第4章 再び -2-
目の前に立つその男の威圧感は、何一つ変わってはいなかった。
ふた月前と変わらず、ただ眼前にいる者全てを塵芥とでも思っているかのような、そんな歪んだ威圧感だった。
「随分な挨拶じゃねェかよォ、実験動物ォ」
所長は嗤う。
どこまでも真っ黒な感情を包み隠さず曝け出して、東城を嘲笑う。
「……どうして、生きてる。テメェは俺があのとき殺したはずだ」
ふた月前、東城は自らの命を引き換えにする覚悟でクラッシュし、能力を暴走させることで所長の使用していた無効化能力すら超越した膨大な熱量で全てを焼き払ったはずだ。
その火力を前に骨すら残らず、吹き荒れた上昇気流に乗って灰すら吹き散らされたものだと東城は思っていた。
「テメェがそれを訊くかよ、燼滅ノ王。霹靂ノ女帝の為だか知らねェが、クラッシュを起こしてもテメェは生き残ってたッてのに、オレが生き残れねェ道理があるかァ?」
所長はそう言って、左腕の袖をまくった。
「テメェに生きて復讐出来ンなら、腕の一本くらい安いモンだよなァ。テメェのガキみてェな覚悟の代役くらいにはなってくれたぜェ?」
そこに残っているは、痛々しい火傷の痕だった。たとえ今の医学がどれほど進歩しようと、見た目も機能も二度と戻ることがないことは一目で分かった。
「まァ元から左腕は麻痺してたから大したことはねェがなァ」
そう。かつて所長は無効化能力を手に入れる為に脳にマイクロチップを埋め込み、その副作用として左腕に麻痺を残していた。今さら火傷で悪化しようと、もはや何も変わらない。
「そうまでする意味は何だ、所長」
「あァ? オレのしてた研究所なンざ潰れちまってンの分かってンだろォがァ。意味だ、所長だと、ッたく何の皮肉だァ?」
舌打ちし、唾をその場に吐き捨てて所長は東城を睨む
「覚えとけよォ。オレの名前は黒羽根大輔。テメェをブチ殺す人間の名前だァ、冥土の土産くらいにはなるだろォ?」
空間が割れるような音がして、所長からおぞましい殺気が溢れ出る。
「随分と今さらな挨拶だけど、生憎、俺はテメェに殺される気なんかねぇよ」
所長の放つその威圧感にまるで臆することなく、全身から紅蓮の業火を滾らせて東城は所長と対峙する。
「そォだァ。さァ始めようぜ、燼滅ノ王! オレとテメェの殺し合いだァ!!」
叫ぶと同時、所長は右腕で手すりをへし折った。
「死なねぇよ。柊を助け出すまではな」
「せいぜい吠えてろ、燼滅ノ王! テメェがやったように、オレはテメェの全てを奪ってやるからよォ!!」
同時、所長が跳ぶ。大きく脚を振りかぶり、そのまま足の甲を東城に叩きつける。
回避を考えた東城だったが、場所は狭い踊り場。行き場もない東城は交差させた腕で防ぐしかなかったが、体重差や筋力差であっけなく弾き飛ばされる。
どうにか体勢を立て直した東城が、未だどこにトラップが残っているのか分からない一階の空間に逆戻りだった。
「どうした、燼滅ノ王! テメェはそンなモンかァ!?」
「うる、せぇよ!」
鐵とは違い、自分から記憶を奪い柊を傷つける元凶になった所長を殺すことに対して、東城は躊躇わない。能力を全力で振るうことを全く躊躇することなく、直径三十センチの柱状のプラズマを東城は砲弾のように撃ち出す。
「効かねェことくらい分かってンだろォがァ!」
右腕で弾くようにして、所長はそれを搔き消した。そしてその僅かな隙を衝いて、蹴飛ばしたことで開いた間合いを一足で詰めてきた。
「何度も喰らうか!」
だがその近距離から繰り出される蹴撃を始めとする打撃は、ふた月前に嫌というほど受けている。
既に反応できるようになっている東城はそれを紙一重で躱してみせ、拳を握る。
「詰めが甘ェなァ!」
だが、所長はそこで急ブレーキをかけ止まってしまう。東城のカウンターは目標の距離を見誤り、掠めることもなく空振りに終わる。
同時、所長は腰に手を回して何かを取り出した。
銃だ。
それもリボルバーや単なる自動拳銃とは違い随分と複雑な形をしている。寸詰まりのライフル、とでも言えばいいのか。一見するだけでは、銃火器については素人の東城にはそれがどういうジャンルなのかも分からない。
