第四話 出会いはショッキング
『……儂の声が聞こえるか……』
誰かが呼んでいるようだ。
若い女性の声だろうか。
『こら、いつまで寝ているつもりだ!』
その声が次第にはっきりと聞こえてきた。
『もう身体は何ともないはずだぞ。儂の声が聞こえるなら起きて返事をせい』
――何ともないって?俺は死んだんじゃないのか?
『うーむ、意識障害でも起きてしまったのだろうか。おーい!お前に何かあると儂が怒られる。何としても目覚めてもらうぞ。おいこら、竜也。起きろ!さっさと起きるんだ!』
声の主は、俺の事を心配してくれているらしいが、どんどん言い方がぞんざいになってくるな。
――俺は確か、トカゲ野郎に殺されたんだよな。ってことは、ここはあの世か?
耳からではなく、頭に直接突き刺さるような声に追い立てられるように、俺の意識は次第に覚醒する。
『は・や・く・お・き・ろ!』
遂に、例の声は耳元でメガホンを使ったように最大ボリュームで催促してきた。さすがに我慢の限界だ。
「もっと優しく。お姉さんが愛する弟を起こす様にお願いします」
『何をたわけた事を言っておるか』
俺の発した声の響きから、ここが相当広い空間であることが感じ取れた。
目を開けると、辺りは完全な暗闇だった。確かに目を開けているかどうかも疑わしくなる程だ。
「ここは……」
『ようやく目が覚めたようだな。心配させおって』
俺に分かったのは、自分が何処かに寝かされている事と、下に敷いてあるのはフワフワの毛皮らしい事くらいである。
そこは、寒くはないものの、どこかひんやりとした空気に包まれていた。
そして、完全なる無風かつ完全なる無音だ。
―――本当にあの世なのかもな。
麻酔をされているとは思えないのに、あれ程の重傷を負って全く痛みを感じないというのは明らかに異常だろう。
俺は身体のあちこちを触って状態を確認してみた。しかし、出血はおろか、傷の跡さえ感じられない。
『安心しろ。もう傷は完全に癒えている』
先程の剣幕が嘘の様に、優しい響きに変わった声が届いた。まだとても信じられないが、その言葉に嘘は無さそうだ。
「ここは何処ですか?俺はどうして助かったんでしょう?」
『今儂らが居る場所は、ラスティア大陸の遙か南、サンクトゥ島にある龍の森。この洞窟は、儂の住処だ』
ラスティア大陸?
サンクトゥ島?
聞いたこともない地名だ。まあ、異世界だしな。
『神から、お前が来るという予言を聞かされて3000年。待ち侘びたぞ。それにしても、来て早々リザードマン共に追い回されるとは、お前もよくよく運の無い男だな。ふふふ』
「神様から?3000年?」
『うむ。お前がこの世界に転生する事は、遙か昔より確定事項だったのだ』
「それにしては、段取り悪くありません?」
『そうか?』
「3000年も前から決まっていて、転生場所が危険なジャングルって、杜撰としか言えませんよ」
『いや、転生させるかどうかの判断は一瞬だったらしくてな。細かな指定など不可能だったらしい。文句があるなら、神と直に会って話したらどうか』
「そんな機会ありますか?」
『どうだろうな。おっと、自己紹介がまだだったな。儂は金龍のオルルと申す。神がお造りになった金の属性を持つ唯一無二の龍だ。始祖龍とも呼ばれておる』
「龍?」
『そうだ。龍は知っておるだろ?』
――神の次は龍か。完全にファンタジー小説やアニメの世界だな。
だが、トカゲ人間共に殺されそうになるという超ハードな体験をしてしまった俺は、既に何でも来いの状態だ。
日本で一般に龍と言えば、細長い体に爪のある手脚、頭には角と髭、全身が鱗で覆われた、十二支でお馴染みの姿だろう。
だが俺は、実在するとしたらRPGに出てくるドラゴンのような姿ではないかと考えた。
「もしかして、でっかい体で、翼を持っていて、火を吹いたりします?」
『まあ、そんなところだ。翼を持たない龍もいるし、全ての龍が火を吹くわけではないが』
やはりだ。俺は急に背筋が寒くなってきた。今俺は、とんでもない相手と話をしているのだ。
『ところで、お前の世界では、助けてもらった相手に礼の一つも言わずに済まされるのか?』
そうでした。
俺は恥ずかしさと申し訳なさに身体を硬直させた。
あまりの出来事に失念していたとはいえ、人として最低限の礼儀もわきまえなかったという事実は、元の世界の全住民に恥をかかせてしまったかのように思えたんだ。
――地球の皆さん、ごめんなさい。
「こ、これは、気が動転していたとはいえ、申し訳ありませんでした。助けて下さったこと、心より感謝致します。俺は地球という星の、日本という国から来ました。速水竜也と言います。速水が名字、竜也が名前です」
『竜也。お前の事は、神から聞いて知っておる。儂のことはオルルと呼ぶがよい』
それにしてもここは静かだな。しかも、不可思議な事が一つある。
「他には誰も居ないんですか?あなたの気配すら感じられないのですが」
『そのことに関して、これから話をしようと思うのだが……心して聞いて欲しい』
――心して聞けか。
一難去って、また一難の展開を危惧して、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
