プロローグ
「し……師匠……参りました。このくらいで……勘弁してください」
俺は地べたに寝転がったまま、ゼイゼイ言いながら白旗を揚げた。
「もう降参か?そんな事では仙人への道は遠くなる一方だぞ」
拳法の構えを解いて、呆れ顔でこう言ったのは俺の師匠。
紺の作務衣に裸足。見た目は30~40才のヘラヘラしながらも、眼光だけは鋭い痩せギスのオッサンなんだが、不老不死で二千年以上も生きている。正真正銘の仙人だ。
ここは山中にある俺と師匠が訓練場にしている野っ原で、俺は今、師匠の念を込めた掌底突きを食らって伸びているところである。
師匠は『もう』なんて言ってるが、乱取り稽古を始めてかれこれ2時間にもなる。息も切れてないなんて、ほんと師匠は化け物だぜ。
「そろそろ洞窟に戻って、夕飯の準備をしないと」
「おう、そうだな。今夜の献立は何だ?」
「師匠の好きな麦トロにイワナの塩焼きですよ」
「そりゃ、楽しみだ。ふはは」
仙人である師匠は自然食品しか口にしない。ちょっとでも食品添加物が入っていたりすると、『悪い気が漂っている』とか言って、作り直しさせられてしまうんだ。
お陰で、俺は休日になると食材集めに奔走している。化学調味料なんか使えず誤魔化しがきかないから、料理の腕前もメキメキ上達して、今じゃその辺の主婦には負けない自信がある。でも、手伝いさせられるのは嫌だから家では内緒だ。
本当は、仙人は気を取り込んでいれば食事を摂る必要はないって言うんだけど、1800年も絶食していたから、食事そのものが楽しくて仕方がないらしい。
もっとも、食事は俺が作る早めの夕飯のみ。それも極端に少食だ。
今日も、師匠が住処にしている洞窟の前で竈でイワナを焼きながら、飯ごうで麦飯を炊いている。飯ごうで美味い飯を炊くのも苦労したっけ。どれだけ炭飯にしたことか……。
でも、無料で修行をつけてくれているからね。喜んでお世話させていただきますよ。
おっと失礼、自己紹介がまだだった。
俺の名は速水竜也。身長173cm、体重63kg。至って健康。今年の春、公立高校に入学したばかりの15才で、サラリーマンの父に専業主婦の母、2つ年下の妹がいる。
生まれは東京だが、物心つく頃には親父の転勤でここ奈良県桜井市に引っ越して来た。
両親共に東京生まれで東京育ちなものだから、家族はみんな標準語を話すんだが、外では当然関西弁が標準だ。お陰で、俺は何となく疎外感を覚えながら育ってきた。でもまあ、この土地は気に入っているから無問題だ。
この桜井市一体は、かつてヤマト王権の中心的な地域であったと考えられていて、数多くの古墳が発掘されている。その中には、あの有名な邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかと言われている古墳もあったりして、まあ所謂、由緒正しい土地柄なのである。
「おい、魚が焦げ始めてるぞ」
――おっといかん。
串に刺したイワナをひっくり返して、俺は師匠との出会いを思い出していた。
――もうあれから7年になるのか……。