とっさに後方へ跳び退ろうとする東城だが、所長は東城との距離が開き切る前素早くに引き金を引いていた。
大量の弾丸がばら撒かれる。
東城は瞬時にプラズマのカーテンを展開してそれらを防ごうとした。
「テメェの演算速度なンざ、百も承知なンだよォ。この弾膜は、テメェの初撃じゃ絶対に防げねェ!!」
所長の言葉と同時、プラズマのカーテンが弾丸に突き破られた。
大量の弾丸がプラズマを喰らうことでプラズマの被膜に厚みのムラが出来て、そこを別の弾丸に貫かれたのだ。
すぐに状況を把握し東城は厚みを増したものの、既に脚や腕を大量の弾丸が掠めた後だった。貫通させなかっただけ十分だろう。それ以上を今の一瞬で求めるのは酷だ。
「どうした、燼滅ノ王! そンなモンで終いかァ!?」
「黙ってろ!」
東城は叫んで、プラズマをガトリングのように撃ち出す。
かつての所長は、全ての能力をなかったことにする無効化能力を有し、それを用いて東城たちを追い詰めた。しかしそのときに所長は武器の類を絶対に使用しなかった。
それは無効化能力に絶対の信頼を置いていないから。僅かでも処理落ちすれば、その瞬間に東城の放つプラズマの熱で銃器は全て暴発する。
捨て身の覚悟か何かは知らないが、今さらそんな小手先の武器程度で東城を止められるはずが――
「バカがァ。そんな弱点なンざオレが分からねェわけねェだろォがァ!」
所長は言いながら、引き金を引く。
まるで暴発を恐れていない。所長の無効化は能力に限定されている。銃の暴発まで防げるほど万能な代物ではないはずなのに。
「――っく!」
だが、それでも東城は攻撃から防御へと転じなければならなかった。その銃が暴発するよりも速く、弾丸がばら撒かれてしまうのだ。
タイプとしては機関銃だろうか。その圧倒的な弾数を前に、火炎を操れるだけで感知能力の低い東城では、反応できない。
仕方なく視界を覆うのを覚悟で分厚いプラズマの壁で自分を護るしかない。
「何度も何度も同じ手を使わせるワケねェだろォがァ」
だが声と同時、所長の右腕がプラズマの壁を突き破った。
「――ッ!?」
反応するよりも遥かに早く、顔面を掌打で殴られ吹き飛ばされていた。
あまりに速かった。
五メートルほど吹き飛ばされ無様にコンクリの上を転がってようやく、東城は自分の身に何が起きたのか把握できたほどだ。
「判断が鈍ってンなァ、燼滅ノ王。それでもレベルSかァ?」
所長の左腕は脳にマイクロチップを埋め込んだ影響で麻痺している。左腕では戦闘はおろか、物を掴むことさえ出来ないだろう。つまり、プラズマを掻い潜り右の素手で殴るというのは銃を放棄したと同義なのだ。
この状況でそんな判断をするなど、東城にはとても予測できないし、理解も出来ない。どう考えてもそれは自ら優勢であるこの状況のランクを下げているとしか思えない。
だが、だからこそ今の拳は東城に届いた。
そうやって人の想像や常識、常套手段の全てをせせら笑って踏み躙るのが、この男だ。
だからそんなものを棄ててほぼ反射だけで戦わなければ勝機はない。冷静に、機械のように所長を討つ。それが今の東城に出来る最善策だ。
なのに。
「それとも、霹靂ノ女帝が気になって仕方ねェかァ?」
「――ッ!」
所長の挑発に、東城の血液は一瞬で沸騰した。あらゆる思考が搔き消され、気が付けば東城は猛然と突進していた。
糸が切れる音がした。
東城の中で理性が弾けたのかと思った。
――だが違う。
それは、足元から聞こえたのだ。
「ッ!?」
とっさに東城はプラズマのカーテンで自分を覆う。
だが冷静さを欠いた東城に間に合うはずがない。防ぎ切れなかった無数の金属球が東城の四肢を掠め、抉った。
東城がその場に崩れ落ち、その様を見て所長は嘲笑する。
「ンだよ、その様はよォ! まさかブービートラップがもうねェとでも思ったかァ?」
痛めつけられた体に所長の言葉が響き、がんがんと揺さぶられるようだった。
だが幸いにも致命傷はないようだった。関節などの起点も無事だし、動脈が傷つけられた様子もない。
どうにか立ち上がり、痛みを堪えるように長い息を吐く。
(トラップが厄介だ。今ので、俺も余計な動きが出来なくなった)
