第三話 気が付けばサバイバル
「あ、あれ?俺生きてる?」
あれからどのくらい経っただろうか。
俺はあちこちから聞こえてくる動物やら鳥やら虫やらの声と、低温サウナ並みの蒸し暑さの中で目を覚ました。
この状況でまさか天国地獄はないだろう。たぶん、俺は生きている。息してるし、心臓も動いてるしな。
とりあえず身体をチェックしてみる。見たところ、どこにも異常は無さそうだ。
服装も意識を失う前と同じ。TシャツにGパン、薄手のジャケット、スニーカーだ。背中にはいつものリュック。腕時計も無事と。
周囲を見回せば、違和感アリアリの光景が目に映る。
ちょっと見はアマゾンのようなジャングル地帯。
でも良く見ると、チョロチョロ動き回っているリスのような奴には長い牙が生えているし、目が3つあるような。植物はやたらとケバイ感じのものばかりで、触るのは遠慮したくなる。その葉っぱの上に乗っているカブト虫もどきは、脚が4本しかないぞ。虫って、確か6本だったよな。
何より、どんより曇った空の色が薄紫ときてる。
これはさすがに海外旅行の経験が皆無の俺でも察しがつく。
――うん。ここは異世界に違いない。
バーチャルリアリティの世界という可能性も考えられなくはないが、これだけリアルなら現実世界と区別する必要はないだろう。
しかし、
――どうせ転生させるなら、もっとマシな所にして欲しかった。
神様から『贅沢言うな』と怒られそうだけど、文句の一つも言いたくなるさ。
一応の結論が出たところで、さて、これからどうするか。
リュックに入っているのは水筒、ライター、折りたたみナイフ、簡易救急セット、懐中電灯だ。今日は急いでいたし、師匠の食事を作る予定も無かったので、最低限の物しか入ってない。
俺は仙道を修行をしていたので、気を吸収していれば少なくとも数週間は絶食でも平気だ。実際、夏休みには家族に合宿と偽って山ごもりして、2週間の断食修行も行っていた。この水筒の水が無くなる前に、水源さえ確保できれば、飢え死には回避できるだろう。
ただ、この暑さに何時まで体力がもつかは怪しい。初夏の日本から、突然、熱帯のジャングルって、適応しろと言うほうが無理だ。
地図無し、土地勘ゼロ、ガイドは無論いない。サバイバルするにもハードルはやたらと高い気がする。
――どうする?
ただ救助を待つのは論外だ。多分、俺はこの世界では天涯孤独だからな。
まずは水源を探そう。そして、安全に休める場所の確保だ。普段なら2日や3日の徹夜など、どうってこともないが、この環境では自殺行為に等しいだろう。
それから、俺は慎重に道無き道を進み、水の気配を探った。人それぞれ気の色や形が異なるように、全ての自然には独特の気の流れがある。俺のように気を感じ、視ることができる者なら、おおよその位置を感知可能なのだ。
ただし、普段のように漠然と眺めている場合と違い、気を見るというのは精神的に疲れる。早いところ水源が見つかってくれるとありがたいな。
木の枝を杖にして、それを使って草木を分けながら進んで行く。こういう場所で、手で草等を触るのはまずい。どんな棘や毒を持っているか分からないからだ。毒虫も怖いしな。
――もう少し先か。
歩き始めてから2時間程経過した。徐々に水の気配が強くなってきている。
しかし、ジャングルという所はいくら歩いても似た様な景色ばかりだな。これじゃあ迷うのも無理はない。もっとも、自分の場合は既にこれ以上迷い様もない状況なので、どっちに向かおうが気にしない。
――見つけた!
藪を掻き分けて進んだ先に、小さな川が流れていた。
まずは指先を濡らしてちょっと舐めてみる。
――無味無臭か。
これで海水みたいにしょっぱかったらアウトだった。
次に、両手で掬って飲んでみる。この水が毒だったら、なんて、考えるだけ無駄だ。
――美味い!
