序章 雪桜/第1章 真実と姉 -1-
序章と第一章が繋がっているのは、投稿時の規定字数に序章が達していないためです。ご了承を。
序章 雪桜
たった一人の家族を護る為に。
たった一人の家族を奪われたが為に。
彼女たちは、全てを壊して殺し合う。
*
第一章 真実と姉
深夜。Tシャツ短パン姿で東城大輝は一人、コンビニを出た。
手にはレジ袋に入った一つのカップアイス。値段は安いが、東城はそれなりに美味しいと評価している。
「暑い……」
コンビニの中は深夜でも冷房が効いているが、外は連日に次ぐ連日の熱帯夜だ。秋も近づいているというのに、一歩でも屋外に出るとそこにはもういら立つ程度には蒸し暑さが立ちこめている。
「ま、呑気にアイス買えるだけマシだと思うか」
ひとりごちで東城は歩きだしていた。
一週間前にとある事情で東城の家のエアコンは壊れている。それも広い家全体をカバーするように業務用のように一つのコントロールパネルで全てを操作するタイプのエアコンで、その基盤が壊れてしまったのだから家じゅうどこにも避難場所がない。挙句に保護者であるオッサンはほとんど家に帰ってこないので、なかなか修理屋を呼ぶタイミングもないのだ。
だからこうして東城は深夜に、暑さに負けてコンビニでアイスを買う毎日を過ごしているというわけだった。
(早いとこ直らないかなぁ……。今週末にはどうにかするって言ってたけど、それまでに熱中症になっちまうんじゃねぇか? ってか、それよりも先に秋が来るか)
もっともオッサンは医者だ。その場しのぎくらいにはなるように氷を桶において扇風機で部屋を涼ませて熱中症対策はするように言われているし、それで幾分はマシになっている。
「いっそ雪でも降ればいいんだけど」
などと馬鹿みたいなことを言いながら、東城は歩いていく。
そんな中だ。
ひらり、と何かが舞っていた。
(――花びら?)
一瞬、東城はそれを桜か何かだと思った。だが今は九月の真ん中。桜はおろか舞い散るような花とは縁遠い季節のはずだ。
そっと掌を出して、それが乗るのを待つ。
僅かにひやりとした感触。そして、手に触れると瞬く間にそれは消えていく。
「雪……?」
まさか自分が言ったことが現実になるとは……、と思って、東城はすぐに頭を振った。
日本の瀬戸内気候のこの場所で、まだ秋すら訪れていない熱帯夜に雪が降るなど考えられない。
だが、東城は同時に気付いていた。
あり得ないからこそ、それはただ一つの力を示している。
「超能力――っ!」
この世界を構築する情報の塊――シミュレーテッドリアリティに身一つでアクセスし書き換えることで、現実そのものを捻じ曲げる特異な力。
そう判断すると同時、強烈な殺気を感じ東城は後方へ跳びすさった。
臨戦態勢に入り手放したレジ袋が、その場で切断されていた。
原因は不明。だが、おそらくは液体操作能力者の七瀬のやった高圧水流によるカッターなどの類だろう。元から透明だった刃を攻撃と同時に消滅させたのだ。
「俺のアイスは呪われてんのか……」
ふた月前も買ったアイスが切り刻まれる、ということを経験した覚えのある東城はため息をつきつつ周囲を警戒する。
あれほど強かった殺気はどこかに行ってしまったように、今は何も感じられない。
しかし確かにまだ雪は降り続いている。
「そっちがやる気なら、こっちも本気出すぞ」
幸い深夜の住宅街。人の気配などまるでない。
東城は躊躇なく全身から炎を滾らせた。これが東城の能力。最強の発火能力の、燼滅ノ王だ。
「……、」
そんな東城の正面に、一つの影が現れた。
驚くことにその相手は女子だった。それも東城と同じ学校の制服に身を包んでいる。胸ポケットの学年章のカラーが東城とは違い、それは一つ年上であることを示していた。
――が、それよりも驚くべきはその顔だ。
お面だった。
それもヒーローorヒロインが正体を隠すために付けるものでも、仮面舞踏会に参加するようなものでも、どこかの民族の伝統的な面でもない。
祭りの屋台で一つ八百円というかなりお高いお値段で売っている例のプラスチックのお面。それも某有名青い狸のような猫型未来ロボットのそれだ。
「……は?」
随分と間抜けな格好だ。というより、今まで強襲を仕掛けてきたどの能力者よりも、戦うという意志が感じられない。
「うふふふふ」
挙句に、交代する前に演じていた声優さんの声真似をしだす始末だ。
「うふふふふ」
しかもそれ以外の言葉を発するつもりがないらしい。
「ふざけてんのか……?」
そう東城が肩の力を抜いた瞬間、途方もない重圧を東城は感じた。
殺気ではない。
ただ純粋な、内に秘められた力の圧だ。
(何者だ……っ! こんなの、柊や神戸でもない限り――)
唐突に彼女は東城に襲いかかった。
手にあるのは剣。長さは一メートル強といったところだが、それは驚くほど透明で、目を凝らさなければそこに剣があることを認識できそうもない。
だが速度はそれほどでもない。今まで超人的な加速が可能な能力者ばかりを相手にしてきた東城にとってみれば、それは難なく躱せる程度のものだ。
あえて紙一重で躱してみせたところで、ふわりと彼女の香りがした。
冷たい匂い。それでいて、とても甘い。まるで金木犀のような香りだった。
(この匂い、どこかで――)
同じ高校の制服を着ているのだから校内ですれ違ったことはあるかもしれない。だが、ただそれだけだというのなら覚えている方が珍しい。
見知った顔なのだろうか。それとも、覚えるくらいには何度かすれ違っている――つまり教室が近いとか?