恐怖は人の思考を鈍らせる。僅かでもトラップがあるのでは、と思わされた時点で東城の全力は封じられているも同然だ。
「どうしたァ? まさかもうギブアップとか言うンじゃねェだろォなァ?」
確かにいま圧しているのは所長だ。東城は一撃たりとも浴びせることは出来ず、所長によるダメージはフリーズ寸前まで嵩んでいる。
「言わねぇよ」
それでも、東城が柊美里を護ることを放棄することは絶対にない。
指先まで滴った血を振って払い、東城は爆発を後方に起こしその加速で間合いを詰める。トラップの発動よりも速く、所長を仕留める為だ。
そして、使用者である所長の元にはトラップなどあるわけがない。それは絶対に残された安全ゾーンだ。
「――そう、判断すンだろォなァ」
だが所長は笑って地面を蹴りつけた。何かが割れる音と共に、所長と東城の間に割って入るように何かが跳び出した。
跳躍式地雷。
それを自ら踏み抜いて、所長は攻撃へと転じたのだ。
「なッ!?」
東城が反応し切る前に、それは爆発する。プラズマのカーテンが成型されるか否かというタイミングで、東城の身体をいくつもの弾丸が貫いた。
「っがぁぁぁぁぁあああああ!!」
絶叫し、東城はその場に崩れ悶える。爆発での回避なども試みてどうにか全弾命中だけは避けたが、それでも致命的なダメージであることには変わらない。
予想すらしていなかった。
自爆という手を使ってまで所長が自分を追い詰めようとしていることを、東城はまったく考えてもいなかった。
「――とか、思ってンじゃねェだろォなァ?」
だというのに、その声は平然と聞こえた。全方位へ散弾を撃ち出す跳躍地雷を目の前にしながら、まるで声に痛みを感じない。
「ンなワケねェだろォがァ。テメェの基準でモノを考えてンじゃねェよォ」
悶える東城の前に姿を見せた所長。
だがそれは、ただの姿ではない。
全身に紅蓮の業火を滾らせて、嘲笑うその姿。
オレンジのプラズマを時折織り交ぜるようにちらつかせて、その紅蓮の業火は猛る。
それは、あり得ない光景だった。
その炎は、どこまでも東城の燼滅ノ王と酷似しているのだから。
「それは、燼滅ノ王、なのか……?」
その力は、東城だけのもののはずだった。東城の全てを形作っているのは、その能力ただ一つなのだ。
その力を、目の前の男は持っている。
真っ黒な闇に突き落とされるような絶望が、そこにはあった。
「厳密には違うがなァ。まァ認識としては間違っちゃいねェよォ」
所長は嗤って言う。
「どういうことだ……っ? それが、燼滅ノ王……? テメェの能力は、無効化だけじゃ――」
「まさか本気で気付いてなかったのかァ?」
うずくまる東城の頭蓋を踏みつけて、所長は嗤う。だが東城は痛みに悶え、その足を払うことさえ出来なかった。
「テメェ、もォオレの能力を忘れやがったのかァ? オレの無効化能力は、オレを中心に半径五十センチの能力を全て無効化することだったろォがァ。それがどうして、わざわざ腕でテメェの炎を搔き消さなきゃいけねェ?」
言われて、気付く。
今までの所長の無効化能力は、半径五十センチ以内に入った瞬間、問答無用であらゆる能力とその影響を打ち消していた。
だが、今はどうだ。
東城の攻撃を、所長は腕で払うようにして搔き消していた。プラズマのカーテンで身を隠した東城に突撃していたときも、そのプラズマのカーテンは所長の腕一本分しか消されることはなかった。
つまり、東城自身の能力は所長に触れてから消滅している。
「知ってンだろォ? こォやって触れねェと搔き消せねェ、逆に、触れるだけで自分の掌握する事象の全てを消滅させる力をよォ」
それは、高レベル能力者にのみ許された特権。それも、プラズマを打ち消せる以上、所長が手に入れたのは発火能力ですらないのだ。
間違いでもハッタリでもなく。
所長の手には、東城の燼滅ノ王がある。
「どうやってだ……っ! どうやって俺の力を――」
「ハナからテメェのモンでもねェだろォがァ。その能力は研究所が植えつけた、貰いモンのクセによォ」
ぐりぐりと東城の頭蓋を踏み躙りながら、所長は愉悦に口を歪めてく。
