ボクとボクの忘れられない物語
試験的な小説です。
ぜひ、最後まで読んでいただきたいです。
そして、できることなら感想を頂きたいです。
ボクは静かに線香に火を付けた。
燃え盛る線香の火を消すと、煙だけが残った。
天へと昇る一本の煙は、まるであの世へと繋がる道標のようで。
その煙に思いを乗せながら、ボクはそっと金属製の器に立てた。
目を閉じ手を合わせる。いったい、どれほどの時間そこにいただろうか。
目を開けると、ボクは近くに座っている家族の方に頭を下げた。相手側も、機械的に頭を下げる。
「なんで死んじゃったんだよ……ユキ」
再び正面を向いた時、ボクの口から小さく漏れてしまう。
今日は葬式。ボクの彼女の、葬式だった。
数日後の学校。
肌寒い季節になってきたようで、教室ではジャージを羽織っている生徒も多くなってきている。
かくいうボクも、ジャージを羽織り、いつもと同じように退屈な授業を受けていた。
彼女が欠落した教室は、特に支障をきたすようなこともなく、平常運転していたる。
そのことに、どこか苛ついてしまう。
この世を歯車に例えるなら、彼女という歯車が抜けたところでその動きに問題がないようで。
まるで、彼女の欠落など、些細な事だと言われているようで。
もちろん、クラスのみんなは明るく振舞っているだけだ。そのことに気づかないボクじゃない。
誰もそのことに触れたがらない。
だってそうだ。
誰だって、早く自分の日常を取り戻したいのだ。
ふと、目を横にそらすと、きれいな花が添えられた花瓶が目に入った。
「うむ、今日はこれまでにしておこう」
教師がいつものように、いつものセリフを吐くと委員長が終わりの号令をかける。
ようやく、作業的に受けているだけの授業から開放されるのだ。
昼休みにもなると、全員がそれぞれ好きな人物をお昼ごはんを食べだす。
少し前までは、ユキと一緒に食べていたというのに。
「……ハルキ、一緒に食べない?」
ボクが了承する前に、彼女はボクの机の半分を占領しお弁当を広げ始めた。
「あんた、最近ちゃんと食べてる?」
「問題ないよ……こうして元気にやってる」
「……全然元気に見えないわよ、馬鹿」
ぶすっとした表情の彼女は、ボクに弁当箱を突きつける。
どうやら、ボクの分のお弁当を作ってきてくれたようだ。
「どうせ、今日もパン一個で済ませようとかしてたんでしょ」
彼女とボクは幼なじみだ。
昔はこうしてたまにお弁当を作ってきてくれたりしていたのだが、最近は控えていたらしい。
だから、こうしてお弁当を受け取るのは久々だ。
「ありがとう、シノ」
「別に……いつか空腹でぶっ倒れられても困るじゃない」
「はは、ちょっと前までは男っぽかったシノも、こうして女の子っぽい仕草で心配もできるようになるもんなんだね」
「ちょっと、昔の話はタブーって言ってるでしょ。私、高校入ってから変わるって決めてたんだから」
周りの様子をキョロキョロと伺うシノ。今の話が聞かれていないかどうかを心配したようだ。
幸い、誰もこちらの会話を気にしてはいない。
そもそも、こんなこといちいち気に留めはしないのだろうと思う。
「一緒の中学はボクとシノだけだもんね」
「だから、高校以前の話はなしの方向で、お願いっ!」
手を合わされてお願いされる。
このお願いも、もう何回念を押されたことか。
「もちろん、誰も言わないよ。こうして、お弁当も作ってきてもらってるわけだし」
「うん、ありがとう、ハルキ」
とは言え、ボク的には彼女のしゃべり方に今だに違和感を感じるのだが。
それは、もう慣れるしかないのだろう。
「お口にチャックいたします」
「チャックしたら私の弁当食べれないでしょ。ほら、早く食べる食べる」
シノに急かされ、ボクは弁当を包んでいるナプキンを解き、箱を開けた。
はじめは彩りもヘッタクレもなかった全面真っ茶色の弁当だったが、最近は進化してきており、きちんと緑や赤が混じっている。
あるいは、ボクの栄養面を気遣ってくれたのかもしれない。
「ほんと、ありがとうね、シノ」
幼なじみの気遣いが胸にしみる。心にぽっかりと空いた穴を少しずつだが、癒やされているような気分だ。
「ハルキ、今日の放課後は用事あるの?」
「今日は……あ、そうだ。予約したCDの発売日だ」
「CD? あんたそんなの予約してたの。なんてCD?」
「えっと、『灰色の春』ってタイトルだったかな……その、ユキと一緒に予約しに行ってさ」
「……ふーん」
ユキの名前を出すと、どういう反応をしていいのかわからないような素振りをした。
「私も一緒に行っていい?」
「いいけど」
「それじゃ、放課後にいこっか」
ニコッと笑う彼女だが、どこかその笑顔がぎこちない。
きっと、ボクに気を使っているのだろう。笑顔を作っていいものかと考えたのかもしれない。
そのまま、お昼ごはんを食べて終わるまで、何気ない話をした。
一人で塞ぎこむより、こうして誰かと話していると気が紛れて、とても気持ちが楽だった。
3階から屋上へ上がる階段は今は通行禁止だ。
コーンとバーで隔離され、通行禁止と書かれた紙も貼ってある。
なぜかと問われれば、ここでユキが死んだからに他ならない。
俗にいう転落死だ。
足を滑らせたのか、階段から転がり落ちた彼女は当たりどころが悪かったらしく、そのまま死んでしまった。
警察は事件性を疑ったが、確たる証拠もないため、事故として処理したようだ。
学校なんて不特定多数の人間があちこちを行き来するのだ。確たる証拠が見つからなくて当然かもしれない。
また、事件現場が学校ということもあり、警察もだいぶ慎重に捜査を進めていたようだ。
当然といえば当然だ。彼らの行動は、ボクらの学校生活に大きく影響する。
警察に目を付けられたとすると、その目を付けられた人は、たとえ冤罪でもこの学校では過ごしにくくなるだろう。
そういった影響力も含め、大胆な行動や大きな一歩を踏み出せない捜査となったのだろう。
ボクはその階段を一瞥すると、そのまま下へと降りる。
時間はもう放課後だ。下校するにはこの階段を降りなければならないので、どうしても目についてしまう。
ボクは、逃げるようにやや早足で階段を降りた。
シノが下駄箱でボクを待っているはずなのだ。早く行ってあげなければ。
案の定、「遅い」とシノから叱咤されてしまった。
そこから、靴を履いてCDショップまで足を運んだ。
途中、クラスメイトの佐藤と遭遇したが、軽く会話するだけで特に何もなかった。
この状況をからかうほど、彼も馬鹿ではないようだ。
