エピローグ・理解、納得、苦笑い
見覚えのある七色の煙が漂う空間に、ちらちらと瞬く光が眼前に浮かんでいる。
本の精霊が姿を現したのだ。どこかで様子を見ていたと思わんばかりのタイミングの良さである。
「文字喰い、倒したみたいなんだけど……あれで良かったの、かな?」
消しゴムで。
ルルは小さく問いかける。アレで倒したといえるのか、正直言えば自分でも疑問だ。
「あのぅ……戦ったのテトさんで、倒したのルルさんだけど、ぼくたちも帰してもらえる?」
何の活躍もしていないとオルトがおずおずと問いかけた。
『はい、ちゃんとお帰しいたします。文字喰いの脅威はなくなりましたから……消化される前だったようで、文字たちも元に戻りましたし……登場人物以外の方に残られても困りますので』
細く精霊はそう言ってきた。ルルはちょっとだけ苦笑した。無事に帰してもらえるようである。要約すると『もう要らなくなったので帰れ』と言われているのだが、そのことに気がついているのは彼女だけのようだ。慇懃無礼な精霊である。
「でも、たまたまルルで良かったよな。なんてったって消しゴム持ち歩いているヤツなんてそうはいないぞ」
テトは疲れた様子で、それでも笑っていた。やはり帰れることが嬉しいのだろう。
たまたま仕事帰りで、ルルのエプロンに消しゴムが入っていたから、文字喰いを逃さずに倒すことができた。消しゴムがなかったら確実に逃げられて、さらなる放浪を続けていたことだろう。
「うーん、でも、たまたまだったの? あたしが消しゴムを持っていたから引き込まれたってことはない?」
精霊が人を引き込む基準が分からなかった。魔術師だけが引き込まれているかと思いきや、テトも一緒だったのだから。
『はい、たまたまです。私は、私を読める人しか引き込めないものですから……』
古刻語で書かれた本。だから古刻語を読める人しか引き込めない。そう説明されてルルはテトを見た。本を持ち込んだのは彼なのに、彼一人のときに異常は起きなかった。古刻語が読めなかったからだ。
「でも、あたしと一緒にテトが引き込まれたのは? どうして?」
『近くにいたからです……』
聞いてみれば謎もなかった。たまたま古刻語が読めるルルの近くにいたから、テトも引き込まれたのだ。偶然ではあるが、テトが一緒でなかったら文字喰いのところに辿り着く前に力尽きていただろう。何せルルは暴発魔術師であり、暴発魔法師。文字喰い以上に危険なのだ。
「テトがいなかったらここまで来られなかったよ。ありがとう」
「いや、こっちこそ。ルルがいなかったら文字喰い倒せなかっただろうし」
テトは暴発に巻き込まれたことを水に流してくれたようだった。
「それにしても、古刻語を読める人しか引き込めないとは。ヘタをすると魔術師か魔法師しか引き込めなかったのでは……?」
ニズの呟きはもっともだ。魔術師か魔法師以外で古刻語を読める者など、それこそ学者などの専門家で、戦闘など論外の人物ばかりのはず。
「偶然でもテトさんがいてくれて良かったよね、ニズ先輩」
「ええ、本当に」
魔術師二人の実感がこもった会話に、ルルとテトは苦笑した。魔術を封じられた魔術師が、文字喰いに対抗できるわけがない。実際にニズとオルトのコンビだけだったら、途中で力尽きていたはずだと明確に想像できる。最初に大ケガで発見された魔術師のように。
しかし、本の天敵、本マニアの宿敵である文字喰いは倒れたのだ。本の世界の平和は守られたのである――暴発と消しゴムによって。
「さ、これで本も大丈夫だよね? あたしたちを元の世界に戻してくれる?」
『はい、本当にありがとうございました。これで私は消えずに済みました……後世に知識を残していけます』
光が強くなる。文字喰いの影響から抜けて、精霊は完全に力を取り戻したようだ。
「……後世に、残すのか? この本……」
テトの呟きがルルの耳を打つ。彼の言いたいことも分かる。最後まで本の内容が予想できなかったのだから、ルルも同感だ。話の破綻具合に内容の見当もつかないままだ。かなりのジャンルがごた混ぜだったが、あれは文字喰いが存在していたせいなのか。はたまた本の著者に力がないせいなのか。
「どんな内容でも、あたしは帰ったら読むよ」
「そうだな、俺も読みたい。というか、読む。こんな思いまでしたんだから、絶対読む。必ず翻訳してもらうぞ」
とんでもない目にあったばかりだが、それでも読む気は満々だった。
スジガネ入りの本マニア、ここにあり。
