外に出て行こうとする。

「待って、どこ行くの」

 今度は僕がヒロの服を掴んで引き止めた。しかし振り向きざまに向けられた鋭い目に怯んで手を離してしまった。

 あ、殴られそう。

 僕はそう思ったが実際そうはならなかった。拳をあげる代わりにヒロは静かに答えた。

「……病院だ」

「行ってどうするんですか」

「あの狐野郎に訊くことがある。それにお前の言っていた奴のこともだ」

 そう言ってヒロはドアノブに手をかけた。

 まずい、いま下に降りられたら間違いなくその「狐野郎」と鉢合わせになる。そうなったら間違いなく面倒くさい事になる。

「待って」

 今度は少し躊躇したが腕をつかんだ。

「……なんだ鬱陶しい」

 僕は払われそうになる手をしっかりとつかんで離さなかった。

「あなたに訊きたいことがあるんだ。それに今は休まないと」

 腕を引こうとしたがびくともしない。

「知ったことか」

「……待って!」

 僕はそれでも部屋を出て行こうとするヒロの腕を一層強くつかんだ。しかし何をされたのか分からなかったが、掴んでいた手を捻られるとそのまま突き飛ばされた。僕は咄嗟に突き放される瞬間、反対の手でヒロの服を掴んだ。

 普段のヒロならそんなことで倒れなかっただろう。薬の所為でまだふらついていたヒロは僕がベッドの上に倒されるのと同時にバランスを崩して一緒に倒れこんだ。その時にお互い頭をぶつけた。

 ゴッと鈍い音がした気がした。

「―――いった」

 額の痛みに悶えていると胸ぐらを掴まれて持ち上げられた。

 緋色の眼がまっすぐに僕のことを睨んでいた。

「お前のような探偵ごっこじゃない。邪魔するな」

 その声には苛立ちと僅かな怒りが込められていた。

 きっといつもの僕ならこれだけ凄まれたら何も言わずにヒロを行かせたかもしれない。でもヒロが言った「探偵ごっこ」という言葉に胸がざわついた。

 負けじと胸ぐらを掴み返した。

「ごっこなんかじゃ、ない!」

 今までこんなにも人と睨み合ったことがあっただろうか。その間、数秒だけだっただろうがきっとそれ以上に感じた。

「ゲフンッ」

 暫く睨みあいが続いていたが、ヒロの背後から聞こえてきた咳払いと共に暗かった部屋に電気がつけられた。

「あー、お楽しみ中だったかな?」

 ヒロの影から見えたのは部屋の入口に立つフォードさんの姿だった。

 あ、まずい。

 案の定フォードさんの姿を見るなりヒロは僕の上からどいて噛みつきにかかった。

「おい、医者!お前には訊くことが山ほど――」

 フォードさんに詰め寄るヒロの前に、ジャックさんが立ちはだかった。フォードさんに爪が届く一歩手前のところでジャックさんがそれを止めた。

「ジャック!邪魔するな!」

「はーい、病人は無茶しないのー」

「はなせ!」

 ジャックさんに羽交い絞めにされたヒロの爪が空を引掻いていた。

 その脇をフォードさんはするりと抜けて僕のもとに来た。手には僕の鞄をぶら下げていた。

「ほら、電話だ。君のだろう?さっきからずっと鳴りっぱなしだ」

 そう言って渡されたのは、今まさに着信中の僕の携帯電話だった。

「あ、ありがとうございます」

 二つ折りの携帯を開くとボスの名前が表示されていた。

「もしもし?」

 通話ボタンを押して電話に出た。

「あ、やっと出た」

 通話口から聞こえてきたのはハルさんの声だった。そういえば久しぶりに声を聴いた気がする。

「あれ、ボスの携帯じゃないんですか?」

「ああ、今ちょっと忙しくってね。そんなことよりシュトレン君今どこにいるの?事務所にシオリちゃんから電話あったんだけど。まだ帰ってこないし連絡もつかないって」

 ハルさんの声を聴いて一瞬血の気が引いた。忘れていた。あれだけ言われていたのに……。

「あのー、今、訳あってジャックさんの家なんです」

「ん?ジャックってあのジャック?なんであいつの名前が出てくるのよ」

「まあ、訳を話すと長いんです」

「…………そう、まあいいや」

 ……いいのか?

