第3章 遠き理想 -2-
「で、何の用だ」
言われたとおりバスに揺られ、東城はついこの間柊と訪れたケーキ屋の二階で、青葉と七瀬に合流した。
「お前、ホントに何にも知らないのか!?」
合流するなり、青葉は東城を怒鳴りつけた。その眼は血走っているようにすら見える。
「だから何の話だ」
「バカ野郎! 美里はお前の学校に編入したんだろ!? お前、学校で美里を見かけたのか!?」
唐突に青葉は怒鳴りつけるが、理由も分からなければ理由を聞く気もない東城はうざったそうにため息をつくだけだ。
「いねぇよ。今日は休みだった」
あそこまで怒られる理由も、怒られた後顔も合わせない理由も検討が付かない東城としては、今さら柊が風邪を引こうが心配などしない。――少なくとも、表面上は。
「お前、まさか本当に気付いてないのか……っ」
「だからさっきから何を言って――」
言いかけたとき、向かいの青葉に胸座を掴まれて無理やり立ち上がらされた。ガシャン、とテーブルの上でカップが倒れ中身を撒き散らす。
「お前、いい加減にしろよ……ッ!」
青葉が歯を食いしばり、必死に何かを堪えていた。
「時ノ旅人。貴方の発言では事情が飲み込めませんわ。とにかく、貴方は落ち着いてください。話はわたくしが致しますわ」
冷ややかな声で、青葉の怒りを七瀬が鎮めた。彼もこんな場所で暴れるのはまずいと思ったのか、舌打ちこそしたがそれだけで東城の胸座を掴んだ手を放した。
東城は襟を直しながら座り直し、七瀬の方を向いた。
「何があったんだよ?」
「落ち着いて聞いていただきたいのですが、まぁ無理だと思うので単刀直入に言いますわ」
七瀬はそんな前置きをしてから、こう口にした。
「霹靂ノ女帝がさらわれました」
「な――っ!?」
座ったばかりだというのに、東城は気が付けば立ち上がっていた。
動揺を隠せない。
鼓動が早鐘のように打ちつける。
「落ち着いてください。お店に迷惑が掛るでしょう?」
「そんなことを言ってる場合じゃ――」
「そもそも、レベルSがさらわれるというのは非常に危険な状況です。他の能力者――特に、これを機に暴れようなどと考えだす能力者に知られるのは非常に拙いですわ。流石にこの場に能力者はいないと思いますが、断定はできませんし」
東城を落ち着かせる為に、七瀬は理屈だけを並べて感情を抑えようとしてくれた。
「けど……っ!」
「大輝様の言う事は分かります。けれど、貴方が記憶を犠牲にしてまで作り上げた地下都市をこのような形で崩してはいけませんわ。まずは落ち着く事。それは霹靂ノ女帝を助けるとしても必要な事でしょう?」
「……分かった」
東城は一度深呼吸し、椅子に座る。座って前を見つめ直したときには、今までどおりの東城がそこにいた。
「それで、さらわれたっていう証拠は?」
「今朝、時ノ旅人が霹靂ノ女帝に用事があるそうで家に行ったところ、無人だったそうです。そこで地下都市の精神感応能力者に協力を依頼して場所の特定を頼んだそうなのですが……」
「出来なかった、のか」
「はい。そもそもその場所の特定はある程度地域を限定し、その中で個人を見つけて追跡する物。ですので、昨日のわたくしは学校での大輝様から経路を把握させて頂きました。逆に言えば、錬金ノ悪魔のように行方不明になった能力者は捜索できません」
つまり通学路にも家にも学校にも、彼女がいそうなところ全てに柊はいなかったということだろう。
「けど、それじゃただ街をうろついているだけかもしれないだろ。昨日、意味は分からんが俺と喧嘩したんだし――」
「それはないから、俺だって焦ってんだ」
バン、と叩きつけるように青葉は一枚のメモを置いた。
「何だ、それ」
「美里の地上の部屋の扉に張ってあった」
東城はそれをめくり、驚愕する。
そこに書いてあった文章は、とても短く、そして、ひどく明瞭なものだった。
――お前の全てを奪う、燼滅ノ王。
「これは……」
「宣戦布告、でしょうね」