本の中に入ったときと同じような感覚のあと、ぱっと視界が切り替わった。足元にはしっかりとした床の感触がある。
「! 人が湧いて出た!?」
「き、君たち、一体どこから!?」
「ああ! ニズにオルト!?」
いろんな声が周りからした。きょとんとして周囲を見ると、数人の男性が立っている。その中の一人に、ルルは見覚えがあった。
「あ、あはは……やほー、アル兄……」
耳のとがったエルフ族の男性は、ルルの呼びかけにハッとした。
「その呼び方……髪と目の色……もしや、ルル嬢!」
「お久しぶりー……は、八トームぶり、くらい?」
力なく笑うしかないルルだ。テトからアルジャードの話は聞いていたが、本人に出会わないうちに事を運ぶつもりでいたのだ。
「え、ルルさん師匠と知り合い!?」
オルトが目を丸くしている。ニズも同様で、テトも同じく。
「何を言っているのです、彼女は私の師の娘で、類まれな才能の持ち主だった子――というか、ルル嬢! 何故こんなところに!?」
「いやあの、なんというか、ほら、本の話を聞いちゃったから……放っておけなくて」
えへっと笑顔を浮かべると、アルジャードは額を押さえた。多分、状況の把握に必死なのだと思う。真面目で、そのために損をするような人だと知っているから、余計に知られたくなかったのだが。
「ええと、アル兄? この本、もう無害だから」
とりあえずこれだけは言っておかないといけない。ほかのことは二の次だ。とにかく本の精霊と文字喰いのことを説明した。これを説明しておかないと本が封印されてしまう。床には、ルルたちが部屋に入ったときにはなかった仰々しい魔術陣が描かれている。封印の儀式の寸前だったのかもしれない。ちなみに、壁は凍り付いていたり傷がついていたりした。おそらくニズとオルトが本の中で使った魔術が放出された影響だろう。
ケガ人が出たのは確かだが、それは本のせいではなく、文字喰いのせいだと言える。文字喰いさえいなければ精霊が人を引き込むことはなく、誰かがケガをすることもない。
「文字喰い……そんな怪物が存在するのですか……」
アルジャードは本に目を向けた。ルルも見る。何の変哲もない古刻語の本に見えるこれに、精霊が宿っているのだ。
「本の精霊がいるんだよ、これは! とても貴重な本でしょ? 封印なんてしたら勿体ないよ!」
ルルは本を抱きしめた。せっかく守り抜いた本、封印なんてされたくない。
「貴重な本であることは保証しますよ、師匠。何せ精霊が本の中に引き込むことができるのですから。古刻語を読める相手限定ですし、文字喰いが滅んだので、今後誰かが引き込まれることはないと思いますが」
ニズがそうフォローしてくれた。強引に引きずり込まれたとは言わない。
「本の中の世界を楽しめた、よね」
オルトは微妙な表情でなんとか言ってくれた。
「あー、文字喰いが滅んだ今は、ただの古刻語の本、ですよ」
テトがそう締めくくる。
「それより、ルル、アルジャードさんとどういう関係なんだ?」
彼はそっちの方が気になるようだ。ルルはあわてた。あわてる理由は、ひとつ。知られたくないことがあるからだ。
「いやその、あたしは別にそんな」
「彼女の父親が私の師匠なのですよ。ルル嬢も類まれな資質を持っていたので、最年少の賢者になるだろうと思われていたのですが」
「「「賢者ぁっ!?」」」
その場の、ルルとアルジャード以外の全員の声が驚きに重なった。
「あ! 思い出しました! ルルさんの苗字、ホートントでしたよね!? テッサーラの天才ギルド長が確かホートント氏で、師匠の師匠で……ということは、ルルさんは天才の娘さん!」
ニズの声が耳を打つ。賢者。魔術と魔法の双方を扱うことのできる特別な存在・帝国辞書より――ルルの頭の中をそんな単語がよぎる。
ちょっと現実逃避をしたくなった彼女に、アルジャードは沈痛な表情だ。
「ルル嬢……暴発は治りましたか?」
「……その話はまた今度!」
勘弁して欲しい彼女は自分に関する会話をそこで打ち切った。
「アル兄、ちょっと読んでみていい?」
強引に本に話題を移す。ひとまず封印は免れたようなので、少し安心した。本来の目的はこの本を読むことだったのだ。アルジャードは彼女の気持ちを汲み取ったのか、軽く息をついて話題を変えてくれた。そんなエルフを見るテトの目がちょっと怖いのだが、ルルは気がついていない。
「開けて大丈夫なのですか?」
「多分大丈夫。読んでもいい?」
