第二話 永遠のサヨナラ?
今日も今日とてやって来ましたいつもの洞窟。
「師匠。来ましたよー。今日も宜しくお願いします……って、あれ、妙に深刻な顔をして、何かありました?」
洞窟に入ると、岩の上に座って腕組みしながらちょっと怖い顔をしている師匠がいた。
師匠がこんな表情を見せることは非常に珍しい。基本、仙人とは良く言えば楽天的、悪く言えば脳天気なのだ。
「竜也か。ちょうど良い。そこに座れ」
「何でしょう。師匠が真面目ぶって言うと、何か怖いです」
「いつも不真面目みたいに言うでない。今日は、これから大事な話をするのだ」
「はいはい。分かりました」
「はいは一回でと言ったろ」
「はーい」
「伸ばすな!」
うっ、今日はノリが悪い。しょうがないから真面目にやろう。
「竜也よ。もう儂からお前に伝えることは何も無い。この世界でやりたい事も無くなったしな。飽きたから、仙界に行ってみることにした」
仙界とは、仙人が住む俗世とは隔絶された清浄な地と言われている。
「仙界って……。それで、いつ頃戻って来るんですか?」
「仙界と現界では時間の流れが違うからな。数百年は戻らないだろう」
「そんなー師匠……。!突然過ぎるって!まだ途中の修行だって一杯あるじゃないですか。房中術とか」
小学3年から7年近くもの長い付き合いである。突然の別れの言葉に、俺は狼狽した。今ここで見放されたら、俺のバラ色人生計画がオジャンだ。
「その年で房中術は早い。第一、我慢できるわけないだろ。もうちょっと枯れたら試してみることだ。でも、あんまり女を泣かせるんじゃないぞ!」
サムズアップしながらニッと笑う師匠。これ、深刻な話なんでしょ?
「自分で教えといて、今更、それはないでしょ!念話だってできてないし……」
「現代人に念話は無理なのかもしれん。これから先は、生涯を掛けて仙人を目指すもよし、これまでの修行の成果を活かしながら、平凡な人生を歩むもよし。好きにせい」
「それ、ただ投げ出してるだけですよね?」
「仙道の修行など、もともと孤独なものだ。ゴーイングマイウェイだ!」
「そんな洒落たこと言ったって、ダメだから!」
その後も、俺は懸命に師匠を引き留めた。そりゃ、必死になりますよ。俺の夢は仙人になる事で、それがいくら遠い道程であっても、師匠が付いていてくれれば、なんとか頑張れると思っているんだから。
でも、師匠の決意は固く、いくら泣いて頼んでも餌をチラつかせても翻意してくれなかった。
「もしかして、仙人には仙人の女って考えてません?」
「バカを言うでない。仙女……仙女かぁ。それもアリかもしれんなー」
いかん。藪蛇だった。
そうして、師匠とあれこれ言い合いながら一週間。万策尽き、ついにその日が訪れた。
「よいか竜也。儂も仙界行きは初めての経験だからな。何が起こるか分からん。決して洞窟に近寄ってはならんぞ。よいか、絶対にだ!」
昨日、俺は師匠からくどいほど釘を刺されていた。
弟子として、師匠の言葉は絶対である。まあ、これまで破ったことも多かったが、最後くらいはきちんと守ってやろう。
でも、学校から帰って悶々としていた俺は、師匠に貸していたスマホのことを思い出した。
――やばい。あれを無くしたら親父に怒られる。
慌てて、俺は師匠に電話を掛けた。だが、いくら待っても繋がらない。
――間に合ってくれよー。
俺は、三輪山まで全速でチャリを飛ばす。
今の俺の身体能力は一般男性の2倍はある。端から見たら暴走行為そのものだろう。通報されないことを祈りたい。
「師匠ー。ハーハー、忘れてますよ、ゼーゼー、ス・マ・ホ!スマホ返してくれないと!」
洞窟の入り口で息を切らせながら俺は叫んだ。
しかし返事は無い。
――遅かったか!
