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CROWN   作者: 山木京、
白猫の探偵と黒犬の警察
11/20

09

 雨がひとしきり降り、僕らが病院の従業員用の駐車場についたころには霧雨になっていた。街灯が雨に反射してぼんやりと足元を照らしていた。

 車中から、ぐったりとした自分よりも一回り大きな犬人を引きずり降ろして背負った。足を引きずっていたがこの際致し方ない。

 先導していたフォードさんの合図で裏口から病院の中に入ると、すぐ近くの部屋に入るよう促された。僕はここ最近で一番の力を太腿に込めて足を進めた。

 部屋に入るとフォードさんは椅子の背もたれに掛けていた白衣を羽織った。

「そこに寝かせて」

 フォードさんに言われた通り、僕は寝台の上に背負っていた男を静かにおろした。骨組みが軋んで彼の体重を受け止めた。それと同時に僕は自分の体重よりも重たい荷重から解放された。人の気も知らずに眠っている。

 彼はトンネルで倒れてから一度も目を覚まさなかった。おんぼろ車のエンジン音にも、車中の激しい揺れにも反応を示さなかった。

「はい、ちょっとごめんね」

 フォードさんは彼の上着を脱がせるとTシャツ一枚にした。体温計を腋にさし、いつの間にか首にかけていた聴診器を耳にあてた。

 フォードさんが診察しているところを横でじっと見ていた。閉じていた瞼を開いてペンライトで照らした。半開きだった顎を開けて口内を隈なく調べていた。

「……」

 一通り見終わったのか、首に手を添えてじっと顔を見ていた。

 脈でも計っているんだろうか。

「……こうしていると大して変わりないのになぁ」

 フォードさんはぽつりと呟いた。

「……え?なんて」

 ピピピピピ――――

 僕が訊こうと口を開いたら部屋の中に電子音が鳴り響いた。

 フォードさんは体温計の数値を確認すると「風邪だな」と言った。

「……風邪⁉」

「あぁ、ただの風邪だろう」

「倒れてたんですよ?」

「……病名のない病気を風邪というんだ。まぁ、彼の場合は疲労がだいぶ溜まっているのも原因かな。おまけに軽い貧血も起こしてる。瞼をめくってみるといい。だいぶ白いぞ。私は点滴の用意をしてくるからちょっと見ていてくれ」

 フォードさんはそう言いうと奥の部屋に行ってしまい、部屋には僕と寝かされた犬人の二人きりになった。

 寝台のそばにあった丸椅子に腰かけると、彼の着ていた上着が目についた。眠っている今しかチャンスはない。きっと見つかったらタダじゃすまないだろう。

 雨に濡れて重たくなった上着を探ると内ポケットの中に二つ折りの財布が入っているのを見つけた。

 僕はもう一度、彼が眠っていることを確認すると中身を確認した。探しているものはすぐに見つかった。運転免許証には大体のことが記載されている。住所や生年月日、そこにはもちろん名前も……。

「ヒロ・ドーベル……」

 生年月日から今の年齢も分かる。ユウの誕生日は知らなかったが歳は同じだった。今まで僕が探し回っていた人物、ユウの双子の兄、行方不明中の警察官。

 やっと見つけた。この人には訊きたいことが山ほどある。

 程なくしてフォードさんが点滴用のスタンドをカラカラと音を立てて運んできた。その手には透明な液体が入った袋も持っていた。

「どうだい、何か分かったかい?」

 フォードさんはスタンドに透明の袋を吊り下げながら言った。

「はい……。いろいろと」

「そうか、それは良かった」

 彼はヒロの腕の内側を消毒液の染み込んだ綿で丁寧に拭いた。

「なんで、僕がこの人のことを調べてるって……」

 そう僕が言うとフォードさんは手を止めた。しかしそれは一瞬だけで再び作業に取り掛かった。消毒された所に点滴用の針が突き刺された。その上から医療用のテープで止める。

「……簡単なことだよ。ユウ・ドーベルの居た病室を調べていた見習いの探偵と、そのユウと瓜二つの獣人。それに僕へ救急車を呼ぶなっていう電話。まぁ普通じゃないよね」

「フォードさん、ユウのこと知ってたんですか?」

「いや、知らない」

「でも、さっきはこの人のことを見て『そっくり』だって……」

 フォードさんは点滴をつける作業を終えたのか、寝台のそばを離れてデスクの椅子に腰かけた。そして僕の方へ向き直り、自分の細い目を指差して言った。

「僕の《クラウン》だ。この目を通して見たものは、どういう訳か忘れない。忘れられないんだ。一度見ただけでその時の事が静止画のように思い出せる。……ユウ君に会った、と言っても院内で数回すれ違っただけだ」

