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幼馴染

初恋が叶わないというのは本当だろうか。

作者: もこもこ

 佐原宏樹には、忘れられない女の子がいる。


 正直高校生にもなって小学生の頃の初恋を引きずっている男子など、そうそういないだろう。自分でもドン引きだ。けれども忘れられないのだから仕方がない。


「おはよう、宏樹」


 そう言って宏樹の家の隣の家の玄関から出てきたのは川崎美姫。宏樹の幼馴染である。今日は二人の高校の入学式の為、両家の両親と共に、ここから電車で三十分程の高校に向かう事になる。

 宏樹と美姫はテンプレとも言われる程に幼馴染だ。

 家は隣、更に両家の両親は四人とも同い年で、母親同士は高校の同級生で一番の親友であったという。今でも月一程で二人で楽しそうに出かけてゆく。

 そんな両家に子供が出来たのはほぼ同時。二週間ほどあけて生まれたのが二人の男女の子供であった。

 宏樹の方が二週間先に生まれたのだが、そんな事は赤ん坊なのでほとんど関係ない。初めての子育てに苦労する事が目に見えている二人の母親は、一日の大半を宏樹の家で過ごす事になる。当然子供達も一緒だ。宏樹は小学校に上がるまで美姫と自分は兄弟なのだと思っていたくらいだ。

 流石に小学生になってからは名字が違う彼女が違う家の人間なのだと把握したが、三つ子の魂百まで、の言葉通り、彼の中で本質的な意味で彼女がその立場を変える事はなかった。

 小学校に上がって周りからからかわれる事も増えたが、何も恥じる事はないと思っていた。

 宏樹にとって彼女は家族であった。

 妹のようにも思っていたし、時には姉のようにも感じた。そして別の家で暮らしている分、普通の兄弟よりも距離があって、その適度な距離が彼らを仲が良いままにさせてくれた。

 そんな二人の家にも変化があった。彼女の家に弟が産まれたのだ。

 宏樹も美姫もそれは喜んで世話をした。高校生になって考えると、よくもまあどこかで曲がらなかったものだと考えるほどに両親も含めて彼らはその弟――雅樹を可愛がった。それはもうべったべたに可愛がった。

 そしてその四年後、今度は宏樹の母が妊娠した。お腹の中の子は女の子だそうだ。

 だが喜んでいるのもつかの間、宏樹の母はひどいつわりだった。宏樹の時よりましだ、と言われて蒼白になったものだ。自分は一体どれ程母に迷惑をかけてしまったのか、と思った。ちなみに後日その事を両親に告げたら息も絶え絶えに爆笑された。

 けれども宏樹の出産から十年。もう出産適齢期とは言い難くなってしまった母の体調を慮って、父は母に実家に帰るように勧めた。母も自分の体調の事だ、よくわかっていたのだろう、特に抵抗を示す事なく車で三十分程の祖父母の家に帰った。


 そんな折であった、彼女と出会ったのは。


 いや、出会ったというのは正確ではない。宏樹は彼女と同じクラスになった事はないが何かの折に見た事はあったし、同級生という程度には認識があった。そして彼女は宏樹の事を名前まで知っていた。

その日、美姫の母は宏樹の母のお見舞いに行く為に帰宅が遅くなった。その為美姫は彼女の弟を保育園に迎えに行かなければならなかったのだ。しかし運の悪い事にその日彼女は日直だったのだ。

 これは教室によるのだと思うが、美姫のクラスの日直は仕事が多かった。金魚に餌をやったり、植物に水を上げたり、ゴミを捨てに行ったりしなければならないのだ。

 なので放課後に残れなくなってしまった美姫は、彼女の仲の良い友人に日直の仕事を頼んだ。一週間後にある彼女の日直の際には美姫が日直をやるという約束でその友人は引き受けてくれたのだが、そのあとが問題だった。

 一体どのような経緯があったのか詳しい事はわからない。けれどもこのクラスの一部の子供達は、ごく当たり前の様に、一人のお人好しで気の弱い少女に日直の仕事を押し付けていたのだ。

