一章・新しい本見つけた!・1
古本屋『古書の家』。晴れても曇っても雨が降っても、店番をしているのはルルだ。今日も彼女はいつもの時間に店を開け、カウンターで本の手入れを始めた。ちょっとしてから店主のマイヤーが顔を出し、おはようの挨拶を交わしてから、こう言った。
「引越しをするお宅が本を買い取って欲しいっていうから、行ってくるよ。その間店番頼むね、ルルちゃん」
「はい、分かりました」
にこやかに返事をし、ルルはマイヤーを見送った。店番を任されるのは慣れている。ここに勤めだして早一トーム(=一年)。今ではよほど専門的な本でなければ、買い取りも出来るようになった。専門書はまだマイヤーの知識に及ばない。その辺りもしっかり学ぼうと思っているルルだ。アーカイブスに訪れて一トーム。こうして古本屋の店員をしているのも悪くないと思い始めているけれど、当初の目的を忘れてもいなかった。
彼女がこの店に来た目的は、一冊の本だ。遥かな過去、古刻時代と呼ばれる古代に存在したという、伝説の書。
実在は確認されている本で、数年前に『古書の家』で取り引きされたというところまでは確認していた。
その本は『アウローラ』と呼ばれている。どんな内容なのか、持ち主は決して語らず、そして手放している本。ひとつ所に留まらない本。題名からして古刻語で書かれており、一般市民では読めないシロモノだ。
古刻語を不自由なく読めるのは魔術師か魔法師と相場が決まっている。一般生活には必要ないものだからだ。古代の魔術知識、魔法知識に研究熱を燃やす魔術師たちにしか意味がないものなのである。
それでも、ルルは『アウローラ』を読みたいのだ。次々と持ち主が手放す本を、読んでみたくてたまらない。
実際に取り引きをしたマイヤーも『アウローラ』と知らずに取り引きしたらしい。一般市民の店主は古刻語が読めないのだった。魔術師や魔法師とも『古書の家』は取り引きがあるが、取り引き自体に古刻語が読めるかどうかは必要ない。古刻語で書かれているというだけで高く買おうとするマニアもいるのだし、マイヤー自身は特に困ったことがないので、古刻語を勉強する気もないらしかった。はんぱでなくコネが広いので、古刻語を知らなくてもやってこれたと言うのもあるのだろう。
『アウローラ』を扱ったという自覚もなかったようで、一トーム前『古書の家』を訪れたルルが『アウローラ』のことを尋ねると、マイヤーは奥さんと一緒に笑ったものである。
伝説の本を扱ったことがあったら、帝都ゴールゴーディアの図書館みたいに大きな店にしているよ、と。
ところが、実際に知られている本の表紙などをルルが説明すると、確かにその本を取り引きしたと思い出し、マイヤーは青くなった。普通の古刻語の本相場で売ってしまったのだ。それでも半トームくらいの収入に値するくらいの値段ではあったが、物が『アウローラ』となると、その数倍から十倍は取っても良かった。青くなったマイヤーだが、そのうちあきらめた。 半トーム分でも大きな収入に変わりないから良かったと、前向きに考えたらしい。おっとりした性格がここに出ている。これでよく伝説の古本屋といわれるほど、のし上がったと思ったルルだ。
しかし、はるばるアーカイブスにまでやってきた彼女としてはあきらめきれない。手がかりも『古書の家』で最後だったのだ。あきらめたらここまでの努力が無駄になる。ちょうど人手を募集していたマイヤーに頭を下げて、雇ってもらったのである。最後に取り引きされた場所ならば、また誰かが売りに来るかもしれない。近くにマイヤー夫妻のコネで部屋も借り、今は一人暮らしをしている。趣味と実益と生活を兼ねた職なのだ。天職といえば天職だろう。本好きから見ればヨダレの出そうな環境だ。