ただ、なんといっていいか分からないというような目ではあった。
「……見る人が見たら、変な誤解受けちゃうのかな」
「さぁね」
ボクは曖昧に答えた。
それは、彼女が心配することではない。なぜなら、主にボクの世間体に係る話だからだ。
彼女が死んだのに、数日後には別の女とデートをしている。なんて薄情なやつなんだ、と。
ユキとボクの関係は、おおやけにはしていなかったものの、クラスのほとんどの人が知っていた。
だから、クラス内では今のボクは腫れ物のように扱われている。
逆に、ボクとシノの関係はあまり知られていない。
同じ中学出身というだけで、小さいころからの幼なじみということは知られていないのだ。
だから、もしかすると、妙な誤解を受けてしまう可能性はある。特に、他のクラスメイトからは。
「ごめん、ハルキと二人っきりってのは、不味かったよね」
「気にすることないよ」
「でも」
「シノがボクを励まそうってしてくれたのはよくわかってる。だから、謝らないで。シノの気遣いを原因にシノに謝罪なんてさせたくない」
「……うん」
「第一、そんなこと言うような奴がいたとして、そんなのは言わせておけばいいんだよ」
ボクは、出来る限りの笑顔を作った。
これ以上、幼なじみに心配をかけてはいけない。
それを察したシノは、これ以上何も追求してこなかった。
ユキと予約したCDを購入する。
本来なら、一緒に買いに来ていたはずなのに。一緒に来れなかったが残念でならない。
一緒に聞こうねって、約束までしたというのに。
そんなことを考えても、過ぎてしまったことは仕方がない。
せめて、彼女がどんな曲を聞こうとしていたのか、ボクはそれを早く知りたかった。
――*――*――*――
今日も温かい。
ボクは、パタパタと下敷きをうちわのようにして仰いだ。
そんなことをしていると、教室から彼女が入ってくるのが見えた。
「あー、おはよう、ミノリちゃん」
「……長谷川おはよう」
警戒したように、彼女はボクの挨拶に答える。
「前にも言ったけど、そのミノリちゃんはやめてくれない」
「……どうして?」
「呼ばれ慣れてないのよ。苗字で呼んでって言ったでしょ」
「ふむ、そんなことを言われたような気がする」
あれはいつだったか。初めてあった時に……だったような気がする。
だが、自分としてはもうこの呼び方が定着してしまったので、いまさら苗字というのもどこか寂しい気がする。
「まーまー、そこは呼ばれ慣れてよ、ミノリちゃん」
「……はぁ、好きにすれば」
「そっちも、名前で呼びたければ呼んでもいいんだよ」
「嫌だね長谷川殿」
呼ばれることに関しては諦めた様子で、彼女はボクの前の席に鞄を置く。
そして、鞄から必要そうなもの出すのだ。
「そういえば、ミノリちゃん最近付き合ってるんだって?」
「……誰から聞いたのよ」
顔はあくまで前を向いたまま、彼女は静かに尋ねた。
ボクだって噂で聞いた程度の話だ。ただ少し気になって尋ねただけに過ぎない。
この反応から察するに、付き合っているというのは本当のことらしい。
「噂で聞いただけ。相手までは知らないや」
「……はぁー、えぇ、そうよ」
案外あっさり認めたのが少し意外だった。
なんだかんだで、ごまかされるのかと思っていた。
「ちなみに、相手は?」
「……あなたの知ってる人よ」
「え、ウソッ」
ボクは少し考えだした。
適当に言っていけば当たるかもしれないが、彼女がその戦法で答えてくれるとは限らない。
少し慎重に考える。
「あ、わかっ――」
「授業を始めるぞー」
ボクのセリフにかぶせるように、教師が教室へと入ってきた。
どうにも不完全燃焼だ。
昼休みに、お弁当でも誘って聞き出してみよう、ボクは鞄からノートを取り出しながらそんなことを思った。
――*――*――*――
昼休み、ボクはまたシノとお弁当を食べていた。
昨日のCDショップの帰りに、しばらくはお弁当を作ってきてあげるとシノが言ってくれたのだ。
最初はもちろん断った。さすがに悪い気がしたからだ。
だが、彼女は「一人分も二人分も変わらないからっ」と半ば強引にボクに同意させた。
そういうところは昔から変わってないなと思いながらも、どこかその優しさが嬉しかった。
昼休みには少し行きたいところがあったのだが、とりあえずは、彼女とのお弁当が優先だ。
「それにしても、最近寒いよね」
彼女はジャージのチャックを締めて腕をさする。
確かに、今日は雨が降っているという点も含めて、ひんやりした風が吹いていた。
「風邪とかには気をつけないとね」
ボクがいうと、彼女はうん、と頷く。
「病は気からって言うし、あんたも気をつけなさいよ、ハルキ」
「もちろんだよ」
「ま、少しは顔色マシになってきたんじゃない」
シノの言葉に、どこか胸が傷んだ。
ユキの死を、もう受け入れて忘れようとしている自分がいた。
もちろん、死は受け入れなければならない。だが、そのことを寂しく思う自分がいるのも確かだ。
その時、本当に小さな会話だったが、耳に入った。
普段なら絶対に聞き逃すような声量だが、ある単語に反応してその会話の全てが聞こえたのだ。
「ねぇ聞いた? ユキさんのあれって殺人かもしれないって噂」
「あー。そんな噂流れてるよね」
ガタッ。ボクは勢い良く立ち上がる。
居ても立っても居られなかったのだ。
「あっ、ちょっと、ハルキっ!?」
ボクはシノとの弁当タイムをそっちのけて、彼女たちの会話に入っていった。
「その話、詳しく聞きたいな」
「げ、ハルキくん……」
「どういうこと、瀬名さん」
「……き、聞いただけなんだよ?」
彼女の態度から、非常にしまったと思っているのが伺えた。
一緒に会話をしていた桃井さんも、「ハルキくんが近くにいるところでする話じゃなかったね」と申し訳なさそうな顔をしていた。
「いや、ほら、ユキさんが死んだ日に、彼女と誰かが口論してたってのを聞いてさ」
「口論?」
ボクにはそれが意外だった。彼女はどちらかと言えば、クールでおとなしいイメージだ。そんな彼女が口論とは、一体どんな内容だったのだろう。
「たぶん、口論してたから、その……殺されたんじゃないかって噂が流れてるんだと思う」
瀬名さんは慎重に言葉を選んで話す。
「その口論自体、本当かどうか分からないんだけどねぇー」
桃井さんはのんびりした口調でそう述べる。
確かに、誰かがいたずら半分で流した噂の可能性は大いにある。
だけど。
「火のないところに煙は立たない……」
ボクには、その噂の真相が知りたかった。
仮に殺人だったとして、なぜ、彼女が殺されなければならなかったのか。