 彼女の様子から美姫に頼まれた事がなさそうだったのが宏樹にとってはなによりほっとした事であった。そんな事をしていたら、美姫の事を軽蔑してしまいそうであった。

 宏樹が図書室に行ってすぐ、忘れ物を思い出して教室に戻った時、彼女は、1人クラスに残って日誌を書いていた。

 教室にも廊下にも誰も残っておらず、少々肌寒くなってきた季節、教室が夕日で真っ赤に染まった中に彼女は1人で座っていた。

 宏樹が怪訝に思ったのは、つい最近彼女が同じ様に日誌を書いているのを見かけたからだ。姿勢正しく日誌を書く彼女の姿は、教室の幻想的な様も相まって、まるで一幅の絵画のようであったのでよく覚えていた。


「ねぇ」


 気が付いたら宏樹は名前も知らない女の子に声をかけていた。

 彼女はわずかに体をはねさせて、目を丸く見開いてこちらを向いた。

 その子は髪を二つに結った、ごく普通の女の子だった。なんだかあんまり印象に残らなそうな子。言い方は悪いが、どこにでもいそうな子だった。

 美少女と言われる美姫がそばにいた影響が大きいのかもしれないが、今まで宏樹は女の子に心を動かした事がなかった。同じクラスに仲の良い女子もいるし、友達だとも思っているが、それは結局の所男友達といるのと大差はない。これまで告白される事がないでもなかったが、周りから可愛いと言われる女の子に好きだと言われても、自分の中に恋愛感情と言うものが見つからなかった。

 その子に声をかけた時もそうだった。別に大した意味はない。ちょっと疑問に思ったから声をかけた、それだけだった。


「君、先週も日直やってなかった?」


 宏樹の言葉にぽかんとしたその子はそっと首を傾げた。


「どうして佐原くんが知ってるの?」


 困ったように眉毛を八の字にして笑うその子に、そこでようやくその子の事を思い出した。

 以前、美姫と美姫の友達と、宏樹の友達で遊びに行こうとした時の事だ。

 美姫達を迎えにクラスに行ったら、美姫が話しかけていた子だ。その時の美姫は、彼女にしては珍しい事に怒っているように見えた。

 宏樹が声をかけると美姫は困ったように宏樹を見て、彼女を見て、結局彼女に一言二言言って教室を出てきたのだ。

 そういえばその時に美姫に聞いたのだ。日直を押し付けられている子がいる事を。眉を八の字に下げて困ったように笑う顔を妙に覚えていた。


「先週も日誌書いてるの見たからさ」


 宏樹は教室に入って彼女の前の席に座った。

 日誌を覗き込むと、几帳面な字で日誌が埋められていた。宏樹の教室の申し訳程度に埋められた穴だらけの日誌を考えると、随分としっかり埋めてある。本人の性格も大いに出るのだろう、と前半部分が綺麗に最後の行まで埋められているのを確認して、ちらりと前のページをめくってみる。


「ん?」

「え、なんか変だった?」


 宏樹の出した声に反応した彼女を、宏樹は不思議そうに見上げた。


「三回に一回は君の字に見えるんだけど」


 宏樹の言葉に彼女はまた困ったように笑って、けれども今度は何も言わなかった。

 宏樹の言葉通り三回に一回、つまり週に一回から二回は彼女の文字で日誌が埋められていた。ちらりと見た記入者の欄はそれぞれ違う名前で書かれているが、字は誤魔化すつもりがないのかそのまま書かれている。


