プロローグ・本好きなんですどこまでも
コルトローグという国がある。人口は小さな村まで含めて約十万人。国王はリンデン三世で、二人息子がいる。王太子も決まっており、継承権をめぐりよくある陰謀や策謀もこの国ではお目にかかれない。王宮もある首都の名はアーカイブス。人口は二万人ほど。
国一番の魔法学院、魔術ギルド、賞金首ギルドが存在しており、ウワサでは闇組織の本部もあるというのだが、それを確かめた人間はいないし、街の住民も気にしていない。基本的に国民性は非常にのん気な国なのである。
街の南側には飛空挺の発着所である飛空場があり、西には船が行き来する大きな港もある。海と空と陸とが混ざり合う街なのだ。
活気溢れる場所には当然人もあふれる。陸海空が混ざり合う場所だけあって、人の種類もいろいろだ。街中を歩けばエルフやらホビットやらを見かけることも特別珍しくなく、時には羽の生えた小さな種族、妖精ともすれ違うことがある。
なんでもあり。ごちゃごちゃといろんなものが混じり、それを誰も拒絶しないおおらかな場所。
それがアーカイブスなのである。
何も否定せずに受け入れるフトコロの深い街の一角に、一軒の古本屋があった。
看板には『古書の家』とある。店構えは当たり障りなく、何の変哲もない古書店だ。
しかし、ここはとある輩からは『伝説の店』と呼ばれている。ココに来れば望む本が必ず手に入る、とまで言われているのだ。
店主の人脈がすさまじいので、探して欲しいと訴えるとほぼ百中に探し出してくれるらしい――それを信じ込んでこの店にやってくる者は多い。ウワサの真偽も調べずに、だ。人の口に上るウワサとは恐ろしいものである。
そんなウワサのある店の中を、元気よく走る一人の少女がいる。年のころは十六、七。茶色のぶっとい三つ編みが、走るたびに背中でポンポンはねている。決してたくましい体型ではないのに、重い本を十冊近く抱えても元気に動いている。
そばかすの浮いた顔はなかなかに愛らしい。瞳に活力が溢れているからだろう。接客をする言葉もハキハキしており、よどみがなく、印象はとても良い。
一生懸命働く彼女に、入ってきた客の一人が声をかけた。
「すみません、距離と日数の成り立ち関係の本を探しているのですが」
店内は細長く奥行きがあり、本棚はたくさん並んでいる。一見しただけでは目当ての本はとてもじゃないが見つからない。どこに何があるのか素人目にはサッパリ分からないが、少女は元気よく答えた。
「はい、いらっしゃいませ! 距離と日数関係ですね?」
客の目の前にまでやってきて、彼女は人好きのしそうなあたたかい笑顔を浮かべた。
「現在うちの店には、レラート・ゴーディアス著の『三兄弟とその両親』と、ファミナス・デランド著の『ミール・アーグ・リーフと父トーム』と、コルトローグ暦203年に書かれたアーネット産の『距離と日の親子』がありますが、どれがお好みでしょうか?」
一瞬も迷わず、一息で言い切った。店内の膨大な書物を全て管理、理解しているかのような口ぶりだ。
「え、ええと。どれがおすすめなんでしょうか?」
彼女の勢いに、客は戸惑いながらもそう返す。
「そうですね、レラート・ゴーディアス著のものは、日数の成り立ちを決めた三兄弟と父と、距離を定めた母の伝記的な本です。ファミナス・デランド著のものは、距離と日数を彼らがどうやって決めたのかまでを調べています。アーネット産のものはですね、この二つを足して三で割ったような内容です。本をどのような目的でお探しですか? それによっておすすめが変わってきますけれど」
心の底から嬉しそうな彼女の説明に、客もなんとなく笑って答えた。
「あ、ええと、教室で使うんです。その、勉学小屋で教師をやっておりまして、今日は教材を探しに……」
「勉学小屋の先生でしたか。はい、分かりました。勉学小屋の素材にするには一番分かりやすいので、アーネット産のものをおすすめします。お値段もお手ごろですし、こちらなら子供にも分かりやすい素敵な説明がされていますから」
「そうですか。じゃあ、それをください」
「はい、少々お待ちくださいませ」
