一章・新しい本見つけた!・4
「――で?」
ルルは自分が微笑んでいると自覚している。多分、目は笑っていないだろうことも。
「そのお金をもらってきた、と?」
微笑をそのままにテトのフトコロを指す。お財布の入っているであろう、ぽっこりと膨らんでいるその場所を。
いわくつきかもしれない本だ。魔術具と変わらないくらいの価値をギルドはつけたのだろう。となると、金額は相当な額になる。テトなら数年は余裕で暮らせるかもしれない、百万リンに近い金額を。
「テト」
にこやかに、あくまでも微笑んで、ルルはカウンターの脇のハタキを手に取った。友好的に見えなくもない笑顔だったので、テトは油断していたようだ。
彼女の目が笑っていないことを、まっすぐ目を見て会話をしていたら理解できていたはずだが、罪悪感のようなものを感じていたために彼は彼女の目を見ることをしなかった。
よって、ルルが振りかざしたハタキは、マトモにテトの顔面に炸裂したのである。
「あんたアホでしょ!」
「わぶ! やめろ! なにすんだよ!?」
「本を封印するって言われておとなしく譲ったのがアホだって言ってんの!」
「なんでアホだ!? いいだろ、危ない本かもしれないし! 人が消えたりケガしてるんだぞ!」
「危ない本とは限らないでしょ! ケガ人だって本と関係あるかどうかはまだ関連不明じゃない!」
身を乗り出してハタキを構えるルルの勢いに、テトはいたずらをしかられた幼児のような表情で身を引く。
「俺は一応ルルのことも考えたんだぞ! お前に何かあったらマイヤーさんだって困るし、俺も困る!」
「店長は分かるけど、何であんたが困るのよ?」
「便宜を図ってもらえない!」
そう断言したあたり、深い意味があるのかないのか。ルルには判断できなかったし、この状況で判断するつもりもなかった。今大事なのはナゾの本のことである。
「封印よ! 保存じゃなくて、ふ・う・い・ん! いい? もう二度と読めなくなるのよ!」
ギルドに封印されてしまったら、一般人どころかギルドの人間ですら簡単には読めなくなるのだ。読書をするためにあちらから許可を取り、こちらから許可を取り……それでも読めない可能性が出てくる。
本は人に読んでもらうために存在するもの。それなのにそんな扱いを受けるなどかわいそうすぎる。
「せめて表紙だけでも拝みたかったのに……! 中身がなんなのか分からないまま封印されるなんて酷すぎる! そんなの耐えられない! 本だって可哀想! 読んでもらうための本なのに、誰にも読まれないままこの先過ごすなんて! 拷問よ! 本だって絶対にイヤだわ!」
ルルの意見は自分の考え方をそのまま口にしているだけだ。それだけに熱い。彼女の背後に太陽のように燃え盛る正義感がみなぎっているかのようにも見える。しかし、彼女の背後で、マイヤーが必死で首を振っていることには気がついていないようだ。マイヤーはテトに彼女を止めてくれと訴えているつもりであったのだが。
「はっ……そうか! 封印ってことはギルドの人も読めないのか!」
テトが気がついたのは、そんなことだった。所詮彼もルルと同じ穴の『むじな(・・・)』なのである。
「そう! ギルドの奥深くに厳重に封印されて、ページどころか表紙もめくってもらえない可哀想な本になっちゃうの!」
ようやく彼に理解の気配が見えたので、ルルは念押しの一言を叫んだ。読まれない本。読めない本。
「なんてこったぁ!」
劇中ならば効果音が入りそうな箇所だ、と、店に居たほかの客は感じただろう。多分、寸劇を見ているような気分に陥ったはずだ。喜劇と変わりない即興寸劇。呪われている(かもしれない)本が喜劇の根本なのだが、しかし会話をしている本人たちはいたって真剣なのである。
「くそ! サインするんじゃなかった! 金返したら本返してもらえるかな?」
今頃封印という言葉の危険性を理解したテトに、ルルは悲痛に眉を寄せて説明した。
「多分無理ね……一度サインしちゃったし……もし返してもらえるとしても、倍返しは求められるかも。むこうは危険な本だって認識しているみたいだし」