「みんな、忙しいみたいだから」


 そう笑う彼女に、ぐっと眉間が寄るのがわかった。彼女にも見えてしまったのだろう、目が左右にふらふらと彷徨って、また笑った。


「それに、今あんまり家にいたくないから……」


 宏樹が見ている限り、彼女はずっと困ったように笑っていた。

 その笑顔の下に何を隠しているのか、気になった。

 きっかけは、そんな事。


「ねぇ、えっと……」


 そこで宏樹は初めてその子の名前も知らないことに気が付いた。彼女は自分の事を知っていたと言うのに、今度は宏樹が困ってしまって俯いた。


「あ、ごめんなさい、私吉野咲良って言うの。同じクラスになった事なかったよね」

「うん、ごめん吉野さん、僕は、あれ?僕名前言ってないよね?」


 先ほど佐原くんと呼びかけられたような気がするが。


「あ、ごめんね佐原、宏樹くんだよね。なんかよく名前聞くから、覚えちゃった」


 クスクスと笑う咲良に、羞恥心と、初めて困ったような笑顔以外の表情が見れた嬉しさで頬が熱くなるのを感じた。そんな風に感じたのは初めてだった。

 それが、宏樹の初恋の女の子、吉野咲良との出会い。


 それから二人は、時折一緒にいるようになった。

 咲良のやっている日直の仕事を手伝ったり、それ以外にも咲良はどういうわけだか色々な先生からよく頼まれ事をするらしい。その時の宏樹は咲良にばかり仕事を押し付ける先生達に憤っていたが、咲良は「気を使ってくれてるんだと思うの」と言って少し嬉しそうだった。

 その意味を宏樹が理解したのは、咲良がいなくなってしまってからだったが。


 最初の頃は宏樹が咲良の手伝いをしていて、逆に言えば咲良が何か仕事をしている時にしか一緒にいられなかった。

 宏樹は宏樹で顔が広い分友達付きあいも多く、咲良にばかりかまけていられるわけでもなかった。

 それでも二人は、短い時間ではあったが静かに、しかし確かにしっかりと関係を深めていっていた。


 そんなある日、宏樹が珍しく一人でいる昼休みに先生から呼び止められた。宏樹達の学年の、学年主任の先生だった。

 宏樹は職員室の奥にある小会議室に連れてこられた。時折ここでお説教をされる生徒がいる事は聞いていたが、宏樹がここに連れてこられるのは初めてだった。

 一体自分は何をしてしまったのだろうかとドキドキしながら待っている宏樹に、先生はお茶を出してくれた。そしてドキドキしている宏樹に笑いかけた。


「最近、吉野と仲良くしているらしいな」


 まったく想定外の方向から来た質問に、宏樹は戸惑いながらも頷いた。

 常日頃一緒にいるわけではないが、最近では週に二回ほど放課後は一緒にいる。そういう時に先生から頼み事をされる事もあるし、先生が知っていること自体は全く不思議な事ではない。

 ただ、なぜこんな秘密の話をするような体で咲良の事を聞かれたのが不思議でならなかったのだ。


「吉野から、ご家庭の事情は聞いているか?」


 先生の言葉に宏樹は俯いてしまった。

 家に帰りたがらない咲良を見ていれば、何かあるのだろうと察する事は出来る。しかし宏樹は、自分がそこまで踏み込んでしまっていいのかわからなくて、詳しい事は聞けずにいた。咲良本人もあまり話したがっていない様子だった。

 先生はそんな宏樹の様子に察したのだろう、くしゃくしゃと頭を撫でて顔を上げさせた。


「吉野のご家庭は今ちょっと問題を抱えていてな、何をしてやれ、というわけじゃない。ただ吉野のそばにいてやってほしいんだ」

「……はい」


 本当は聞きたい事がやまほどあった。けれどもそれは、咲良の事情で、そんな事を先生から宏樹が聞いたら悲しむだろうし、先生だって教えてくれないだろう。

 だから宏樹は先生に何も聞かなかったし、咲良にも何も聞かなかった。

 聞いたのは一つだけ。


「咲良って呼んでもいい?」


 宏樹と咲良が初めて言葉を交わした時のように夕焼けで真っ赤に染まる教室で、先生からの頼まれ事をしながらさりげなく聞いた。

 顔が熱かったが、夕日で真っ赤な咲良を見て大丈夫だろうなとは思っていた。

 案の定咲良は、不思議そうな顔で首を傾げながらも、いいよ、と頷いてくれた。


 あとから考えても、どうすれば良かったのかはわからなかった。

 その頃の宏樹は、精一杯考えた。考えて考えて、色々な事は見えて来たけど、結局何が最善だったのかはわからない。たかだか小学生だった宏樹が何をしても結論なんて変わらないだろう。だから、あの頃の咲良が宏樹の前でだけ屈託なく笑ってくれていた、それが答えだったのだと思っている。