「そう、ですか」

「すまないね、役に立てなくて。せめて傷の手当てくらいしてあげよう。ほら、君も怪我してる」

 そう言って彼は頰を指差した。

 そういえばトンネルで切っていたのを忘れていた。今ではすっかり血が乾いてしまって固まっている。触らなければ特に痛みがないほどだ。

「いや、大丈夫ですよこれく……」

「……」

「はい、お願いします」

「よろしい、こっちおいで」

 僕は有無を言わさない眼差しにやられて、手当てを受けることにした。

 消毒液が傷口に沁みた。

「……縫うほどではないね」

 血で赤くなった綿をゴミ箱に捨てると化膿止めを綿棒の先につけて傷口に塗った。

「これでいいだろう。万が一膿んできたらすぐに言いなさい。あと、傷が小さくても油断しないことだ」

「……はい」

 フォードさんは治療に使っていた道具をテキパキと片付けて木箱にしまうと、椅子に深く腰かけた。そして目だけでベッドの方を確認すると静かに口を開いた。

「……まぁ、今だから言うが、彼、今日の昼頃うちに来てたよ」

「はぁ?」

 突然の発言に開いた口が塞がらなかった。

「なんで?あの時は知らないって言ってたじゃないですか」

「うーん、仕方ないでしょ。君、これを見ても同じこと言える?」

 フォードさんはそう言うと白衣の下から取り出した物をデスクの上に置いた。

 それはゴトンと、それなりの重さがある音を出した。

「まったく、世の中物騒なもんだよ」

 彼は片手でそれを弄んでいた。僕は内心ヒヤヒヤしながらその様子を眺めていた。

 フォードさんの手にある物。それは紛れも無く警察が持っているような拳銃だった。

「……と言うことは、僕がフォードさんを訪ねた時もそこに居た?」

「ああ、こいつを僕に向けて。脅されたよね」

 フォードさんは軽く笑いながら言った。

 なんで笑っていられるんだろう。

「君の事を訊かれたよ」

「え?」

 予想のしていなかった事に驚いた。なぜ僕の事をフォードさんに訊いたんだ。ここにはユウの事を調べに来たんじゃないのか?

 僕は堪らず訊いた。

「なんで彼は僕の事を調べてるんですか、それについて何か言ってませんでしたか?」

 僕の質問にフォードさんは「それは……」と言葉を詰まらせたあと「自分で訊いてみるのが一番手っ取り早いんじゃないかな?」と僕の後ろに視線を向けた。

 僕もそちらを振り向くと、寝台から上半身を起こしたヒロの姿が目に入った。その目はまだ虚ろでぼーっとしていた。

「気分はどうだい。君、ちゃんとした生活してないだろう。今はそのまま寝といてくれないかな」

 ヒロはフォードさんの言葉には全く耳を傾けることはなく、腕につながっていた点滴の針をテープごと引きはがした。

 僕は自分の腕の針が抜かれたかのように鳥肌が立った。

 痛くない……訳ないよな。

 フォードさんは額に手を置いてため息をついた。どうやら諦めたようだ。

 ヒロは寝台から立ち上がって丸椅子の上に畳んでおいてあった上着を取ろうと屈んだが、足がふらついてそのまま壁にもたれかかった。

「……言わんこっちゃない」

 フォードさんは椅子から立ち上がってヒロに肩を貸して寝台に座らせた。

「病人は、黙って医者の言うことを聞いててくれないかな。ほんと」

 そう言うと「飲み物買ってくるよ。見張っといてね」と部屋を出て行った。

 ……見張っといてねって僕に言ったんだろうか。何かされたら僕にはどうしようもないのだけれども。

 残された二人だけの空間が気まずい空気に包まれた。

「……あの、何で僕のことをつけていたんですか?」

 沈黙を破って僕はヒロに訊いた。この空気の圧に負けている場合じゃない。

 ヒロはゆっくりと口を開いて言った。

「お前を、囮に使った」

「……囮?」

 僕は知らないうちに囮として泳がされていたようだ。ボスが知ったらなんというだろうか。……何も言わないか。

「地下で聞き込みをしていた時に、お前の存在を知った。それと同時にお前を探している奴らのこともな……。それで、ちょうどいいと思った」

「ちょうどいい」

「お陰で、あいつらをおびき出すことができた」

 あぁ、囮に「ちょうどいい」と言う事か。

「だが、あいつら見かけによらず慎重だ。どいつも身分証のようなものは持っていなかった」

「……」

 僕は倒れていた牛人の財布をポケットから取り出した。中身を開いて見たが、ヒロの言う通り現金やポイントカード以外のものは何も入っていなかった。

 再び嫌な空気が戻ってきた。

「ユウは、何をしにあそこに向かったと思いますか?」

「……どこのことだ」

 僕の質問にヒロは答えた。うすうすは分かっているはずなのに、はっきりと言おうとしなかった。きっとどこのことかはわかっている。ただ、僕と同じでそこへ行った理由は分かっていないんだと思う。