「そんなことよりちゃんとシオリちゃんに連絡してあげなさいよ。心配してくれてるんだから」

「……はい」

「あともう一つ。忙しいのは分かってるんだけど、一つ仕事頼まれてくれないかな?」

「え、今ですか?今はちょっとタイミングが―――」

「ごめん!シュトレン君にしか頼めないの、猫探し、得意でしょ?」

「猫探し?すぐじゃないとダメなんですか?」

「うん、なんでも依頼主の子がどうしても急いでほしいってことだから……。資料はその携帯に送っておいたからよろしく!」

「あ!ちょっと!」

 僕の言葉を聞いたのか聞いてないのか、通話はそこで途切れた。

 ……何だってんだ、こんな時に。

「で?何だったんだ」

 フォードさんは僕の隣に腰かけて携帯の画面を覗き込んで言った。

「……猫探しの依頼です。こんな時にしてる場合じゃないのに……」

 僕は携帯の画面をホーム画面に戻した。

「うわ」

「着信がひどいな」

 着信があったことを知らせるマークが二桁になっていた。……あとで謝らないとまずいな。

 僕は着信のマークはとりあえず置いておいてメールのフォルダを開いた。ボスから一件メールが入っていた。件名には「猫探し依頼」とだけ書かれていた。

「どれどれ」

 横から覗いていたフォードさんが文面を読み上げていった。

「猫探し。特徴、毛色が白で耳の先端に少し黒。目の色は薄い青色で鍵尻尾の齢5歳の猫か。まるで君みたいじゃないか。半年前から時々帰ってこない日が続き、最近ぱったりと帰ってこなくなった、と。行動範囲は……この街ほぼ全域か」

 メールの文面を読み終えて僕はどうしたものかと頭を悩ませた。

 ……猫探しではよくある内容だった。どれだけ急いでも数日はかかる。

 猫なんて急いで探せる訳ないじゃないか……。

 僕は携帯を閉じてため息をついた。するとフォードさんは横から「待て待て」と僕の手から携帯をとった。

「?何ですか急に」

「さっきのメール、添付ファイルがあっただろう」

「添付ファイル?」

 フォードさんは僕の携帯を操作するとさっきのメールを開いた。

「多分その猫の写真か何かだろう。ほらここに……」

 携帯を捜査していたフォードさんの手が止まった。

「どうしたんですか?」

「……見ろ、少年」

 そう言って渡された携帯の画面には猫の写真が映し出されていた。文面の通りのどこにでもいるような猫だった。

「……この猫がどうかしたんですか?」

「違うその下だ」

「そのした?」

 画面をスクロールすると二枚目の写真が現れた。

「!この人ってもしかして」

「……ああ。彼女だ」

 そこには一枚目の写真に写っていた猫を膝に乗せる猫人の女性が写っていた。膝の上の猫と同じ、白い毛皮の猫人の女性が写真の中でほほ笑んでいた。


「ほんとにこの人!?間違いない?」

 僕は携帯の画面をフォードさんに向けた。

「ああ、この娘だ。病院で一度見かけたから間違いない」

 彼は携帯を手に取って、添付されていた画像をじっくり見ていた。

「……ちなみにこの猫の方。女の子じゃない方だ。以前私があの病室を出入りしていた猫がいたと話したことがあっただろう、覚えているか?この猫がその猫だ」

 フォードさんは画像の猫を指差して僕に見せた。

 以前、僕がフォードさんの車で病院から家まで送ってもらった時に車内で聞いた話だ。ユウのいた病室に窓から出入りしていた白い猫。

 その猫はユウのベッドの向かいにいた彼女の飼い猫だった。

 もし、この白猫が病院に通い始めたのが、彼女の退院の後からだとしたら……。

「おい!さっきから何の話をしてるんだ!俺にも見せろ!」

 携帯の画面から顔を上げると、そこには牙をひん剥いて今にも飛び掛かって来そうなヒロがいた。半ば抱きついてその動きを止めていたジャックさんにもそろそろ限界が近づいている様だった。

「ヒロ〜!ちょっと大人しくして」

「うるさい!お前はさっさと離れろ!暑苦しい!」

 バタバタと取っ組み合っている二人の犬人を見ていたフォードさんは呆れる様に小さく溜息をついた。

「まったく、まるでガキだな。自分の思い通りにことが運ばないと駄々をこねて暴れる。そんな状態で建設的な話ができるわけがない」

 フォードさんは、はっきりとヒロに聞こえる様に言った。

「……ガキじゃねぇ!話ぐらいちゃんと出来る!」

「無理だろう。そんな曇った目で何が見えてるって言うんだ。寝言は冷静になってから言え」

「……!」

 ブチっと脳の血管がちぎれる音がした。もちろん実際にそんな音はしていないのだが、音に出なくてもヒロの苛立ちが最高潮に達したのを肌で感じた。

「医者テメェ、あとでぶん殴ってやる……!」

「おっと、警察がそんなこと言って良いのか?そんな事ではこの街の平穏はたもたれないな?」

 完全に面白がっているフォードさんは、燃え盛る焚き火にどんどん薪を焚べていく。

「ふん。まったく、ドーベルの名が泣くぞ?」

 鼻で笑われ、最後に油を注ぎ終わった焚き火の炎はついに爆発した。

「お前なんかに何がわかる!!」

 ヒロは唾液を飛ばしながら今日で一番の大声をあげた。巻き舌になりながら発せられたその声には、ただひたすら怒りが込められていた。

 その迫力に僕は呼吸をすることさえ一瞬忘れてしまっていた。

「あっ」

 間近でその叫びを聞いたジャックさんは力が緩んでしまったのだろうか。必死に抑え込んでいたヒロの肘がジャックさんの鼻頭に打ち付けられた。それと同時に彼は「キャンッ!」と甲高い鳴き声を上げ、そのまま後ろに尻餅をついてしまった。