「だいたい、どうやって、だァ? ンなモン見りゃ分かンだろォ」
トン、と自分の頭を所長は叩いて見せる。そこは以前になかった剃り込みが入った箇所だ。
「オレは一度頭を切り開いたァ。そこでオレは、役に立たなかった無効化能力を構成するマイクロチップの活動を止めて、もう一つ上乗せしたァ」
「な、にを――」
「能力名を燼滅ノ偽王。テメェの燼滅ノ王と全く同じ、炎と爆発とプラズマの全てを操る、最強の能力だァ」
「――ッ!?」
それはあまりに凄絶な言葉だった。
超能力者を作るには、遺伝子操作と新生児、乳幼児の薬物投与が必須。
そうすることで初めてシミュレーテッドリアリティへアクセスするインターフェースと、超能力を扱えるだけの演算能力を獲得できる。
だが、所長はそれすら行っていない。
ただ単に能力者のデータを抽出し、マイクロチップに移し、脳に移植する。それだけで本来の超能力者が有すべき制限のほとんどをクリアしている。
もしそれが事実だというのなら、それはもう十二分に研究としての成果は上がっている。わざわざ違法なことに手を染めずとも、誰でも超能力が手に入るのだから。
そんな技術を確立した時点で、もう所長の研究は終わっている。
――だがしかし。
――何か、重大な欠陥がある気がした。
「まァ、まだ実験段階の上に演算能力の拡張は不十分どころか皆無、オレならともかく誰でも扱えるほど易いモンじゃねェがなァ」
「ふざけやがって……ッ!」
その重大な欠陥が未だに東城には分からない以上、少なくとも今の東城は後戻りできなくなっている。ここで所長を止めなければ世界中が戦禍に包まれる。
「止めたきゃ止めてみやがれ、燼滅ノ王! それすらテメェには出来ねェだろうがなァ!」
叫ぶ所長に、東城は猛然と突撃する。
自分の唯一の能力をコピーされたというのは恐ろしいほどの衝撃だったが、冷静に考えれば所長の能力が無効化ではなくなったのは救いだろう。
かつての無効化能力ならば半径五十センチに入ると同時に東城の全ての能力はなかったことになり、慣性まで失われていた。
だが今の所長の能力――燼滅ノ偽王は限りなく燼滅ノ王に酷似している。つまり能力を消すことは出来ても、その無効化は能力が生み出した二次的な効果にまでは及ばない。
東城がいくら能力で加速しようと、所長に打ち消される恐れはない。
今まで戦った他の能力者たちと同じように、加速した打撃で攻め落とせばたとえ同じ能力を有しているとしても勝機は――
「ねェよ、そんなモンはよォ」
突撃する東城を紙一重で躱して、所長は彼の顔面に拳を叩き付けた。
完璧にタイミングを計られたカウンターだ。避けることも防ぐことも出来ず、ただ東城は吹き飛ばされた。
「見て分かンだろォがァ。オレの能力はテメェを徹底的にコピーすることで組み上げたァ。つまり、テメェの戦い方の全てのデータがオレの頭の中には入ってるってことだァ。テメェの攻撃なンざ、一撃だって喰らうかよォ」
それは東城の希望を全て絶つような言葉だった。東城のあらゆる手段を、尽く潰されているようなものだ。
「……そう、か」
だがその言葉に、東城は所長が生み出した決定的で壊滅的な矛盾に気づいてしまった。
この技術は超能力のコピーと言った。つまり、他にもこの方式で能力を生み出そうとしてもオリジナルとなる東城たち九千人のデータが必須となる。
逆に言えば九千種以上の能力は存在せず、現在のデータ以上の能力を精製することは出来ない為、絶対に進化の余地が存在しない。
その上、現状を見れば分かる通りに全く同一の高位能力者が戦闘になった場合、まるで能力は意味を成さない。これでは仮に販売が可能だったとしても流通しないだろう。
それでは、当初の目的通り兵器として売ること自体が困難だ。
一時的には兵器の役割を果たすだろうが、軍事事情は刻一刻と変化する。こんな固定化され、かつ、致命的なレベルで攻撃力を喪失する兵器に未来はない。
たった二ヶ月でこれだけの技術を確立したその類稀な――いや、おそらく現在の世界で最も優秀な頭脳を持ちながら、所長のやっていることは無茶苦茶だった。
わざわざ、この二カ月を費やしてまでそんな無駄なことをした理由は何だ?
