第3章 桜花 -3-
「ふぅ。何とかノルマは終わったものの、全然減った気がしねぇんだな……」
午後七時、生徒会の本日の作業を終えた東城は西條と共に帰路についていた。
ちなみに書記と会計は下校時刻には下校している。仕事を覚えたての東城だけがそれまでにノルマに達せず、仕方なしに西條一人が手伝ってくれて今に至る。
「ねぇ大輝くん」
「何だ? 手伝ってくれたお礼なら、言葉よりもいいものはあげられねぇぞ」
「わたしは弟くんから集るような酷いおねーちゃんじゃないわよー」
ぷぅ、と頬を膨らませて西條は答えていた。
「悪かった。じゃ何なんだ?」
「おねーちゃんと、デートしよっか」
それはそれで姉としてどうなんだろう、と思う言葉が返ってきた。
「……ちょっと待て。今どき姉弟でデートとか行かねぇよ」
「そうかしら。ブラコンなおねーちゃんの話ってラジオとかでも結構よく聞くと思うけど」
「ブラコンって認めるのかよ……。いや、まぁ分かってたけどな」
会ったこともない弟に「真雪姉」と強要してでも呼ばせる当たり、誰がどう見たってブラコン以外の何物でもないだろう。
「それで、デートしてくれないのかしら?」
「しねぇよ」
きっぱりと東城は断った。
「冷たいわね。ちょっとくらいおねーちゃんに甘えてくれてもいいんじゃないかしら」
「いま何時だと思ってんだよ。生徒会長と副会長が出歩いてていい時間じゃないぞ。後で生徒会顧問の永井先生に怒られるの、俺は嫌だからな」
生徒会顧問が担任で、しかも学校一怖い教師だというのは副会長就任の書類を提出した際に知った驚愕の事実だ。東城としては授業やホームルームだけでなく放課後にまで目を光らせられるという現状はストレスフルで、円形脱毛症にでもなりかねないのでとても嫌だった。
「大丈夫よ、外をうろうろするわけじゃないし。――それに、これはとても大事な話よ」
途端、西條のあのお茶らけた雰囲気が澄んだ冬の空気のように鋭いものに切り替わった。
「……大事な話?」
「そう。わたしがどこまで研究の闇を知っているのか。そしてその理由。まぁ大して暗い話じゃないけれど、それでも、燼滅ノ王としての大輝くんには覚えておいてもらわないといけないことよ」
西條の業務的な笑みは、どこか冷たいものが含まれているような気がした。
そうして案内されたのは、電車で四駅ほど離れたところにあるマンションだった。
一目で分かる高級マンションだ。外観にはこれといった特徴はなく真四角のビルそのものだというのに、ベランダや窓の配置一つとっても計算され尽くした美がそこにはあった。
新築なのか周囲のただのマンションと比べても豪奢さや綺麗さが段違いだ。しかも目の前には馬鹿みたいに巨大な噴水まである緑豊かな大公園があり、さらに駅まで徒歩五分程度という立地。地価を考えればいくらするのかなど検討も出来ない。
「……ここは?」
「わたしの家よ。と言っても、名義は黒羽根大輔だけれど」
さらりと言いながら、西條は中へと進んでいった。厳重なロックを解錠していく西條に慌てて東城もついていく。
「どういうことだ?」
エレベーターに乗り込んだ東城たち。背には外の夜景が映る中で、西條はぽつりぽつりと語りだした。
「言わなかったかしら? わたしは黒羽根大輔に託された、って」
「……それは、柊たちには言えないことなんだな」
柊や七瀬を含めた説明のときにはあえて明言を避けていた。ならばそう考えるのが妥当だろう。
「後でなら教えるつもりよ。ただ、最初に大輝くんだけが知っておくべきだと思っただけ」
鈴のような綺麗な音と共に、エレベーターの分厚い扉が開く。
立ち並ぶのはワンフロアに四枚程度の扉だった。それはつまり、たった四部屋でこのフロア全てを占めていることを指す。おまけに、扉のどれもこれも安全面を考えて金属製ではあるのだろうが、それなのに一枚のチークで作られているかのような高級感だ。
「……本当に真雪姉の部屋があるのか?」
「あるっていうか、ここのワンフロア全部よ」
「……は?」
「黒羽根大輔に提供されたのは、この最上階のワンフロア全部よ。中の壁はドアとか後付けされているから中で自由に行き来できるけど」
そんなことを訊いているわけではないのだが、まぁ能力者を生産するに当たり巨額の資金を運用していた所長ならば、このマンションのワンフロアくらい自在に出来るだろう。
「……それで、俺を部屋に呼ぶ理由は? そもそも、あの所長が真雪姉にこのフロアを与えた理由は?」