 さすがに激昂していたヒロも、悲壮な悲鳴を上げて鼻を抑え込み、痛みに悶える同僚の姿を見て平静を取り戻した。

「あ…………おい、大丈夫か?」

 クーン、と情けない声を出してうずくまるジャックさんの方にヒロが身体を向けたその時だった。

 僕の隣に座っていたフォードさんがスッと立ち上がると、物音一つ立てずにこちらに背中を向けたヒロに近づいた。まるで無声映画のワンシーンを見ているようだった。その手には何か布のようなものが握りしめられている。

 その様子を僕はただ座って見ているだけだった。

 ジャックさんを心配そうに屈んでみていたヒロの頭をフォードさんががっちりと抑えると、手に持っていた布でヒロの鼻と口を覆った。

 自分の身に危険を感じたヒロは咄嗟にフォードさんの腕に手を伸ばしたが、その手が届く寸前で力なく、だらりと垂れ下がった。

「んー、この薬。犬人にはちょっと効きすぎるのかな?」

 フォードさんはそう言うとヒロの頭を抱えていた腕を緩め、そっと床に寝かせた。

「ナイス演技だジャック。お陰でこの狂犬の隙をつくことができたぞ。後でご褒美だ」

 すっかり意識を失っているヒロがちゃんと呼吸していることを確認すると、フォードさんは愉快そうに言った。

 なんだ、演技だったのか。ヒロが暴れ出した時の場合に備えて、あらかじめ二人で打合せでもしていたんだろう。

 心配して損をした。とげんなりしていた僕だが、当の本人は全くそうではなかった。

「……えんぎじゃ、ない」

 鼻声になりながらそう言ったジャックさんの手は赤く染まり、鼻からはねっとりとした赤い血が滴っていた。

「あーあー、こりゃまた盛大に血出てるな」

 フォードさんはジャックさんの鼻を触診していた。

「大丈夫ですか?」

 僕も心配になって駆け寄ってみた。鼻血にしては今まで見たこともないくらいの出血量だった。

「……まあ大丈夫だろう。鼻にティッシュ詰めときゃそのうち治まるさ。一応詳しく見てやるからお前は下行って待ってろ。救急箱どこにあるかわかるな?」

 そう訊かれたジャックさんは鼻を押さえながら頷いた。

「じゃ、後は頼んだぞ少年」

「……え?」

「え、じゃない。そこで転がってる奴は頼んだぞ。おそらく一晩は寝てるだろう。そこのベッドにでも寝かしといてくれ」

「手伝ってくれないんですか?」

「馬鹿言え。俺は今からこっちの犬を診なきゃならんのだ。お前はそっちだ」

「……分かりました」

 僕は床で寝息を立てているヒロを見下ろした。

 またこの重たい身体をベッドの上に戻すのか……。

 僕は表には出さなかったが心の中で大きくため息をついた。

「ああ、あとこれ。君に渡しておこう。用法容量は的確に、悪さに使うなよ」

 フォードさんはそう言うと僕にガラスの小瓶を手渡した。

「使い方は見てた通りだ。数滴たらして相手に吸わせる。揮発性だから取り扱いには注意しろ。いいな?」

 受け取った小瓶を掌の上で転がすとラベルに髑髏マークが印刷されているのが目に入った。無色透明な液体が瓶の中で揺れていた。

「フォードさん」

「なんだ?」

「どうして協力してくれるんですか、僕みたいな、それも探偵の見習いなんかに」

 僕の質問にフォードさんは天井を見て少し考えて言った。

「…………医者だからな。そこに怪我人がいれば放っておくわけにはいかない。後は『ダレカサン』の所為だな」

「『ダレカサン』……」

「まあ、深く考えてくれるな。俺もこいつも明日は仕事があって捜査に協力はできない。精々、そこの狂犬と頑張ってくれ」

 フォードさんはそう言って部屋の扉を閉めた。ガチャンと音がして部屋には僕と眠らされたヒロの二人になった。

『お前なんかに何が分かる』

 ついさっきヒロが言い放った言葉が頭の中で反芻された。

「僕の気持なんか、分からないくせに」

 僕の独り言は誰の耳にも届くことなく空気に溶けて消えた。

 フォードさんから受け取った小瓶を僕はポケットに入れた。ヒロの身体は相変わらず僕が運ぶには重たかった。


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