口論が本当だったとして、彼女がいったいどんなことで口論をしていたのか。
純粋な興味だ。きっと肩透かしをくらうに決まっている。
だが、最近砂漠のように枯れてしまったボクの心を潤すには、充分な話だった。
「ハルキ……何を考えてるの?」
心配そうに見ているシノを見て、気づいた。どうやら、ボクの口元は笑っていたらしい。
そうだ。きっとこのまま何もしないで過ごせば、彼女の死は受け入れられ、忘れられる過去のものとなる。
だったら、忘れられない過去のものとしよう。ユキが死んだ真相を知ることで、ボクの中にその記憶を刻み込もう。
ボクは、動き出す。
どんなものでもいい。少しでも、死んだ彼女に近づきたくて。
――*――*――*――
大事な用を済ませたボクは、屋上の扉を開けた。
「あ、やっぱりここに居た」
お昼休み、屋上をのぞき込むとミノリちゃんが座っている。
よく屋上にいるのを見かけていたので、もしかするとと思ったが、やっぱりだった。
「長谷川。どうしたの、なんか用?」
「いやー、ちょっとお話伺いたくて」
ニコニコしながらボクは近づいた。
特に拒絶も嫌な顔もされなかったことから、たぶんオーケーということなのだろう。
「あなた、お昼は食べたの?」
「あ、うん、もう食べちゃった」
「そう」
彼女も、もう食べ終わった後らしく、空のお弁当箱を隅によせた。
どうやら、ベンチの隣に座ってもいいという合図らしい。
「それじゃ、遠慮なく」
誘われるままに、ボクは彼女の隣に座った。
「それで、話ってのは今朝のこと?」
「そうそう。結局聞きそびれちゃったからね」
ボクはポリポリと頭をかいた。
改めて聞くのもどうかと思ったが、やはりそこは気になるのだ。
中途半端が一番消化に悪い。
「今朝も言ったけど、あなたの知ってる人よ」
「うんうん、でもいくら名前を上げても素直には教えてくれないんでしょ?」
そうなると、手っ取り早く本人から言ってもらったほうがいい。
ボクが知っているということは、クラスメイトの誰か、ということになるのだろう。
「木之下くんよ」
「え゛っ」
それはあまりにも意外な人物だった。
知ってるどころか、知りすぎている。
「あなたの友達でしょ」
「意外すぎて言葉が出ない」
彼の過去を思い返してみるが、それらしい素振りなど一度も見せていないはず。
うぅむ、一体いつの間に。
「そんなに意外かしら」
「意外も意外。知らなかったよ。正直、ミノリちゃんが付き合っているというだけで意外なのに」
「それは心外ね」
「でも、へぇー、あいつとミノリちゃんがねぇ」
「あ、私、委員会の用事があるから、失礼するわね」
「んー、分かった」
ボクは笑顔で手を振りながら見送る。
だが、その笑顔は誰も見ていないと思うと途端に崩れた。
彼女の背中を見送りながら、ボクには確かに嫉妬に似た感情がふつふつと湧いてきた。
――*――*――*――
「あれ、ハルキどこ行ってたの?」
「ちょっと用事があってね」
ボクは用事を済ませると、教室にお昼休みギリギリに戻ってきた。
ユキの死の真相について知りたいと思ったのは事実だ。
だが、それを再優先するほどボクだって愚かじゃない。
自分の死がきっかけでボクが普段通りじゃなくなるなら、きっとそれはユキが悲しむ。
「それで、本当にする気なの?」
「するって?」
「その……死の真相を調べるなんてこと」
言葉を濁して言っているが、要はシノはあまり気がのらないらしい。
だってそうだろう。高校生の子供が警察の真似事をするのだから。
そりゃプロには敵わない。
だが、彼らはプロであることが強みでもあり弱みでもあるんだ。
何をするにしたって、強行的な手段は取りにくいし、最悪の場合はいろいろな手続を踏まなければならない。
さらに、警察はあくまでこの学校からすると部外者だ。警戒だってされる。
また、彼らに話を聞かれていたというだけで、変な噂が立ちかねないのだ。
誰も関わりたくなかったはずだ。
だが、ボクは違う。
ボクはプロでもなんでもなければ、この学校の生徒でユキの彼氏だ。
そんなボクが彼女の死の真相について調べたって、なんら不思議ではない。
「もちろん、闇雲にやったりはしないよ。あくまで学校生活を送る上での片手間に程度」
闇雲にやりたい気持ちはもちろんある。
だが、そんなものは続かないことは明白だ。
教師にだって止められるだろう。
「約束する。絶対にそれを再優先させないって」
「ならいいけど……ごめん、私は参加できそうにないかな」
シノが申し訳なさそうに顔を伏せた。
「なんで謝るの。別にシノは悪くないじゃん」
そもそも、ボクが勝手にやるって言っただけだし、シノだって誘ったわけでもない。
「ねぇハルキ。今ならまだ間に合うよ。やめようよ。変に首突っ込むと後々きっと大変だよ」
「……」
ボクはシノの言葉を静かに受け取る。
「ほら、今は心の傷が癒えるのを待ってさ。いつになるかわからないけど、傷が癒えた頃にさ、また、新しい彼女でも作って学校生活を満喫するのもありなんじゃないかな」
「それは……」
「もちろん、ハルキが彼女のことを大事にしたいってのはわかるけど、でも、ずっと死んだ人に縛られるってのも、望んでないんじゃないかな」
シノの言うことも最もだ。
確かに、それも選択の1つなのかもしれない。
「ありがとう、シノ。確かに、こんなのユキは望んでないかもしれない」
「じゃぁ」
「でも、ボク自身、あんな噂を聞いて黙ってもられないんだ。だから、どんな結末であれ、これを最後にする」
「最後……」
「そう、これはボクがユキについて考える、最後の機会なんだ」
ケジメをつけたいだけなのかもしれない。
噂を、それの材料にしているだけなのかもしれない。
でも、もう決めたことだ。今更うじうじ考えたって仕方がない。
「ハルキが決めたっていうなら、もう私からは何も言わないよ」
シノがそう言うと同時に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
教師が入ってきて、授業を開始する。
最優先させないとは言ったものの、少し目を動かせば嫌でも花が目に入る。
どうしても、考えざるを得なくなるのだ。
――*――*――*――
ボクは、今日1日最後の授業が終わると、ノートを鞄にしまって、前の席のミノリちゃんに声をかけた。
「ミノリちゃん、放課後暇?」
「暇だけど……?」
「よかった、デートとかは入ってないんだね」
「デートは土日だけって決めてるの」
平日は自分の時間として使いたいということなのだろうか。
