三章・貫きぬくのだどこまでも・5
少女が指差した屋敷は大きく、とても重厚なものだ。歴史ある建物に見える。しかし、門は錆びつき、壁にはツタが這い、ちょっとヒビが入っていたりもして、お世辞にも人が住んでいるようには見えない。空が暗くなってきているというのに、窓に明かりも見えなかった。人間より幽霊が住んでいるというほうが似合っている。
「そうです」
少女は微塵の迷いなく頷いた。確かに少女の家なのだろう。ルルは少し遠い目になった。少女の身元を確認したくなったのだ。オルトが少女を背負ったときに軽いと言ったことを思い出した。もしかして幽霊だったりしないだろうか。
恋愛怪盗幽霊。どんな話だ一体。少なくとも、幻想絵巻や推理小説ではない。絶対にない。
テトが門に手をかけるのを眺めながら、ルルは軽い頭痛を感じた。
錆びた門が大きくきしみながら開いていく。庭の様子が見えた。
……荒れている。手入れなど数年はされていないのではないか。良家ならば庭師くらい雇って手入れをするはずだ。訪れた客が一番始めに目にする前庭ならなおさらのはず。
本当にここに人が住んでいるのかと疑問が噴出してくるのをこらえながら、屋敷まで歩いた。ドアノックも錆びている。
悪い魔法使いのところでもしたように、テトがドアノックを動かした。あそこも大きな屋敷だったが、ここまで朽ち果てた感じはしなかった。
「変ですわね。執事が出てきませんわ……」
ノックをしても誰も出てこず、ドアも勝手に開かなかった。少女も不思議そうだ。
「開けてもいいか?」
一応テトが確認する。少女は頷いたので、取っ手に手をかけて引いた。ドアも錆びているのか、大きく音を立てる。
「お恥かしいですわ。古い家で……」
「う、うん、すごいね、いろんな意味で」
少女が微笑んでくるのに、なんとか笑顔で返しながら、ルルは嫌な予感に襲われている、怪盗に狙われるくらいの家だから、由緒正しい立派なおうちなのだろうと予想していたのに、大分違う場所に来たような気もしてきた。
「入るぞ」
テトを先頭に屋敷の中に入る。最後のニズが入ったところで、玄関ドアは大きな音を立てて閉まった。
即座に振り返って確認するルルだ。
「ニズさん、閉めた?」
「いえ、触ってもいませんが」
嫌な予感が、どんどん強くなる。
「魔道式なんじゃないのか?」
「それならいいんだけどね」
テトの言葉に胡乱に返す。ルルの様子に彼も察したのか、似たような表情になった。さすが彼女と同じく本マニアなだけはある。最悪の予想を覆そうと、ルルは気合を入れるために頭を一度振って、声を張り上げた。
「すいませーん! 娘さんを送ってきたんですけど、どなたかいらっしゃいますかー!」
いませんかー、せんかー、かー。声がこだまする。しばらく待ってみたけれども、返答はどこからもなかった。
「おかしいですわ……誰もいないなんてこと、あるわけがありませんもの」
少女もようやくおかしいと思い始めたようで、オルトの背で不安げだ。
「家族で出かけ……ううん、あなたのこと探しに出てる、とか?」
家出した娘を探すために、家族全員が不在と言うことはないだろう。万が一娘が戻ってきたときのことを考え、普通なら留守番もかねて誰かが残っている。そもそも、全員が不在なら玄関ドアに鍵の一つもかかっていそうなものだ。
ドアに鍵はかかっていなかった……。
「恋愛怪盗もの、だと思ってたけど……違ったり、するかも」
この屋敷の雰囲気からして。
「やな予感がするよな」
テトも呟き、玄関ドアに近寄った。さきほど、彼自身が開けたドアだ。手をかけて、開けようとし――開かなかった。
「はっはっは、開かないぞ」
「うわぁ」
ルルは思わず呻く。彼が言いたいことは分かる。そして自分の想像が当たっているのではないかと、嬉しくない確信が近付きつつある。
「いや、まだ、ほら、猟奇殺人とかの可能性も残ってないこともないよな、な?」
多少ひきつって、テトが声を上げた。言いたい心境も分かる。分かるが、逃避だ。
「どーかなー……ほぼ確実にアレかソレだと思うけど、あたし」
やけくそになって不穏に笑ったルルに、テトはさらにひきつった。やはり彼もこの状況から考えていることは一つなのだ。
「なに? これからどうなるのさ? 猟奇殺人って、怖いんだけど!」
オルトが焦りの声を上げた。
「猟奇殺人……推理小説ですね、また」
ニズのほうは得意分野だと気にもしていないようだ。
「ううん、推理小説ではないと思うよ……」
ルルは乾いた笑みを浮かべている。テトもまた同じ。すでに確信しつつあるのだ。
「はははー、動きたくないな」
「あははー、あたしもだけど、動かないと話進まないよね」
「奥にいったら何が起きるかなーははは」
「大体想像つくけどねーあははは」
もう笑うしかない。まさかこんな展開になるとは。
「別行動は絶対にダメだよね」
「それはダメだ。残ったやつからっていうのがお約束だろ」
「そうだよね。と、いうわけでニズさん、オルトくん、別行動は厳禁ね。これから手を繋いで歩くから。娘さん背負ってるオルトくんはあたしが服をつかんであげるから、絶対に! はぐれないように」
暗く笑うルルと、同じような笑みを浮かべているテト。そんな本マニア二人に、ただならぬものを感じ取ったらしいオルトが、おそるおそる声をかけてくる。
「ルルさん、テトさん……あの、これ、どういう話?」
ルルはテトと顔を見合わせ、深く息を吐いてから、彼と同時に口を開いた。