七瀬はため息交じりに言った。
「相手は、誰なんだ」
「それはまだはっきりとはしません。ですが確認を取ったところ、万物ノ刑死者以下五名には何の被害も、その予兆もないそうです。そうなると光輝ノ覇者の一件は関係無さそうですし、相手がこうまでする原因は一年前の大輝様達か……」
「ふた月前の、あの日ってことか」
東城は歯を食いしばる。
残った能力者全てを助け出した、あの日。
この手で神戸の想いを全てねじ伏せ、全ての元凶である所長を焼き殺した、あの日だ。
「それで恨みを覚える奴か……」
「いいえ、それだけではありません。加えて言うなら現在行方不明で、なお且つ、大輝様の弱点を完全に把握している者、ですわ」
そう。
昨日の鐵のあの戦い。五メートルのタングステンの槍も、頭上からの攻撃も、かつて東城が死の瀬戸際まで追いつめられたものと全く同じだった。そして音や声で聞いただけだが、四肢を貫いて動きを封じるというのは、柊が神戸に対してやった絶対に脱出不可能な束縛のはず。
それらを全て知った上で、鐵に情報を流せるものは一人しかいない。
「まさか、お前は……」
「はい。犯人は神ヲ汚ス愚者ではないかと考えています」
神ヲ汚ス愚者、それは神戸拓海の能力名だ。
全能力者の中でたった三人のレベルS。そして、全ての能力者を生み出す元凶となった、東城とは正反対の位置に立つ最強の能力者。
「ありえねぇ。だってあいつはもう――」
「それは大輝様が見ただけですわ。わたくしが知っているのは、自分の死で罪を償いながら他の誰もかもを救う道を探し、わたくし達を見事に欺いた狡猾な姿だけです」
言われて、東城は反論できない。
違うはずだ。そんなわけがない。
だが、それを否定するにはあまりに証拠がなさすぎる。
「……おい、待てよ」
そんな風に東城が歯噛みしている間に、青葉は怒りに声を震わせていた。
「今は、犯人が誰かとかどうでもいいだろうが」
がたりと青葉が立ち上がる。眉間にしわを寄せ、正面に座る東城をまるで敵であるかのように睨みつけていた。
「随分と腑抜けになったな、大輝」
青葉は吐き捨てるように言う。そんな言葉を、東城が聞き逃せるわけがない。
「……何だと?」
「そうだろうが。いま俺たちが気にすべきは犯人が誰かじゃない。美里は無事なのか、どうやって助けるのか、だろうが!」
青葉が八つ当たりするようにテーブルを蹴飛ばし、上に乗っていた誰も口を付けていないコーヒーが床に撒き散らされる。
店中がざわつくが、それは七瀬が即座にクラッキングを使ってどうにか上手くやってくれていた。こんな些細なことでそれを使わせるのも微妙だったが、一番冷静な七瀬がそう判断したのなら、それが正解なのだろうと東城も納得する。
状況をゆっくり認識して、東城は一度深呼吸して青葉を見据えた。
「無事に決まってる。いくら何でも柊がそんな簡単に殺されるわけがねぇだろ。第一、単独行動は危険だって言ってあった。多少はそれなりの準備もあるはずだ。俺が慌てた方が状況としてはマズイ」
「……っ」
「それに、犯人が神戸なら、柊をただ殺すことに意味はない。もしそうじゃなくて俺に恨みがある奴だとしても、俺を絶望の底に叩き落とす為に柊をさらったなら、せめて俺の目の前でことを起こさない限り――」
「そうやって傍観者気取ってる時点で、お前はもう堕落してんだよ!」
東城の胸座を掴んで腹の底からの劇場を吠える青葉と、その状態で何一つ反抗しないで睨みだけで青葉を射殺さんとする東城の視線が、ぶつかり合った。
「いつからだ」
青葉が唸る。
「いつから、お前はそんな様になった」
青葉の言葉が、東城の胸に刺さった。
「俺の知っている大輝は、お前みたいな腑抜けじゃない。ただただ強くて、ただただカッコつけで、ただただ誰かのためにその身を犠牲にして! それでも最後は美里を護るためなら全部投げ打つような、そんなどうしようもないくらいのバカ野郎だ!」