少し疑問に思うも、予定が入っていないなら好都合だった。
「ちょっと、図書室行きたいんだけど、一緒に行かない?」
「調べ物?」
「まぁね」
ミノリちゃんは、しばらく考える素振りをすると、「いいわ」と返事をしてくれた。
案外付き合いのいい子なのかもしれない。
「それじゃ、早速行こうか」
ボクが席から立ち上がると、彼女の一緒についてくる。
ふと、ミノリちゃんが彼に目配せをしたのがわかった。
おそらく、先に帰るねの意図なんだろう。
彼も、特に気にした様子もなくヒラヒラと手を降っていた。
それは、ボクに対してもなのだろう。だから、小さく手を振り返す。
図書室に到着したボクは、さっそくお目当ての本を探しいく。
ミノリちゃんも、本を選び始める。
「久しぶりに来たけど、相変わらず変わった本多いよね」
「そうね。本好きにはたまらないんでしょうけど」
自分はよくわからないと言った感じだ。ミノリちゃんは、難しい本とかスラスラ読んでいるイメージが合ったが、どうやらそうでもないらしい。
「部活動記録なんてものあるんだね」
「部活動をしてると、毎日の記録が求められるのよ。それを提出したものをこうしてまとめてるの」
「へー」
「月初めに先月分が発行されるから、ほら、今月のはまだない」
「あ、ホントだ」
やたら詳しいのが少し不思議だったが、すぐにその理由が思い浮かぶ。
(あぁ、委員会)
確認したわけではないが、たぶんあの時の昼の委員会の用事とやらはこれだったのだろうと勝手に想像した。
委員会の仕事も大変だな、と思った。
ボクは、部活も委員会もしていないから、こんなものがあった事自体初めて知ったことだ。
「そういえば、聞こうと思って忘れてたんだけど」
「何よ」
「どっちが告ったの?」
「ブッ」
クールな彼女の表情が崩れた瞬間だった。
唐突な質問に動揺しているらしい。だが、彼女はすぐに落ち着きを取り戻す。
「……私からよ」
「これまた意外」
ボクは心底驚いた。どちらかといえば、言い寄られていてもおかしくないというのに。
「なんで? どこが気に入ったわけ?」
「……そういえば、私、用事があったわ」
「あっ」
彼女はそさくさと逃げてしまった。
どうやら、表面上はクールを装っても逃げるくらいに相当恥ずかしいらしい。
(……ふーん、ミノリちゃんから……ねぇ)
ボクはやり場のない怒りを抑えながら、目当ての本をとって読みふけった。
――*――*――*――
「ハルキ、ここにいたんだ」
「ん?」
ボクが本を読んでいると、シノがボクめがけて寄ってくる。
「……って、部活動記録? なんでそんなの読んでるの?」
「あ、この本のこと知ってた?」
「ちょっと前から」
「ボクは今日知ったよ。それで、ちょっと調べ物」
ボクはシノが見やすいように机にそれを広げた。
そこには、各部活のその日の参加者、部活内容、記録者、開始時間と終了時間が記録されている。
感想もあるが、どこの部活も1行2行程度だ。
極稀に、暇そうな部活が数行にもわたって書いているが、面白半分といった内容だ。
「それで、この部活動記録を見てどうしようっての?」
「ユキが死んだ日の死んだ時間帯に、学校に残ってた人の選別……かな」
闇雲に聴きこみをしても仕方がない。ならば、ある程度は絞る必要がある。
そこで、この部活動記録だ。
ユキが死んでから月をまたいでいるので、ちょうどユキが死んだ日の部活動記録が掲載されている分が発行されていたのだ。
もちろん、部活をしていない人にも聞いてみるつもりだが、そのへんはまたおいおい選別することにする。
「まさか、それ全員に聞き込みするつもり?」
「それこそ、まさかだよ、シノ」
部活動していた全員に聞き込みするなら、闇雲に聞き込みするのとなんら変わらない。
ボクは隣においていたノートを見せた。
「うわ、名前ばっかり……それで、この斜線が引いてあるのは?」
「聞く必要がない人、かな」
「え、なんでそんなこと分かるの」
シノが頭をかしげる。
「過去の記録も考慮して、比較的まじめに活動している人」
「……? 逆に学校にいたってことなんだから、その人に聞けばいいんじゃないの?」
「いや、例えばこの野球部の人。毎日休まずに参加してるし、記録もこの人の割合が多い」
「ふんふん」
「それで、仮にこの人がトイレに行ったとしてもこの学校の構造的に、彼女の死の現場の近くに居合わせたとは考えにくい」
「え? でも、もし仮に、仮定の話として、この人が……その、犯人だったとしたらどうなの?」
「その場合は、普段いる彼がいないとか、そういった変化に周りがおかしいと思うはずだから、この人以外に聞けば必然的に話が耳に入るはずだよ」
「おぉー、なるほど」
「そんな感じで、普段いるのにこの日に限っていない人の中で校舎の中に残ってそうな人や、建物の構造上何かを目撃できてそうな人に絞ってるわけ」
正直言うと、半分以上は勘のようなものだ。
人間の行動には、必ず意味があるとは限らない。
そんなランダムで変則的な人間の動きなど予測なんて不可能だ。
もしかしたら、シノの言ったとおりボクが聞く必要がないと判断した人が犯人である可能性もあるし、はたまた目撃者などである可能性も否定は出来ないのだ。
これは、あくまで可能性を上げるだけの行為。
もともと0に近いパーセンテージを、数パーセントだけ上げる行為だ。
下手をすると、パーセンテージを下げている可能性もあるのだが。
……単なる事故であるなら、意味もない行為にすぎない。それならそれでいい。
「なんていうか、私が手伝えそうもないね……」
そう思ったが、このままさよならバイバイするのは気が引けたのだろう、彼女は本を手にとってボクの目の前に邪魔にならないように座った。
とりあえず、何も出来なくても近くに居てくれるということなのだろう。
「二重人格……かぁ」
「え?」
シノの呟きに思わず反応してしまった。
彼女の本を見てみると、『徹底解説、二重人格/多重人格』というタイトルだった。
シノのことだ。おそらく適当に意味もなく取った本なのだろう。
「重度の精神的ショックで、人格が2つに割れることがあるんだって」
この手の本を初めて読んだのか、彼女は興奮したようにボクに語りかけてきた。
確かに、フィクションではなく実際にそういったことが起こりうる。
だが、そんなものは本当に稀だ。重度の精神的ショックを受けても、人格がわかれるなんてことはそうそうない。
あって、その間の記憶が欠落する、と言ったところか。
どちらも、解離性障害の一種だが。
「……」