 結果は変わらなかったのだそう思いたかっただけかもしれないが。


「来週、転校するの」


 早いか遅いかの違いだけだったと、そう思いたかっただけなんだろう。


 紙で花飾りを作っている時だった。

 それは再来週にある音楽祭で使う花飾りで、クラスごとにノルマのあるものだ。

 咲良の目の前にある材料と、一人で作ったであろう大量の花飾りに、黙って前の席に座って勝手に手伝い始めてから三十分ほどたった頃の事だった。

 いつもよりも明らかに集中していない手先で何度も失敗してはやり直していて、後から来た宏樹の方が作った量が多くなっていた。

 気もそぞろな会話や合わない目線から、何かあるだろうな、とは思っていたのでそれ程動揺は表に出なかった。手元の花が一つ潰れたくらいだ。


「そっか」


 それ以上の会話が続かなかった。何か言おうと思うが、頭の中は空回りし続けて口を開いては閉じての繰り返し。ただ黙々と花飾りを作るしかなかった。

 そんなことをやっていればもともと雑用慣れして器用な二人の間にあった材料はあっという間になくなって、そばに置いてあったごみ袋は花飾りでいっぱいになっていた。

 てきぱきと後片付けをした咲良は、花飾りでいっぱいになったごみ袋を二つ、教卓のそばに積んで、そうして初めて宏樹と目を合わせた。


「手伝ってくれてありがとう、佐原くん」


 結局咲良は宏樹の事を名前で呼ぶ事はなかった。宏樹からその事を申し出る事もなかった。


「お父さんとお母さんね、離婚するの。私はお母さんについていくことになる。もう、吉野じゃなくなるんだ。だから……」


 そこまで言って咲良は、唇を震わせ、咄嗟に俯いた。


「だから……」


 震える声で咲良が言う。

 ぎゅうっと唇を引き結んで、顔を上げた。

 咲良は涙を流す事無く笑っていた。

 宏樹が初めて見る、満面の笑みだった。


「次会った時も、咲良って呼んでね」


 笑みを保っていられたのは数秒だけ。目尻も口端も震え、見られたくないというようにまた俯いてしまった。


「だったら咲良も、次会ったときは俺の事名前で呼んでよ」


 咲良に負けないように、次会うまでの記憶が泣き顔じゃないように、そう思って宏樹は笑った。

 それに応えて咲良も笑った。目尻から涙が零れてしまったが、とても綺麗な笑顔だった。


「うん。またね、佐原くん」




 そう言って二人は別れた。

 その翌日、翌々日と学校ですれ違う事はあったが、いつもの様に人前ではあまり話しかける事もなかった。そして週末に入り、翌週には吉野咲良という女生徒はいなくなっていた。

 隣のクラスは、あまりにも多くの仕事を一人で引き受けていた咲良がいなくなった事でちょっとした混乱が起きていたが、宏樹にはあまり関係がなかった。

 美姫は咲良が一人で引き受けていた仕事量の多さに、彼女に仕事を押し付けていた生徒に憤ったり、その事に気が付いていなかった自分自身に落ち込んでいたりして百面相をして忙しそうだったが、その内落ち着いた。責任感の強さが増したような気もする。


 二人は連絡先を交換する事もなく、約束だけを糧に別れた。

 再会できる手筈もなく、ただ漠然とした約束だけを胸に初恋を引き摺り続けた。

 結局二人が共にいたのはたかだか半年程度の事で、けれども彼女の隣にいた時間がたかだか十数年の人生の中で最も幸せだった。


(とりあえず今は再会出来た時に恥ずかしくないようにしないとな)