青葉の拳が東城の頬を打ち、軽々と殴り飛ばした。
戦闘の経験で言えば東城はそれを難なく躱せただろうし、殴られても大したことはなかったはずだ。だが実際、東城は軽々と吹き飛ばされて隣のテーブルに無様に突っ込んでいた。
「もう俺はお前には何も期待しない。始めから記憶のないお前になんかを頼ろうとしてた俺が馬鹿だったんだ」
「テメェ……っ。好き勝手言ってんじゃ――」
「だったら、今のお前は何だって言うんだ!」
立ち上がろうとした東城へ青葉は詰め寄り、胸座を掴んで無理やり引き寄せる。
「状況が分かってんのか!? 狙われてるのはお前で、その為に美里がさらわれてんだ! 何をぐちゃぐちゃ言ってやがるんだ!」
青葉の頭突きが、顔面に直撃した。
「何だその様は。何だその腑抜けた面は! お前はもう大輝じゃねぇよ! ただその皮をかぶって周りを振り回すだけの、迷惑なガキじゃねぇか!」
「いい加減にしろよ!」
青葉の胸座を掴み返して、東城が吼える。
「俺は俺だ。あの日以来、一度だって俺はお前らの知ってる東城大輝になれたことなんてねぇんだよ! なりたくて、その姿に必死に重なろうとして、それでも、何度やっても俺はそうはなれなかったんだよ!」
青葉の顔面を殴る。青葉が吹き飛び、反対側に合った植木鉢へ突っ込んだ。
「俺は東城大輝とは違う。無様に負けを重ねて、死にかけて、それでようやく何かを掴めるような、弱っちい奴なんだよ、俺は。だから俺だって必死なんだよ! 柊を泣かせないくらい綺麗に助けるために! あいつを助けるために俺が傷付いたんなら、それはもう何にも変わってねぇだろうが!!」
「お前の信念とか、どうでもいいんだよ!!」
青葉がすぐに起き上がり、跳びかかるように殴り返す。
「俺は美里が好きだ! あいつのおかげで、俺はレベルCでも、どんなに自分が弱いと知っても、それでも誰かを助けることが出来るって知ったんだ! 俺の世界を変えたのは、美里なんだよ! その美里が、死にかけてるかもしれないんだぞ!?」
もう一発、青葉の拳が東城の顔面を真正面から捉えた。
「だったら助けたいって思っていいだろ! 一分でも一秒でも早く! 理性も理屈も全部ぶっ壊して、助けに行っていいんじゃねぇのか!? それが、人を好きになるってことじゃねぇのか!」
無様に転がった東城に叫ぶだけ叫ぶと、青葉はようやく深呼吸した。
「……俺はもう行く。もうお前の力なんか絶対借りない」
青葉は服を正して、ジャリジャリと割れたコップなどを蹴散らして店の外へと向かう。
「俺が、一人で美里を助けて見せる」
青葉の出て行ったケーキ屋で、東城は歯を食いしばっていた。
反論できなかった。
青葉の言うことを、東城は間違っているとさえ思えなかった。
「……随分と派手に殴られましたわね」
そうして呆然と座り込んだままの東城に、七瀬は能力で濡らしたハンカチでそっと殴られ腫れあがった東城の顔を拭いた。
「少々沁みるでしょうが、我慢して下さいな」
「……いい。あとはオッサンのとこで診てもらう」
そんな七瀬を払うようにして、東城はどうにか立ち上がった。
「ですが、少しは冷やした方が良いですわよ」
「大した怪我じゃ――」
「怪我よりも、頭の方ですわ」
逃げようと七瀬から視線を逸らしていた東城は、思わず七瀬に振り向いてしまった。
そこで七瀬はただ東城を真っ直ぐ見てくれていた。
「少々、熱くなり過ぎではないですか? 子供っぽい、と言い換えても宜しいですが。どこかいつもの大輝様とは違うように見えます」
「……変わらねぇよ」
東城はため息交じりに呟いて、外へと向かう。
「悪いな、七瀬。みっともない姿を晒した」
「あら。過去形ですか?」
「……店の後始末は頼むわ。言われたとおり、ちょっと頭冷やしてくる」
七瀬のおかげで、一応ではあるが冷静に戻ることはできた。――だが、まだ東城は自分のすべきことが見つからない。
もう一度頭を冷やして、答えを見つけ直す為に東城は店を出た。