「何考えてンだか知らねェがな、テメェには関係ねェだろォ? オレがどンな目的でこの燼滅ノ偽王――疑似能力を作ろうとなァ」
「けど、テメェにはまだ何か企みがあるんじゃ――」
「ねェよ、ンなモンはよォ」
起き上がった東城を、所長はもう一度蹴飛ばす。
「――が……っ!」
無様に転がる東城の腹を踏みつけて、所長は歯を食いしばる。
「ンな企みに何の意味があるってンだァ? オレがただ一つ護ってきたモンはもう絶対に護れねェ。オレの唯一の願望を叶えるあらゆる手段は消滅――いや、テメェの手で焼失させられたンだろォがァ」
そんな憎しみを語りながら、それでも所長は嗤う。
どこまでも深い憎悪にその身を焼きながら、彼の顔にあるのはただ一つ、東城大輝を殺せるという狂気にも似た喜びだけだ。
「だから、テメェは殺すぞ燼滅ノ王。テメェがやったように、オレはテメェの全てを奪ってぶち殺すぞォ」
たとえ二月前に死の淵に落ちようと、彼はいつでも全ての能力者を支配し続け、最強の超能力者であろうと塵のように払うだけ。
変わらない。
その強さも、残虐さも、何もかもが変わらない。
東城では命を引き換えにしなければ覆せないほどの差が、厳然としてある。
「さァ、見せてみろよ、燼滅ノ王。テメェのそのちっぽけな力も覚悟も、オレが徹底的に踏み躙ってやるからよォ」
絶対的な力の差、それを埋められるだけの術を東城は持たない。そんな方法は、一つどころか手掛かりすら思い浮かばない。
それでも、東城は立ち上がった。
「やってみろよ。それでも俺はテメェを倒して柊を護る」
それが、東城の原動力。
東城を突き動かす、最大の力だ。
――なのに。
「護る、ねェ。テメェに何が護れるって言う気だァ? 記憶喪失の燼滅ノ王よォ」
嘲笑う所長の声が、いやに耳に張り付いた。
「……どういう意味だ?」
「オイオイ、テメェまだ気付かねェのかァ? まさかオレが、本当にお人好しで霹靂ノ女帝を律義に拉致しただけで済ましてやったとでも思ってンのかァ?」
堪え切れない、とでもいうように所長は嗤う。
「――テメェまさか、まだ霹靂ノ女帝が無事だとでも思ってンじゃねェだろォなァ?」
血が逆流した。
視界が真っ赤に染め上げられ、全身の筋肉が感情に押され痙攣し始める。
「テメェ――ッ!」
「イイ表情だなァ、燼滅ノ王! テメェの知らねェところで霹靂ノ女帝がどンな目に遭ったか、逐一教えてやりたくなるじゃねェかよォ!」
その言葉を聞いても必死に、東城は言い聞かせる。
――柊は無事だ。無事に決まっている。
所長は、東城を憎んでいる。
そこまで恨む理由は分からない。だが、それでも自ら脳を切り開いてまで超能力を手に入れたのだ。少なくとも、そんなリスクを冒してでも東城を苦しめたいと、所長は思っている。
だから、柊は無事でなければいけない。
どんな手段にしろ東城を絶望の深淵へ突き落としたいのなら、目の前で柊を傷つけるその過程こそが最大の力を発揮するのだから。
理屈では分かっている。所長がその程度にも思い至らない人間ではないことも、十分に承知している。
――だがしかし。
もしも所長がその裏をかいているとしたら?
