第一話 俺と師匠のエンカウンター
師匠が住処としている洞窟がある三輪山は、縄文時代や弥生時代の頃から信仰の対象となっていたとされる神聖な山で、今でも山そのものが御神体として入山を制限されている。
その三輪山を祀っているのが、日本最古の神社の一つと言われている大神神社で、俺の家はその神社の近くにある。
俺は、幼い頃にこの三輪山の上で秘密基地にぴったりの場所を見つけて、一人でちょくちょく来ては遊んでいたんだ。
両親からは、『三輪山は神聖な場所だから、勝手に入ったらバチが当たるよ』なんて脅されていたけど、俺がお気に入りの秘密基地を諦めるはずがないじゃないか。
あれは、俺が小学3年生になった年だ。この地方を大きな地震が襲った。
幸いなことに、俺の家は潰れたりしなかったけど、瓦は落ちるし、壁のあちこちにヒビが入るしで、結構大変だった。当然、家の中は目茶苦茶だ。
数日経って、家の中がどうにか落ち着きを取り戻した頃に、俺は秘密基地のことが心配になって、こっそりとリュックを背負って三輪山へと足を運んだ。
そして、いつものように、誰も通らない獣道を草木をかき分けながら進んでいたら、それまでに見たことの無かった洞窟を発見した。どうやら、地震で崖が崩れて、入り口が姿を現したらしい。
今の俺なら、地震直後の洞窟なんか間違っても足を踏み入れることはないけどさ、怖いもの知らずで好奇心旺盛な頃のことだから、探検家にでもなったつもりで、ワクワクしながらその洞窟へと入って行ったんだ。ほんと、思い返すと冷や汗ものだよ。
暫く洞窟内を進んでいると、何かがぼんやりと光っているのが見えた。近付いてみると、光の主は見たことのない中年のオッサンで、岩の上に座禅を組むようにして座っていた。
観光案内のパンフレットで見た古代の服に似たものを着て、髪の毛はボサボサ、髭も伸ばし放題という感じ。どう見ても、危ないオッサンだったな。
「あの、おじさん……大丈夫?」
俺は思い切って声を掛けてみた。
こんな洞窟で一人でいるなんて、見捨てたら死んじゃいそうで怖かったからね。
でも返事が無い。
仕方ないので、オッサンの袖を引っ張りながら、ボリュームを上げて呼び掛けてみた。
「もしもーし?い・き・て・ま・す・か?」
「……む……」
すると、オッサンは薄目を開けて、ゆっくりと俺の方に顔を向けた。その頃には、オッサンの身体から放たれていた光は消えていた。
「わ……し……をおこ……したの……は……おぬ……し……か……?」
しゃがれた声を絞り出すように、オッサンは言った。
「そうだよ。おじさんは、どうしてこんな穴の中にいるの?」
「それ……は……」
話すのが辛そうだった。
「お水飲む?」
俺は、リュックから水筒を取り出すと、蓋を開けてオッサンに差し出した。水筒を見るのは初めてなのか、暫くは不思議そうに眺めていたけど、俺が飲み方を教えると、始めは静かに、でも途中からゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んで水筒を空にした。
「助かったぞ小僧。礼を申す」
「いいよ、このくらい。それで、どうしてここにいるの?」
「何故だったか……」
――この人、イカレちゃってるのかなぁ~?
こんなオッサン相手にしても仕方ないかと思いつつも、俺はもう暫く付き合うことにした。純朴だったなー。この頃の俺なら、きっとコロっと騙されて誘拐されていただろうな。
「覚えてないの?」
「うむ。随分と長いこと瞑想していたようだ。ときに、今は何年になる?」
「えーと……今年は2015年だよ」
「いつから数えて2015年なのかはわからぬが、かなりの年月が過ぎていることは確かなようだな」
「おじさんは、何時からここにいるの?」
「何時かは分からぬが、卑弥呼という女王が身罷った後だったな」
この時の俺には理解できなかったけど、もし彼の有名な卑弥呼だとすれば、それは250年頃の話になる。つまり、このオッサンはかれこれ1800年近くもの間、この洞窟で瞑想していたと宣ったのだ。
この後、オッサンは徐々に記憶を辿りながら、俺に身の上話を聞かせてくれた。
オッサンは自分は中国人の徐福だと名乗った。
始皇帝の命で不老不死に至るための方法を見つけるべく、仲間と共に航海に出たそうだ。もし、オッサンが徐福本人だとすると、紀元前220年頃ということになる。今では本人だって確信してるけどね。
でも、海は荒れて、必死に日本に辿り着いた頃には、生存者はオッサン一人になっていたそうだ。それでもオッサンは諦めずに、不老不死の秘密を求めて日本中を探し回ったけど、何時まで経っても目的を達成することができなくて、帰るに帰れない。
そこで、『こうなったら自分が仙人になって、不老不死の秘術を持ち帰ろう』と決心したそうなんだ。
もともと、オッサンは方士という仙人の一歩手前の存在だったから、それから二十年程の修行で仙人の仲間入りを果たした。
ところが、その頃にはとっくに始皇帝は亡くなっているし、皇帝の望みを果たせなかった自分が帰国しても歓迎されるとは思えなかったから、日本国内で放浪の旅を続けることにしたのだそうだ。
「いやー、この地で出会った卑弥呼というおなごは、とびきりの美人でな~。儂が仙人だと知ると、もう離してくれんかったのだ。それで、ついつい長居をしてしまってな~」
髭モジャのオッサンがニヤニヤ鼻の下伸ばしながら言うと、かなりキモい。
「その卑弥呼が死んで、儂は悲しみのあまり気を乱してしもうた。このままではいかんと思うてな、ここで瞑想することにしたのだよ」
その瞑想が、1800年というわけだ。
――1800年って、どんだけだよ!