「黒羽根大輔の件を説明する前に、会ってもらいたい子がいるの。――だから、大輝くんを呼んだ理由っていうのはその子に会ってもらう為かな」
そうして、西條は一番近い扉をゆっくりと引いた。
本があった。
辞書のように分厚いハードカバーばかり。廊下の先のリビングがそれで埋め尽くされているほどの、夥しい数だった。
そして。
その中央に彼女はいた。
幼い少女だ。どれほど高く見積もっても小学五年生程度だろうか。ぷくっと膨らんだ頬が少し紅く高揚しているのは、子供特有の体温の高さのせいだろう。どことなく、その様子だけならリスにも似ている。
寝そべった姿でその本を床に置いて、彼女は触れることなくそれをじっと読んでいた。
そしてふと視線を上げたときにドアが開いて東城たちが見ていることに気付いたようで、少し目を見開いて声を出した。
「――何だ、客人か?」
そんな幼い子供から出たのだから当然高く可愛い声だろうと思ったのだが、どうにも彼女はわざと作ったような低い声をしていた。
服は端的に言えばゴスロリだ。黒をメインに薄いピンクのフリルがあしらわれたジャンパースカートで、頭にはそれに合わせたカチューシャが乗っていた。
「ただいま、美桜ちゃん」
西條がリビングに入りながらそう挨拶をしたということは、彼女もここで暮らしているということになる。
「こちら東城大輝くん。わたしの弟で、生徒会の副会長よ」
「よろしく、それとおじゃまします」
そう言って東城は家の中に一歩足を踏み入れた。他人の家特有の慣れない匂い、しかも西條の家であるから少し甘ったるいようないい匂いに満ちていたが、それはドキドキする前に鼻の方が慣れてくれた。
「ほう。つまりは西條の手下だな?」
「簡潔に言えばそうなるわね」
「いやならねぇよ」
さらりと肯定したことも聞き逃さずしっかりとツッコみつつ、東城は頭を抱えていた。
こんな少女と自分に接点があるとは思えない。それに彼女が自分を見て初対面らしきリアクションをしているのだから、記憶を失う前にどうした、ということもないだろう。
「東城大輝よ。ではそっちの本を取ってくれ」
「……何で偉そうなんだ」
「私は偉いからな。いいから取ってくれ。――手が届かないんだ……」
さりげなく小声で言った内容がやたら悲しみを誘うものだったことには、流石の東城もツッコめなかった。
「分かったよ、どの本だ?」
高圧的な態度だが小学生のそんな態度に腹を立てるほど東城は子供でもないし、ゴスロリ調の服に身を包んでいて、まだ赤っぽい頬を膨らませている姿は最早可愛さしかないのだから、別段断る気はない。
「じゃあごゆっくり。わたしは夕ご飯の支度しとくから。――あ、大輝くんは嫌いな食べ物ある? まぁあっても好き嫌いは駄目っていう小言と共に大量投入するけれど」
「ちょっと待て。好き嫌いはないが、そもそも俺は自分の家で――」
「そ、そんな! おねーちゃんのご飯なんか食べられないって言うのね……っ。よよよ……」
ふらりと足から崩れて、西條は目元にハンカチを当て始めた。三文芝居、と言うのがこれほど似合うものはないが、それでも多少なりとも罪悪感が生まれるから不思議なものだ。
「分かった、分かった。ごちそうになればいいんだろ。どうせオッサンは夜勤だしな」
投げやりに言うと、西條は満面の笑みと共に立ち上がった。
「うん、ありがとう。じゃあわたしは今から作るから、大輝くんは美桜ちゃんと遊んでてね」
ぱたぱたと、イスにかけられていたエプロンを手にとって、廊下の先を抜けていった。どうやらキッチンはこことは別の部屋にあるらしい。
そうして、リビングには東城と美桜の二人だけになった。
「――で、美桜って呼べばいいのか?」
「いきなり敬称を省くとは失礼な奴だな、東城」
「それは年上の人間を呼び捨てにする奴のセリフじゃねぇんだよ……」
少し呆れたように東城はため息を吐きつつ、東城は先程指示されていた本を取って、美桜に差し出した。
「置いておいてくれ」
「はいはい」
言われた通りに、東城は美桜の横にその本を置いた。
「で、本が好きなのはよく分かったから、そろそろ自己紹介してくれねぇか?」
「何だ、私のことが気にかかるのか? ナンパには引っかからないぞ」
広げた本に目を通しながら適当に答えた。いわゆるませた女の子のセリフというヤツだ。本気にしてやる気は東城にもない。
「違ぇよ。自己紹介とかコミュニケーションの基礎だろ。いいから本をめくる手を止めて素直に受け答えしなさい」
