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愛されたくて、愛されたくて

作者: 大遠
掲載日:2017/09/09

王都よりはるか南に位置する緑豊かで長閑な街、フロイト。その街の領主の長男であるエレン・フォン・フロイト・アイゼンバーグは凡庸だけれど真面目な男だった。そしてその凡庸さと真面目さゆえに、常にもがき苦しんでいた男だった。


 彼には二つ年下の弟がいた。その弟は全てにおいて、兄であるエレンとは比較にならないほどの才能を神に与えられていた。剣を持てば師範の先生に千年に一度の天才だと呼ばれ、魔法を覚えれば魔法学院の元教師に神童だと言わしめた。


 領民や家族の誰もが弟の才能に熱をあげ、弟の周りはいつもにぎやかだった。そしてエレンはその熱気の輪から離れたところで、弟に追い縋ろうと必死に努力をしていたのである。


 しかし凡人がいくら努力を重ねても天才の足元にも届かず、エレンが家族から認められることも一度もなかった。


 そんな彼の唯一の心のよりどころは、専属使用人であるディーナさんただ一人だけだった。


 彼女はもともと領主と個人的に付き合いのある商人の娘だった。しかしある時ディーナさんの両親が盗賊に襲われて共に亡くなってしまい、他に身寄りがなかったディーナさんをアイゼンバーグ家が使用人として雇ったのである。


 彼女もまた、エレンと同様に非常に真面目な女性だった。彼女は領主家の使用人として相応しくあろうと誰よりも努力し、誰よりも気品あふれる女性になった。


 そして何よりディーナさんは愛に満ちた女性だった。

 家族にすら愛してもらえないエレンを、ディーナさんだけはいつも優しく抱きしめてくれた。よくディーナさんは、「私が両親からもらったものを、今度はエレン様に差し上げたいのです」と言っていた。


 エレンにとって七つ年上のディーナさんは、優しい姉のような存在であり、恋人のような存在でもあった。

 そしてディーナさんにとっても、エレンはきっと特別な存在になっていたのかもしれない……。



 エレンとディーナさんとの思い出の場所として一つ、領主館から東に向かって十五分程歩いた場所に大きな雑木林がある。


 樹木が鬱蒼と生い茂った荒れ放題の場所なのだが、しばらく行くと一か所だけ草木の生えていない平地があり、ぽつんと小屋が一つ建てられていた。こじんまりとした小屋でかつて誰かが住んでいたのかベッドの台とテーブルが置かれたままにされていて、掛け布団とシーツを密かに持ち込んだエレンはよくその小屋にディーナさんと二人で人目を忍んで訪れていた。


 地面がむき出して、ベッドとテーブルの他には何一つなかったけれど、静かで落ち着ける場所だった。


 夜になるといつも星を見ようとディーナさんを連れ出しては、星空の下で膝枕をしてもらった。そしていつも周囲に明かりがない静かな場所で、濃紺の星空を見上げるディーナさんの顔をぼうっと眺めるのである。無数の星屑の光を浴びて淡く輝いたディーナさんの横顔は、この世のどんな宝石よりも眩くそして澄み切っていた。


『きれいだ……』


 愛おしかった。けれど愛おしいと思うと同時に、エレンの心の内側はいつもどうしようもないほどの無力感に蝕まれていた。


『はい、上手く表現できませんけれど……この星空は吸い込まれそうです』


 ディーナさんは透明な瞳に夜空を映し、時折瞬きを繰り返した。まるで月からの迎えを待つ、かぐや姫のようだった。


『ねぇ、ディーナさん……』

『はい』


 エレンは唇を開いたまま、自分を見下ろす優しい顔を見つめていた。手を伸ばせばその頬や唇にだって届くのに、ただ見つめていた。


『……時々だけれどね、ディーナさんを見ていると少しだけ寂しくなることがあるよ』


 エレンの口をついてでたのは、隠しても隠し切れない胸の痛みだった。エレンはそんなことを言っては、ディーナさんを戸惑わせることがよくあった。するとディーナさんはいつも悲しいような困ったような表情をするのである。


