プロローグ
「人脈を作れ」
ボスにそう言われたのは、僕が正式に『ルーヴ探偵事務所』で働くことになってから数ヶ月が過ぎた頃だった。心地よい春の陽気が強い日差しへとだんだん移り変わり、蝉がやかましく鳴き始めた時期だったと思う。この探偵事務所の代表である狼人のボス・ルーヴは手元の書類をまとめながら僕に言った。
「探偵をしていく上で独りでは情報収集には限界がある。街中に知り合いを作れ。友人でも恋人でもいい。その人達が自分の目や耳の代わりになってくれる」
ボスが牙をちらつかせながら口にした言葉を頭の中でかみ砕きながら、よくもまぁ簡単に言ってくれるなと思いながら「はい」と返事をした。「知り合い」「友人」「恋人」それらの単語が商談用のソファの上でまどろんでいた僕の胸に重くのしかかった。
十数年間の学生生活で出来た友人はほんの数えられる程度。数えることはしたくなかったが頭に浮かんだ顔は両手の指では余ってしまう。それくらい僕の社交性やコミュニケーション能力は無いに等しい。そんな僕に見ず知らずの街の人と知り合いになれ、だなんて酷な話だ。
その場では「了解です」と返事をしたものの実際どうやったら知り合いなんて作れるのだろう。友達の作り方なんてとうの昔に忘れてしまった。
「ハルさん、友達ってどうやって作ってました?」
困った僕は寝返りをうってハルさんに意見を求めた。テーブルの上のお菓子をつまみながら雑誌のページをめくっている彼女の名前はハル・ティグル。僕と同じ猫人だが僕の白い毛皮とは違い、グレーの滑らかな毛皮に顔の中央の焦げ茶色の斑はシャムネコを彷彿とさせる。朗らかで快活。そんな彼女に意見を求めたのは、いかにも友人の多そうな彼女なら知り合いを作るコツの一つや二つ持っているだろうと思ったからだ。しかしその思惑は外れた。快く教えてはくれたのだがそれはアドバイスとは名ばかりで、「イェーイって感じ」とか「わーって感じ」という抽象的なもので全く参考にはならなかった。
もしかしたら知り合いや友人を作る能力は生まれつき備わっているものじゃないかだろうか。菓子受け皿から減っていくお菓子に目をやりながら僕はその考えに至った。
だから僕に少し歳の離れた友人ができる事なんて、その時は想像もしていなかった。
彼の名前はユウ・ドーベル。雨の匂いを含んだ空気が街に立ち篭めた水無月の夜。彼は人気のない寂しい路地裏で、何者かによって殺された。