一章・新しい本見つけた!・3
事件はその二ミール後(二日後)に起こった。
テトが翻訳を頼んでいたギルドの魔術師が行方不明になったのだ。
しかも、その魔術師が使っていた部屋が凍りついていたとのこと。そして、部屋の中のありとあらゆる物が凍っていたにもかかわらず、例の本だけが凍り付いていなかったと言う。
これは本に何かあるのではないか。大体、古い遺跡の中にあったもので、ほかの本が傷んでいたというのに、この本だけが無事だったと言うのはおかしいのではないか。
何らかの魔力が込められているのではないかと、厳重な調査が行われることになった。本をギルドに持ち込んだ本人のテトも、話を聞かせてほしいと呼ばれ、いくつかの質問をされた。
拾った場所、保管されていたところの状況、持ってきたときに何か異常を感じたか、等々。
テトは正直に説明した。彼が持っていたときには異常は感じなかったのだ。中も見てみたが、古刻語で書かれていたので読めず、すぐに閉じた。あとは本が傷まないように大事に持って帰ってきただけだ。冒険を一緒にした冒険者たちにも何か感じなかったかと尋ねてみたけれども、彼らも特に異常を感じてはおらず、同行した魔術師など、あの本そんなに特殊なものだったの? と目を丸くしていたくらいだし、本当に気がついていなかったのだろう。
数ミール様子を見てみたが、行方を絶った魔術師が戻ってくる様子はなかった。ほかに姿を消す要因はないのかとギルドの方もあちこち調べているようだ。見通しは明るくないらしい。
本は厳重にしまいこまれてしまい、いつ戻ってくるかも分からない。読めるのはいつのことになるのだろうと、ルルとそんな話をしていた日の午後、再び事件は起きた。
行方不明になっていた魔術師が、大ヤケドを負った状態で発見されたのだ。
しかも、問題の本がしまいこまれていた部屋の中で。
発見者の話によると、いきなり轟音が響き、鍵のかかった室内から炎が噴き出したのだという。火の気など何もない部屋で、まるで魔術が炸裂したかのような轟音だったらしい。しかし、当時その部屋には誰もいなかったのだ。魔術が暴発するような品物も置かれていなかった。
怪しいものといえば、例の本だけである。
室内の物は以前凍っていたときと同じように燃え尽きていたというのに、本だけは無傷。
そして、その本の横に魔術師が倒れていたらしい。幸い、魔法が間に合ったので命に別状はないとのことだが、意識はなく、うなされているとの話だった。『カニ……』とか『イカ……!』とか『タコ怖いぃ』とか。
何故海産物なのか本人に問いただしたいところだが、意識が戻らないとどうにもならない。怖い状況である。本に原因があると考えて不思議はない。魔術師ギルドでは因果関係を突き止めるために本格的に本の調査を開始したようだ。
「で、いつ読めるの」
昼食を取ってから、いつものように店に来たテトを捕まえて、ルルは憮然と問いかけた。人が大怪我をしたことも気になるが、より以上に本が読めるかどうかが気になるのだ。
「俺が知るかよ……俺のほうこそ知りたいよ! 俺の本!」
テトも憮然と答える。彼のほうも魔術師ギルドにしょっちゅう呼び出されてうんざりしているのだ。本を持ち込んだのだからと事情の説明を求められているらしい。
何度呼び出されても、彼のほうも同じことしか答えられない。
遺跡の奥で拾った。ほかの本に比べて保存状態が良かったので持ち帰った。古刻語だったから中身は読めなかった。持っている間に異常は感じなかった。ちらっと目を通しただけで後はギルドの人に翻訳を頼んだ――と。
早く読みたいのに、どんな内容かも分かないまま、事情を聞かれるだけの毎日。
「ルルに預けて置けばよかった……」
がっくりとうなだれるテトに、あわてたのはマイヤーだった。ルルは立派にこの店を支えてくれている。彼女にもしものことがあったら店としては死活問題になるくらいに、彼女の存在はなくてはならないものになっているのだ。
「止めてよテトくん!?ルルちゃんがケガした魔術師みたいなことになったら、ウチの店終わるでしょう!」
「あ、そうか、ひと一人ケガしてるんだ」
本に夢中で忘れていたが、ケガ人がいるのだ。何が原因かまではまだ分からないが、ケガ人が出ていることは変わらない。
「呪われてる本なんだよ、きっと」
「え、でも、俺、触って持って帰ってきましたけど、なんともないですよ? パーティー組んでた連中も元気だし」
マイヤーは真剣そのものの表情でそんなことを言った。本を持って返ってきたテトが、意外そうな表情で言い返す。中年に両足を突っ込んでいるマイヤーが幻想物語のようなことを言い出したのが意外だったようだ。魔術や魔法、あげくに妖精や亜人種族が存在していても、『呪い』などというものは、この世界のどこにも確認されていない現象、物語の中だけの話なのだ。夢と同異義語なのである。真剣に口にしたところで魔法師のところに担ぎ込まれるのがオチだ。