シノにしては珍しい題材だったようで、案外集中して読んでいる。
邪魔しては悪かったし、何より自分自身の作業も進めたかったので、ボクの視線は再び書物へと降りた。
――*――*――*――
図書室の帰り道、ボクはたまたま見かけた。
(あ、ミノリちゃん)
それと一緒に歩く、男の影。
どうやら、ボクと別れた後に、一緒に下校したようだ。
気が付くと、自分が隠れていたことに気づいた。
どうして隠れてしまったのかは、自分でもわからない。
ただきっと、この負け犬のような顔を見られたくなかったのだろう。
(なんで……あいつなんだ)
ボクの胸はざらつく。
最初はただの友達だと思っていた。
だけど、もうただの友達には戻れそうにない。
ボクは、その場から隠れるように、反対側に小走りで去った。
――*――*――*――
朝、教室に入るとボクは羽のように軽い鞄を机の上に投げるようにおいた。
基本置き勉をするボクは、鞄の中にはほぼ何も入っていないに等しい。教科書もノートも、ずっと机の中だ。
ここ数日、ずっと聴きこみを続けていた。
はじめはこの話題を振ると嫌そうな顔をされるのだが、ボクがユキの彼氏であることを明かすとしぶしぶだが答えてくれた。
残念ながら、あては外れて今のところ有力な情報は得られていない。
その時は学校に居なかった、その時は部活をしていた。
そんな発言ばかりだ。
周りにそれらしいことを言っていた、あるいは聞いていたという情報を持つものを知らないかと聞いても、残念ながらいないと答えられる。
もしかすると、口論自体本当にただの噂だったのではないだろうか、そんな考えも時たま浮かんでくる。
「最近、こそこそ聞き込みしてるらしいね、ハルキくん」
「おはよう、瀬名さん」
彼女から話しかけてくるのは珍しかった。不仲でもなかったが、特別仲がよかったというわけでもない。
この間話しかけたのを含めたって、両手の指で数えられるほどしか話していない。
そんな彼女は、どうやら最近のボクの行動が耳に入ったらしい。
「別に、暇な時間を使ってやってるだけだよ」
「暇な時間で闇雲に聞き込み?」
「闇雲ってわけじゃないさ。一応絞っている」
「それで成果は出たの?」
「……はは、全然」
可能性のありそうな生徒にはできるだけあたっている。
だが、たかだが数日でこの全校生徒1000人はいるであろう学校から、目撃者かもしれない1人を見つけだせるなんて思っていない。
「正直、あんたがそんなことしだしてるのに、あたしは多少なりとも責任を感じてるんだよ」
「気にしなくていいよ。ボクが勝手に首突っ込んで勝手にやってることなんだから」
「それはまぁ、そうなんだけどさ」
「まーまー、ハルキくん。聞いてあげてって。瀬名ちゃん、これでもハルキくんを手伝おうって気なんだから」
「ばっ、ももちゃん!」
今度は、瀬名さんの背後から桃井さんが現れる。
やや小柄な彼女は、飛び出てくるまで瀬名さんん隠れて全然見えなかった。一体いつからそこにいたのだろう。
ふと、瀬名さんに目を向けると、自分の内心を先に暴露されたためか、少し顔を赤くしながら目を横にそらしている。
「あたしは、あの噂を遡れるだけ遡ってみようと思う」
「遡る?」
「うん、誰から聞いたってのを辿っていけば、いずれ元のところに辿り着くでしょ」
彼女の理屈は正しい。
だが、噂なんて誰から聞いたかいちいち覚えているものだろうか。
誰から聞いたかわからない。誰が言い出したかわからない。だからこその、噂なのではないだろうか。
それでも、ボクとは違う方面で探してくれるというのは非常にありがたいことだ。
手伝ってくれる人がいるなら、確率が増す。
「それじゃ、お願いしてもいいかな」
「おうよ、まっかせなさい」
トンっと胸に拳を当てる。
「ちなみに、今日の昼休みにでも始めようと思うんだけど、ハルキくんも来る?」
「行きたいけど……今日は委員会の用事が」
「え? ハルキくん委員会なんてやってたっけ?」
「一応、ユキの後任ってことで引き継ぎ受けてる途中。この間の昼休みに正式に手続きしてきてさ」
「あぁ、そういや、ユキさん委員会してたもんね」
「そういうわけだから、ごめんね」
「いいよいいよ。あたしの方でじゃんじゃん進めておくから」
そう言ってもらえると心強い。
授業開始の鐘がなり、彼女は自分の席へと戻っていく。
そこからは、いつもどおりだ。
花は、まだ綺麗に飾ってあった。
――*――*――*――
ボクは少しイライラしていた。
昨日に少し見たくないものを見たのを、思い出したからだ。
今は昼休み。
ボクはミノリちゃんと一緒に、委員会の仕事をしている部屋に向かった。
ガランとして部屋だ。
教室の端にファイルが乱雑に並べられているが、基本は綺麗にしてある。
もっと、物置のような所を想像していた。
「私の仕事は、基本的にこの部活動記録書の確認印を押すくらいなんだよね」
「え、それだけ?」
「それだけって……あのなぁ、長谷川。さっきも歩きながら説明したけど、わりと量あって大変なんだよ?」
「わかってるって。それで手伝いたいって言ったんだから」
「特に、わりと2週間に1回くらいしかしないから、なおさら量がすごいんだよね」
もっと定期的にすればいいのでは? という疑問が浮かんだが、自分の立場に置き換えてみると、しょっちゅうここで作業するのも確かに面倒だ。
だから、一気にまとめてするようにしているのだろう。
「割りと機械的で単調な仕事だから、やりたがらない人多いんだよねー」
一応提出された記録に漏れなどがないかチェックしなければならないらしい。
誰もやりたがらないというのも頷ける。
「まぁ、時間も時間だし、さっさと進めよう」
「う、うん」
ミノリちゃんに促されるまま、ボクも作業に取り掛かった。
漏れがないかを確認して、印鑑を押す。ただそれの繰り返し。
「実はね。来月からハンコを新しくしようと思っててさ」
実理ちゃんが暇になったのか、そんなことを言い出した。
「へぇ」
もちろん、ボクも手を止めないで話を聞く。
「私自身、このハンコに飽きたっていうのもあるんだけどね。なんていうか、少しでも新鮮なものをいれたいなって」
「あぁー、少し分かるかも」
「これがそのニューハンコ」
彼女が見せてくれたのは、かわいい猫のイラストのハンコだった。
「え、そんなのでいいの?」
「いいんだよ。要は、私が確認したっていう証なんだから。これくらいの自由が許されないようじゃダメだよね」
「委員長とかに見せなくていいの?」
「ん? あぁ、事後承諾でいいでしょう。既成事実だよ」