師匠の拘りに合わせて料理を作ってきたお陰で、俺は水の味にもちょっと五月蝿い。この水は、間違いなく俺好みの軟水だ。
これで水の心配は去った。
次は安全な寝場所だが……。
――どこも同じ景色だな。木の上に登るか?いや、寝たら落ちるだろう。この川に沿って下流に行けば、どこかに出られるかな。
せっかく発見した水場だ。離れるのは無謀じゃないだろうか。
もう暫く下流に向かって歩いて、良さそうな場所を探すことにした。
――ああクソ暑いぜ!畜生め!
この暑さには本当に参る。汗だくになったTシャツを濡らして着直す。ジャケットを脱ぎたいが、Tシャツ1枚でジャングルを進むなど無謀の極みだろう。
その時だ。少し前の茂みがガサガサと揺れて、そこから『トカゲ人間』としか表現できない何者かが姿を現した。
「グギェ!」
向こうも驚いたのだろう。何か叫んでいる。一応、腰に布を巻いているし、武器らしき棍棒も持っているから、話が通じる相手かもしれない。異世界なんだから、こんな現地人がいても不思議じゃないよな。
「あ、あの……。敵ではありません。道に迷ってるだけです」
両手を挙げて、無抵抗のポーズをしてみた。万国共通だと思うが、異世界ではどうだろう?
「ギギギグェェギギ!」
何やら、後ろに向かって話し掛けているみたいだ。言ってることは分からないが、言葉はしゃべれるらしい。
ちょっとだけ安堵した俺だが、運命は残酷だった。後ろから更に2匹のトカゲ人間が出てきたと思ったら、そいつらがまとめて襲い掛かって来やがった。
「ちょっと、待てって!戦う気は無いって言ってるだろ!」
最初に振り下ろされた棍棒を横跳びで避けながら、俺はそれでも『話せば分かる』と言いたかった。
「「「グググ!」」」
だめだ。返事は『問答無用』らしい。3匹とも殺る気満々だ。
俺は師匠から仙術以外にも拳術を習っている。所謂、中国拳法なのだが、師匠の拳法は流派と呼べるような体系化されたものではない。中国武術の起源は漢王朝の時代と言われているから、秦の時代に日本に渡ってきた師匠では無理もないことだろう。
しかし、仙人である師匠の拳法は気を込めて打ち込むため、その破壊力は抜群だ。まさに岩をも砕く一撃となる。
俺は、まだそこまでには至っていないが、防御だけなら師匠と比べても、さほど見劣りしないレベルだと自負している。
実戦経験が無くとも、こいつら3匹相手なら戦闘不能にして逃げ切れるだろう。
――来る。横からか。
横殴りに振られた棍棒を紙一重で避け、踏み込んで掌底で鳩尾を突いた。
「グゲェェェ……」
まず1匹。暫くは立ち上がれないだろう。
相手の身体の気の流れを視ていれば、次の攻撃を予測することが可能であるし、弱点も分かる。幸い、スピードもパワーも師匠とは月とすっぽんだ。いける。
「ギヤッ!」
飛び掛かってきた1匹の頭に上段蹴りを食らわせてやった。そいつは、四つん這いになって頭を振っている。
残った1匹は少し怯えているように見える。このまま逃げてくれるとありがたいのだが。
「グギャギャギャギャーーー!」
突然、さっき四つん這いにした奴が空に向かって吠えた。
「ん?そんな雄叫びでビビったりしないぞ」
余裕の俺だったが、相手の意図は別にあった。直後、攻撃的な気が幾つもこちらに向かって集まり始めたのを感じた。そして、周囲の藪がざわつき始め、少なくとも10匹くらいのトカゲ人間が続々と加勢したのだ。
「わあー、団体様のお着きだー」
なんて冗談言ってる場合じゃない。無理。さすがに、この数は無理。作戦を練るまでもない。
――三十六計逃げるに如かず!