 再会できる手筈は大人になってから考えよう、と思い直した。

 宏樹は初恋を経て自分が案外と粘着質な性質だと知った。この初恋はずっと引き摺りつづけるだろうという妙な確信もあった。

 だから長い目で見るつもりでいたのだ。向こうは向こうで努力をしてくれている事を察せずに。




「宏樹君」


 共に来ていた美姫が入学式で友達を作って、両親達は一足先に家に帰り、自分は新しく友達になった男子生徒達と別れて。

 美姫と一緒に帰ろうと待っているほんの少しの間だった。

 まだ蕾の桜を見上げて咲良の最後の笑顔を思い出すのは、毎年の事だった。

 毎年恒例の二家族の花見で。どこの学校にもある桜の木を見て。家の近くにある小さな八重桜の木を見て。

 日本には桜というのはどこにでもある。だから宏樹はしょっちゅう咲良の事を思い出していた。

 辛くもあるが励みにもなる。写真の一枚もないが、そうやって鮮やかに思い出し続ければ再会した時にもすぐにわかるのではないかと思っている。

 だけど、少しだけ変わったその声を聴いた時、不覚にも誰に声をかけられたのかわからなかった。

 振り返った時、そこにいたのは美姫と同じ、この高校のセーラー服を着た一人の女子生徒だった。

 豊かな黒髪を二つの三つ編みにして、黒縁の眼鏡をかけたその少女を見た瞬間すぐにわかった。


「咲良」


 少女は、咲良は、久しぶりと言ってにっこりと笑った。



 結局その日は連絡先だけ交換して別れた。

 いつも通り美姫と帰って、豪華な食事が用意された宏樹の家で、二家族で高校入学のお祝いをした。雅樹も、宏樹の妹の優姫も豪華な食事に喜んで何度もおめでとうと言ってくれた。とても楽しくて、幸せな食卓だったが、それでも宏樹はどこか上の空だった。早く部屋に戻って咲良に連絡をしたいと思った。

 結局その日は興奮した弟妹達の相手をしていて、美姫達を見送ったのは九時半だった。

 後片付けを手伝って、風呂に入って部屋に戻ったのは十一時近く、買ってもらったばかりの真新しい携帯を見ると、メッセージが一つ入っていた。

 九時頃に一件。咲良からだ。

 今日は会えて嬉しかったです。また明日。

 そんなさりげないメッセージだったが、上がる口角を抑える事が出来たかった。

 少し遅いかと思ったが、湧き上がる興奮を抑えきれずにラインを開いた。

 こっちこそ嬉しかった。明日話そう。おやすみ。

 すると数秒後には既読がつき、おやすみなさい。と返ってきた。

 明日は咲良と何を話そうかと考えながら、幸せな心地で眠りについた。



 翌日から、咲良とは時折話をした。

 美姫や、新しくできた友人との時間ももちろん大事にしていたので、なんでもかんでも咲良優先というわけにはいかなかったが、それでもたくさんの事を話した。

 咲良は咲良で相変わらずのお人好しなようで、困っている人を助けたり積極的に雑用を引き受けたりと校内でも忙しく立ち働いていた。どうやら小学生の頃やっていたのは満更家の事情とばかりも言えないようだと宏樹は苦笑し、咲良もそうみたいだと笑ったのだった。

 だが放課後は放課後で、学校の許可のもとアルバイトをしているようで、以前ほどなんでもかんでも引き受けるという訳でもなさそうだ。一人でふらりと咲良がアルバイトをしている喫茶店に行った事があるが、周りからも可愛がられていて楽しそうだった。それからは時折一人で喫茶店でのんびりしている。

 何度か妹の優姫も連れて行った事があった。

 最初の頃は人見知りをしていたのか警戒していたが、その内咲良の穏やかな雰囲気に懐くようになった。美姫ちゃんには内緒にしておいてあげる、と言われたが、よく意味が分からなかったので適当に流しておいた。

 だが、その時ふと美姫には咲良と仲が良い事を言っていなかったな、と思い出した。

 咲良と会う時は小学生の時から一人でいる時が主だった。あまり咲良と二人の時間を邪魔されたくないな、と思っていたからだろう。美姫とはほとんど常に一緒にいるが、咲良と会う時は美姫と一緒にいない時を狙っているような気がする。なんだか不倫をしているようで妙な心地になる。