にっこり笑って頭を下げて、少女はまっすぐにたくさんある本棚の一つに向かった。目的の本がどこにあるのか、しっかりと把握しているのだ。ほとんど間を置かずに彼女は戻ってきた。 手にはしっかりと分厚い本を抱えている。古本屋とは思えない対処の早さである。
「こちらになります。お値段は二百五十リン(二百五十円)ですね」
彼女の言うとおり手ごろな値段だと客は判断し、支払いを済ませた。
「ありがとうございました!」
「こちらこそありがとうございました。いやぁ、お若いのに凄いですね。さすが伝説の店の店長だけあります」
客の言葉に、彼女は首をかしげ、それから笑っていいのか困っていいのか分からないような微妙な表情を浮かべた。
「えと、申し訳ないんですが、あたし店長じゃないんですよ」
「え」
客は目を点にしている。あの対応を見て、すっかり彼女を店長だと思い込んでいた。
「あたし、ただの店員です。店長は今、本の買いだしに出ていて不在なので」
「ええ!」
客の反応に、彼女も今度は明確に苦笑を浮かべた。誤解されるのも無理はないと理解していても、こうあからさまだと苦笑するしかない。
「て、店長さんだと思ってました」
「間違われること多いですよ。あたし一ミール中(=一日中)店番してますから」
苦笑を微笑みに変えて、彼女は言った。
「またどうぞ。あたしがいるときなら、店内の本は全てご案内できますから」
自信たっぷりな態度は、とてもただの店員とは思えないくらいだ。そして実際、彼女はただの店員ではありえないくらいの知識量を誇っていた。
にこやかに客に笑いかけ、重い本を何冊も持ち、テキパキと働く少女。
伝説の古本屋と呼ばれる店。そこで働く少女も知識量の多さから伝説の店員と呼ばれている。
彼女の名はルル・ホートント。
誰よりも本が好きで、本を愛している、本のトリコの少女である、
アーカイブスにある、伝説の古本屋『古書の家』。
店長はさえない四十男で、名をマイヤー・ハルクエイトという。ごく普通の男性なのでこれといった特徴もなく、店に来る客など彼の名を知らず、店長としか呼ばない者も多い。
客にもあまり覚えられていない店主よりも、客に覚えられている少年がいる。
彼は今日も店の外で本に紙ヤスリをかけているところを目撃された。腰にはそこそこに立派な剣が下がっており、古びた鎧を身にまとっていることから、一般人ではないことは分かる。その辺を歩いている冒険者とさほど変わらない格好だ。
年頃は十八前後くらいか。黒い髪、青い瞳の、顔つきだけを見ているとなかなかに精悍なものを感じさせる少年だ。
しかし、全身像を見ると受ける印象は一変する。古びた鎧を身にまとっているものの、それが歴戦の冒険者の証というよりは、ただ単に貧乏くさいという雰囲気だ。上級の冒険者のような熟達した印象は、これっぽっちもない。金がない、と、蛍光色の看板を背負っているかのようである。全身で赤貧と訴えかけているようにも思える。
「やぁ、今日も手伝いかい?」
通りすがりの男が、彼に声をかけた。ヤスリをかけていた少年は顔を上げ、力の抜けた笑みを浮かべる。
「毎日よくやるね」
「ははは」
なんと返答したものか迷い、少年は多少乾いた笑い声を上げた。
彼は店員ではない。店員ならば彼より百倍頼りになるルルがおり、店主のマイヤーもこの道ではプロ中のプロである。それなのに店員でもない少年が店の外で、本の手入れをしているわけ。
それは、本である。古本屋にいるということで分かるとおり、少年もまた本好きなのだ。そして、その風貌から発散されている雰囲気のとおり、彼は貧乏で、古本もろくに買えないような財産状況だった。
そもそも、冒険者というものは平均して危険度と収入が比例している。危険を避けると収入が低くなり、収入を求めると相応に危険度が高くなる。冒険者としての名声が高くなれば、更に収入は上がるだろう。しかし、貧乏くささを全身から発している少年を見ると、それほど高名な冒険者ではないと見当はつくし、あまり危険な冒険をしてもいないだろうと察しもつく。
ここまで考えると、店員でもない冒険者の本好き少年が、店先で本の手入れをしている理由も結論が出るだろう。
買えないから、手伝っているのだ。ちょっとしたアルバイトといったところか。
「おーい、このくらいでいいか?」
