第4章 散りゆく世界 -2-
そんなわけで、東城大輝はリビングにて土下座していた。
目の前にいるのは西條真雪。今度は髪も乾かし、青と白で統一されたミニスカートとブラウス姿だった。少し頬が紅いのは、風呂上がりだからではなく東城に見られたことを思い出して恥ずかしがっているのだろう。
七瀬も柊も冷たい視線を東城に向けてそれだけで殺そうとしているし、美桜は美桜で興味な下げに分厚い本を眺めるばかりで、誰も助けようとはしない。――まぁ、完全な自業自得なのだから仕方がないのだが。
「本当は」
西條が口を開いた瞬間、土下座した体勢のまま東城の全身がビクッと震えた。
殺される。
そう直感した。
「あと十発は本気で殴らないと気が済まないのだけれど。――今回! 今回だけは、これで見逃してあげる」
「――え?」
ガバッと東城は顔を上げた。お咎めなし――と言っても既に殺人級の平手は受けているが――で済むとは全く予想外だった。
「そ、その代わり……」
西條は東城から照れたように視線を外し、
「すぐに、今すぐに忘れること! いいわね!?」
「分かった、すぐ忘れます! だから本当にゴメンなさいでした!」
深々ともう一度東城は頭を下げる。
東城は安心していた。「あぁ、これで助かったのか」と、本気で東城は思っていた。
だが。
世の中はそんなに甘くはない。
「あら。大輝様、今日の行為がそれで終わるとでも?」
「本人がいいって言っても再発しないとは限らないし、これは調教が必要よね?」
何故か、七瀬と柊がブチ切れモードだった。
「え? え? なんでお前たちがキレてんの?」
「決まっているではありませんか! 先日、大輝様の家に泊まった際はわたくしのお風呂を覗きに来ないどころか風呂場に鍵まで掛けておいて、今さらその手のラッキースケベ展開を満喫しようなどと、このわたくしが許す筈がありませんわ!」
「えぇ!? そんな理由!?」
予想の斜め上を行く嫉妬だった。正直、東城では理解できない領域にある。
「私は違うけど、何て言うか、まだ顔を紅くしてるアンタに無性に腹が立つからよ」
「理不尽だ! もう本当になんて言うか、理不尽だ!」
そう嘆いても、七瀬の腕で渦巻く水流と柊の前髪の辺りで弾ける放電は収まる気配はない。
「……ところで大輝くん。今も頬が紅いっていうことは、ひょっとしてまだ忘れてないのかしら?」
「駄目だ、逃げ場がない!」
許してくれたはずの西條まで参戦する始末だった。
「……何か知らんがアレだな。これがダメ男というヤツなんだな」
「達観してないでちょっとは助けてくれたっていいだろ!? あと誰がダメ男だチクショウ!」
美桜は完全に傍観者気取りだった。
結局、無様に三人の渾身の一撃を喰らい、完全KO、再起不能に陥った東城は無視して話は進められた。
「では改めまして。わたしが大輝くんの姉、それも正式に認められた、西條真雪です。基本的には名前で呼んでね。それと、この子が黒羽根美桜。色々事情があって預かっているの」
「よろしくな」
美桜は相変わらず低めの声で、上から目線の挨拶だった。
「お久しぶりですわ、お義姉様」
にこやかにそんな挨拶をする七瀬。その字面はどう考えてもおかしなものだったが誰もツッコめなかった。
「わたくしは大輝様の第一の側室、七瀬七海ですわ」
「大輝くんはモテモテだねぇ。――だったら、もう少しデリカシーないと身を滅ぼすわよ?」
「身にしみて痛感している次第です……」
ジロリと睨まれた東城はうつぶせに倒れて煤けた状態のまま、そう答えた。
「で、私が柊美里。よろしくね」
柊は美桜にしっかりと微笑みかけていた。
それに美桜も微笑みで返し、やがて少し難しそうな顔をして、
「ところで東城よ」
「何だ……?」
驚異の回復力で起き上がっていた東城に、美桜は素朴な疑問をぶつけた。
「お前、誰が好きなんだ?」
衝撃の言葉を美桜は放った。何も飲食していないのに何かが思い切り喉に詰まったように感じたほどだ。
