第4章 探し物は -4-
「お、ね、え、さ、ま!!」
目を爛々と輝かせたセーラー服の少女が飛びかかってくる。それを眺めていた七瀬七海は、呆れたようにため息をつきながら、ひょいとその熱い抱擁を左に躱す。ずしゃあ、と野球もかくやというスライディングを決めた彼女――夕凪聖に冷たい視線を向けた。
「いきなり飛びついてくるのはおやめなさいな、はしたないですわよ」
「つ、ついお姉さまに出会えた喜びが……っ」
夕凪はすりむいた鼻先をさする。そんな過剰な歓喜を、東城と柊は呆れた顔で見守るほかなかった。
朝日奈るりが予知能力を使えなくなっていると発覚してから、他の予知能力者にもその影響が出ているのではないか、と考えて会いに来たのが彼女、夕凪聖。異能力者との一件で七瀬、東城が出会ったレベルCの予知能力者であった。
そんな彼女の住む地下都市・第1階層のマンションまでやってきて、彼女の部屋番号を押したら、マッハで駆け下りてきた彼女がエントランスで飛びついてきた、というわけだ。
「と、ところでなんでお姉さまが?」
「あなたに用があったのですが、もう済んだので結構です」
「そんな!?」
冷たくあしらわれた夕凪がエントランスに座り込んだまま肩を落とすが、七瀬は気にする様子もない。
「い、いいのか? まだ一言話しただけなのに」
「必要な情報は『ほかの予知能力者が未来予知を使えるかどうか』ですわよね? 彼女がインターホンを鳴らすまで現れなかった時点で確定ですわよ」
これだけ七瀬に一方的な好意を向けている彼女のことだ。七瀬の言うとおり、もし未来予知で愛しのお姉さまが来ることを知っていたなら、自室ではなくマンションの前で待機していたに違いない。
「な、なにを話されているのか聖にはさっぱりです……」
「あなたが気にする必要はありませんわ」
「お姉さまの意地悪……。でもこういうのもなんかいいです……っ」
「ねぇ何かに目覚めちゃってるんだけど、この子」
七瀬にぞんざいに扱われすぎて新たな扉を開きつつある少女に、七瀬は深くため息をつく。
「……そうやって茶化して気を引くのは感心しませんわね」
「う、お姉さまにはバレますか……」
「あまりあなたにとって気分のいい話ではないというだけですわ」
いい加減立ちなさいな、と手を貸す七瀬に、夕凪は素直にその手を借りて立ち上がる。その表情はどこか嬉しそうでありながらも、七瀬の言葉を受けて幾ばくかの緊張も孕んでいるように見えた。
「さぁ大輝様。帰りますわよ」
七瀬はくるりと踵を返し、夕凪と早く別れようとしていた。
見れば、夕凪の顔は真っ青になっていて、乾いた唇が微かに震えている。
――彼女の親友は、研究所にいた頃に能力を失っている。当時の能力者は、兵器として出荷するために育てられていた。だからこそ能力を発現できなくなった不良品は処分される。彼女はそうして親友を喪った。それは、東城も林道愛弥との一件が片付いてから聞かされたことだった。
そんな彼女にとって『能力が使えなくなった』という現状は、非常に重い意味を持つ。それを七瀬に知られてしまったと悟ったが故に、当時のトラウマがフラッシュバックしているのだろう。
だから七瀬は早くこの場を去ろうとした。少なくとも、いま彼女が抱えている辛さは、この場の誰も分かち合うことは出来ない。ただひっそりと、強がらずに一人に出来る時間をあげるくらいしか。
――なのに。
「聖が、能力を使えなくなったのは二週間前、です……っ」
ぎゅっとセーラー服の裾を握り締めて、震える声でそれでも彼女は宣言した。荒ぶる鼓動を押さえつけるように、息はどんどん荒くなっている。
それでも、彼女はその言葉を絞り出した。
それは勇気の証明だった。その強さに、ただただ七瀬たちは舌を巻いた。
「……助かりますわ」
「お役に、立てますか……?」
「何を今さら。――あなたがわたくしの役に立っていなかったことなんて、今までなかったでしょう?」
そんな七瀬の珍しく気恥ずかしそうな言葉に、夕凪は力なく、それでも嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「……ですが、少々妙ですわね」