『神から伝えられていた内容では、竜也が送られてくる時間や場所までは特定できなかった。そこで、お前の気が現れるのを待って、全速力で向かったのだが……一足遅かった……。許せよ』
最後の方は声のトーンが下がっていた。
俺としては、アバウト過ぎる神様には文句を言いたいところだが、オルルの責任を問うつもりは毛頭無い。
「いえ、こうして助けていただいただけで十分感謝してますよ」
実際、俺はあの時死ぬ覚悟を決めていたんだ。初めての土地で助けが来るなんて僥倖と言う他ない。
『それでなー。儂が着いた頃には、竜也の肉体は限りなく死に近い状態だった。最早、いかに儂の高度な回復魔法をもってしても助けることは不可能だったのだ』
「魔法?」
――神様に龍、そして魔法か。いよいよファンタジー世界だな。
『魔法の話は後だ。とにかく、儂に残された最後の手段は、竜也と同化することで魂の遊離を食い止め、儂が持つ不死の力で肉体を回復させるという秘術だった』
「同化?」
さすがは金龍様である。神懸かりの術を使うらしい。
『そうだ。ただ、その術を使った結果、予期せぬ事態が起こってしまった』
俺は息を飲んで次の言葉を待った。
『同化した後で分かったことだが、全く魔力を持っていない今のお前から儂が抜けてしまうと、この世界では精神と肉体を維持できなくなると思われるのだ』
「具体的には、どうなると?」
『良くて廃人。悪ければ死……だな』
「そうですか……って、エエエッ!?それって、もしかして、あなたと同化したまま、離れられないってことですか!?」
『然り』
どうりで、オルルの声が頭にガンガンと響いてくるわけだ。彼女は俺の頭の中に居たのだから。
「俺の身体はどうなっちゃってます?真っ暗で全然見えないんですけど?」
もしかしたら、自分は龍もどきに変身したりしていないだろうかと、俺はわたわたと狼狽えた。死ぬよりはマシかもしれないが、人間を辞めるという選択肢も似たり寄ったりじゃないか?
『そうか、待つがよい。今明かりを点ける。少々主客を交代させてもらうぞ』
「何を……」
意味が分からず困惑していると、突然、俺の意識に何かが割り込んで来た。そして、俺は自分の身体の主導権を奪われるという感覚を生まれて初めて味わったのだ。
それはまるで自分を第三者的立場で外からぼーっと眺めているような感覚。だが、不安は全く感じない。寧ろ、大きな何かに包まれる様な安心感がある。
やがて、俺の手が勝手に動き、さっと振り払う様な仕草をする。すると、周囲の壁に下げられていたランタンのような物に次々と明かりが点されていく。
『これで良かろう。では、戻るとするか』
今度は、俺の意識から何かがスッと抜け出たような感じがした。突然喪失感に襲われ、俺は思わず身震いした。
「何が起こった?」
『ちょっとお前の身体を借りて、魔法を使ったのだよ』
俺は、一つの身体に二つの魂というのは、こういう事なのかと理解した。身体をコントロールする権利を持つ魂が主、それを眺めているだけの魂が従というわけだ。
「この状態で俺の身体を動かすことは無理なんですか?」
『ただ動かすだけなら可能だ。だが、魔法を使うのは無理だな』
「さっき、あなたが俺の身体を動かしていた時は、俺は何もできそうになかったんですけど?」
『人間の魂では無理かもしれんな』
俺は何となく不公平に思えたのだが、無理と言われてはどうしようもない。これが人間と龍の格の違いというものか。
俺は気持ちを入れ替えて、薄明るくなった周囲を見回した。
「だだっ広いな……」
今の光源では隅々まで見渡すことはできないが、少なくともドーム球場並みの広さはありそうだ。
これはつまり、金龍がそれだけ巨大であることの証明だろう。
『という訳で、当分この肉体には儂と竜也、二人の精神が宿ることになる。なあに心配するな。儂は客分だ。立場はわきまえておるからな、必要が無い限り出しゃばるつもりはない』
物珍しさにキョロキョロとしていた俺は、オルルの言葉に意識を戻される。
「ちょっと待って。当分って、いつまでですか?」
『竜也の肉体がこの世界に馴染み、魔力を十分に蓄えられるようになるまでだ。安心しろ。この肉体は素質十分と見た。儂が直に鍛えてやるのだから、百年はかかるまい』
百年という言葉に俺の意識は凍り付いた。それは、一生無理という言葉と同義じゃないのか。
「いえいえ。人間の寿命はそんなに長くないですから。俺が長生きしても、せいぜいあと七、八十年ってところです」
『案ずるでない。儂と同化している間は老化は抑えられるはずだ。不死というわけではないだろうが、肉体もそれなりに強化されておる。病気や怪我で死ぬ心配も少なかろう。それに、異世界から来たのでは、この世界に親類縁者もおるまい。他の者より多少長生きしたとて、特に問題はなかろう?』
どうやら、既に俺の中身は人間を辞めてしまっているようだ。
「まあ、長生きするのは良いですが。まさか、やっと出て行ってもらえたら、一気に老け込む……なんてことは……ないでしょうね?」
俺が思い浮かべたのは、玉手箱を開けた浦島太郎の姿である。
『ない……ぞ。たぶん……』
最後の方は、ぼそっと付け足した感じだ。
「限りなく不安なんだけど」
そうは言っても、今の俺に選択の余地は無い。
こうして、見知らぬ世界に転生した俺、速水竜也と、金龍オルルの奇妙な同居生活が始まったのであった。
――トイレ、どうしよう?