「私が読みますから貸してください。危険があるかどうか確かめたいですし」
「やだ。あたしが自分で読みます」
手を伸ばしたアルジャードを拒み、ルルは自分で本の題名に目をやった。
「……題名は?」
かなり機嫌の悪くなったテトの声に、どうしたんだろうと首を傾げつつ、ルルは本から目を離さない。表紙に書かれた文字を目で追い、しばらく。
「……あー……もっのすごく納得……」
思わず、呟いた。題名を読んであらゆることに納得がいった。
「なんだよ、どういう内容なんだ?」
テトが覗き込んでくるが、彼には題名は分からないだろう。ルルは微笑んだ。多分自分の目は笑っていないだろうなと感じながら。彼女は分かりやすいように、ゆっくりと発声した。
「……『全ての本好きに送る――今年のベストセラー百五十選! 天暦二百四十四年度版・上巻』だって」
室内に、沈黙が落ちる。気持ちが分かるので、ルルは周囲をそっとしておいて、本をめくり、目次に目を通してみた。
『幻想絵巻ならこれを読め!』とか『推理小説ならこの本!』とか『読んでうっとりできる恋愛ものはこれがいい!』や『ゾッとしたいならこのホラーがおすすめ!』などのほか『子供に読ませたい絵巻ならこちら!』などと各章のアオリ分が書かれている。
さらにページをめくってみた。
作者とタイトル、あらすじなどが簡単に紹介されている。流して読んでいくうちに、どこかで見たような内容が目に入った。
『ドラゴンにさらわれた姫君を、勇者が助けに行くという斬新な内容。荒削りだが好感の持てる文章。作者のこれからに期待できる』と、いうもの。
斬新。とてつもない違和感を与えるその単語だが、表紙の年号を思い出して納得した。天暦二百四十四年……今から五百年以上昔である。
使い古されたような内容が続いていたけれども、五百年以上昔なら、きっと斬新で、他にはない内容だったのだ、多分。
「確かに……五百年以上昔ならあんまり存在してない内容だったんだろうなぁ……」
「なぁルル、本当にそういう題名なのか、それ?」
「うん」
テトの疑問ももっともだが、ルルは書いてある題名をそのまま口にしただけだ。さらにページをめくってみると『良家の娘と恋仲になった怪盗の話』や『呪われた屋敷』とか『密室殺人』や『大きな○(虫という単語が入っていたのだが、彼女は意識から飛ばした)に襲われる子供』など、身に覚えのある話が並んでいる。『イカ・カニ・タコ・三匹の争い』とか言うのもあった。最初の魔術師が出くわした話はこれかもしれない。昔話のようなあらすじだったが、魔術師がうなされるほどの脅威な海産物になっていたようだ。ルルたちが出会うことはなかったが、ちょっと気になる。海産物相手にヤケドを負ったのも不思議だ。
「……本の中歩いてたときはいろいろ混ざってたのに……これ、全部別の話だよ」
どれひとつとして重なっている話はない。悪い魔法使いと密室殺人の話は別で、良家の娘と怪盗、呪われた屋敷、大きな○もそれぞれ別ものだ。
「なんで混ざってたんだろうね? やっぱり文字喰いがいたからかな?」
本を閉じて、彼女は苦笑する。
「でも、今考えると混ざっていた方が面白かったかもしれない」
メチャクチャな世界で、次の展開の予想ができなくて振り回された。使い古された王道ばかりの話よりは、こんなメチャクチャな話のほうが面白かった――と、言えそうだ。
ただし、体験ではなくて読んでいたのなら、本を投げ捨てていた可能性もあるが。
「こんな昔に、誰がこんな本書いたんだろ」
苦笑しながら、ルルは本の著者名――正しくは編集者名を読んだ。
そこには。
「……うそ」
「? ルル?」
「これが……ひょっとして……『アウローラ』ぁっ!?」
「何ぃっ!?」
テトも絶叫する。
古刻語で編集者名に明記されているのは、アウローラという単語。
絶叫して、その中でなんとなく思い出すのは、最初に本を目にした瞬間にどこかで見たような、と感じたことだった。『アウローラ』の外観、表紙の装丁などは知られている。ルルも話でだけ知っていた。
だから、『どこかで見たような』気がしたのだ。実際には見たことがなく、けれど知っている本『アウローラ』。
伝説の本は、古刻語で書かれ、本の精霊が宿る、五百年以上昔の本の紹介本だった。
それは誰も手元に置いておかないはずである。資料としてなら価値はあるが、本としてはあまり魅力を感じないから、だろう。