本好きそのもののルルとしては夢のような生活である。問題は、油断すると給料が飛んでいくと言うところか。しかも、給料をもらっている勤め先に消えていく可能性が高い。食費を削るか、本代を削るか……悩んだことも実は一度や二度ではない。日給は三千リンで、一リーフの収入は約七万八千リン。一人暮らしには何不自由ない収入なので、本さえ無理に購入しなければ立派に生活できる。無理に購入しなければ、の話なのだが。
本マニアにはなかなか難しい話だ。実は昨日も気になる本を見つけてしまい、買おうかどうか迷っていたりする。給料日まではまだ遠く、ちょっと決心がつかない。
常連の誰かさんのように取りおきを頼もうかと悩んでいると、その常連の誰かさんが来店した。
「いらっしゃい、おはよう」
「はよ。今日は何か手伝うことあるか?」
「うーん、今店長が買い取りに行ったから、それまではいつもどおりかな」
「買い取り? どこで? どのくらいだ?」
どんな相手で、どのくらいの量なのか、どんなジャンルの本なのか、気になるらしい。そのあたりはルルとしても気になるところだが、マイヤーが詳しいことを言い残していかなかったので、答えようがない。
「分からないよ。でも、引越しする家みたいだから、量は結構多いんじゃないかな」
「おお! それは期待できるな!」
テトは嬉しそうだ。ルルとしても心境はよく分かる。先ほど見送ったばかりだというのに。 マイヤーが帰ってくるのを心待ちにしているのだから。
「ルル」
さっきまで本棚の前で難しい顔をしていたテトが本を差し出してきた。けっこう分厚い本で、タイトルは『エンケドラスとエルビナの姫』と書かれている。店に並べる前に目を通していたルルは、幻想小説の一種だと知っていた。
「あ、買うの? 大丈夫? 買えるの?」
本を抱えたまま本棚の前で唸っているテトを見ていたので、そう尋ねた。テトの経済事情を熟知しているので、買えるのかなとも思っている。
「いや、でも買うから取っておいてほしい」
彼の返答に、ルルは苦笑した。常連の必殺技、取り置き。貧乏なテトには喉から手が出るほどありがたいだろう裏技だ。
「いいけど、あまり長くは取っておけないよ?」
一応、そう釘を指す。新しい本を扱う書店ではないのだから、一ヶ月程度ならまだしも半年や一年は取り置いて置けない。
「分かってる。金稼いでくるから、取っておいてくれ」
「はーい。無理しないようにね」
受け取った本をカウンターの後ろの棚に入れ、ルルは店を出ていくテトを見送った。彼はこれから、冒険者が交流の場にしている酒場に行くのだろう。普通の人もそこに依頼を張り出したりするので、彼らのような人たちが仕事を探すのなら、酒場に行くのが一番いい。上手くすれば目的を共にする仲間も見つかる。テトは行動を共にする仲間を持っていない。仕事のたびにパーティーを組んで、仕事が終われば解散する、そういうタイプの冒険者だ。理由は、頻繁に冒険に出るわけではないからである。彼は冒険に出るくらいなら本を読んでいたいという人間なのだ。だが、本を読むためには金がいる。金を稼ぐためには働かなくてはならず、テトに出来ることといえば戦うことくらい。したがってやれることといえば冒険者。そういう理屈が彼の中で成立しているらしい。選択肢ならば本屋とか学者とか、本に関わる職はいろいろあるのだと思うのだが。
「……テトは学者か何かになった方がいいんじゃないのかなぁ」
ルルは口の中で呟いた。あれだけ本が好きなのだから、学者にでもなればいいのだ。職業選択を誤っているとしか思えない。
「ただいま戻りましたよー」
そんなことを考えていると、買い取りにいっていたマイヤーが店内に入ってきた。
ルルはマイヤーに笑いかけ、先ほど買い手がついた背後の本を示す。
「あ、店長。お帰りなさい。この本、テトが取り置きお願いしますって」
「はいはい。テトくんね。一リーフ(一月)くらいかな?」
「多分そのくらいだと思いますけど……でも三リーフくらい見ておいたほうがいいかもしれませんね」