「急に説教口調になられると腹が立つのだが……。まぁいいか」
やれやれとでも言いたげに美桜はぱたりと本を閉じた。
そして寝そべった状態から座り直し、東城に微笑みかけるようにこう挨拶した。
「私の名前は黒羽根美桜。よろしくな、東城」
その言葉に、東城は戦慄した。
まるで落雷でも受けたかのような、圧倒的な衝撃だ。
「あ、あぁ。よろしく……」
表情を崩さないようにそう短く返すので、東城は精一杯だった。
それは欠けていたパズルのピースのような言葉だった。
何のことはない。
超能力を研究していた所長――黒羽根大輔が罠に嵌められ、そこから救おうとした、たった一人の肉親。半身を棄て、己の善悪という観念すらぶち壊し、世界を危機に晒してでも護ろうとした、たった一人のか弱い娘。
それが彼女――黒羽根美桜なのだろう。
――これは、ある種の報いなのかもしれない。
東城は所長の思惑を知る知らざるにかかわらず、既に研究を壊滅にまで追いやってしまった。そして復讐に走った所長を、柊を護る為に殺そうとし、そしてそれは神戸の手によって記憶を奪うという形で成し遂げられた。
もし彼女がその事実まで知っているのなら、それは、いかなる糾弾も東城には逃げられないというだけの話だ。
「美桜は、真雪姉と暮らしているのか?」
だから東城はそう訊いた。
もし知らないのなら事実を言えはしない。糾弾を恐れてではなく、そんな闇に引きずり込むことを拒んだのは、他でもない黒羽根大輔自身だからだ。
今さら彼に同情などしないし、今でも東城は自分が間違っているとも思えない。だがそれでも、たった一人の娘を護ろうとした彼の想いだけは、踏み躙っていいものではないと分かっているのだ。
「まゆきねえ……。あぁ、西條のことだな。そうだぞ」
「親は……?」
その言葉を聞くのは、とても普通の声音とはいかなかった。
もしも次の瞬間に恨みの言葉が出たのなら。そう思うだけで震えてくる。
だが逃げ出そうとは思わなかった。
たとえそれを受け止めてでも、東城は自分の選択を後悔したくはなかったから。
「ママはいないな。だがパパはいるぞ。滅多に会いに来ないくせに仏頂面で恐いんだが、私を抱っこしてくれる」
にへら、と照れたような子供らしい笑みを浮かべる美桜を見て、東城は安堵と同時に、胸が締め付けられた。
この言葉が出るということは、美桜はまだ所長がどうなったのかを知らない。目の前にいる相手が自分の父親に何をされて、何をしたのかということを。
そんな彼女に、自分は何を言えばいいのか。
所長が最後まで守ろうとしてきたことだ。彼が拒んだと言うのに、研究という闇を打ち明けてそれから謝罪しようというのなら、東城はろくでなし以外の何者でもなくなってしまう。
――背負わなければいけない。
彼女の笑みを護ることが出来るのは、もう自分しかいない。
「そうか。悪いな、何て言ったらいいのかも分かんねぇ」
「いいさ。西條の弟と言うことならお前も超能力者で、親なんか知らないだろ? 私は父親だけは知っている幸せ者、というだけの話だ」
強く、強く彼女は笑っていたと思う。
どこまでも眩しいその笑みは、けれど何よりも儚い、散りゆく桜のように思えた。
「……お前は、俺が護るよ」
小さく、どこまでも小さな声で東城は呟いた。
「何か言ったか?」
「何でもねぇよ。――あぁ、そうだ。抱っこが好きなら俺がしてやってもいいぞ」
「女の身体に気安く触れられると思うなよ?」
「子供が何を偉そうに言ってんだか」
東城がそれを笑い飛ばしながら、美桜に手を差し伸べた。
同情、それがどれほど彼女に対して失礼なことかは分かっているつもりだった。
だがそれでも、自分が彼女に向けられるべきぬくもりを奪ってしまったのなら、少しでも、ほんの僅かでもそれを埋めてあげなければ。そう思ったのだ。
「――駄目だ。残念だが、私にはその手を取ることは出来ない」
けれど美桜は、かぶりを振るばかりだった。
「別に東城のことを嫌がっているわけではないぞ? そこは誤解するな」
「じゃあ、どうして……」
訊いて、東城は思い出した。
所長が戦い続けたのは、自らの大切なものから能力を消し去る為。
だが、それが何の変哲もない能力だったならそうする必要はない。疑似的に抑える方法などいくらでもあったはずだ。
それすら出来ない、絶望的な能力。それが美桜の抱える不治の病にも似た力なのだ。
「私の能力はレベルDの素粒子支配能力、世界ノ支配者だ」
世界、間違いなく能力者の頂点のアルカナの一人だろう。