一度正式に契約を交わした以上、やっぱり止めたから返してくれというのは通らない話だ。倍返しを求められても仕方のないことで、まして返還拒否ということもありえる。
大体、赤貧冒険者のテトに倍返しが出来るわけもない。ルルが金を貸すという選択肢もあるにはあるが、一攫千金の冒険者でもない一般人の彼女に、そこまでの資金があるわけもなく。定期的に本を買っているので、貯蓄はしていても、そんなに大層な金額を所持することもありえない。そもそも、ギルドが封印を決定したのならば、返還拒否の可能性が高くなる。
よって、倍返しをしてでも本を返してもらうという案は却下される。残った案は、本の危険性が皆無であるということを証明することだけだ。古刻語を読めるルルが本を読めば済むことなのだが、現在、渦中の本はギルドの中。二人の手元にはないのである。
「ルル、古刻語読めるってことはギルドか学院に登録してるのか? 登録してるのならそっちの関係から頼めないか?」
「え。う、ううん。してない」
「してないのか? じゃあなんで古刻語読めるんだ?」
テトの指摘はもっともだ。普通、古刻語は魔術師か魔法師にしか読めない。魔術師、魔法師のどちらかであるということは、魔術ギルドか魔法学院に所属している必要がある。
「独学」
「え! どうやって!」
「頑張ったの。この話はここで終わり! 古刻語が読めるかどうかは関係ないから!」
「いや、でも」
「関係ないの!」
あまり触れられたくない話なので、ルルは会話を逸らした。
「今大事なのは、どうやって本を取り返すか、でしょ?」
胸の内にあるのは本への愛情である。
そして、今の目的は不遇な本を救い出すこと。
現在の心境を表すとすれば、捕らわれの『おひめさま(ほん)』を救い出す『おうじさま(ほんマニア)』なのである。幻想絵巻の主人公になった心境だ。
「ギルドに真っ正直に訴える方法は駄目か……じゃあ、どうすればいい?」
「封印させないためには本が安全だと認めさせないといけないよね」
「でも本が手元にないと駄目だろ? 手元に持ってくるにはギルドから持ち出さないとならない……ギルドから持ち出すには向こうが納得しないといけない。でもむこうは本が危険だと思ってる。本を安全だと認めさせるには……って堂々巡りじゃないか」
「そうでもないよ」
テトの悩みをルルは簡単に断ち切った。自信が花開いたかのように瞳を輝かせて彼に顔を寄せ、ほかの誰かに聞こえないように囁いた。
「忍び込んで本のところに行って、あたしたちで調べるの」
「ちょっと待て」
「あ、本気で言ってるから」
制止しようとしたテトをあっさりと遮る。おそらく彼は本気かどうか問い質そうとしたのだろうが、ルルは先手を打って封じてしまった。
魔術師ギルドへ忍び込む。言うのは簡単だが、実行するのはとんでもなく難しいことだ。
テトは口をパクパクしている。魔術の心得がないので魔術師ギルドがとんでもないところに感じているのだろう。まぁ確かにとんでもないところではある。警備のゴーレムが何体も、平気で歩いているような場所なのだから。
「……死ぬだろ、それは」
呆然とテトが口にする単語は、あながち間違っていない。侵入者と知れたら、どんな魔術が飛んでくるか分かったものでもないのだから。
ただし、それは侵入者だと思われたら、の話だ。
「だから、あたしも行くって」
「は?」
「取引先の店員だよ、あたし。『古書の家』から来ました、買い取りの要請があって、とか言えば問答無用で追い出されることも、攻撃されることもないって」
ようするに、侵入者と思われなければいいのである。
「そういうわけで、今夜潜入するから、気合入れてね」
「今夜ぁ!?」
ルルの宣言にテトは悲鳴のような声を上げた。早すぎるとか言いたいのだろう。心の準備が欲しいのかもしれない。しかし、ルルはそんな必要はないと思った。
本の無実を証明するためにはちんたら準備している暇はない。そうこうしているうちに封印されてしまったらもう手は届かなくなる。迷いがどれだけの時間の無駄になるのか、彼女は知っている。ギルドはすでに本を封印することを決定した。時間をかけたらかけただけ、本の無実を証明する距離が遠のく。無実への距離がゼロになる前に、事を為しえなければならないのだ。