少年は手入れを終え、髪まで白くなっているのを払いながら、店先から店内に声をかける。
「はーい。どれどれ?」
ルルが店から出てきて少年がヤスリをかけた本を手に取った。手垢がついていた箇所はヤスリをかけたおかげで、それなりに綺麗に見えるようになっている。
「うん。これくらいなら上出来。上手になったね」
「まぁ、最近毎日やってるから」
鎧のホコリを払い、くたびれたヤスリをルルに返す。
「で、あと何冊やればいい?」
「あ、今日はもういいよ。あとは拭いて値段つけて棚に入れるだけ」
「じゃあ拭くまでやるよ。布貸してくれ」
少年が差し出す手に、ルルがエプロンから布を出して渡した。これで表紙を吹いて汚れを落とすのだ。
「ありがとね」
「いいよ。そのかわり、あの本取っといてくれな。次に仕事見つけて稼いでくるまで」
「分かってる。ちゃんと取ってあるから」
少年の申し出にルルは苦笑を浮かべて店に戻っていった。見送って、彼はまた本を手にする。手にしているというだけで嬉しそうな彼の名は、テト・ペタヘイト。
戦士のクセに本好き。実はいっぱい本の読めそうな魔術師か魔法師になりたかったのだが、致命的なまでに魔力を扱う能力がなかったのであきらめたという、筋金入りの本好きである。本好きが高じて、長期間拘束されることが多い高額の冒険に出られず、実力はあるのに貧乏という悪循環に陥っているのだった。大量に本を買っては読み終わると売りに来る『古書の家』の常連、お得意さんであり、欲しい本が多いときなど、一括で買えないので分割払いにしてもらい、ときおりこうして労働で利子分を返しているのである。
拭き終わって綺麗になった本を手にテトは店内に入り、テキパキと働いているルルに目をやった。棚にしまうのはいいが、その前に値段をつけなければならない。その辺は店員であるルルでなければ出来ない作業だ。
掃除中だった彼女は、すぐにテトに気がついてハタキ片手に寄ってきた。
「終わったの?」
「おう。で、これどこにしまうんだ? 値段は?」
「えーっと、これは幻想絵巻の隣の棚なの。値段は三百リン(三百円)っと」
鉛筆で裏表紙の内側に値段を書き込み、受け取った本を目当ての本棚に持って行く。途中、立ち読みをしている客にぶつかりそうになったが、そこは慣れているルルだ。難なく避けて目的の棚にたどりついた。大事そうに本を棚に納め、良い人に買われていくようにと祈る。少なくとも、店側の迷惑を考えずに立ち読みを長時間続けるような人間に買われることのないように、と。
多少めくって内容を確かめるくらいならいいけれど、そうでない長時間の立ち読みは迷惑だ。店は何人も立ち読みできるほど通路が広いわけではないし、そもそも仕事と商売の邪魔である。
そんなことを考えながらルルはカウンターに戻った。テトはおあずけをくらった犬のような雰囲気をまとわせて、カウンターの後ろの棚を見ている。
彼が取っておいてくれと頼んだ本が入っている場所なのだ。彼の本好きはよく知っているので、ルルはヤンチャ坊主を見守る姉のような表情で促した。実際は彼女のほうが彼より年下なのだが。
「いつもみたいに分割でもいいよ? 店長には言っておくから」
「や、この間もそうしてもらったし……今度はちゃんと仕事してから買いに来る。楽しみに取っとく」
「テトがいいならいいけど、我慢しすぎて禁断症状起こしたりしない?」
「あのな、俺は麻薬中毒者か?」
「え、あたしは長いこと本読むのを我慢してると、イライラする禁断症状出るけど、テトは出ないの?」
「……出る」
同じ穴のムジナである。店員と常連が、しょうもない会話をしている間に本棚の間に入っていった男がいた。目ざとくルルがその客を視線で追う。
彼女の様子にテトも気付いた。
「……やりそうか?」
言葉の意味を明確に理解し、ルルはちょっと考える。まだ相手は本棚の影に入っただけだ。カウンターからの死角に入ったからといって、警戒するのは早い。
「ちょっと、気になるの。テト、あっち回ってくれる?」
「分かった」
一も二もなくテトは頷き、カウンターから離れて店の奥に行ってくれた。ややあって、棚の奥から男が出てくる。手に本を持ってはいなかった。ただ本を探していただけなのだろうか。それにしては探している様子もない。大体、店内のことに詳しい店員であるルルがいるのだ。彼女に聞けばそれで済む用件なのである。もっとも、『大人向けの本』が欲しい場合、店員とはいえ年頃の女の子に尋ねるのは男性にとっては心苦しいことだろう。