だがそれがレベルD、とはどういうことか。
青葉の時ノ旅人をはじめとする時間操作能力者はアルカナの座が開いているにもかかわらず、能力者のレベルが低すぎるあまりに空白になっている。
その疑問に答えるように、美桜はそっとハードカバーの本を開いて、一枚のページを掴んでみせた。
「素粒子支配能力者は私しかいない。そもそも、並の演算能力ではレベルDにすらなれないような複雑な能力だからな。――その支配域は素粒子全て、簡潔に言えば、素粒子という次元に下げることで二重能力に頼らずにこの世のあらゆる物質、現象を掌握しようという能力だな」
ハードカバーの一ページが、美桜の手に触れている部分だけが破れたようになってそのぱたりと倒れた。
消えたのだ。
燃えるでも塵になるでもなく、彼女が触れていた部分が跡形もなく消え去ったのだ。
「私の能力は他の能力ならレベルS級の演算能力があってもこの程度だ。せいぜい掌で触れている部分のあらゆるものを消し去るか、視認した位置にある原子をエネルギーに分解することで爆発させること。掌握など出来ちゃいない」
――それは、何よりも危険な言葉だった。
簡単な話だ。
素粒子をそのままエネルギーにまで分解できてしまうのなら、その爆発力はいかほどか。
爆発を掌握する東城に、直感的に把握できないわけがない。
洒落にならないエネルギー量だ。水一滴を分解するだけでも、馬鹿げた規模の爆弾くらいの代役を務めてもまだおつりがくる。
「まぁ使う気はないから安心すればいい。――ただな。私はレベルDだから自分の能力を制限できないんだ。今もこうして、掌で触れるだけで物を消し去ってしまう。私の意志にかかわらずだ」
だから彼女は、東城の手を取ることを拒んだのだろう。
触れてしまえば、たとえ僅かずつでも東城の手を傷つけてしまうから。
「と言っても全く物に触れられないわけではないぞ。抑えていればそれほど急激に消滅はしない。まぁそれでも元が薄いものなら、今の本みたいになってしまうが」
――だから、ハードカバーばかり読んでいるのだろう。
玩具もゲームもやればいずれは壊れてしまう。触れずに済ませることなど出来ないからだ。文庫本も触れなければ読むことも適わない。
彼女の唯一楽しめるものはページをめくる僅かな瞬間以外に触れることなく読める、この場にある分厚い本だけなのだ。
「だから、私を抱っこ出来るのはパパだけだ。パパは私が触れても絶対に傷つかないからな。パパの傍にいる間だけ、私はただの人間として生きていられるのだ」
「……っ」
その言葉で、思い知らされた。
自分では所長の与えた温もりを、ほんの僅かでも肩代わりなど出来ないのだ。
「そうだな。また、会いに来てくれるといいな」
そんな慰めを言って、何になる。
彼女からのその大切な父親を奪ったのは、他ならぬ自分だというのに。
「当たり前だ。何て言ったって、私のパパだからな」
そうして浮かべられた満面の笑みに、東城は何も答えられなかった。
その資格がない。
これが、奪った者と奪われた者の、決定的な違い。
常に奪われ続けた東城がはじめて痛感した、奪った側の重みだ。
耐えろ。
そう、自分に言い聞かせた。
逃げることだけは何があっても許されない。それはもう、所長と戦ったあの瞬間から心に決めていたことだ。
少しでも、彼女の負担を軽くしよう。
たとえそれを世界中の誰もが偽善と呼ぼうとも。
「そんな私の話はいい。そもそも自分の境遇を言い聞かせるほどつまらないことはないだろう。つまらないのは飽きたところだ」
「分かったよ。で、何がしたい?」
「東城の話をしようじゃないか。能力者でも学校でも、面白い話題を教えてくれ」
「オーケー。記憶喪失の超能力者の話と、クラスメートの超絶バカの話、どっちがいい?」
「どっちもだな」
そう笑って答える彼女に、少しでも楽しんでもらえるように東城は、色々な話を語り始めた。
この『フレイムレンジ・イクセプション』の八十年後の未来、かもしれない設定の新作『雷鳴ノ誓イ』を投稿中。どちらもも評価・感想をお待ちしてます。
http://ncode.syosetu.com/n6040by/
【追記】
重大なことを忘れていました。
先日、ユニークアクセス数が10000を超えました。本当にありがとうございます。
それに伴いまして、感謝の気持ちを込めて本日24時ごろにもう1話投稿したいと思います。
これからもフレイムレンジ・イクセプションをよろしくお願いします。