「いいんだ……」
わりと適当だなって思ってしまった。
学校も伝統的にやっているにすぎないから、そこら辺は生徒の自由でいいのかな、とも思う。
「それで、本当は私に用事があるんじゃないの?」
「……え?」
「あるんでしょう?」
彼女にじっと見つめられ、ボクは静かにコクリと頷いた。
「……ここじゃなんだし、放課後に屋上でどうかしら。今はとりあえずこの作業を終わらせましょう」
「そうだね」
ボクは彼女に言われるままに、淡々と作業をこなしていった。
――*――*――*――
「おーい、ハルキくん」
「瀬名さん」
昼休み。いつものように聴きこみをしていたところに、瀬名さんが近づいてきた。
「やったよ、噂の発生源かもしれないやつがわかった」
「ボクもそれなりに有力な人物の情報を掴んだところだよ」
部活動をしていた人物のなかからある程度絞った人間のなかに有力な情報を持つものはいなかった。
だから、次は委員会等の関係で残っていた人物を探していた。
帰宅部は、基本的にすぐに帰ってしまうため、ボクの勝手な考えだが、ユキが死んだ時間には残っていなかったと思っていた。
そういった感じで、あらかた聴きこみをしていくうちにある人物が浮上してきた。
「「永倉 典子」」
「って、おんなじかよ」
瀬名さんがあちゃーっと額に手を当てた。
「おんなじタイミングだったら、あたしが手伝った意味無いじゃん」
瀬名さんが露骨に落ち込む。
ボクは知っていた。
瀬名さんが、桃井さんと協力して噂の発生源を一生懸命突き止めてくれていたことを。
「無駄なんてことないよ。少なくとも、その人物が重要である確率が上がった」
「そ、そう?」
「まだ時間に余裕もあるし、一緒にその人のところに行ってみる?」
「そうだなー、こういうのは早めの行動がいいかもしれない」
ボクと意見が合った瀬名さんは、彼女がいるというクラスの方向に向かって一歩を踏み出した。
「あ、ハルキー? どこ行くのー?」
「シノ。ちょっと聞き込みだけど」
「あ……そ」
聞き込みと聞くと、彼女は付いて来る意思が失せたようにその場で足を止めた。
だから、ボクは彼女に背を向けて歩き出した。
――*――*――*――
ざらつく。ボクの心が。
昨日見たことが頭のなかで反復され、どんどん黒い感情が腹に溜まっていく。
誰かと話しているときはそこまで感じないが、いざ1人で考えだすとそういった感情が膨れ上がってくる。
あぁ、ボクはもう自分を抑えられそうにない。
――*――*――*――
永倉さんがいるというクラスまで行き、その永倉さんと接触することに成功した。
瀬名さんが、よそのクラスに居た彼女の知り合いを使って呼んでくれたのだ。
「あの……私に、何かご用でしょうか……」
彼女はどちらかと言えば大人しい印象だ。あまり人と話すのも得意ではないように思える。
「単刀直入に聞くけど、ユキが口論してたって噂を流したのは君?」
彼女の肩がビクリとしたのがわかった。
怯えているような、そんな表情。
「噂……その、意図して流したわけじゃ……ないんです」
彼女はきょろきょろと目をそらしては、ボクと目を合わそうとしない。
「そ、そもそも貴方はなんなんですか」
「ボクは……ユキさんの彼氏……だった、か」
「……っ。そう……ですか」
状況をある程度理解すると、なおさら彼女の身は縮こまる。
「だから、その日のことを教えて欲しいんだ」
「あたしの記憶だと、この噂が流れ始めたのって、警察の捜査が終わったあたりからだったと思うんだが」
ということは、彼女は警察にはこのことを言っていない?
そう尋ねると、彼女は震えながら首を縦に振った。
「だ、だって……もし、それがユキさんの死と全然関係なかったとしたら、わ、私の証言のせいで誰かが疑われるんですよ」
そう思ったら、言えるわけないじゃないですか。彼女は半泣きになりながら言った。
確かに、彼女しか知らない情報なのだとしたら、警察はその発言を重く受け止めるかもしれない。
もしそれが彼女の誤解だったとしたら、そんな思いが彼女の口を封じたのだ。
話を聞いていると、友達にその話をしているときに、クラスメイトが小耳に挟み噂として拡散されたのだそうだ。
「それだけ……です」
「そうか。呼び出して悪かったな。なぁ、ハルキくん」
「本当にそれだけですか?」
「え?」
「ちょっ、ハルキくん?」
ボクの発言に、永倉さんはぎょっとしたように目を見開いた。
それは、隣にいる瀬名さんも同じだった。
「ちょ、ハルキくん、ちょっと」
ぐいっと体を後ろに引っ張られ、永倉さんに背を向けるようにしゃがまされると、彼女が密着してくる。
女の子の甘い匂いに少しクラリときた。
「どーゆーつもりだよ」
小声でボクの耳元に話しかける。
「どーゆーって?」
「見て分かるでしょ。あの手のタイプはあんまり深追いし過ぎると泣き出すタイプだって」
それは見ていれば分かる。実際、彼女の目はすでに潤んでいる。
「よそのクラスの女子泣かせたなんて、また面倒なことになるぞ」
「大丈夫、任せてよ」
「いやいや、あたしの話し聞いてた?」
「大丈夫」
「…………」
ボクがまっすぐに彼女の目を見て断言すると、瀬名さんはぷいっと顔を逸らした。
「あたしは知らないからな」
瀬名さんの束縛から逃れたボクは、再び永倉さんに向き合う。
「永倉さん。他になにか隠してるでしょ」
「……え?」
「ボクは思うんだ。口論してたって情報だけなら、別に警察に話してもいい」
なぜなら、それだけならここは学校だ。集団で行動している以上、喧嘩の1つや2つ起こったって不思議じゃない。
「問題は、噂の内容だ」
内容は、「ユキさんが死んだ日、誰かと口論していた」だ。
「これだけなら、別に誰かと喧嘩していた程度の話だ」
「おいおい、ハルキくん。話が見えないぞ」
「簡単にボクが言いたいことをまとめると、この噂には、『場所』と『時間』に関する情報が一切ない」
「…………っ!」
彼女の顔が一気に青ざめていく。
「君は、『事件に関係ないかもしれない』と言った。『そのせいで誰かが疑われるのが耐えられない』とも言った」
「…………」
「でも、君がこの口論を目撃した場所が、あの屋上に向かう階段だったとしたらどうだろう。時間が、彼女の死ぬ直前だったとしたらどうだろう」
「!?」
そう。そうなると、彼女の言うことももっともだ。確かに、彼女の発言のせいで誰かが疑われる。
ボクは、最初その噂を聞いた時、勝手に口論は階段で行われたと思い込んでいた。