 僕が黙っているとフォードさんが飲み物を抱えて帰ってきた。

「はい、君はこれ。シュトレン君はこっち」

 フォードさんは持っていたペットボトルを投げてよこした。まっすぐ飛んでこなかったそれを僕はしっかりキャッチする。ヒロもスポーツドリンクを受け取った。

「……ありがとうございます」

 僕はお礼を言ってもらったばかりのコーヒー飲料を口に含んだ。そういえば随分長い間水分を摂っていなかった。甘ったるい液体が口の中に広がった。

「……あんた本当に知らないのか」

 ユウは受け取ったペットボトルに口もつけずに、フォードさんに向かって言った。

 フォードさんはゆっくりと椅子に座ると自分の缶コーヒーのプルタブを開けた。

「本当だ。担当していた医師は僕じゃないが、その医師からはきわめて普通の患者だったと聞いている。看護師からもユウ君の評判は良かったよ」

「……そういうことを訊いているんじゃない」

 あからさまにヒロは不機嫌な調子で言った。

「分かっているさ。でも本当に何もないんだ」

 フォードさんも調子を変えずに言った。

 両者の間の空気がピリついているのを毛先で感じた。

「……向かいの患者さんは?」

「何?」

 空気に耐えかねた僕が訊くとヒロの眼がこっちを向いた。

 ……今必要のないことを言ったかもしれない。

「ユウのベッドの向かいに居たんじゃないですか、僕と同じような白毛で猫人の女の子……」

 僕がそう言うとフォードさんはその細い目を閉じた。まるで思い出したくないかのように。

「おい、誰だそいつは。ここに入院していたのならカルテがあるはずだ。見せろ」

 ヒロが鬼気迫る表情で言った。

 しかしフォードさんは顔色を変えずに「それはできない」と言った。

 ヒロは勢い良く寝台から立ち上がった。

 僕は咄嗟に二人の間に割って入った。

「……なんだ」

「……」

 ほんと、なんでだろう。それは僕が訊きたい。勝手に身体が動いていた。

 今はここでもめている場合じゃない。

「現在警察でもない君に、患者の個人情報を勝手に見せることはできない。僕を脅す拳銃も文字通り僕の手にある」

 フォードさんは見せびらかすように拳銃を見せびらかした。

 ヒロは自分の後ろ腰に手をやった。自分の拳銃であるか確認したのだろう。無いことを確認すると舌打ちをした。

「分かったら少しは落ち着いてくれ。院内で面倒ごとは起こしたくないんだ」

 フォードさんのその言葉にヒロは「ふん」と鼻息で答えると持っていたペットボトルのキャップを開けた。

「僕がお願いしてもダメ?」

 振り返ってダメもとでフォードさんに訊いてみた。

「そんなにかわいい顔しても駄目なものは駄目だ」

 やっぱり駄目か。……かわいい顔?何を言ってるんだこの人。

 どうにかして探し出せないだろうか。そんなことを考えていると背後で重たい音がした。

 振り返るとヒロがまた倒れていた。

「……!」

 僕は床に膝をついて肩を揺すった。完全に意識が飛んでいて反応がなかった。

「フォードさん!なんか様子がおかしいですよ、さっきはただの風邪って……」

 僕が見上げると、そこにはさっきと一切様子の変わらないフォードさんが見下ろしていた。

「……フォードさん?」

「……」

 何か様子が変だ。混乱していた頭で考えていると、外からサイレンの音が聞こえてきた。

「僕は面倒ごとが嫌いでね」

 フォードさんはそう言いながら外の方を見ていた。

 僕は床が濡れていることに気づいた。その先にはヒロが持っていたペットボトルが転がっていた。

「何を……入れたんですか?」

 フォードさんは後頭部を掻きながら「ちょっと安眠できる薬をね」と言った。

「何で」

「何でってそりゃあ―――」

 僕の問いかけにフォードさんが応える前に部屋のドアが開けられて、雨具を着た警官が数人入ってきた。全員フードを深くかぶり顔を隠していた。

「僕は医者だ。患者の健康が第一ってね」

「……そんなこと、訊いてるんじゃ」

 僕は雨具姿の警官二人に両脇を抱えられて部屋を連れ出された。

 最悪。この状況を表すにはぴったりな二文字が頭の中に浮かんだ。

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