『もし私に何か至らないところがあれば……』

『いや、ディーナさんに至らない点なんかないよ。きっと至らないのは僕自身のほうなんだ……』


 そんなディーナさんがまた愛おしくて、死にたいくらいに苦しかった。


『ディーナさん、寒いね……』


 エレンは胸を締め付ける痛みに声を震わした。


『小屋の中に戻りますか?』

『うん』


 ディーナさんに寄り添って小屋に戻り、微かに窓から漏れる星の瞬きだけが頼りとなる暗闇の中、エレンはベッドに腰掛ける。そして人肌の温もりを求めるのである。


『寒いよ、ディーナさん……』

『はい』


 エレンの求めに応じるように、ディーナさんはエレンを正面からぎゅっと抱きしめた。そしてそのまま二人重なって、ベッドに倒れた。


『寒いよ……』

『はい』


 繭に包まれた蛹のように二人は掛布団にくるまり、互いの吐息が耳にかかるほどに密着する。もはや何の意味もなさなくなった視覚を補うため敏感になった全身の神経。首筋にあたるディーナさんの唇や服越しに伝わる火照った体の感触が、まるで麻薬のように脳をとろけさせてゆく。

 けれどそれは刹那で、効果が切れた時更なる喪失感が心を狂わせた。


『寒いよ、ディーナさん……』

『はい』


 だからもっと激しい、もっと優しい、温もりをエレンは求める。衣服越しではなく肌と肌で感じあう温もりを求め、呼応したディーナさんは自らが纏ったものを脱ぎさってゆく。

 そしてその手は次にエレンの衣服にのび、二人は熱の塊のような体を擦りあう。狭くて、酸欠になりそうなほどに暑苦しくて、体中から汗を拭きだした。けれどそれでも、エレンは寒そうに身を縮こませては温もりを求め続けるのである……。



 これが俺の中にある、過去の雑木林に関するエレンの記憶である。


 この数年後、エレンの父である領主は、長男のエレンではなく弟に領地を継がせることを決める。それほどまでに、両親はエレンの弟を愛していた。

 そしてそれを苦にしたエレンは、ディーナさんを巻き添えに無理心中をはかった。

 結果、ディーナさんは死亡し、エレンは意識不明の寝たきりとなった。


 俺が出会った神様とやらの話では、寝たきりのエレンは意識が戻るのを自ら拒み、ずっと死にたがっていたらしい。

 その願いを受け入れた神様はエレンの魂を死後の世界へと導き、その時ちょうど日本で不慮の事故により命を落とした不幸な青年がいたので、その魂をエレンの肉体に宿すことが決められた。


 その神様に選ばれた青年というのが、俺だった。


 俺が選ばれた決め手を神様に聞いてみると、エレンと俺の境遇が似ていたから、だそうである。

 確かに俺にも死ぬほど優秀な弟がいた。両親は弟ばかりをかわいがり、俺は誕生日さえ覚えてもらっていなかった。


 俺は別にもう生きたくないと言ったのだけれど、それは聞き入れてもらえず、エレンとして再び目覚めることとなった。


 俺へのせめてもの救済として神様は、ディーナさんの存在を人々の記憶から消して、無理心中の件をなかったことにした。またエレンとして目覚めた後も俺は何度か自殺を繰り返したのであるけれど、そのたびに神様は俺をよみがえらせて、自殺そのものをなかったことにした。

 そのおかげで俺はエレンとして目覚めた後も、館に閉じ込められるといったことはなかった。

 ちなみに一度だけ、家族に俺の日本人としての記憶の事を話してみたのだけれど、当然ながら誰にも信じてもらえなかった。


 エレンとして生活し始めた当初は、間違いなく前世の日本人としての記憶とエレンとしての記憶の両方があった。

 しかしこちらで生活しているうち、何故かディーナさん関すること以外の過去の記憶が徐々に薄れていった。まるでディーナさん以外のことなんてどうでもいいと、死んだエレンが言っているように。


 なので今の俺はエレンとしての過去の記憶は、ディーナさんの事に関する事以外は、ほとんど何もない。そのせいで少し苦労することもあったけれど、なんとか十八歳の成人までぼろを出さずにやってこれた。