そんな風に思い出そうとしてカウンターのタイミングを東城は逃し、面の少女は一度、東城と五メートルほど距離を開けた。
「考え事とは余裕みたいね」
面の向こうから、ようやくまともな言葉が聞こえた。ただしそれは高低入り乱れた酷く不快な、ボイスチェンジャーで作られた声だったが。
「それでわたしを相手取ろうなんて、片腹大激痛よ?」
ふざけた声でふざけたことを言うふざけた面の少女に、東城も戦意が削がれそうになる。
だが、忘れてはいけない。
目の前の少女は、間違いなく東城を殺そうと襲いかかっていたのだ。
「――まぁ、アイスの恨みってことで上下関係は教えておく。全能力者で理論上トップに立つ俺に喧嘩を売ったんだ。それくらいの覚悟は出来てんだろ」
コキコキと首を鳴らして、東城は面の少女を見据えた。
スイッチが入る。
目の前の相手を、完全に敵と認識する。
「加減は欲しいか?」
「いらないわよ。――それに、上下関係の話をするんなら敬語を使いなさいよ、後輩くん」
星でも飛ばしそうなウィンクをされた――ような気がした。
「そうだな、先輩。まずはそのふざけた面を剥がしてやる」
言い終わるよりも速く、東城は爆発の加速で間合いを詰める。
――だが。
「甘いわね」
その東城の突撃を、彼女はひらりと躱してみせた。
「――ッ!」
加速したわけではない。
ただ、圧倒的に彼女の初動が速い。
七瀬と同じ。これは自分よりも速い相手との戦いを熟知している動きだ。
カウンターで斬るつもりか、その躱す動きとほぼ連動して彼女の透明な刃が東城に迫る。
「舐めんなよ」
しかしその程度の攻撃で傷付くほど、東城はもう素人ではなくなっている。
地面を蹴りつけるようにして無理やり体を反転させ、噴出させた炎で剣自体を弾き飛ばす。
「ひゅー。流石は最強を名乗るだけはあるわね」
反撃を阻止されたというのに、彼女の方はそれを悔しがる様子もない。むしろ、そうでなければ困る、とでも言いたげに思えた。
「けど、やっぱりその程度なのかしら」
「んだと……っ?」
安い挑発だと思っていた。それは彼我の実力差を偽り、東城の能力ではなく心の方に隙を作るという、そんな行為だと。
だが、それは違った。
「わたしの能力は氷雪操作能力。この雪も、そして、この氷の剣もわたしの力よ」
そうして彼女は剣を掲げた。目を凝らさねば見えないほど透き通ったその剣を。
――そう。
彼女が氷と言ったその刃の形状は、東城の炎を受けてなお、一ミリも揺らぐことなく剣のままそこにあった。
「嘘、だろ……」
あり得ないのだ。
氷の融点を超える炎をぶつけて全く融解しないなど、たとえ超能力の世界であっても起こり得ない。
超能力は物理的に不可能な現象を引き起こすことが出来てしまう。質量保存の法則など完全に無視しているのがいい例だ。
だがそれでも逃れられない性質がいくつかある。
その一つが、操作する物質の元々の性質を変化させることが出来ないという点だ。
故に東城は炎を盾にすることが出来ない。炎の『揺らぐ』『実体がない』という性質がシミュレーテッドリアリティの改竄よりも優先されてしまう。
――しかし疑似的には、それを盾にすることは出来る。
炎の形状を能力による操作で抑え続けることで、加えられた運動を無視してその形状を固定化するのだ。結果的に、盾にも似た働きをさせることは出来るはずだ。
ただしそれが出来るのは、それだけの操作性を持った能力者だけ。
東城という最強の発火能力者の炎を受けても溶けない氷の剣など、それこそ三人しかいないレベルS級の能力者でなければ生成できない。
「テメェは、誰だ……っ」
「さぁ。誰かしらね」
適当に彼女はうそぶいていた。
「まぁ、一つヒントをあげるとするなら――」
透明なその切っ先を東城へと突きつけ、
「本当に、レベルSが三人しかいないと思っていたのかしら?」
「何――ッ!?」
驚愕する東城の虚を突くように、彼女が突撃する。
その言葉に挙動が遅れた東城は、振り抜かれた氷の刃を完全に躱し切ることが出来ず、頬を浅くだが裂かれた。
赤い線が頬に浮かび上がり、血が滴り落ちる。
「君は本当に何も知らないみたいね。――でも、気付いても良かったんじゃないかしら」