がくりと、ルルは膝から力が抜けるのを感じた。彼女と同じようにテトもへたり込んで床に手をついている。
「あの、お二人とも、大丈夫ですか?」
「テトさん!? ルルさん! どうしたの!?」
「……そっとしておきなさい、二人とも」
ルルの本マニアっぷりを理解しているアルジャードだけが、落ち着いていた。
魔術師ギルドに不法侵入したことは、幸いにも、ルルが偉い人のアルジャードと知り合いであり、さらに本の謎を解いたことで不問になった。ニズとオルトとアルジャードに玄関まで送ってもらい、ルルはテトと二人で帰路についた。
「本、ギルドの図書室に置いてもらえるみたいで良かったね」
「そーだな……」
『アウローラ』は封印を免れた。精霊がいるということでもう少し研究はされるだろうし、伝説の本と名高い『アウローラ』かどうかの確認作業もある。装丁からして、あの本が『アウローラ』なのはまず間違いないだろう。それが済めば普通に図書室に置かれるとアルジャードが保証してくれた。
「内容分かってよかったけど……なんだろ、この虚脱感……」
古刻語の本だからと、期待しすぎていた感がいなめない。昔の本なのだ。流行り廃りは今現在とは違うのである。
「ところで、ルル。賢者目指してたのか? だから古刻語読めたんだな? ひょっとして忍び込んだときのゴーレムも魔術か何かでなんとかしたのか?」
ヤッパリ聞かれた、とルルは肩を落とす。答えたくないが、仕方ない。
「……そうだよ……」
「そうか……なぁ、なんで賢者を目指すの止めたんだ? すごいエリートじゃないか」
「見て分かったでしょ。暴発するから」
彼女の説明に、テトはおそるおそる、それでも尋ねてきた。
「……昔からそうなのか……?」
「昔はそうじゃなかったよ……ちょっと、ある馬鹿のせいでね、魔術と魔法が嫌いになっちゃったの。それから」
昔は学ぶのが楽しくてしょうがなかった。
今は魔術も魔法も嫌いだ。そもそも、使うのが嫌いだ。
「何があったんだ……?」
「賢者なら誰でもいいって言う変態男にプロポーズされまくったの」
「へ」
「要するに、変態につきまとわれて、魔術も魔法も使うのがイヤになったの。分かった?」
「……ハイ」
多少据わった目で言うと、テトはおとなしく頷いた。さすがにそれ以上は聞いてこなかったので、安心したルルである。そのまま、しばらく無言で帰り道を歩く。
「でも、まぁ、面白かったね」
隣を歩くテトに、チラリと目をやる。
「お? あ、おう」
「内容も分かったし、精霊の存在も知ったし」
ふ、とルルは微笑み、空を見上げた。柔らかく輝く月の姿がある。月を瞳に写しながら、ルルはこの上もなく怪しく笑った。
「考えてみて。精霊はあの本だけとは限らないでしょ。ほかにもいるかもしれない。もし、ほかにもいたら今度は……!」
「は! そうか! 精霊は本を守ってくれるんだったな!」
「そう!」
本を守ってくれる精霊を、自分の部屋に招くのだ!
「もう一人、いえ、あたしとテトと店の分で三人! 見つけるの!」
「おう!」
同じように握りこぶしを空に突き上げ、二人は声を上げて笑った。
「うるせぇぞ!」
途端にどこかの酔っ払いに怒鳴られ、揃って肩を跳ね上げ――それから吹き出した。抑えて笑いながら歩く。
テトは宿、ルルは借りている部屋。テトは彼女を家の近くまで送ってくれた。
「じゃあね」
「おう、また明日な」
ごく普通に挨拶して別れた。
明日、ルルはいつものように出勤して、テトはいつものように手伝いに来るのだろう。
彼が本を買い、たまに値切ろうとして、自分はそれをにこやかに断る日常に戻るのだ。
また、新しく面白そうな本を見つけるまで、そんな風に過ごすのだ。
アーカイブスにある、伝説の古本屋『古書の家』。お人好しでもアメとムチの使い方を心得ている、人脈の広いマイヤーおじさんが経営している古本屋。
訪れたとき、店主がいなくてもがっかりすることはない。きっと、店の中に詳しい、ぶっとい三つ編みのそばかす少女がいるのだから。
店先に、手伝っている貧乏くさい冒険者の少年もいるかもしれない。
時々、魔術師の青年と少年も立ち寄るようになったはず。エルフの青年も来るようになっただろう。
アーカイブスの古本屋は、明日もきっとにぎやかだ。
この上もないくらい本が好きな少女と少年が、伝説の店を支えているのだから。
これにてアーカイブスの本マニアは完結です。アホ話にお付き合いありがとうございました。ほんまにあほな話でしたね;




