第3章 接触 -2-
「――いいのか?」
こと、とジークフリート・フォックスバットは青色のカップを差し出した。温かなミルクの香りがふわりと漂う。
「いいってなにがぁ?」
袖の余った両手でそのマグカップゆっくりと持ち上げ、ふーふーと冷ましながらローザは口に含む。おいしいと目を細めているのに、けれど眉は少しも緩んでいない。
その光景に、フォックスバットは静かに肩をすくめる。
「フェニックスと連絡がつかなくなってもう五時間だ。この状況下でそれが何を意味するかは、もう分かっているだろうに」
「そうだねぇ」
甘ったるい声で返すローザに緊張感は欠片もない。けれど、その声はフォックスバットの肌をぴりぴりと刺していた。
「燼滅ノ王には相談しないのか? さきほど連絡はあったんだろう?」
ローザはカップをテーブルの上に置いて、小さくかぶりを振った。
フォックスバットの言葉のとおり、燼滅ノ王である東城大輝から連絡は受けていた。曰く、あちらは件の“白イ竜”を保護したとのこと。フェニックス・グレンフェルに彼からの報せを報告しようと彼女は試みていたが連絡がつかず、こうしていまに至るというわけだ。
かつては殺し合ったとは言え、いまは仲間である。こちらの最大戦力であるフェニックス・グレンフェルの敗北の可能性は、本来ならすぐさま共有すべき重大事だろう。そんなことはレインウォーターも理解している。
「そもそも向こうは真夜中だしねぇ。――それに、それを最初に聞くべきは大輝じゃなくて、ルナの方でしょぉ?」
「……そうだな。失礼した」
レインウォーターの気遣いに、フォックスバットは穏やかな笑みを浮かべる。その見透かしたような笑みに、彼女はむっと頬を膨らませる。
「それよりぃ、ルナはどうなのぉ?」
「まだ眠っているよ。よほど疲れていたらしい」
ミューアクラウンの心労が限界に達していたことは、彼女もうっすらと感じ取っていた。けれど、アズール・ルークと共にいた期間はレインウォーターの方がずっと長い。そんな彼を喪った――否、奪われた悲しみと苦しみを前に、彼女は自分のことだけで精一杯になっていた。
だから、ミューアクラウンが倒れる寸前まで追い詰められていたことにレインウォーターは気付けなかった。あるいは彼女の方が、気付かせまいと気張ってくれていたのか。
そんな強がりをグレンフェルは見抜いて、無理矢理に寝かしつけて、あまつさえ保護した子供にお守りまで任せていたのだ。扉の前で素直にずっと待ち続けている少女を見て、レインウォーターもフォックスバットもようやく事態を理解した。
「本当、あの王様はまめだよねぇ」
「あの身なりと言葉遣いからはとても想像は出来ないな」
オレが王だ、と宣言し、異能力者を率いるようになって数ヶ月。彼がどれほど優秀で、言葉には出さずとも裏でどれほど気を配ってくれていたか。そんなことはレインウォーターたちも分かったつもりになっていた。
そんな彼でも、ルナ・ミューアクラウンが倒れる直前までどうにも出来なかった。それくらいにグレンフェルもいっぱいいっぱいだったということだろう。
「――本当なら、その穴を埋めるのがあたしたちの役割だったんだろうけどねぇ。もう少しあたしがしっ
かりしてたらぁ、ルナも倒れずに済んだのかなぁ?」
「それは、どうだろうか」
そんな曖昧な返答に、レインウォーターはさらに唇を尖らせる。
「そこはさぁ『そんなことないよ』って慰めるべきじゃないのかなぁ?」
「おっと。まさか戦闘狂の私にそんな役目を望んでいたとは」
「まったくぅ。――じゃあ、次はちゃんとやるんだよぉ?」
そう言ってレインウォーターはダイニングの入り口へと目を配る。それにつられてフォックスバットも顔を向けた。
そこには、寝起きでぼさぼさ髪のままのルナ・ミューアクラウンが立っていた。そのくすんだ色の髪を掻き上げながら、小さく呟く。
「――フェニックスは?」
その言葉にどう答えるべきか。
それを未だに二人は持ち合わせていなかった。
だから、ただかすかに目を伏せた。
小さく息を飲む声が聞こえて、それで、十分だった。