(8) Cracking Up
麻衣には、薬物の経験が全くないというわけではなかった。
が、体質的に合わない。
もちろん、あらゆる種類の物を試すことなど不可能である。
友達に誘われて、得体の知れない錠剤を呑んだり、意気がってシンナーを吸ってみたりした事があるだけだ。
麻衣は、日常から逸脱した世界を見たいとか、日頃の憂さを晴らしたいという願望を持っていない。
あるとしても、それらは学校でいじめを行ったり万引きや恐喝やオヤジ狩りなどで十分解消出来るのだ。
だから、仲間がネットで手に入れたという大麻にも興味はなかった。
ただ、今までやった事がないから、誘いに乗ったのだ。
パッケージはきれいで、おしゃれな感じがした。
そして、箱に描かれたイラストのドレッドヘアの天使の顔は、どこかアスラに似ていた。
「吸うてみ。
幸せ感じんで。」
薄笑いを浮かべた少年が、すすめた。
眉毛をほとんど剃り落としているせいか、顔以前の顔という印象を与える。
麻衣は、たばこを吸う要領で、思いきり肺まで吸い込み、むせた。
強烈な草の香りが、頭の中にまでしみ込んでくる。
気に入らない匂いだ。
それでも、麻衣は無理して吸い続けた。
気分がわるい。
しかし、周りはそんなこともないらしく、すでに笑いを浮かべているのもいた。
「ふわふわしてくるわあ。」
「これ、ごっつ効くなあ、上物やで。」
顔以前の少年は感嘆し、
「ま、シャブとは比べもんにならんけどな。」
と、生意気な調子で言った。
「シャブなんてださいわ。」
麻衣は怒ったように言い、ちっともいい気分にならないまま、吸い続けた。
いい気分にはならなかったが、顔の筋肉はゆるみ始めている。
おかしくもないのに、顔が笑ってしまう。
口を閉じることが出来ない。
よだれが垂れてくるので、最初はしきりに拭っていたが、そのうちめんどうになり、垂れるままにしてしまった。
幸せな気分にはならない。
考えてみれば、ろくな事がなかった。
アスラには、何度近づいても突き放される。
今まで、目をつけた男にふられたことなど一度もなかったのに。
みんな、お姉やお父んが恐いから、付き合ってくれた。
でも、強いはずのお姉がいたのに、オヤジ狩りには失敗した−あんなに恥をかいたのは初めてだ。
なぜ、自分だけが髪をあんな変な風に切られなければならないのか。
やっぱりケンシロウは変態だ。
かつらで登校しても、教師は何も言わなかったが、実力テストの結果が、五教科全部合わせても一けたにしかならなかった自分を見る目は、心底ばかにしている目だった…麻衣の目に、涙があふれた。
気分の悪さがピークに達した麻衣は、泣きながら吐いた。
ロングヘアのかつらに、吐瀉物が飛び散るのもかまわず、涙と鼻水を垂らしながら、げえげえ吐いた。