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胸のふるえが止まらない  作者: 山下陽
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くしゃり、

「傷ついてくださーい」

「は?まだ言ってんの?」

牧瀬が顔いっぱいのにやにや笑いを浮かべて私の机に手をかける。私はそれを見て、自分の気持ちをくしゃりと握りつぶす。

「あの紙、まだ持ってんの?」

「.....関係ないでしょ」

「あれさー、本当はさー、俺が入れたんだよねー」

「嘘つかないの」

牧瀬の手が、指が、私の机の縁をそっとなぞっていく。その見ていて恥ずかしくなるような仕草に、ドキッとしてもいいはずなのに、なぜか私の心はいっこうに反応してくれない。

「本当だよ」

阿呆のいうことは、阿呆なことばかり。

当然だ。

昼休みが終わったら、ひとみさんに会いに行こう。私のこの淀んだ空気を、浄化してもらおう。



「ああー、テストかー。忘れてた」

保健室のベッドに腰掛けながら、ひとみさんがいった。

「ひとみさん、一回でも授業出たほうがいいよ。高校行く気はあるんでしょ?」

ひとみさんは黙り込んでしまう。こう行く話をふると、ひとみさんはいつもこうなる。

「ね?私もいるし、ほら、出席日数一つでもあるほうが、」

そこで私は口をつぐんでしまう。つぐまなくてはいけないと、思う。

ひとみさんは、その淀みのない瞳で、私をまっすぐに射抜いていた。

どうしてあなたに言われなくちゃいけないの?

どうしてあなたはそんなことが言えるの?

ひとみさんの視線をまっすぐに受け止めようとすると、頭の中全部が透視されているような気分になる。

それは、まずい。

「あ、ごめん、もうかえるね」

「うん」

いつもと変わらない涼やかな声。に、私は少しいらつく。

保健室のあの消毒のにおい。

私は、ひとみさんと初めて会った日のことを思い出していた。



ちょっと恥ずかしさもあるけれど、どうせいるのは女子だし、ぱぱっと終わっちゃおう。

そんな呪文を頭の中で唱えながら脱ぐ制服は、いつもプールの臭いが染み付いている。塩素の、鼻をつく吐き気のするにおい。

「美織ー、早くしないと授業間に合わないよー?」

友達の声が聞こえ、私は「あっ、うんちょっと待って」とスカートを脱ぎ始める。でもまだ更衣室には二、三人女子がいる。

水着に着替えるためには、一度下着も脱がなくてはならない。昔からのことだけど、私はそれがいちいち恥ずかしい。

同じ女子じゃん、恥ずかしがることないってー。

ほらほらほら、はやく。

全然恥ずかしくないから、はやく脱いでー。

私はあのからだのラインが出る紺色の水着も、本当はものすごく恥ずかしい。なんで?なんでみんなは恥ずかしくないんだろう。私だけこんなに恥ずかしいんだろう...。

プールと他の女子たちの汗と体臭が混ざったにおいに、私はめまいを起こしそうになる。

「美織ー?まだやってんの?脱げないなら引っ張ろうか?」

やさしい友達の声が耳のなかでこだまする。

「ごめん。ちょっと........保健室いってくる」

シャツとスカートを雑に着込んで、私は更衣室を飛び出した。

みんなとの違いを、何度も何度も考えながら。

「保健室の先生、いないよ」

突然背中から聞こえた声に、私はビクッと身をすくませた。

「今ちょっと職員室行ってる。用があるならそこで待ってて」

うわあ。

こんな子、いたんだ。

さっきの混沌とした気持ちの中から、好奇心だけが浮かび上がってくる。

夏の蒸し暑いにおい。プールのにおいはもう消え去っている。

「.....」

その子が話し出すのを待っていても、それはいっこうに来なかった。

「わ、私、杉原美織っていいます。」

「.....うん」

その子の黒髪が頷いた拍子に揺れる。

「今、うちのクラス水泳の授業なんだけど、」

「.....ああ」

「ちょっと気持ち悪くなっちゃって」

「.....それ先生に言わないと意味ないよ」

その子がちょっと笑った。目尻を下げて口角をちょっと上げる、控えめすぎる笑顔だった。「わたし、ひとみ。」

「ひとみ、ちゃん?」

「ううん、ひとみ、まき。ひとみってよんで」

「ひとみさん」

「それでいいや」

そう言って笑ったひとみさんを見ていると、プールの気持ち悪さはもうおさまって、私もいつの間にか笑えていた。

ひとみ、まき。ひとみちゃん、ひとみさん。

「ひとみ、さん、は、どうしたの?」

「どうしたの、って?」

「いや、なんで保健室にいるのかなあって」

「ああ...」

ひとみさんは白いベッドの上で足を抱え込む。

「なんでなんだろうねえ」

その困ったふうな声を聞いて、こっちのほうが胸が苦しくなった。

「そっか」と返すのが精一杯だった。

蒸し暑い空気のなかで、ひとみさんのいるここだけが涼しい。クーラーのせいでもあるけど、心も少し楽になる。

「またね、」

保健室を出ていくときにひとみさんが言った。

「美織」

心が楽になるなんて、うそだった。私はこれからも、みんなとの違いを感じながら生きていかなくちゃいけないのかもと思った。

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