「早い方がいいのよ。ギルドはもう封印を決定しちゃってるんだから」
言い切る彼女に、テトは思案しているようだった。魔術師ギルドが相当怖いらしい。魔術どころか魔法の心得のない彼には無理のないことだとも思う。ルルだって怖い。
だが、本を救うためにほかの方法はない。そもそもほかの手段を探している暇もない。放っておけば、読まれないで放置される哀れな本が増える。調査して、万が一危険な本だとすれば、そのときは自分の手で処分もやむを得ないとも、ルルは考えている。
一応、本当に危険な場合のことも考えていた。即座に本を破棄するだけの覚悟も必要だと。
まぁ、『もし』『万が一』『百歩ゆずって』とかの形容詞がつくくらい、本の無実を信じてもいるのだが。
そこまでルルが考えたとき、テトも決心がついたようだ。
「よし、準備しておく。ルル、お前も覚悟しておけよ? 本当に危ない本かもしれないからな」
彼も似たような考えでいるようだ。危険な本だという可能性もあるのだと。
「覚悟はしておくけど、ないほうがいい覚悟だとも思うよ。本に悪いものなんてないって、あたしは信じてるから」
「俺もそう思いたいけどさ」
「うん。でも、まぁ、考えておこうね。そのときはあたしたちで責任持って破棄してあげよう? 本のために不幸になる人が出ちゃいけないと思うから」
「そうだな」
本を持ち込んだのはテトで、実際ルルは関係ないのだが、彼女はすっかり所有者の気持ちで言い切った。本を思う気持ちでは、彼女とテトに差はないのだ。
基本的には本の無実を信じつつ、もしものときには刑を執行する覚悟を持ち、その二点を使命感にまで昇華させ、ルルはテトと手を組み合わせた。
ここに、『魔術師ギルド潜入、謎の本奪還・あるいは処分』コンビの共犯関係は成立したのである。
……などと、大仰に表現したものだったが実際に入り込むのは簡単だった。
「『古書の家』から買い取りに来ました。あ、こっちの彼は手伝いです。本が多いとのことですので」
ルルが門番に説明しただけで通してくれたのである。彼女は出張買い取りにも来たことがあり、門番も知り合いだったのだ。
それに、魔術師という職についている人間は、宵っ張りまで研究に没頭していることが多く、その分朝が遅いことも多い。結果、夜遅くに資料が必要になることも多々あるので、ギルドもその点を考慮しているのだ。魔術師の中には、昼夜が逆転しているものも珍しくない。そういう魔術師が夜に買い取りや配達を依頼することもままあった。
テトが拍子抜けするくらい簡単なことだった。
「……簡単にいくもんだな」
あからさまにがっかりしている彼に、ルルは首をかしげた。
「何を想像してたの?」
「いや、塀登るとか、照明灯避けたりとか」
冒険小説とかでよくある、主人公がどこかの施設に潜入するときに、罠だらけの場所を危険ギリギリで突破するような展開を望んでいたらしい。本の読みすぎだ、と、キッパリと断言できるルルである。ギルドに照明灯なんてものは設置されていない。そんなものが設置されているのは、国家間の安全に気を使う飛空場くらいのものなのだ。
「照明灯なんてギルドにはないって。こんなところに侵入する人なんてほとんどいないだろうし。塀はあるけど、夜間は火炎の魔術が込められるっていう話を聞いたことあるから、ウッカリ登ると焦げるよ」
「そうか……登ると焦げるのか……」
告げられたテトはなんだか虚空を見つめて呟いている。どうもスパイ小説か何かと勘違いしているのかもしれない。照明灯に追いかけられたり、罠のある塀登りなどを体験してみたかったのか。運動神経の良いテトなら潜り抜けられるかもしれないが、ルルにはとてもじゃないが無理な話だ。
「照明灯は飛空場にならあると思うよ。今度行ってみたら?あたしは行かないけど」
「……見学になら行ってみたいけどなぁ、忍び込んだら魔術か魔術具で射殺されそうだから行かない」
「そうだね。忍び込むのは危ないよ」
のうのうとそんな会話を交わしながら、ギルドに入り込んだ二人である。
やっとこ忍び込みましたw