だけど、冷静になってその噂を聞いているとどこにも場所も時間も表す単語がないのだ。
彼女は、噂の内容にしてはやたら怯えていたのが気がかりだった。だが、これなら納得がいく。
口論の場所があの階段なら、事件に直接関わっていてもなんらおかしくはない。
時間がユキが死ぬ直前なら、事件を目撃していたっておかしくはない。
だから、彼女は勘違いで誰かが疑われることを恐れたのだ。
本当に犯人でも、冤罪でも、警察に目を付けられた相手からは確実に『誰がそんなこと言った。あいつだ』という流れになってしまう。
そうなることを、彼女は恐れたのだ。
「あ……ぁ」
そして、ボクの考えが正しければ。
「永倉さん。君、口論してた相手が誰か……知ってるね」
「…………っ!!」
彼女は観念したように、その場にへたりこんだ。
そこまで知っているから、彼女は警察に何も言えなかった。
一度そのことを言ってしまうと、きっと最後には全部しゃべてしまっただろうから。
それはつまり、彼女のもっとも恐れていた流れだ。
「大丈夫。絶対に誰にも言わない。約束するよ」
「でも……」
「君が言ったとも言わないし、その人をいきなり犯人だなんて言わない」
「…………」
「お願いだ」
ボクは出来る限り頭を下げた。ようやく見つけた、正解に繋がるかもしれない情報なんだ。
なんとしても手に入れたい。
そのためだったら、こんな頭、いくらでも下げよう。いくらでも地面に擦り付けよう。
「あ、頭をあげてくだ……さい」
周りの視線が気になったのか、彼女は強引のボクの顔を引き上げた。
「分かりました……わかりましたから、もう頭を下げないでください」
「じゃぁ、教えてくれるんですね」
ボクがそう尋ねると、彼女はコクリと頷く。
ただし、さっき言った情報源を明かさない、その人を犯人だと断定しないというのが条件だった。
彼女が、ボクの耳に近づき、小さくその人物の名を言った。
「――っ!!」
ボクは、あまりの驚愕に、言葉を失った。
――*――*――*――
放課後。
ボクは、ミノリちゃんと共にこの学校に1つしかない屋上へ向かう階段を登っている。
屋上に出たら話を始めようと思っていたが、どうにももう抑えられなかった。
「昨日さ、見たんだよね」
ボクが話し始めると、彼女は立ち止まって振り返る。
「見た?」
「ミノリちゃんとあいつがキスしてるところ」
「……」
その言葉に、彼女は一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの冷静な顔に戻った。
「屋上でさ、2人抱き合ってしてたよね、ずいぶんと長い時間さ」
ボクが見ているのにも気づかないくらい。
「盗み見は趣味が悪いわよ」
「ボクだって、見たくて見たんじゃない!!」
「……ボク?」
そう、誰が好きな人が他の人とキスをしているところなんて見たいだろうか。
必死に抑えこもうとしていた感情は、それを見て爆発した。
今まで我慢していた分、衝動は大きい。
「ねぇ、ミノリちゃん。今からでもあいつと別れられない?」
「……ごめん、言ってる意味がよくわからない」
「そうだよね、ミノリちゃんにボクの気持ちなんてわからないよね」
「ちょっと、どうしたのよ。変よ、あなた」
そりゃ変にもなる。自分でも今の自分がおかしいと思っている。
だけど、もう止められないんだ。
あふれることを覚えた感情は、もうどこにも収まってくれない。
人の感情に、完璧な蓋なんてないのだから。
「そういう話なら、あなたに付き合ってる暇はないわ」
屋上へと向かうはずの足を翻し、彼女はボクの隣の去っていこうとする。
とっさに、ボクは彼女の手を掴んだ。
「……離してよ」
「待ってよミノリちゃん」
「離してっ」
「待てよ、由貴 実理!!」
その瞬間のボクの頭は真っ白だった。
何をどうしたのか、さっぱり覚えていない。
気が付くと、彼女は階段を転がり落ち、その下でぐったりと動かなかった。
さすがのボクも、非常事態だと思った。
「実理……ちゃん?」
一歩踏み出した時、足に何かがあたった。
真っ白な頭で、それを拾い上げる。
彼女が、新しく採用しようとしていた、猫のイラストいりのハンコだ。
その時の彼女の笑顔が脳裏をよぎり、また、目の前の人形のように眠る彼女が目に入る。
「あ……あぁぁ!」
恐ろしくなった。
とてつもなく、恐怖した。
声にならない悲鳴を上げて、ボクはその場から走り去る。
あまりにショックすぎて、その場に誰かがいたかもしれないという可能性すら、頭に浮かばなかった。
殺してしまった。ボクが。彼女を。
なんで死んでしまったんだ。
あんなにあっさり、あっけなく。
罪悪感が、ボクの心を蝕む。
いっそ、忘れてしまいたかった。
いや、違う。忘れればいいんだ。
何事もなかったように、日常のように、ただ忘れて過ごせばいいんだ。
ボクの意識は、深い深い闇の中へと落ちていく。
あぁ、きっと。
目が覚めたら、そこには日常が待っているのだ。そう信じて。
――*――*――*――
ボクは、ポケットに手を突っ込む。
そこには、ゴツゴツとした塊があった。
そっと取り出すと、それは猫のイラストの入ったスタンプ。
それを、ぎゅっと握りしめた。
(頼む、嘘であってくれ)
そう願う。だが、現実はいつも残酷だ。
嘘であってほしいと願えば願うほど、考えれば考える程、それが真実のようで。
唐突に突きつけられた情報は、とても許容しがたいもので。
ボクは、もう一度スタンプを力強く握りしめた。
それを、そっとポケットにしまう。
ボクは、深呼吸した。おもいっきり息を吸い、嫌な考えを全部吐き出すように長く長く息を吐く。
「おーい、ハルキー」
ボクを呼ぶ声が聴こえる。
あぁ、近づいてくる。彼女が。
彼女はこんなボクを許してくれるだろうか。
………………。
考えたって仕方がない。
「どうしたの、こんなところに呼び出して」
「シノ。見てほしいものがあるんだ」
「な、何? もしかして、ら、ラブレター……とか?」
彼女が照れながら髪いじる。
ボクは、そっとソレを取り出した。
「――っ!?」
もちろん、ラブレターなんかではない。
猫のイラストの入ったスタンプだ。
「ど、どうしたのよそれ。あんたの彼女のスタンプじゃない」
「……知ってるんだね」
「そりゃ、教えてもらったし」
「君の鞄から出てきたんだ」
「――――――っ」
シノは声にならない声を上げる。
「そ、そんなわけないでしょっ! どういうつもりよ! ハルキ!」
「それはこっちのセリフだよ。どうしてそんなに慌てているんだい?」