東城にそう思わせることで、その判断が間違いだと見せつければ、それはさらなる精神的なダメージ――下手をすれば致命傷を与えることが可能ではないのか。
だとしたら、所長の言動は、本当に嘘だと断じられるのか。
そんな懐疑的な思考に至った時点で、東城の中の何かは壊れていた。
「――ざ、けんじゃねぇぞ!!」
脊髄から溢れ出す膨大な熱のようなものに任せ、咆哮を上げる。
気が付けば、東城は骨や筋肉が悲鳴を上げるほどに拳を握り締め、地面を蹴っていた。
「甘ェよォ! それでオレに勝てるわけねェだろォがァ!!」
真正面から殴りかかった東城を躱し、所長は東城に右の拳を突き立てる。
瞬間、何かが煌めくのが見えた。
反射的に東城は身を捩る。それでも所長の拳程度ならどうにか躱せたはずだった。
なのに、脇腹から鮮血が散った。
「――っぁあ!」
どしゃり、とその場に東城は崩れ落ちる。
見れば、所長の右手にはコンバットナイフが握られていた。ただしそれは、刀身の元の色が見えなくなるほど真っ赤な液体に塗られていたが。
「オイオイ、武器が一つだとでも思ってンじゃねェだろォなァ? オレがPDW――あの銃をさっさと、何の未練もなく放り捨てた時点で、まだ武器があると気付けよォ」
所長は嗤いながら、くるくるとコンバットナイフを回す。刀身についた血が飛び散り、所長の頬を濡らす。
「立てよ、燼滅ノ王。テメェはまだ殺さねェぞォ」
所長はその血を舐め取り、コンバットナイフを掴み直し東城の喉元に切先を突き付ける。
「テメェに、本物の絶望を教えてやるよォ」
所長の目に、東城は吸い込まれていくような錯覚を感じた。
それはまるでブラックホールのようなもの。
彼の奥にあるどこまでもどす黒く、どこまでも重い何かに、東城の力が奪われていく。
「まずは、腕の一本だァ」
その重圧に呑まれ動けなくなった東城の右肩に、その刃が突き刺さる。
痛みだか熱だか分からない信号で、神経が焼き切れるような悲鳴を上げた。
「――っがぁぁぁぁああああああ!?」
貫通してもなお執拗に所長はナイフをねじ込んだ。骨が割れる不気味な音が、自分の体内から聞こえる。
そうして柄まで肩に埋め込んで、一気に所長は引き抜いた。鮮血が飛び散り、ばちゃばちゃと辺りを真っ赤に染め上げる。
「っく、そ……ッ」
悶える間もなく、東城はそれを焼いて止血する。
あまりの痛みに視界が明滅して、音もろくに聞こえない。
いま体のどこが稼働しているのかすら分からないまま、東城はその場にのたうちまわる。
「イイ様だなァ」
所長は腹の底から歓喜の――そして、狂喜の雄叫びをあげた。
「けど、足りねェよォ! オレの絶望を埋めるには、全ッ然足りてねェ!!」
もう、東城に残された手段は僅かだ。
利き腕の起点を完全に破壊された。もう単純な打撃攻撃は通用しないと見るべきだろう。だが、能力による戦闘も無効化同士の戦闘になっている今では意味がない。
(不味い……ッ! これ以上長引かせたら、俺の勝機はなくなる……っ)
これ以上、東城では持ちこたえられない。
早急に、性急に、所長を仕留めなければならない。
だが既にほとんどの手を潰されている。もう東城には策が残されていない。
(――いや、まだ一つだけ策はある……っ)
唯一、東城に残された武器。
それはこの階に仕掛けられた無数のトラップだ。
あれのどれか一つでも正確な位置、攻撃の種、射程が分かれば、所長が気付く前に能力で起動させ、隙を突いて所長にのみ致命傷を与えることが出来る。
所長は東城を殺す為に大量の武装、罠を用意している。そして、所長がいま持っている能力は東城のそれを完全にコピーしたものだ。となれば、所長の武装は彼自身の命にも届くはずだ。
(チャンスは一度――失敗して警戒されたらお終いだ)
ぐらぐらと揺れかすむ視界の中で、どうにか東城は立ち上がる。
「そォだ、その眼だ燼滅ノ王。その胸糞悪ィ眼を、オレはブッ潰してェンだァ!!」
所長はナイフを振りかざし、東城に突進する。だが紙一重で東城はそれを躱す。
だが、その瞬間。
彼の足取りが僅かに逸れた。
(――そこだ!)