「「……心霊ものかホラーもの」」
――一瞬、時間が止まった。
「いやだぁぁあああぁっ! 帰るぅうううぅうっ!」
絶叫が玄関ホールを揺るがした。オルトはソッチ系がとても苦手らしい。
「なんですの?」
少女がビックリしている。
「いえ、なんでもありません。お気になさらず。ちょっと持病が出ただけですから」
すかさずニズが割って入ったが、表情がひきつっている。ニズも得意分野ではないようだ。得意かどうかは置いておいて、本マニア二人は頭を抱えたい心境だった。
「恋愛怪盗からこうくるとは思わなかった……どんな本なんだこれ……」
「本当に脈絡ないよね……手当たり次第にてんこ盛りって感じ……」
話のつながり方が異常だ。ありえないにもほどがある。こんな本など見たことがない。詰め込めばいいと言うものではないだろう。
「絶対帰って読もう……駄作間違い無しだろうけど読む……ウチの店買い取り金額最低ライン確実でも読む……」
ルルは心に誓った。何が何でも元の世界に戻ってこの本を読んでやる、と。全部読み終わってから、容赦なく突っ込んでやると固く誓う。
「じゃあ、サクサク進んでみようか! 多分奥はもの凄いことになってると思うけどっ!」
「晴れやかに言わないでよルルさん!」
「はははは、進まないと帰れないぞオルト。ちゃちゃっと行こうな」
「なんでそんなに明るく言うのさテトさん!」
「何を言っているのです、オルト。暗く言われたらそれこそ怖いじゃありませんか」
「確かにそうだけど、なんで落ち着いていられるのかなぁニズ先輩は!」
泣き出しそうなオルトの服をつかんで、引きずるように奥を目指す。話を進めなければ文字喰いに辿り着けないのだから仕方ない。うまくいけばここで文字喰いに遭遇できるかもしれないのだ。とにかく、屋敷の主である少女の父親の部屋を目指してみることにした。
長い廊下を歩いていくと、途中の壁に赤い色がべったり張り付いているのを目撃した。生臭い匂いが廊下に充満している。
「血……!?」
少女が声を上げる。壁にこびりついている赤い液体は、引きずられるように床に続いており、廊下の奥へと消えていた。
「お父様!」
オルトの背で少女がもがいて飛び降りる、止める間もない。
「ねぇ、足くじいてるって言ってなかったっけ?」
「言ってたような気がするな……」
「あの、放っておいていいの、あの人?」
とても足をくじいていると思えない速さで少女は走っていった。多分、そちらの方向に父親の部屋があるのだろう。このままにしておけないので、少女のあとを追いかける。
「単独行動する人から犠牲になるんだけど、あの子も犠牲になる話なのかなー」
「たまにヒロイン死ぬ話もあるからな」
「あ、そうなのですか?」
手を繋いで走っているので、あまり速くは走れない。こういう場合急いで走ると置いていかれる人物が出てきて、その人が犠牲になったりする可能性があるので、怖くて手を離すことができないルルである。テトもまた同じ心境らしく、しっかりと彼女の手をつかんで離さない。 それに少し安心しながら走った。
「きゃああああっ」
廊下の先から、またもや『絹を裂くような』悲鳴が響いた。
「あ、間に合わなかったかも」
「祈りの準備しておいたほうがいいかもな」
かなり薄情な会話をテトと交わして、部屋まで辿り着く。少女はドアのところにへたり込んでいて、無事だった。どうやらヒロインは惨劇の目撃者となる流れのようである。少女は震えており、とても話を聞けそうにない。
とはいえ、部屋の中を見る勇気はルルにもない。ちらりとテトを見ると、彼は小さく息をついて言った。
「一応、俺が確認してみるから」
「テトさん、勇者!」
「……代わるか、オルト?」
「絶対イヤデス」
ルルの目の前でテトが室内を覗き込む。最初、彼は小さく呻いた。室内はかなり酷いことになっているようだ。
「どんな感じ?」
覗く気はないが、様子は知りたいので問いかけてみる。
「かなりムゴイ」
返事は簡潔だった。あまり説明したくないのだろう。
「そっか。で、どっちっぽい? 心霊? ホラー?」
似たようなジャンルだが、非なるものなので対策と心構えも違ってくるのだ。
「今の時点ではなんともいえないな。これからだろ」
至極冷静な意見に、オルトが再び泣き出しそうになった。
「帰る、帰ろう、帰らないと、帰るとき、帰るんだ」
ぶつぶつと何か唱えだした。錯乱しているようである。
とにかく落ち着かせようと口を開いたときだった。
「……遅かったか」
唐突に声がした。即座にテトが反応して剣を抜き、体を向ける。長く続く廊下から姿を現したのは、仮面をつけ、腰にレイピアを下げ、マントを羽織った男だった。
快活怪盗ロマンとかに出てくる『怪盗』そのものの印象だ。
「アレクセイ!」
少女が顔を上げた。恐怖にひきつっていた顔が、見る間に『怒りの』色を帯びる。
「あなたが……お父様を殺したのね!」
その言葉を聞いて、怪盗の姿を見て、ルルは愕然とした。
「まだ続いてたの、怪盗もの……!?」
恋愛怪盗で、心霊かホラーなお話。脈絡の全くない進行に、目を丸くするしかない。
この本は一体どんな本なのか。これからどうなるのか、本マニアでもサッパリ予測できない。
話が進むに身を任せるしかないのか。
果たして、文字喰いに辿り着くのはいつになるのだろう? 道のりは長くなりそうで、ルルは少しだけ頭痛を感じた。
本当にどんな本なんじゃー。