ひょっとして『その手の本』が欲しいけれど、カウンターにいるのがルルなので買うのが恥かしいのだろうかと考えたとき、男は店を出て行った。
「ルルッ! やったぞあいつ! 腹に隠した!」
即座にテトが奥から走り出てきた。そのまま彼は出て行った男の後を追いかける。ルルは他の客がいるので店を空けられない。店長マイヤーはまだ戻ってきていないのだ。
「ごめん、任していい!?」
「おう!」
テトの返事は店の外からだった。店員でもない彼は寸分の迷いもなく男――万引き犯を追いかけていったのだ。店内にいた客が、何が起こったのか分からないのか呆然としている。
「あ、お気になさらないでください。普通にお買い物してくださるお客様は大事にするのがうちの店の方針ですから」
にこやかにルルは言い切る。普通に買い物をしない、そもそも窃盗である万引き犯には不親切な店なのだと。
外からは派手な物音が響いている。どうやら大捕り物に発展しているようだ。万引き犯が抵抗しているのかもしれない。ルルは心配していなかった。
冒険者としてテトの名は高くないが、実力のほうはかなりのものと知っているからだ。
だから彼女はいつものとおり接客を続けた。少しの時間がすぎ、何かを引きずる音が近付いてくるのを聞きとめ、彼女は捕り物が終わったことを知った。
「捕まえたぞー」
「はぁい。お疲れ様ー」
万引き犯の男を引きずって、テトが戻ってきた。彼のほうは無傷で、万引き犯の方は顔にまともにアザができている。多分予想していた通りだろうが、一応聞いてみた。
「テト、ケガは?」
「俺はない。本も無事。こっちは大分。かなり抵抗されたから」
テトにはやはり怪我はない。余計な心配はしていなかったけれども、ホッとしたルルである。店員でもない彼に万引き犯を追ってもらった上に、ケガでもされた日には後悔で眠れなくなるだろうから。
「ごめんね、ありがとう。店長帰ってきたら官憲呼ぶことになるだろうから、その辺に座らせといて」
「おう。見張ってるから安心しろ」
「うん。ありがとう。安心できる」
「あ、これ、こいつ取って行こうとした本」
かなり高価な『大人向けの本』である。買う金がなかったのか、買うのが恥かしかったのか。それにしたって、ここまでの大騒ぎになるくらいなら買ったほうがよっぽど恥かしくないだろうに。
そう思うのは、ルルが女性だからなのかもしれない。
買い取りから帰ってきた店主のマイヤーは、カウンターの脇にアザのついた男が座り込み、テトに見張られているのを見てすぐに察したようだった。ルルも余計なことを言わずに単刀直入に訊く。
「店長。こういうことなんですけど、どうしましょうか」
「うん。官憲呼ぶからね。どの本盗もうとしたんだい?」
「これです」
「あー、そう。これか。まぁでも、官憲呼んで来てもらえるかな。万引きは窃盗だからねぇ。テトくんもいつもありがとう。今度君の欲しい本がウチの店に入ったら、できる限り割引してあげるからね」
のんびりと言いながら、マイヤーは万引き犯に向き直った。いつもの説教が始まりそうなので、後はマイヤーに任せ、ルルは官憲を呼びに店を出た。これから彼女が官憲を連れて戻るまで、マイヤーは万引き犯にトクトクと説教を続けるだろう。
万引きは犯罪、立派な窃盗なのだ、と。大抵の万引き犯は、たかが万引きで何故官憲を呼ぶのだと騒ぐ。しかし、たかが、ではないのだ。本一冊でも値段がついており、売り物だ。古本屋として仕入れている品である。元手がかかっているのだし、あそこの店は盗り放題などと評判にでもなれば、店の死活問題にも直結する。だから『古書の家』では万引き犯にはとても厳しい。
それでいいと、ルルも思う。本が大好きだからこそ、読みたい本はお金を出すべきだと思うし、何よりも書いた人に対しても失礼だと思う。大切に大事に読んで、確かな何かを感じることを楽しみたい。純粋に楽しむためには、盗んではいけないと思う。
本が大好きだから、ルルはそう思っている。おそらくは、テトも。