そんな東城を追い詰めるように、彼女は至近距離で乱舞のように剣を振り回す。
東城の爆炎による加速は直線的かつ十分な速度に達するには最低限の距離がいる。これだけ間合いを詰められれば、東城の速度というアドバンテージは失われたも同然だ。
「なぜ燼滅ノ王が作られたのか。それが本当に、研究所の予期しない結果だったのか」
紙一重で躱す東城に対し、彼女はそう喋るだけの余裕を見せつけていた。
「燼滅ノ王が故意に作られたとしたらそれはいったい、どんな理由なのかしらね」
まるで全てを見透かしたかのように彼女は語り、そして、その上で東城を圧倒する。
「テメェは何を知って――っ!」
どうにか躱し反撃しようと拳を振りかざした東城だったが、その気配を察知され彼女はバックステップで回避してしまった。
「全部、だよ」
あれだけの猛攻で息も切らさず、彼女は告げた。
「あの研究の全てをわたしは知っているの。神ヲ汚ス愚者のルーツも、暗黒期の開闢も終焉も、そして、黒羽根大輔の真意も」
「――ッ!」
それは、東城たちの他に誰も知りえないはずのことだ。
彼女が何者かは知らない。だがそれでも超能力者の研究というあの深い闇の、かなりの深淵まで近づいていたことは確かだ。
「どこで、それを知った?」
「わたしは調べたわけじゃないわ。ただ、黒羽根大輔に全てを託されただけよ」
「……なるほど」
納得したように呟いて、東城は不敵な笑みを浮かべた。
彼女の言葉の意味は分からない。
だがあの黒羽根大輔が遺した何かしらの闇の芽である可能性は否定できない。むしろ、その可能性は色濃いだろう。
「なら、本気で叩き伏せて全部吐いてもらうぞ」
「やれるものなら、どうぞお好きに」
彼女の返答と同時、東城が爆発で跳び上がった。両の腕にはプラズマの刃を握っている。
「なるほど。目には目を、ってわけね。確かに悪くはない手ね。それに頭上からの攻撃は応戦しにくいわ」
だがその東城の様子を見ても、彼女はまるで動じない。
「――でも、一つ忘れてないかしら」
彼女は氷の剣を構えるのでもなく、左の掌を東城にかざしただけだ。
「さっき言ったでしょう? わたしの能力は氷雪操作能力、この氷の剣はもちろん、雪もわたしの能力だって」
言葉と同時、東城は背中を何かで殴りつけられるような衝撃を感じて落下した。
どしゃり、と背中から無様に東城はアスファルトに叩きつけられる。
「雪を操作してぶつけるのだって出来るに決まってるわよね?」
「クソ……っ」
落下の衝撃はどうにか爆発で緩衝したが、それも完全ではなかった。そもそも礫のように硬質化した雪に薙ぎ払われたせいで、かなりのダメージを受けてしまっている。
「――とまぁ説教はここまでにするとして。本当はきっちり勝敗を付けておきたかったんだけど……」
彼女はそう言いながら氷の剣を消した。ずっと降り続いていた雪も、跡形もなく消え去っている。
「クラッキングを張ってないから、あまり長居は出来ないのよね。人の気配もするし、今日のところは引き分けってことにしておかない?」
クラッキングとは、精神感応能力者による暗示で行う人払いだ。それがある限り範囲内でいかなることが起きようと誰もそれを認識できないが、逆に、それを行わずに能力者同士で戦うのはまずい。
能力者は違法な遺伝子調整やクローン技術を多用して作られている。その存在が明るみに出ることだけは避けなければいけない。
だが、それに彼女が留意する理由は何だ?
クラッキングすら張らずに東城に襲いかかっていながら、それを気にするのも妙な話だろう。まして黒羽根大輔に通じている黒幕なら、今さら人の目など気にするのだろうか。
「――あぁ、安心してね?」
そんな疑問に一切の答えもヒントも出さずに、彼女は言う。
面をかぶったふざけた少女は、その奥に笑みを浮かべているに違いない。
「また、明日会えるから」
彼女を真っ白な霜が包む。
それが晴れたときにはもう彼女の姿はなくなっていた。
「……何だってんだ……」
そんな東城の声は宵闇に呑まれ、消えていくだけだった。
第4部スタートしました!
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