 ここまで来ると、付き合ってから報告した方がいいような気がしてきた。なぜ相談してくれなかったのかと怒られそうだが、怒られたら咲良をきちんと紹介しよう。小学生の時、転校してしまってから随分と気にかけていたから仲良くなってくれるだろう。

 まだ告白はしていないし、明確に付き合っていると言える関係ではないが、友達以上、恋人未満というくらいまで進展している。と思いたい。後は告白すればお付き合いが出来るんじゃないかと思っている。

 これで単なる思い込みや独りよがりだったら目も当てられないが、どういう類の感情かはともかく、咲良が宏樹に好意を持っている事は明らかだ。そこに希望を持つしかない。

 あとは、告白をする時期やシチュエーションだ。出来れば最高のシチュエーションで告白をしたい。

 時期はもう決めてある。六月の半ばにある咲良の誕生日だ。再会して二ヶ月、あと一週間程である。

 優姫に恥をしのんで相談して、なんとか購入できた。来年小学校に入学する年齢であるというのに、なんとも出来た妹である。

 最近は咲良と共に過ごす時間や、彼女が働く喫茶店で過ごす時間が増えている。気の所為ではなく、なんとなく、ゴールデンウィークを過ぎた辺りから、クラスで宏樹が除け者になっている雰囲気があるのだ。

 宏樹も咲良との事を秘密にしている手前あまり踏み込む事も出来ないで、空気を読んで自主的に離れている。少し寂しいが、もしかしたら咲良との事を気付かれて気を遣われている可能性もなきにしもあらずだ。

 いや、それはないか、と考え直す。

 今日も美姫との事をからかわれた。もう何度も否定して、言わないように言っているのだが、最近は以前は直接何も言ってこなかった女子なんかも言うようになってきて、今日からかってきた相手なんてよそのクラスだ。

 今まではあまり気にした事がなかったし、美姫は友達で大事な幼馴染なのだから、そばにいる事になんの気兼ねもせず、邪推してくる方が悪い、くらいの認識だった。

 けれども今、咲良と一緒にいて思う。そりゃあ、年頃の男女がべったりだったら邪推もする、と。

 実際この喫茶店では、学校とは違う、年配の常連の人達からもそうやってからかわれたりする。しかもこちらにはそういった下心もあるものだから、美姫との事ほどきっぱりと否定出来ない。

 咲良も真っ赤になって否定しないものだから、宏樹のしどろもどろの弁解にもにやにやされるばかりだ。

 挙げ句の果てには店長に付き合うようになったら教えろとまで言われてしまった。

 そう言うものなのだ。意固地になっていた宏樹は子供だったのだと実感した。もしかしたら美姫の恋路の芽を知らず知らずの内に潰してしまっていたのではないだろうか。そう思うと、初恋の人との再会に浮かれていた自分を殴りたくなる。

 自分には咲良がいたから良いけれども、美姫だって高校生だ。身内の贔屓目抜きにも美人な娘なのだから、そういった事もあり得るわけだ。

 一番仲のいい友達に、自分より仲のいい友達がいて欲しくない。そういった子供の駄々と同じなんだろうな、と今までの事を後悔した。

 思索に耽っていたからだろう、いつの間にか咲良の就業時間が終わって、着替えて出てきたのにも気が付かなかった。机の脇に見覚えのあるセーラー服のスカートが見えて、慌てて立ち上がった。


「ごめん!考え事してた」


 時計を見ると20時を20分ほど過ぎていた。いつもなら咲良が出てくるタイミングに合わせて会計をする為、レジには店長の奥さんが立っている。

 慌てて会計をして出ようとすると、後ろから恒例のからかいの言葉が飛んできた。直前まで思考がトンでいた所為で、何も考えずに言葉を発してしまった。


「まだそんな関係じゃないですって!」


 発言した直後に、宏樹は自分の口から飛び出したとんでもない失策に気が付いた。

 そしてそれは聞いた方も当然気づいたようで、店長も奥さんも、五人ほどいた常連さん達も目を真ん丸にして見開いたり、堪え切れないというように口を押さえたり、隠す気もなくにやついたりしていた。羞恥で爆発しそうになりながら、隣で真っ赤になって固まっていた咲良の手をひいて店から飛び出した。