これから仕事を探してもすぐ見つかるか分からないし、仕事を見つけても短期間で終わるとも限らない。冒険の場所によっては遠出するのも珍しくないことだ。
「そうだね。まぁ、テトくんなら頼んでおいて逃げるってことはないだろうし、買いに来るまで置いといてもかまわないよ」
「そうですか。一応あまり長くは取っておけないよって言ってあるんですけど」
常連なので信頼度も高いのだ。テトは買うと言ったら本当に買うだろうとルルとマイヤーは知っている。しかも、手元に置くことに執着しているタイプではないので、読み終わったらまた売りに来るだろうことまで予想は出来た。
「大丈夫でしょ、彼なら。取っておいてあげよう。それよりルルちゃん、買い取ってきた本運ぶから手伝ってくれるかい?」
「はーい」
本好きにはたまらない瞬間がやってきた。ルルは喜色満面で腰を上げる。今回マイヤーが買い取りに行ったのは、引っ越すので荷物を少なくしたいから本を買ってくれという家だった。わざわざロバを借りていったので、量はかなりのものだろう。
ルルは腕まくりをしながら店の外に出た。これからが楽しいのだ。
彼女はうきうきとしているが、楽そうに見えて結構力仕事であることもよく知っている。何せ、本は量があると重い。一冊二冊ならたいしたことはないが、紙というものはまとまるとかなりの重量になるのだ。ここに勤めてから、二の腕がかなりたくましくなったと思う。長く勤めたら、きっともの凄くたくましくなるだろうなどと考えながら、ロバのところへ行く。
まずは買い取って来た本を店内に運ぶのだ。外に出るなり見えたのは荷台にてんこ盛りの本だった。引いてきたロバがぐったりしているのは気のせいではあるまい。ご苦労様とロバを撫でてやって、ルルはマイヤーと本を運び出し始めた。
「どの辺に置きますかー!」
「とりあえずカウンターの奥の空いてるスペースに!」
「分かりましたー!」
力が要るので喋る声にも力が入っている。顔を真っ赤にして本を運び、それを何度も繰り返す。さすがに息が切れてくる頃になってようやく運び終わった。積まれた本を見つめて、汗を拭いながらもルルは目を輝かせた。
「店長! この本あとであたしが買ってもいいですか!」
ずっと探していた本が混じっているのである。読みたくてたまらなかった本だ。
「あ。欲しい本あったの?」
「はい! 買ってもいいですか!?」
「いいよ。あとでね」
マイヤーは苦笑している。彼女の本好きの度合いを知っているからだ。給料の六分の一ほどは店に還元している、と言ってもいいくらいである。ルルは一人暮らしで、そこから通っているのだが、自室はもの凄い状態なのだ。以前、壁際は本棚で埋まっており、床はたわんできているのでちょっと困っているという話をマイヤーにしたとき、こういう客がいるから古本屋は成り立つんだよなぁとしみじみ呟かれたことがある。
その言葉の示すとおり、ここの店員になってからルルの本コレクションは相当増えた。新しく本棚を二つ増やしたくらいである。買う量が倍増したのだから仕方ない。何せほしかったシリーズがセットで買えるのだ。店員割引もしてくれるのだから、収集癖もあるルルが買わないわけがない。そのうち自室の床が抜けるかもしれないと、心配もしているが、そんな心配は本を目の前にすると真っ先に頭から抜ける。
今もそうだ。嬉々として買い取った本を検分し始めた彼女に苦笑しながら、マイヤーは客の応対に行った。店に出す状態のチェックはルルの役目だ。彼女のチェックは細かいし、買う側の目になって見るので確実である。任せておけば大丈夫だと思ってくれているらしい。マイヤーの意をありがたく受け取り、ルルは思う存分検品を始めた。表紙の状態はどうだろう。汚れは、傷みは、破れなんてあったら言語道断だ。ましてページの欠落など許せない。表紙が外れているのも論外だ。
本を見つめるルルの目は怖いくらいに真剣だ。シミ一つ見逃さないと気迫で語っている。
本好きを舐めたらあきませんでー(舐めません)