 そして一先ず回想はこの辺にしておいて、現在。俺はその思い出の雑木林にアリスという少女と向かっている最中だった。


 彼女はフェアリーとよばれる、フロイトの街に隣接する森で生活する種族である。

 フェアリー族の特徴として、彼等は皆幼い子供のような外見をしており、死ぬまで老いることがない。まさしく妖精との名にふさわしい種族だった。


 そしてアリスはそんなフェアリーの族長の娘だった。そして過去のエレンの、つまり今の俺の許嫁でもある。


 彼女がエレンの許嫁になった理由は、なんてことはなかった。ただ双方の親が互いの関係を強固にするためにとった策にすぎない。

 アリスはエレンの許嫁に決まった後すぐに顔合わせのためにフロイトにやってきて、そこでエレンに出会ったらしい。

 時期的には、ディーナさんがエレン専属の使用人になっただいぶ後の話である。


 そして十八歳の婚姻の儀を結ぶために、再びアリスはフロイトの街へとやってきた。

 アリスと初めて会った半年前のあの日のことを、俺は今でも覚えている。


 俺はあの日、アリスに俺と別れるように説得するつもりであった。

 俺はお前の愛したエレンとは違う男なんだ。だからそんな俺と結ばれる必要などない。今からでも遅くない、そう伝えるつもりであった。

 しかし、初めてあったアリスは無垢でいて美しかった。


『エレン! 久しぶりだね!』


 雨の中、傘を放り捨てて抱きついてきたアリス。胸にすっぽりと収まってしまうよな小さな体、それを受け止める。

 顔を胸に埋めたアリス。頭の髪は、金色に光り輝いていた。


 そしてアリスが顔をあげた時、俺はその紺碧の瞳に吸い込まれた。



 晴れ渡った青空の下を、俺は百五十センチにも満たない小さな女の子と一緒に、朝の風にふかれながら歩いていた。繰り返すけれど、アリスはエレンと同じ歳である。


「すっごく懐かしいよね、あの林」


 横に並んだアリスが遠い目をした。話によると、アリスも幼い時エレンとあの雑木林に訪れていたらしい。


「私がフェアリーの森に帰っちゃう前日の夜、二人で星空を見上げて、それから小屋の布団にくるまって一緒に寝たよね」


 アリスが体を摺り寄せて、同意を促してきた。俺の手に絡めてきた彼女の指には、式で俺があげた婚約指輪が光っている。


 俺は騙してしていると知っていても、失うのが怖くてアリスに真実を告げられないクズ野郎だった。


「あー、そうだねぇ、懐かしいね」


 主にディーナさんとの記憶を手繰り寄せながら俺はうわべを飾るしかなかった。


 アリスが聞かせてくれる林でのエレンとの思い出話は、どれも記憶の中にあるエレンとディーナさんに類似していた。林の中を散策した記憶、一緒に星を見た記憶、一緒のベッドで横になった記憶。どれも経験そのものは類似しているものの、同時に二つの間には大きな溝もあった。


 アリスの思い出話は全て、フェアリーの森に帰る前日の話しでさえ、一片の影もない美しいものだった。二人で一緒に将来の夢を語り、幸せになることを誓い、再会を約束する。そこに苦しみ絶望し狂ったように温もりを渇望するエレンの姿はなく、あるのは嘘くさいまでに清き純愛だけ。


「私、あんなに優しい言葉をかけて貰ったことなかったから、すごく嬉しかった」


 アリスは少し照れくさそうにそう言った。


 エレンは裏でディーナさんと密会を重ねながら、アリスの前でどんな薄っぺらい言葉を吐いたのだろうか。きっと次期領主としての責任を果たそうと、自分を取り繕っていたのだろう。


 エレンよ。その成果として、アリスは次期領主が弟に変わっても、エレンを愛してくれているぞ。



 それからまたすこし歩いてたどり着いた思い出の雑木林は、昔の三割増しくらいに草木が密生していた。

 かつては草を押し倒してできた獣道が一本あったと思うのだが、たった数年のうちに成長した草が道を完全にふさいでしまっていてどこが道だったのか見当もつかない。


 おかげで道なき道を進む羽目になって大変だった。アリスが草に足を取られる場面が何度もあり、手をつないでいなければ見ている俺が不安になった。


 あやふやなエレンの記憶だけを頼りに進んでいると、やがて木が一本も生えていない土の地面がむき出しになった場所に出た。そしてその平地の真ん中に、記憶のと同じ小さな小屋がひっそりとあった。


「まだあったのか……」


 なつかしくて、俺は渇いた声で笑ってしまった。小屋も、平地も、思っていたほど大きくなかった。


「ほんとだねー、すごくなつかしい」


 しきりとあたりを見渡しているアリスの手を、俺は離した。


 実を言うと、俺はこの雑木林があまり好きではなかった。ディーナさんとエレンが同じ時を刻んだ場所だからか、胸の中にドロドロとしたものが滞り、不幸な現実を叩きつけられたような気分になる。鬱としてみじめな気分になるのに、心はこの場所を激しく求めている。