後で知った俺ならずとも、突っ込みを入れたくなるところだろう。
外見上30~40才にしか見えないのは、仙人になったオッサンは若返りと不老不死の力を得たからだ。
オッサンは洞窟の入り口に結界を張ってから瞑想状態に入ったんだけど、卑弥呼の国の偉いさん達が守護してくれる約束になっていたらしい。
三輪山が御神体になったのって、実はオッサンが原因なんじゃないかって俺は考えている。
そして、オッサンは、『目覚めさせてくれた礼だ』と言って、俺を弟子にして仙術を教えてくれるようになった。
洞窟の入り口には結界が張ってあるから、俺にしか見えないし入れない。
俺は、オッサンのことを『師匠』と呼んで、学校帰りや休日にはこうして洞窟に通って修行に励んでいると言うわけだ。家では『部活に一生懸命』ってことにしてるけど、もうバレてるかもしれんな。
師匠は、とにかく好奇心が旺盛で、今の時代のあれこれを知りたがった。
三輪山での修行中はもちろん、離れている間にも、念話を飛ばして俺を質問攻めにするんで参ったよ。
『竜也よー。人間が月に行ったというのは、本当か?』
――本当だよ。だいぶ前の話だけどな。
『竜也よー。今は仙術など使わずに空を飛べるらしいなー』
――頼むから、飛んだりしないでくれよ。
『竜也よー。たまには女の子の一人も連れて来れんのか?』
――彼女いなくて、悪かったな!
いくら念話で話し掛けられても、こっちは返事ができないんだ。どれだけ修行を積んでも、念話だけは一向に使えるようにはならなかったからな。
ひっきりなしに頭に響いてくる声に対して、俺はブツブツと八つ当たり気味の独り言を呟くことしかできなかった。
そのうち、たまらなくなった俺は、自宅からポータブルラジオを持ち込んで、洞窟に居る師匠に聞かせることにした。好奇心の塊のような師匠が首ったけになることは間違いなかったから。
――これで平和な生活が取り戻せるぞ。
だが、それも束の間。
半年も経たないうちに、
『竜也よー。そろそろ携帯欲しいんだけど。ガラケーでいいからさ』
――戸籍も無いし、現金収入も無いのに、無理だろ。
『竜也よー。インターネットに繋がらないと不便でな。どうにかならない?』
――次はインターネットかよ。進化早すぎだろ。それに、PCもスマホも無いんじゃ無理だから!
『竜也よー。今度、ネコ耳メイド喫茶へ連れて行って欲しいニャン!』
――ニャンって何だ!ニャンって!キモいからやめて!
さらにパワーアップした質問の嵐に見舞われることとなった。順応性高過ぎだろ。
もうラジオじゃ我慢してくれないから、親父が使わなくなった個人用のスマホをソーラー充電器と一緒に貸すことにした。料金は使い放題だからいいやってことで。
因みに、その後師匠を見掛け上の保護者にして、ネコ耳メイド喫茶へは何回か足を運んでいる。
中学を卒業する頃には、俺は師匠が方士だった時分より仙道を極めていた。何せ、仙人から直に教えを受けているんだからな。上達が早いのは当然だ。
さらに、地下には龍脈が通っていて、洞窟周辺が上質のパワースポットだった事も上達を後押ししてくれたらしい。
俺は修行によって脳が活性化され、記憶力が向上したお陰で、特に勉強をしなくても学校の成績は常にトップだった。授業が退屈だったから、よくサボタージュしてはスマホでゲーム三昧の日々をおくっていたっけ。今でもそうだけど。
でも、師匠なんか完全記憶の持ち主なんだぜ。スマホのインターネット検索を駆使した結果、今や『生き字引』ならぬ『生きデータベース』と化している。
俺の名前でサイトを運営していて、アフィリエイトなんかで結構な額を稼いでいたりするんだ。まったく、スーパー仙人だよな。
高校は、一応地元では進学校として有名な公立高校を選んだ。
私立に入って親に負担を掛けたくはなかったし、どの高校でも好きな大学に入ることができる自信があるからな。
◆ ◆ ◆
「それは、お前が食うんだろうな?」
まずい、完全に忘れていた。イワナが黒焦げだ。
「す、すぐにもう一串焼きますから、お許しをー」
俺は慌ててクーラーボックスからイワナを取り出すと、串に刺して軽く塩を振ってから焼き始めた。もちろん、使ったのは天然の海塩だ。
こうして、俺の修行の日々は過ぎていく。
――彼女の一人もいない?フン。仙人になった暁には、選り取り見取りだぜ!