 咲良の家に向かって歩き出して何分経ったか、周囲の景色を見るにまだそれ程離れてはいない筈なのだが、そんな気は全然しなかった。

 宏樹は咲良の手を離す事も、足を止める事も出来ずに歩き続け、咲良も一言も発さなかった。

 咲良の家のすぐそばにある公園、中を突っ切っている最中にもう緑が青々とした桜の木を見つけ、宏樹は思い切って立ち止まって振り向いた。

 手を引いていたのだから当然だが宏樹の後ろには咲良が居て、突然止まった宏樹に驚いたのか目を見開いて宏樹を見上げていた。

 真っ赤に染まった頰も、普段学校では見れない硝子越しではない潤んだ瞳も、さらさらと滑り落ちる黒々とした艶やかな髪も、どうしようもなく愛おしかった。


 咲良は、学校ではできるだけ地味にしようとしているらしい。大して度の入っていない眼鏡をかけている事を不思議に思って聞いてみた事がある。

 咲良は素直に答えてくれた。

 小学校の時からちょっとでも見目を良くしようとこつこつ努力をしていた事。

 中学では何人か、男の子に告白された事がある事。

 その中の一人がとてもしつこくて、その男の子を好きな女の子から嫌がらせを受けた事。

 そのあまりのしつこさと、その男の子の人望に、咲良があまりにも頑固だと周りから白い目で見られていた事。

 学年全体からいじめのような事を受けていた事。


ーー別に、その他大勢の為に頑張ったんじゃないんだけどね。


 その一言と、チラリと一瞬だけ合った目線に、宏樹の為だ、と言われたようで、天にも舞い上がる心地だった。


 この綺麗で可愛い女の子が、宏樹の為に存在しているのだと、そう思いたい。


「水曜日の、咲良の誕生日。

 その日、君に言いたい事があるんだ」


 手を握って、目を見て、

 まるで世界に二人きりしかいないようで、咲良しか目に入らなかった。

 咲良にも含ませた意図は伝わったようで、ふらふらっと視線を彷徨わせて、ぎゅうっと眼を瞑った。


「一つだけ、聞かせて」


 そっと開いた目を、しっかりと宏樹に合わせる。


「川崎さんは、宏樹君にとって、なに?」


 潤む瞳と震える睫毛が、彼女の不安を表しているようで愛おしい。そしてどうしようもなく申し訳なさで胸が痛かった。

 先程まで宏樹自身も考えていた事。それが彼女をこんなにも不安にさせていたなんて。


「美姫はただの幼馴染だよ。兄妹みたいなものだ。

 咲良とは、全然違う。

 でも、咲良を不安にさせるなら……」


 美姫には近づかないようにする、という一言は出てこなかった。

 宏樹の口を塞ぐようにそっと宏樹の前に人差し指を立てた咲良はいいの、と言うかのように微笑んだ。


「宏樹くんの事を、信じるよ」




 翌々日、水曜日。


 その日は朝からどうしようもなく上の空だった。

 何度も鞄の中の綺麗にラッピングされたプレゼントを確認したし、昼休みに飲み物を買いに自販機に行った時も食堂に咲良の姿が見えただけで動揺して金も入れてないのにボタンを押して友人の正吾に笑われた。午後の授業は緊張しすぎてなんにも頭に入って来ずに二時間連続で怒られるなんていう失態もやらかしてしまった。