 エレンがこの場所で温もりを渇望したのと同様に、求めずにはいられなかった。

 それらを自覚しているからこそ、この場所が嫌いだった。


 不条理な痛みは抑圧し、俺は再びアリスの手を取って小屋の周りをぐるりと歩きだした。アリスの覚えていない思い出話に笑顔で答えていても、地面の少しくぼんだ部分が、少し盛り上がった部分が、ディーナさんとの痕跡のように見えてしかたなかった。


「あー、星見えないね」


 歩きながら、アリスが青く澄みきった空を見上げて残念そうにつぶやいた。いつの間にか、話は星空を一緒に見た時のことに及んでたようである。


「まあ、朝だからな。また今度だな」

「うん!」


 アリスは満足そうに笑っていた。


「ね、それよりさ、小屋の中に入ってみようよ」

「……ああ、そうしようか」


 こうやって他の誰かとこの小屋に来ることになるとは、一体何の因果なのだろうか。

 錆びたドアノブを回し、俺とアリスは小屋に足を踏み入れた。


「あー、なつかしい!」


 枯葉がベッドや地面の上にちらかっていたり、天井の片隅に巨大なクモの巣が張られていたりしたものの、部屋の様子は当時と何一つ変わっていなかった。アリスは部屋の中央にあるテーブル前でしゃがみこみ、その上にある容器のふたを開けて中を覗きこんだりしてはしゃいでいる。


 俺はアリスと反対側で、枯葉を被ったベッドと対峙した。エレンとディーナさんの思い出のベッドである。置きっぱなしにしていた掛け布団をどけると、外気にさらされていなかったためシーツは埃をかぶっていなかった。

 左手をベッドの上に載せて体重を傾けると、シーツにしわが寄った。


『寒いよ……』


 脳裏をエレンの記憶がよりぎ、反射的に左手を戻した。


「……」


 エレンは虚しい人間だった。どれほどディーナさんに温もりをもらっても、埋めようのない心の隙間から全て流れ落ちてしまう。際限のない欲求に耐えられず、刹那の温もりに溺れ、そしてまたもがき苦しむ。

 けれどエレンにとって、そのディーナさんのくれる温もりだけが全てだった。


 鬱々とした気分に沈んでいると、背後で布が地面に落ちる音がした。夢から現に引き戻されとっさに振り返ろうとした瞬間、何者かが背中の下の方をそっとなぞった。

 そしてそれと同時に、俯き顔を隠した少女の横顔と光り輝く髪が肩越しに見えた。


「ま、待って……」


 片方の手でやんわりと俺の腰の上を押しながら、少女はそう懇願した。髪の隙間から見える小さくて丸い肩はギュッと強張り、見え隠れする耳たぶは朱色に染まっている。透明な肌はくびれた腰からふっくらとしたお尻までのラインを描き、そしてすらりと伸びた足元には着衣らしきものが脱ぎ捨てられていた。


 少女の懇願は少しだけ遅すぎた。肩越しに一瞬でもはっきりと、俺はその少女の裸身を目に収めていた。


 力を入れてしまえば折れてしまいそうな少女の細腕が、背中から伸びてきてぎゅっと俺のお臍の上を締め付ける。その手は僅かに震えていた。


 この時俺を支配していた感覚は急な事態による驚きと、地底の奥底でドロドロと煮えたぎるマグマのような悦びであった。


 早鐘のように響く鼓動を抑え俺がもう一度肩越しに後ろを覗くと、背中にべったりと張り付くようにして少女は立っていた。背丈が百五十センチに満たない少女は、恥ずかしいのか未だ俯いたまま顔を隠している。

 俺は息をのみ、話しかけた。


「アリス……」


 その名前に少女は敏感に反応した。ゆっくりと顔を上げ、細い首筋から膨らみかけた胸部までをもさらし、濡れた瞳でじっと見つめてきた。長いまつげに縁取られたその瞳は紺碧色に輝き、見ているだけで吸い込まれそうだった。


「うん。寒いね、エレン……」


 人懐っこい笑顔を浮かべ、そっとアリスは呟いた。先ほどまでのアリスとはまるで違う、甘い声だった。


 俺はその言葉に鈍器で殴られたような強い衝撃を受けた。少女は、記憶の中でエレンが何度も何度も何度も繰り返した言葉を囁いたのである。


 エレンは、アリスとも関係を持っていたのか……。


(ああ……エレン、お前は最悪だ)


