(5) Low Life
「マジかよ!?」
「ああ、証拠はないけど。」
「信じられない。」
アスラは、大きく目を見開いた。
令の母親には、何度か会ったことがある。
上品で知的な感じの美人で、アスラには常に母性的な態度で接してくれた。
仕事は予備校の講師で、いつも午後から出勤するのだと言っていて、クラブシンガーである自分の母親とは全く違うタイプだと思っていたのだ。
「おふくろの仕事だけど」
「うん。」
「実は相当あやしげな商売なんだ。」
「つまり、予備校の先生ってのは嘘か。」
「ああ、金持ちのところに女を送り込むってやつだ。バックはまた別にいるらしい。」
「そうか。
ある意味すげえな。」
アスラは驚かなかった。
生まれたのはロンドンだが、横浜は日ノ出町付近で育ち、気はいいが自堕落な両親を中心にあらゆる大人のでたらめを見てきたから、たいていのことには驚かなかったし、令の異様にさめた物の見方も、無道徳ともいえる感覚も、自分にはよく理解出来るのだ。
「ま、俺が口を出す問題でもないしな。」
「そうだな。」
アスラはうなずいた。
それから二人は、ゲームソフトの店へ行き、あれこれ物色したり、店主ときわめてオタク的な会話をひとしきり交わした後、店を出たところで、またぞろプーマジャージ御一行様に出くわした。
アスラは反射的に回れ右をしかけたが、間に合わなかった。
「麻衣、チャンスやで。」という声を露払いに、今日も髪型だけは完璧な麻衣が、うれしそうに近寄ってきた。
「何してるん?」
見りゃわかんだろ、と突き放してもいいのだが、人前で女に恥をかかせるな、というしつけがアスラには、染み込んでいた。
「もう帰るとこだよ。」
「そうなん。
うちらなあ、これからスロット行くねんけど、一緒に行かへん?」
媚びをたっぷり含んだ、上目遣いの笑顔。
アスラは、嫌悪を通り越して、哀れさを感じた。
やや太り気味の体をくねらせる姿は、芸を仕込まれたガマガエルを連想させる。
「スロットはやらない。
これからこいつとライブ行くんだ。」
アスラは令の方を向いて、言った。
令は無表情に突っ立っていた。
アスラの母親が、今夜駅前のライブハウスで歌うのは本当だった。
麻衣はひしゃげたような顔で笑い、うちも行きたいと性懲りもなく見上げたが、アスラは、身内以外の未成年は一人しか連れて行けないきまりだと嘘をつき、
「早く戻れよ、友達待たせちゃ悪いぜ。」
と笑いかけた。
麻衣はまだ、ぐずぐず何か言いかけたが、ようやくあきらめてプージャ装束団に戻った。
アスラは、
「おふくろが今日、駅前のライブハウスで歌うんだ。」と言い、
「興味ねえだろうけど、行かないか。」
と誘った。
令はあっさりと承諾し、
「お前も大変だな。」
と付け加えた。
「まあな。
地元で歌うのは高校以来だってんで、朝からテンション上がりっぱなしでよ、是非聴きに来いってうるせえんだ。
今日のステージは金にならないらしいけどな。」
「へえ、知り合いの店、とか?」
「幼なじみが経営してんだと。」
それから二人はゲームセンターで時間を潰し、それぞれに高得点を上げて、小学生達の賞賛と、ヤンキー少年達の怒りの視線を浴びながら外へ出て、ライブハウスへ向かった。
受け付けで名前を言うと、楽屋に通された。
楽屋はごった返していた。ミュージシャン達は全員、やけにハイな感じだったが、一番ハイなのは、真ん中にいてハスキーな声で笑っているアスラの母親である。
濃いめの化粧にドレッドヘアを頭の頂点で束ね、真紅のドレスを着た姿は、日本人離れしていて、なかなか美しかった。
「ヘイ、アスラ」
大きな笑みを浮かべ、酔ったような顔で近づくと、母親はアスラを抱きしめた。 アスラは慣れた調子で、母親の日焼けした二の腕を軽く叩き、
「がんばれよ。」
とほほえんだ。
アスラの母親は令をみとめると、
「この子が新しいお友達ぃ?」
と近寄り、よろしくねぇと言いながら、令もハグした。
令は仰天して、トーテムポールのように直立不動で抱えられていたが、何とか、はじめましてと答えた。
二人は楽屋を出て客席に着くと、ジンジャーエールとレモネードを頼んだ。
「あれがおふくろだ。」
「ファンキーだな。」
「ばあちゃんの悩みの種だ。」
「そうだろうな。
ときに、おふくろさん、ラリってなかった?」
「気付いたのか?」
「すごい匂いがした。
あすこにいた連中、みんなやってただろ。」
「だと思う。ったく無責任な話だ。」 アスラの横顔に、かすかな怒りが滲んだ。
「俺は受験生なんだぜ。」飲み物が来た。
二人はしばらく黙って、飲み物をすすった。
「今ひらめいたんだけど」令は声を落とした。
「楽屋にブツが置いてあるだろう。」
ステージにライトが点り、バンドのメンバーが出てきて、チューニングを始めた。
いつの間にか、客席はほぼ埋まっていた。
アスラは
「何が言いたいんだ?」
と、身を乗り出した。
「いただいちゃおうよ。」途端に、レゲエのリズムとメロディが大音響で鳴りひびいた。