俺はひと睨みして相手を威嚇すると、すぐに囲みの切れ間に猛ダッシュする。悪いが、逃げ足の速さにも自信があるんだ。
戦術に関しては、師匠に徹底的に教え込まれていた。師匠の言葉が聞こえてくるようだった。
「竜也よ。生きるか死ぬかの戦いでは、再戦可能な状態で逃げ切れば引き分けだ。逃げるのは恥ではない。相手の力量を見誤って殺される事こそが恥と思え。よいか、逃げる事を躊躇うな。そして時期を逃すな。深手を負う前に逃げるのだぞ」
死に物狂いで木々の間を走り抜けながら、気を探って前方の敵を感知しようと試みる。だが、この状況で冷静に気を分析するのは無理だった。これ以上、不運な出会いが増えないことを祈るのみだ。
――空間ごと消滅したり、いきなりジャングルに送られたり、トカゲ人間共に追い回されたり……今日は底抜けに踏んだり蹴ったりな日だな。人類史上最も不運な男としてギネス認定されるんじゃないか?
あれからどれくらい走っただろうか。
「グッ!」
突然、肩の辺りに焼ける様な痛みを感じた。
――何だ?どうした?
走りながら、そこをまさぐってみる。
「何じゃ、こりゃああああ!」
俺の肩に1本の棒が生えていた。もとい、矢が刺さっていた。あいつら、飛び道具まで持っていやがったのか。
――ヤベー。これはヤベーぞ。
相手はたぶん狩猟民族だ。逃げ回る獲物を射るなんて、得意中の得意だろう。対して、こちらは道も分からず、ただ突っ走るのみ。格好の的だ。
相手を甘く見ていた。師匠がいたら、こっぴどく叱られていただろう。
――くそ!おまけに毒か……。
肩口から次第に痺れが広がり始めた。気で浄化させようとしても、走りながらでは効果が薄い。
毒を食らった上に、わざわざ走り続けているんだから、最悪の展開である。全身に回るのも時間の問題だろう。
「う!」
痺れていて、さほど痛みは感じないが、今度は背中に矢が刺さったらしい。ガクンとスピードが落ちる。
――これはもうダメっぽいな。
こうなったら、覚悟を決めて一矢報いるとしようか。それとも、無駄でもあがいて走れるだけ走ろうか。
恐らく人生最後となる選択に迷っていた俺は、木の根に足を取られて盛大にコケた。
――結局、無様に殺されるってオチかよ。とことんついてねーな。
どうにか身を起こし、木に寄り掛かって座る。もう一歩も動けない。
――詰んだな。情けない弟子でごめん。師匠……。
薄れ行く意識の中で、過去の出来事がまるで早送りのビデオを見ているように浮かんでは消える。
――お約束ってやつか。
これを見終わった時、俺の最期がやって来るんだろう。
やがて、半分閉じた目に映る霞んだ景色の中に、トカゲ人間共が割り込んできた。止めを刺すつもりだろう。もういい。考えるのも面倒だ。
「そこまでだぁぁぁ!」
その時、空気を裂くような声が響き、暴風のような威圧感が押し寄せた。
――誰だ。せっかく登り始めた天国行きの階段から転げ落ちちまったじゃねーか。
そして、その圧倒的な気配に、トカゲ人間共は一瞬身体を硬直させた後、
「「「ギエエエエッーーーー!」」」
断末魔のような叫び声を上げて、蜘蛛の子を散らすように森の奥へと消えていった。
「おい、しっかりせい!」
誰かが俺の元に駆け寄って来た。
輝く黄金の髪と瞳を持ち、絹のように滑らかな白のチュニックワンピースを着た姿は、まさに天使のような少女だった。本物か?
――くそ!もう手は動かねーし、くんかくんかしても匂いが分からねー。最後のお楽しみもナシかよ……。
「散々待たせておいて、このザマは何だ!死ぬなど、許さんぞ!」
少女が必死に呼び掛けているようだが、もう眠いんだ。このまま眠らせてくれ。
しかし、天国も気が利いてるよな。最期を看取ってくれるのが、こんな美少女なら文句無しだ。
「あれを試すしかないか……だが、しかし……いや、迷っている暇はなさそうだ……」
少女が何かを言っているが、俺にはもう分からない。どうでもいい。
「サヨナ……ラ……」
――今度こそ、転げ落ちない様にしないとな。