「だ、だって、そりゃ、まるで私が犯行現場から持ち去ったみたいな言い方されたらっ」
「…………」
ボクは、唇を噛み締めた。
認めたくない現実が、目の前にある。
「なんで、犯行現場限定なんだ?」
「そ、それは……」
「このスタンプは、彼女が死んだ日に、ボクがあげたものなんだ」
「……」
そう、あの朝に彼女にプレゼントしたものだ。
「君がこのスタンプを見て、由貴のだってわかったってことは、朝のうちから放課後までの間に見せてもらったのは本当だろう」
でも。
「落ちていたのを拾った。彼女から預かった。いろいろある中で君はわざわざ犯行現場から持ちだしたと言った」
「ち、違う! 『ボク』じゃない! そうだ、誰かが、誰かがボクの鞄に入れたんだ!!」
「一人称が、高校前に戻ってるぞ、シノ」
はっ! といった表情で彼女は口元を抑える。
そう、普段は絶対に表に出さない口調。男みたいだからと、高校生になってから控えていた一人称。それが表に出るほど、今彼女は動揺している。
「ごめん、シノ……ボクだって疑いたくはなかった。だから、こうしてカマをかけるようなことしたんだ」
「……」
「そもそもね、このスタンプがなくなった事自体、気づいている人はいないんだよ」
「どういう……こと」
「このスタンプを持っているという事実自体、誰も知らなかった。つまり、犯行現場から持ちだされたという考えに至ることがまずないんだよ」
つまり、そんな考えに直結するのは、持ち去った犯人以外いないということ。
この間、お昼に委員会の引き継ぎで顔を出した時、委員長は言った。
そんなハンコは知らないと。
「…………」
シノはずっと黙ったままだ。
追い詰める。
ボクは……木之下 春樹は、幼なじみの長谷川 詩乃をどんどん追い込んでいる。
やがて、観念したように彼女は座り込んだ。力が抜けたようだ。
「……春樹、そのスタンプ、ボクの鞄から出てきたものじゃないでしょ」
「うん、同じものを買ったんだ」
「はぁー、考えれば分かることだったのに……だってそのスタンプ……」
彼女は何かをポケットから取り出した。
それは、間違いなく、ボクが由貴にあげたものだ。
「馬鹿よね……ポケットにあるのに、あんたがそれ持ってるの見て本気で動揺して」
ポロポロと涙がこぼれてくる。
きっと、事件の時からずっと持っていたんだろう。
何度も捨てようとしたはずだ。だが、彼女にはそれが捨てられなかった。
「詩乃……どうして」
「許せなかった……うぅん、羨ましかった」
「羨ましかった?」
「私より先にあんたの恋人なんてポジションを手に入れて! 羨ましかったのよ!!」
「詩乃?」
「ずっと、春樹のこと好きで。高校になってから女の子っぽいの意識して、やっと、ボク自身が告白できる準備が整ったのにっ」
ボクは詩乃の告白に言葉が出ない。
「それが、気が付くともう春樹は誰かのものになってた! 実理ちゃんのモノになってた!!」
彼女の涙は止まらない。言葉もどんどん嗚咽混じりになっていく。
「最初は諦めようとした……ボクが出遅れたのが悪いって、自分に言い聞かせた」
「……」
「でも、春樹と実理ちゃんがキスしてるの見て、押さえ込んでいた感情が爆発するのがわかった」
……見られていたんだ。
「なんであそこにいるのはボクじゃないんだろう、なんでずっと好きだったボクより、ほんのちょっとしか付き合いのない実理ちゃんなんだろうって」
もう、詩乃は止まらなかった。
抑えこんでいたモノ全てが今、表に吹き出てきている。
「本当はちょっと話すだけのつもりだったのに……いろいろおかしくなって、それで、あんなことに……殺すつもりなんて……う、うああああああーーー!!!」
とうとう、彼女は完全に泣きだしてしまった。
もうどんな言葉も発しない。
言いようのない罪悪感が、きっと彼女を責め立てている。今にも押し潰そうとしている。
今、ボクができることは。
そっと、泣き喚く彼女を抱きしめた。
「こんなにボロボロになってたのに、気づかなくてごめん」
「ぐずっ……春樹……?」
「もちろん、由貴が死んでしまったことは取り返しがつかない。でも、ボクは詩乃が意図的に人を殺すようなやつじゃないってわかってる」
「……」
「本当に事故だったと、そこだけはボクは信じてる。いろいろ衝撃的な事実が発覚して、ボク自身なんて言ったらいいかわからないけど」
そう、これは紛れもない本心。詩乃がどう思い、どんな意図があってしてきたのかはわからない。
けど。
「由貴の死んだ後、いろいろ慰めてくれたよね。あれでボクの心が救われたのも事実なんだ。詩乃にどんな考えがあっとは別として、それだけは事実なんだ」
「春樹……でも」
「詩乃……警察に行こう。正直に全部話そう」
「警察……」
ぴくりと詩乃が反応する。
きっと、怯えているのだろう。さっきとは違う震えが彼女に現れ始めた。
出頭すれば、間違いなく一部からは酷いバッシングを受けるだろう。これから先の人生においても苦労するだろう。
「春樹……怖い」
「大丈夫、ボクは……ボクだけは、お前を待っててあげる。学校を退学にさせられたって、会いに行ってやる」
「春樹……春樹!!」
彼女がボクを抱きしめる力が増す。
「春樹! 春樹! 春樹!!」
あぁ、ボクはなんて馬鹿なんだろう。自分の恋人を殺した女を許そうとしている。
でも、きっとこれは間違いじゃない。
そうだろ、由貴。
最後まで、名前で呼ばせてくれなかったな。
でもきっと、それはボクの心が、完全に由貴に向いていないことを、彼女が悟っていたからかもしれない。
あの時のキスだって、どこか焦ったようなキスだった。
本当に、馬鹿だよな。
結局ボクは、何もかも失う。
由貴を失って、彼女の死の真相を暴こうとして、大好きな幼なじみまで失ってしまった。
本当に、これからどうすべきなのかわからない。
だが、泣き続ける幼なじみを抱きしめながら、ボクは忘れないことを誓う。
あぁそうだ。人生はまだ続く。
続くが、いちいち忘れてなんかいられない。
これは、ボクが忘れて過去のモノにしようとしたものを、忘れられない記憶へと変えた物語。
ボクは、泣き止むまで、彼女を抱きしめ続けた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、叙述トリックの実験的小説となっております。
いやぁ、自分も叙述トリックを書いてみたかったのです……。
内容はともかく、
「叙述トリックとしてあり、なし」
「騙された、すぐにわかった」
等、簡単な感想でいいので、いただけたら幸いです。