第4章 散りゆく世界 -4-
「わたしの勝ちでいいかしら?」
雪も消し去り、もはや完全に勝負は決した後だと言わんばかりに西條は言った。
「……っ」
だが柊は答えられない。
負けが悔しいというのは確かにある。しかし少なくとも、ここで負けて東城が西條にどうにかされるのが、柊にとっては一番嫌だった。
「……大輝と、どうなるつもりですか?」
負けを認める代わりに、柊は訊いた。それぐらいしかもう柊には出来なかった。
「ん? 何にも考えてないけど」
――が、返ってきた答えはあまりにも空っぽなものだった。
「……あの、大輝が自分に相応しいとかって――」
「だからアレもおふざけだって。流石に弟を恋愛対象には見ないわよ。それに、わたしってば年下に頼られるよりは年上に甘えたいタイプなのよ?」
なんということだ。
そもそも、この勝負事態に何の意味もなかった。
「じ、じゃあ、どうして私に発破をかけたんですか?」
「えー。そうやった方が鈍った体の運動になるかなぁと思って」
西條の性格を反映したろくでもない返答だった。
「――それに、美里ちゃんがむくれてるからその理由を聞こうと思って」
「それでどうして戦闘になるんですか?」
もはや柊には理解不能だった。というより、元から東城を副会長に任命して接点を持とうとしたり何の脈絡もなしに「姉です」と名乗ったりと、彼女のやっていることは時に脈絡がない場合もあるのだが。
「ほら、よく言うじゃない? 殴り合って喧嘩した方がより深く分かりあえるって」
「それはたぶん少年漫画か、せめて男子の間での話ですよ……」
そんな柊のため息も、西條にはやはり意味はないのだった。
「さて。そういうわけでこのおねーちゃんに抱えている悩みをお話しなさい。そのむくれてる原因は、やっぱり大輝くんとわたしなんでしょう?」
しかしそんな適当な調子でありながら、彼女は見抜くところはしっかりと見抜いていた。そうして唐突に突きつけられるからこそ、相手もごまかす余裕を失ってしまう。
「ただの、ヤキモチですよ」
そうして彼女は、素直に自分の気持ちを吐露した。取り繕うことも無駄だと察したのだ。
「記憶喪失とか関係なく、大輝が誰かに甘えているなんて私は見たこともありませんから。だから、ああして素直に『おねーちゃん』に甘えている大輝を見ると腹も立ちますよ」
「ほう。つまりそれで羨ましい、と思っているのかしら?」
「私だって分かってますよ。こんなのは真雪さんに言っても、大輝に言ったってどうしようもないことは」
それは自分で折り合いを付けなければいけないことだ。
何より、柊は東城と共に所長と戦ったときに彼との絆を実感している。それを信じている限り、多少の何かがあっても動じはしない。ここ最近の東城に対する放電の減少や、少しばかり彼を心配する言動が増えたのもそういう理由だ。
だからこそ、ここでヤキモチを焼いたりして情緒不安定になる自分がみっともないとも思っている。
そういう自己嫌悪のせいで彼女はずっと脹れっ面なのだ。
「……じゃあいいこと教えてあげるわね。――それ、そもそも美里ちゃんの勘違いよ?」
ズバリと単刀直入に斬られた。あまりにもいきなりすぎて、一体何を言われたのか柊は分からないほどだ。
「それって、どういう……?」
「だから、大輝くんが甘えてるのを見たことないっていうのも、大輝くんがわたしに甘えているって言うのも、美里ちゃんの勘違い」
まるで全部分かっているかのように西條は言った。
「まず、大輝くんがわたしに甘えているようには見えるかもしれない。けどね、それは単純にわたしが姉だからよ」
西條はにっこりと微笑んで言う。
「血の繋がりを持っていて、その上で彼のアイデンティティの全てと言ってもいい能力で完全にわたしが上回っているから。そういう異性に少なくない憧れを持っているからじゃないかしら。ほら、男の子って一度は年上の女性に憧れるらしいし」
「そんな理由ですか……?」
「可能性の話だよ。だってわたしは別に心理学に精通してるわけじゃないし。でも大輝くんは今まで最強だとか頂点だとか言われて、横に並び立つ人はいても、上に立つ人はいなかったはずだしね。たとえ歳が上でも、自分より弱いってなるとそれは大輝くんの中では“護らなきゃいけないか弱い人”にしかならないんじゃないかな」
そんな西條の口ぶりに、思わず柊も納得した。
それは西條の言葉が上手いわけではなく、単に東城はそういう人間だという事実だ。長年付き合ってきた柊だからこそすぐに共感できたとも言える。
「それに追加で教えてあげるとね。大輝くんは、わたしといようと他の人といようと、絶対に気を抜かない。明確な構えがあるわけじゃないけど、もし不意を衝こうとしたって返り討ちに遭う自信があるよ、わたしは」
――だが、その西條の言葉には柊は共感できなかった。
「そんなわけないです。私だって曲がりなりにも経験は積んでますけど、大輝からそんな雰囲気は一度だって――」
「そう。大輝くんは美里ちゃんが傍にいるときだけは警戒してない。本当に心の底から信頼して、全てを曝け出しているように見えるわね」
言われて、確かに柊にも思い当たる節はある。
例えば、記憶を失って初めて会ったとき。
七瀬に命を狙われまだ危機は何一つ去っていないというのに、柊が現れた瞬間に彼は安堵の表情を浮かべ、あまつさえ唐突に現れた柊の指示に従って話まで聞いていた。
あれは普通のリアクションではない。記憶の有無にかかわらず、あれは絶対に警戒心を解いてはいけない場面だ。
まるで、柊美里がいるのなら絶対に大丈夫だと、そう確信しているかのようだった。
「もしもそういう信頼を甘えという言葉に置き換えていいのなら、間違いなく、大輝くんが一番甘えている相手は美里ちゃんだと思うわよ」
その言葉で、柊の中のヤキモチという感情は消えていった。
――代わりに、途方もなく顔面全てが真っ赤に染まっていたが。
「さて、帰るとしましょうか。こういうことで時間をロスした分、買い物はちゃちゃっと済ませないとね」
「は、はい。そうですね」
慌てて柊は立ち上がるが、首より上に血がいきすぎているせいで、危うくふらりとバランスを崩しそうになっていた。
「――ところで、氷いる?」
「少し下さい……」
柊に少し氷を作って渡した西條はくすりと笑って、
「……だから」
小さく、小さく呟いた。
「美里ちゃんだけは、大輝くんから離れないでいてあげてね」
その小さな呟きは、柊には聞こえないほどかすかなものだった。
誰にも聞こえないその言葉。
それは、まるで自分は離れていってしまうかのようだった。