「そうだよね。本が原因なら、持ってきたテトたちがなんともないのも変だよね。なんでだろ?」
本が呪われているのならば、持って帰ってきたテトたちが真っ先に餌食になっているのではないだろうか。ルルはそう考えた。しかし、テトもほかの冒険者たちもピンピンしていることを知っている。テト以外の冒険者たちは気味悪がって隣町へと移っていったが、行きつけの古本屋があるテトはこの街を動く気など毛頭ないらしい。おそらくはルルの存在も理由の一つだろう。同じくらいの本好き、本マニア。いわば同士。深いところまで話し合える仲間を持つというのはとても幸せなことである。
そこにほかの理由があるかどうかは、テトにしか分からないことなのだが。
「読みたいな……テト、返してもらえないの? あたし、読んであげるよ?」
テトの心境よりも本の中身が気になるので、ルルはまっすぐの彼の目を見た。持ち主はあくまでもテトなのだ。彼がギルドに返却を求めればなんとかなるのではないか。
彼女の言葉を聞いて青ざめたのはマイヤーだ。
「やめなさい、ルルちゃん。大ケガどころか死んだりしたらどうするんだ」
「店長、本と言うのは人のために書かれるものなんですよ? 人に害なす本なんて存在しません」
ルルは平然としている。自分の信念に自信を持っているのだ。本に罪はないのだと。
「いや、だって、魔術の本って結構危ないものもあるって聞くじゃないか。ほら『リンドブルムの魔本』なんて人の生き血を吸うって伝説があるだろう?」
マイヤーは真顔で子供たちが道端でウワサする話の一つを例に上げる。いわゆる、誰が言い出したかも分からない話=嘘か本当かも分からない話というやつだ。
「あれはただのおとぎ話です。現物確かめた人いないじゃないですか」
「確かめた人は皆死んでいるからだよ」
マイヤーは心底から信じているようだった。純粋といえば純粋な人なのである。そのおかげで思春期の双子の娘から『おとうさんの下着と一緒に洗濯しないで』とか言われて、必要以上に傷ついているらしいのだが。
「なんで死んでるって分かるんですか? それも誰かが確かめたんですか。大体、当事者がどこの誰かも分からないのに死んでるって、変な話でしょう」
ルルの正論に、マイヤーも短い間考え込んで、彼女と同じ結論に達したようだ。渋い果実をかじったときのような渋面で頷く。
「……そういえば、そうだね」
「そうですよ。ウワサなんてあてにならないんです。本に危険なものなんてありません」
「でも、今回は本当に人がケガをしているよ?」
その一点にすがるように、マイヤーは話を続ける。どうしてもルルにあきらめてほしいらしい。彼女の身を心配していると同時に、彼女に何かあったら『古書の家』にも滅亡の危機が訪れかねないと危惧しているのだ。ルルがいない『古書の家』は、ほかの店に接客に劣る可能性が出てくる。
「本のせいとは限りません。ほかの原因かもしれないでしょう?決め付けるのは早いですよ」
すがるかのようなマイヤーの意見をばっさりと切って捨て、ルルはテトの袖を引いた。
「そういうわけで本、引き取ってきてよ。あたしが読んでみるから」
「何がそういうわけなのか分からんけど、言ってはみるよ。でも期待するなよ?」
「なんで。あんたの持ってきた本じゃない。所有権はテトにあるでしょ」
「そうだけどさ。ギルドは目の色変えて調べようとしているからなぁ」
テトはあまり気乗りしないように見えた。おそらく、『危険かもしれない本』ということで知人を巻き込みたくないという意識が働いているのだろう。
もし本当に本が呪われていて、ルルがそれに巻き込まれたのなら、テトはとてつもない後悔を背負い込むことになりかねない。
ルルはそこまで感じ取ったわけではないが、テトが気分的に奪還に乗り気でないことは理解した。なので、一番効果的な言葉を口にする。
「返してもらったら翻訳料も返ってくるかもよ」
「行ってくる」
案の定、テトは即答した。ルルも心に学習する。赤貧冒険者には金額のことを口に出すのが一番だ。貧乏テトは次に買おうともくろんでいた本を棚に戻して店を出て行った。彼の後姿を見送って、ルルは満足げに頷き、仕事に戻る。
「ルルちゃん、テトくんの動かし方を心得ている……」
マイヤーがそんなことを言って苦笑していたことを、テトは知らない。多分、知らないほうが幸せな人生を送れることだろう……。
肩を落としたテトが戻ってきたのは、そろそろ日が暮れるかという時刻だった。消沈した彼の様子から、本は戻ってこなかったのだと予想はできた。しかし、ルルは見逃さなかった。
「テト」
「なんだよ」
「フトコロが妙に膨らんでいるように見えるけど、どうしてかなー?」
指摘に、彼は身を硬くした。表情は明確に強張っている。それでも彼はどうにか笑みを浮かべようと努力しているようだ。
「ななな、なんのことかな」