 俺の中で何かが音を立てて崩れていった。

 俺が手を解いて向き直ると、アリスは縮こまるようにして一歩後ずさりした。白日の下にさらされた裸身を両腕で隠そうとしても、儚げに揺れる瞳や微かに震えた唇だけは真っ直ぐと見つめ返してくる。


 そっと首筋に俺の掌をあてるとびくっとアリスの体が跳ね、瞳が戸惑いの色を帯びた。俺が膝を曲げて顔を近づけてゆくと、アリスは反射的に身を後ろにそらせるが、すぐに何をされるか分かったようでおとなしく瞼を閉じた。アリスのまつ毛が僅かに揺れている。吐息がかかるほど近づいた薄紅色の唇はふっくらとしていて、甘い香りが鼻孔をくすぐった。


 俺は欲望のままに唇を重ね、そのままアリスを強く抱きよせた。息が詰まって苦しくて、お互いの混ざり合った熱で脳がとろけてしまいそうだった。最初はされるがままだったアリスも徐々に薄く目を開け、くぐもった声をもらしながら求めに答えてくれる。


 お互いの舌が触れ合い、息が続かなくなったところでようやく一度離れた。鼻にかかった声を上げ、恍惚としたアリスの唇は唾液で艶めかしく輝いている。


 火照った体が疼き出し、俺はアリスを抱きかかえたままベッドに倒れこんだ。そして顔を挟むようにして両手をシーツにつき、アリスにまたがった。真上から見下ろされる形となり身動きが取れないアリスは羞恥に顔を染め、とっさに胸を手で隠そうとする。けれど俺はその手首をつかみ、ベッドに押さえつけた。


 抑圧され続けた俺の欲望が、その鎌首をもたげて歓喜に打ち震えていた。かつてエレンがディーナさんに求めた麻薬のような温もり。ようやく記憶などの紛い物でなく生で感じることができる、そう思うと喜びで気が狂いそうだった。


 まず最初の獲物として、俺は羞恥で顔をそむけたアリスのふくらみかけたつぼみに標的を定めた。アリスの手首を押さえつけていた手を、手首から二の腕、そして肩へと沿わしてゆく。胸に近付くにつれ激しくなってゆく鼓動が、指から振動として伝わってきた。


「あっ……」


 指が鎖骨をなぞった時、アリスが耐えきれずに声を上げた。俺は扇情的な声と濡れた瞳を楽しみながらも、それでも指の動きは止めない。そしていよいよ桜色の獲物に手を掛けようかというその時、顔をそらしていたアリスが不意に見上げ、俺は息を詰まらせた。


 アリスは緊張しながらも、その長いまつげに縁取られた瞳を物欲しげに揺らしながら、エレンを見ていた。エレンがディーナさんに愛を求めたように、アリスはエレンに愛を求めていた。


 少し考えれば分かることだった。アリスがエレンの言葉をつぶやいたということは、俺の役はディーナさんなのである。


 俺は頭にのぼっていた血液がさっと引いていくのを感じた。先ほどまで自らを支配していた物が、光の届かない胸の奥底へと沈んでゆく。


(ああ、俺は最低だ……)


 俺の体は快楽を求めて疼いているのに、幸せそうなアリスを見るたび自制心がそれを咎める。もどかしくて苦しいのに、アリスが何を望み、自らが何を言うべきなのか、俺の理性は的確に告げていた。


『アイシテル』


 本当の意味も知らないくせに嘯いたその言葉は、幸せな一時にとろけきり、されるがままとなったアリスへの同情だろうか。

 それとも彼女の熟れた果実のような肢体をはう己の手と同じ、欲望に忠実な徒だろうか。


 エレンがディーナさんに求めた何かとはあまりにもほど遠いそれは、空虚で、自分勝手で、醜い魔法の言葉だった。


 アリスの熱い吐息が耳にかかるたび、桜色に染まった肌を手で舌でなぞるたび、アリスが自分と同じ五文字を繰り返すたび、素肌を重ね合わせ熱を全身で感じるたび、全てが境界をなくしたように溶けてゆく。繰り返す言葉の意味も、現実も、自己も、そのまま溶けて、残るのは胸の奥に痛みが一つ。


 その痛みを忘れるために、エレンの姿をした偽物は空虚に求め、無垢なアリスはそれに答える。しかし痛みは消えず、膨れ上がるばかりだった。肌を重ね合いながらも感じるこの苦しい気持ちだけは、かつてこの小屋でディーナさんと身を寄せあったエレンの記憶と重なって思えた。

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