だが、中へ入ってみると、師匠がいつもの岩の上で座禅を組み、瞑想状態に入っていた。こうなると、ちょっとくらい話し掛けても目を覚まさないのが常だ。
そして、その頭上には見たこともなかった大きな黒い渦が巻いている。これが仙界への入り口か?
「師匠、勝手に取りますからね。失礼しますよ」
俺は、師匠に近付いて、作務衣のポケットに手を入れようとした。
「ちょ、ちょっと!待って!ウワァァァァァ!」
その時、師匠の身体がフワリと浮かび上がり、そのまま渦の中に吸い込まれていく。そして、師匠に近寄っていた俺も、それに巻き込まれた。
「師匠!起きて!師匠!」
必死に身体を揺すって師匠を起こそうとするが、そうしている間にも師匠と俺の身体は渦の中へと消えて行き、
「助けてくれぇぇぇぇ……」
終には完全に飲み込まれてしまった。
嵐のような渦の中で、錐揉み状態になった俺は次第に気が遠くなる。
◆ ◆ ◆
気がつくと、そこは真っ白く何も無い空間で、俺は師匠に抱き抱えられていた。
「竜也……。だから、あれほどきつく言っておいたものを……。さて困った……」
「ごめん、師匠。でも、スマホが無いと親父から怒られるからさ……」
涙を流して項垂れる俺。どうして、こんなことに。
「そうか。儂も失念していた。すまぬ。だが、ここは現界と仙界を結ぶ通り道。ここへ来たら、もうお前を連れて現界に戻ることは不可能だ。それに、竜也は仙人ではないので、共に仙界に入ることも叶わぬ。このままでは、この空間共々サヨナラするしかないのだぞ」
何だか軽いノリで告げられたが、これって死の宣告だよな。
「ほんとかよ……」
やっちまった。俺はやっちまったんだ。両親や妹の顔が浮かぶ。
そう言えば、妹とは顔を合わせると喧嘩ばかりしていたっけ。俺は修行に熱中して、休みでも妹と遊んでやらなかったからな。何時からか、お互いの間に壁みたいな物ができちまった。死ぬ前に仲直りしたかったな。
「ふ~む……」
暫く厳しい顔つきで考え込んでいた師匠だが、急に穏やかな笑顔を浮かべると、俺の両肩に手を置いてギュッと力を込めた。
それから、涙で濡れた顔を上げた俺に向かって静かに話し掛ける。
「そんな顔をするな。儂の知識によると、ある程度のレベルに到達した者なら、ここで肉体が消滅しても、どこかに転生する可能性が高いはずなのだ。竜也は、儂が育てた自慢の弟子。何とかなるだろう。きっと……たぶん……もしかしたら……もしかするかも」
――この人、本当に深刻に考えてくれているんだろうか?うん、でもまあ、これがいつもの師匠だよな。
「限りなく自信なさげなんですけど……。まあいいや、どうせ身から出た錆。自業自得だから。ハハ……」
俺は半ば自棄っぱちの薄笑いを浮かべた。
「信じよ!されば救われん!仙界の先輩も、きっと協力してくれるであろうよ」
「まあ、その言葉を信じることにしますよ」
腹は決まった。どうせ死ぬなら、スッキリ、サッパリした気持ちで死にたいじゃないか。
そして、師匠は急に真面目な口調で別れの挨拶をした。
「さらばじゃ、竜也。お前に出会えてよかった。何時か再び、我らが魂の触れ合う時が訪れん事を!」
「おたっしゃで、師匠!これまでのご指導、心より感謝致します!」
師匠は俺と離れ、グッっとサムズアップをする。
――こんな時まで格好つけなくていいのに。
俺は笑いながら師匠に手を振った。やがて、空間の消滅と共に意識が遠退いてゆく。
――あ、またスマホ返してもらうの忘れた……。