「な、何を言っているのかな。まったく美桜はおかしなことを訊くなぁ」
冷や汗をだらだらと流した東城はこの場の全員から視線を外し、どこか遠くの空を見つめていた。
「いや、おかしくはないだろう。休日に姉の家に来た上に裸を見たんだから極度のシスコン、何なら『血の繋がりなんか関係ない!』とか言った恋愛感情剥き出しのヤツかと思ってたんだが、こうして女子二人を連れてくるし。そもそも見ず知らずの私を気にかける時点で、自意識過剰ではなく私にも気があるんじゃないかと思うぞ?」
確かに、実際の東城がどうかは別としても傍から見ればそう思われる可能性はある――というより、白川が見たら「この腐れハーレム野郎が! 死に晒せェ!!」とでも叫んで殴りかかって来そうな勢いだ。背後には青葉というオマケもいるだろう。
「へぇ。大輝くんってばちゃんとおねーちゃんのことも意識してくれてるのかしら?」
「あら。大輝様、目を逸らしていないでここは高らかにわたくしの名前を言えばいいだけですわよ?」
「……大輝」
三者三様のプレッシャーだ。柊にいたっては「アレだけのことをしたことは忘れてないわよね?」というオーラが半端ない。いや、そこまでのことはしていないが。
「……、」
何を言っても地雷にしかならない気がした。
「……言わなくても分かるだろ?」
思いついた言葉でどうにかごまかしてみる。そういう言葉で全員のいいように解釈させようという緊急脱出手段だ。
「……それで済ませる気なのかしら?」
「騙されませんわよ?」
「っていうか、それで他の二人が納得しちゃうのを見たら、それがただのブラフだって気付くでしょ」
ものすごい駄目出しだった。――が。
「……じゃあ、なんで少し紅くなってんだ?」
何故か、三人ともが僅かだか頬を上気させていた。
まるでその言葉で三人共が一瞬でも「好きなのはお前に決まってるだろ」とかなんとか、いいように自己解釈してしまって照れた後のようだった。
「……さて。これ以上大輝くんをいじめるのも可哀そうだしやめておきましょうか」
まっ先に西條がその話題を逸らした。だが誰もそれを責めたりはしない。むしろ、七瀬も柊もホッとしているようにさえ見えた。
「ところで大輝くん。来るなら来るでちゃんと連絡しておいてくれないかしら? お昼ごはんはどうするつもりだったの?」
「あー、考えてなかったな」
確かに東城はそういった事情を考えてはいなかった。来ればどうにかなる、というより、西條がどうにかしてくれると思っていた節がある。
「そんな適当に言われてもねぇ……」
「真雪姉は何か作ってくれねぇの?」
思わずそう訊いてしまった。西條の料理は一度しか食べていないが、それでもかなり美味しかった。他の料理も食べてみたい、もっと食べてみたいとどこかで思っていたのだろう。
「材料が足りないと思うけど」
「じゃあ、材料があったら作ってくれんの?」
自分でも少し目がきらきらと輝いている自覚はあったが、それを隠しもせずに食い入るように聞いてしまった。
「……そんなにおねーちゃんの手料理を気に入ってくれたのかしら?」
「正直に言えばそうだよ。なんなら一年くらい炊事やってきた俺よりよっぽど上手いから、もう何か真雪姉に振る舞う気とかさらさらなくなるくらい」
「わたしだって大輝くんの料理も食べてみたいけれど」
「また今度な。というわけで、今日は作ってくれる?」
「はいはい。いいわよ」
西條はため息交じりに答えて立ち上がると、自室から可愛らしいポーチを持って出てきた。
「じゃあ買い出しに行ってくるわね」
「あぁ、俺も行こうか?」
「今日は、美里ちゃんにお願いするわ」
パチン、と意味ありげなウィンクを西條はした。だが、その意味は東城にも柊にも分からないものだった。
「いいわよね?」
「えぇ、まぁ……」
そんな返事をしたときの柊は、随分と複雑な顔をしていたように見えた。