にやにやしている夕凪の頬を小突きながら、七瀬は東城を見やる。その目はいつになく真剣であった。
「二週間前ということは、アズール・ルークが殺害された時期と被るはずですわ」
「――ッ」
それはつまり、権能保持者が動き始めた日でもあるはず。それと予知能力者が一斉に不調を抱えていることに、何の因果もないとはとても考えられない。
「でもその権能保持者たちのプランってやつには、予知能力者は必要不可欠のはずよね?」
「えぇ。予知能力に影響を与えるというのは、少々考えがたいところですわ」
柊の問いかけはただの確認だ。その前提を覆すような材料は見当たらず、七瀬も珍しく歯噛みしている様子だった。
この状況で考えられる要因など、たった二つだ。
「……要するに、連中も知らない異変が起きているのか」
「あるいは、これさえもが彼らの掌の上か、ですわね」
その不穏な言葉を、しかし東城たちには否定できない。ざわりと胸の奥が騒ぐのに、何も出来ないというもどかしさに掻きむしりたくなる。
それが分かっているからか、柊はぱんと手を叩いて、流れる重い空気を断ち切った。
「まぁいま考えたところで結論が出るわけでもないし、一旦持ち帰りましょう」
「そうだな……」
どうにも後手後手になっている感が否めず、東城の返答も曖昧だ。焦燥感だけは募るのに、明確に打てる手がない。
「ところでさ」
「うん?」
そんな真剣な東城の様子に、柊が少し茶化すような、呆れた目を向けていた。
「私が言うのも何だけど。――あんた、学校行かなくていいわけ?」
「あ」
赤べこのような顔になっていた。
七瀬も額に手を当てていた。
「大輝様、まさかただ忘れていたとは……」
「い、いや? 全然今日が木曜日だってことは忘れてないよ?」
「今日は金曜日よ、この馬鹿」
もはや言い訳すら出来なかった。――ここ最近は“白イ竜”についての捜索で放課後もずっと出かけていたし、昨日に関しては権能保持者のブレイズ・ミラーに襲われていた。そのせいで、完全に日常の時間感覚を失してしまっていた。
「私は風邪ってことにして休んでるけど、真雪さんは登校してるからね?」
「いやいや、これはその、全能力者を巻き込んだ一大事件だし? 俺なりに解決できるまで学校に行ってる場合じゃないな、的なね?」
「その気概は買いますが、学校を休んで急ぎ何かをしなければいけない、という状況でもありませんわよ。そもそも“白イ竜”の能力のおかげで一週間の猶予がある状態ですし、休んだからと行って何が出来るわけでもありませんわ」
ぐうの音も出ない正論であった。
せめて何か連絡でもすべきか、と慌ててポケットに入れていた携帯端末を取り出すが、充電さえとっくに切れていて、画面は真っ暗なままうんともすんとも言わない。
「…………貸し一だから」
そんな東城の情けない姿を見かねたのか、柊が指先を鳴らすと端末の電源が入った。――この遠隔で、彼女が能力で直接充電をしてくれているらしい。ぞっとするほどのコントロールであった。
「さすがは霹靂ノ女帝……」
「こんなモバイルバッテリーみたいなことで賞賛されるの癪だからやめて」
半ば本気で嫌がっていそうな柊の横で、蘇った端末がブーブーと何度も震える。見れば、夥しい数のメッセージと着信の嵐であった。――保護者のオッサンと永井先生という文字が見えた時点でもう駄目だった。
「よし休もう」
「馬鹿なこと言ってないで昼からでも行きなさいよ。私と違ってあんた文系科目の成績やばいんだから、出席点くらい稼いどかないと」
「うぐぅ」
「ぐうの音は出たからよし、じゃないからね?」
見透かされていた。しかし、それでも東城は首を横に振った。
「いや、一つ重大な問題がある」
「……絶対に重要じゃないとは思うけど、一応聞いてあげるわね」
もはや聞く前から冷たい目を向けながらも、柊がさっさと白状しろと促してくる。
「午後の授業、英語と数学なんだけど」
「うん?」
「課題やってない」
「今から死ぬ気でやりなさいよ、馬鹿じゃないの?」
「何度も何度も馬鹿って言われると傷つくんだぞ!」
「事実なのですから致し方ないのでは?」
もはや七瀬も擁護してくれなかった。がっくりとうなだれるしかない東城は、腹をくくって学校へと向かうのだった。