一瞬で判断した東城は、そこへプラズマの槍を投げる。
予想どおり埋められていた地雷か何かが爆発し、爆音と共に無数の金属の破片を周囲に撒き散らした。
――だが。
その前に既に、所長は自分の周囲に分厚いプラズマの壁を展開し終え、全ての金属片を防ぎ切った。東城と違い、ただの一つとしてプラズマの被膜を突き破らせることはなかった。
「な、んだと……っ!?」
「驚くことじゃねェだろォがァ。テメェだってここのトラップは完全でなくともある程度は防いでンじゃねェかァ。どこにどんな罠を仕掛けたのかを覚えて、かつテメェと同じ能力を持つオレがテメェと同じ結果になるわけねェだろォ?」
つまりは、そういうことだ。
全く同じ能力を手に入れた所長だからこそ、東城を殺す為だけに策を練り、準備を整え、自らを鍛え上げてきた彼は東城の遥か上を行く。
事実。
今なお無傷で、彼は東城の前に君臨しているのだから。
「けどまァ、この展開は正直予想より早ェなァ。もうちょっとテメェは慎重に自分の手で戦うと思ってたんだがなァ」
そう言いながら、所長は指先に火を灯して見せていた。不規則に点滅するその小さな火は、東城を殺す為ではなさそうだった。
「なんだ……、それは……?」
「なァ、さっきから間抜けな質問ばっかしてンじゃねェよォ。テメェら能力者をこれほどまで作り上げたオレが、テメェに自分のトラップを利用されねェなンて考えてたと思うのかァ?」
所長はからからと嗤っていた。
「そして、オレは自分を過大評価したりしねェ。テメェと本気でやり合ってる内にどこか一カ所でもトラップを見落とすかもしれねェ、反応が遅れるかもしれねェ。だったら、そのトラップを全部なかったことにしねェといけねェよなァ?」
所長の指先の炎が、唐突に体積を増やし始める。
その言葉とその小さな炎に、東城は戦慄した。所長の今からやろうとしていることを、すぐさま察知したのだ。
「待て!」
「じゃァなァ。無事に生きてられたら、また会おうじゃねェかァ!」
言葉と同時、指先の炎は膨れ上がり辺りを無作為に叩きつける爆発と化した。
高位能力者の東城はその爆発に呑まれるまれることはない。だが、辺りに埋められた爆発物は別だ。
拡散するように爆発が連鎖反応を起こし、付近ではなくこの階層の遠くまで、順に爆発音が響く。ほんの数瞬の内とはいえ一通りの爆発が納まったかと思えば、また上の階で同じような爆発が起きる。
そして、そんな連鎖的な爆発音とは別の鈍い音が、鼓膜を揺さぶった。
壁が軋む。
天井が崩落する。
「――ッ!?」
灰色の空間に東城は押し潰される。同時、強烈な浮遊感が東城に襲いかかる。
この階層――いや、ビルそのものを所長は爆破したのだ。
(正気か!?)
驚きながら、東城はプラズマで自分の頭上を覆い落下するコンクリートの破片を破壊 吸収する。
ビルの構造上一階部分は独立しており、東城がいたのは二階だ。このままでは落下だけでかなりのダメージを受けてしまう為、火炎で落下速度を落とそうとする。
だが、それは結果として失敗だった。
(しま――っ!?)
現在、東城がいるのは二階。
そして、このビルは五階建てだ。
三階分の建造物の重量を、その身に受けることになる。この時東城が取るべきだった行為は、真っ先に壁をぶち抜いて外に出ることだった。
だが気付いたときにはもう遅い。
瓦礫は容赦なく東城に降り注ぎ、そのプラズマが喰らうよりも速くその全てを埋め尽くす。
視界が、闇に押し潰された。
ぜひ評価していってくださいm(_ _)m