 結果の分かっている告白だと分かっていても、生まれて初めての告白はどうしようもなく緊張するし、頭が真っ白になって周りなんてカケラも見えていなかった。

 だから帰りがけに美姫に話しかけられても、やけにクラスメイト達の様子がおかしくとも、その時の宏樹にとっては、どうしようもなく些末な事であった。



 待ち合わせ場所は、二日前の夜に話した公園。

 高校から公園まで同じ道のりなのだから、一緒に行けばいいという考えは二人とも頭に上らせないようにしていた。道中が気まず過ぎる。

 公園につくと、まだ咲良は来ていなかった。

 咲良の家と、バイト先は高校の最寄駅とは反対方向にあるので、今までこちら側に来て同じ高校の生徒に会った事はない。というより寂れた住宅街、という感じの街並みで宏樹達以下の子供を見た事がなかった。

 学生なんていない高校の反対側の住宅地。昼間の人通りなんてほとんどない。この公園だって何度も前を通っているが、子供が遊んでいる事なんて数える程だ。

 だから入り口に人影が見えた時、緊張のあまり一瞬だけ身が強張った。

 そうしてゆっくり振り向くと、そこに立っていたのは予想通り咲良だった。学校の時の地味バージョンではなく、髪をハーフアップにしてうっすらと化粧をした、綺麗な女の子が宏樹と同じ様に緊張した面持ちで立っていた。


「ご、ごめんね。待たせちゃったかな」


 ぎくしゃくと宏樹のそばにやって来た咲良は、少し俯きながら一メートル半程離れた場所で止まった。


「準備してきてくれたんだな。学校で?」


 今まで学校で化粧をする事は嫌がっていたはずだが。


「うん、人気のないトイレでお化粧したの。放課後は人が多いし、一瞬だから誰もわかんないよ。

 この格好で、話聞きたいなと思って」


 上目遣いでこちらを伺う咲良はどうしようもなく可愛くて、自分の為だと思うと宏樹はどうしても顔がにやけてくる。

 宏樹の表情を見て自身の意図が正確に伝わった事がわかったんだろう。少し照れ臭そうに頰を赤らめて、改めて宏樹を見た。

 宏樹も笑って、咲良を見た。


「えっと、まずは、誕生日おめでとう。

 これプレゼント」


 鞄の中の細長い包みを取り出すと、咲良に渡す。

 そっとこちらをうかがわれたので頷くと、立ったまま器用に、丁寧に包みを開けた。

 中の箱から出てきたのは、桜の花の飾りのついた簪。少々値は張ったが、金属製のいいものだ。


 咲良には、両親の離婚前から簪の収集癖があったらしい。コツコツとお小遣いを貯めて、少しずつ買い揃えたものだ。

 今では学校にいる時以外は大体さしてる。

 バイト先ではお団子にした髪に日々様々な玉簪をさしているし、今も髪をハーフアップにしているのはしゃらしゃらと飾りのついた簪だ。どういう風にやっているのかはわからないが、器用に一本でまとめている。

 だから宏樹は、優姫を連れて都心に繰り出し、簪の専門店で買った。店員さんや優姫に相談しながら30分以上悩んで決めた一品だ。

 咲良の目が簪と宏樹を行ったり来たりしている。

 咲良の普段付けているプラスチックや木の簪なんかとは一目で値段が違うとわかる代物だ。

 咲良の口がふよふよと動いて、けれども言葉を発する事なくきゅうと噤まれる。


「嬉しい、ありがとう」


 その満面の笑みだけで達成感に包まれる。

 しかし、今日は宏樹にとっても咲良にとってもそれ以上の本題がある。

 胸元に簪を抱きしめたまま、真剣な表情で咲良が宏樹に向き直る。


「咲良」

「はい」

「君が好きです。俺と付き合って下さい」


 結局生まれて初めての告白は至極ありきたりなものになった。頭を下げる事も考えたが、咲良の表情を見たかったのでそのまま言った。


「はい、不束者ですが、よろしくお願いします」


 予定調和のハッピーエンド。

 彼女はとても幸せそうに笑ってそう言った。



ーー初恋が叶わないなんて誰が言ったのか。


「初恋が叶わないなんて嘘だった」


 宏樹は、腕の中に愛しい初恋の彼女を抱きしめて、幸せそうにそう言った。

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