……どもっていては意味がないと、本人は気がついているのかどうか。ルルは軽く息をついて彼を眺めてやった――法廷に立つ糾弾者のような気分で。
言葉を口にはしない。この場合、無言の追及こそ自白を促すだろうから。
容疑者はしばらく黙秘権を行使していたが、呼吸を十繰り返す頃には耐え切れなくなったようだ。
「……あのな、ダメだったんだよ」
ルルから視線を逸らして小さく言う。
「行ったら、いきなり偉い人が出てきたんだ……」
出迎えた人物はエルフ族で、しかもギルドのトップに近い導師だった。彼は名をアルジャード・ゲオと名乗り、テトの申し出は受け入れられないと苦い表情で答えたのだ。
あの本はテトが発見し、所有権はテトにある。自分の所有している品を返してくれないのはおかしい、どういう理由で返してもらえないのか説明してくれと訴えると、アルジャードは苦い表情を更に渋くして答えた。
更に行方不明者が出たのです、と。
聞いた瞬間テトは目を点にした。点にするしかないだろう。
また行方不明者が出たのだという事実は、驚愕に値する。マイヤーが口にした『呪いの本』という単語が、零下の冷たさを持って脳裏に飛来した。
アルジャードは淡々と事実の説明をしてくれた。
今回行方不明になったのは魔術師二人。一人は序導師。これは見習い、魔術師を経て、それなりの功績を持つ魔術師に与えられる位だ。要は中級くらいの実力はあると見て正しい。
もう一人はまだ見習いで、魔術を扱えはするものの、一般人に毛が生えたくらいの実力しかない。序導師の補助的役割――要は雑用係――で一緒に部屋に入っていた。彼らは兄弟弟子で、ともにアルジャードに師事していた。これが見習い魔術師一人だけなら、勉強か修行がイヤになって逃げ出したと思えるのだが(実際、その見習いには脱走の前科があるらしい。もっとも、すぐにバレ、あっけなく戻ってきたとの話だ)序導師の位を持つ魔術師も一緒だったことで、脱走の可能性は低くなる。兄弟子と一緒に逃避行なんてお寒いことではない証拠に、本の周りには直前まで彼らがいた痕跡が残っていた。散らばった書類、彼らの私物……そして、部屋のドアには鍵がかかっており、さらに外には警備していた者もいたのだ。
警備は彼ら二人が部屋を出るところを見ていない。それどころか不審な音も声も聞いていなかった。
魔術師二人は閉め切った部屋から消えたのだ。
本当のことなのか、と、テトは思い、その旨を正直に口にした。アルジャードの返答も困惑して疲れきったものだった。消えたのはアルジャードの弟子なのだ。導師としても困りきっているのが目に見えたので、テトも強くは申し出られなくなった。真剣に呪いの本なのかと疑い始めたというのもある。本が原因ではない可能性もあるが、本が原因でないとも考えづらい。
密室のような室内で魔術師たちが消え、残ったのは彼らの私物と、怪しい本。
疑うなという方が無理な話だ。
ギルドでは本を封印することを検討し始めたとアルジャードは言った。その場合、ギルドが本を引き取ると言う形になるので、テトには正当な報酬が支払われるとも。
赤貧テトが反応しないわけがなかった。
一応、それでも食い下がることはした。本を手放すことに迷いもあったからだ。ケガ人に加えて行方不明者が計三人。危険な本なのかもしれないが、内容がどんなものかも知らないのだ。
古刻語で書かれていたので題名すらテトには読めなかった。本好きとして、心残りは山盛り大盛りてんこ盛りである。せめて題名がどんなもので、あらすじも理解でき、自分好みの内容ではないと言うのならば、手放すのも一瞬で覚悟が出来たのだろうが。
テトに収集癖はない。本自体を手元に置いておきたいとは思わないのだ。そもそも、宿暮らしで大量の本を手元においておくことが不可能なのだから。
本の内容を知りたいと彼は要求したのだが、アルジャードは更に困惑を深くして返答した。直接調べたのが自分ではないのでなんともお答えできませんと。
上に立つものとして責任者はアルジャードだったらしいが、実際に研究をしていたのは下の人間だったらしい。それも至極当たり前の話だ。
普通、何のコネもない冒険者が持ち込んできたものを、いきなり導師が調べることは、まず、ない。下っ端の魔術師が調べ、そこで判明しなかったら実力が上の者、と順序だてて調べていくのが流れだろう。今回も例に洩れず、下っ端の魔術師が調べて行方不明になり、いきなり戻ってきたと思えば大怪我を負って意識不明。もっと実力のある魔術師が助手と一緒に調べようとして、また行方不明になったのだ。
やはり本に何かあるのか。何よりケガ人が出ていることが怖い。内容を知らないまま手放すことは苦痛に近いが、ケガをしたり行方不明になるよりはマシだろう。
テトはそう判断した。本はアレだけではないのだ。ギルドに売り渡したお金で、もっと魅力的な本を買えばいい……。
アルジャードに説明されるまま、テトは書類にサインした。
あーあ、サインしちゃった(他人事のようにw)