第3章 濃霧 -5-
「雄大!」
「こっちは大輝に任されてる以上、アンタに向こうの手助けさせる気はないのよ」
リニアの原理で加速した柊も、三田に拳を振りかぶる。だがそれは、アスファルトの壁で簡単に弾かれてしまう。
しかしそれで十分。
防御のために地面を隆起させれば、それは彼女の視界を防いでいく。落合を助けようにも彼の立ち位置を把握できなければ、無意味どころか逆効果だ。
「あぁそれと。私これでも最速の能力者だから、アンタに視線一つ動かす隙は与えないわよ」
それはほとんど勝利宣言に等しいものだ。
だが事実、柊は一切攻撃の手を休めず放電と直接的な打撃を絡ませて一分の隙もなく三田を攻撃し続けた。三田の手が防御に手いっぱいになり、落合の方には意識が向けられなくなる。
「勝てると思うなら戦えばいいけど。私は強いからね」
「――七瀬七海に負けてるくせに、よく言うね」
柊の猛攻を全て紙一重で往なしながら、三田は言った。
その言葉に、柊のこめかみのあたりがピクリと反応する。
「知ってるよ、霹靂ノ女帝が波涛ノ監視者に負けたっていうのは割と有名な話だもん」
「……挑発のつもりなら、割といい手ね」
柊は笑って言おうとするが、その笑みは引きつっていた。――笑みと言うより、むしろ怒っているようすら見える。
「でもね、あれはアイツが大輝を半ば人質にするっていう卑怯な戦闘法を取ったからよ。見た目はいいくせに、ホンットに下衆な戦い方を好き好んで選ぶあたり、本当に癪に障るわ」
ぶつぶつといいながら、徐々に柊の放つ電撃が速度と威力を増していく。
「だから、私はあんなドSで卑怯で外道で下衆で最低な戦い方をされない限り、絶対に負けないわよ」
「……負け犬の遠吠え?」
「挑発はそれが限度みたいね。はっきり言って、七瀬みたいに人の神経を逆なでするのは、苦手な方でしょ?」
柊は笑い飛ばす。だが、先程の言葉まで受け流す気はないらしく、放電の威力は決して弱まったりはしない。
「かかってきなさいよ。私の感情一つ掻き立てられないのなら、防ぎ続けてもアンタに勝機はないわよ」
「そうやって、攻撃を誘おうとしたって――っ!?」
言いかけた瞬間、柊の目に攻撃の意志が宿ったのを見たらしい。三田はとっさにアスファルトの壁を生み出し、直後放たれた柊の電撃の槍をどうにか受け止めた。
「……慣れてるわね。ひょっとして発電操作能力者って初めてじゃない?」
「二年前にね、あの琥珀ノ狂戦士とやりあったことがあるの」
琥珀ノ狂戦士。
それは二年より少し前までは、最強の発電能力者を名乗っていた男の能力名だ。
つまり、柊が霹靂ノ女帝になる前にその座にいた、歴代二位の発電能力者ということだ。
「なるほど、あの名前負けしないバーサーカーとか。それは貴重な経験ね」
柊は少し頷いて、それから口を開く。
「でもね。私、アイツより強いから」
直後、あり得ない現象が起きた。
真横一列に、雲すら存在しない疑似的に造られた天から、雷が降り注いできたのだ。
それは雷のカーテンとでも呼ぶべき、圧倒的で連続的な破壊の塊。
三田が操ろうと操るまいと関係なく舗装された大地を破壊し、三田から徹底して武器を奪っていく。
「地形操作能力は炭化水素やケイ素を操る能力だけど、根本的に自分で触れた一続きの物質でなければ操作できないのよね。――つまり、こうして砕いてしまえばアンタの武器は消えていく」
「舐めないで!」
三田が声を張り上げ、柊に対抗するように大量の土砂を固めて二本の柱状にして、柊を両側から挟んで圧殺しようとする。
だが、無意味。
攻撃の為の武器すら、柊の放電が徹底的に砕いていく。
「無駄よ。アンタに勝ちの目はない」
柊の能力は、加速と攻撃に特化している。一切の防御性を捨てている代わりに、この二つの上限値は他のあらゆる能力を凌ぐ。これに対抗できるのは無限の再生能力を持つ神ヲ汚ス愚者と、それすら超える破壊の権化である燼滅ノ王のみだ。
七瀬と違って柊の攻撃を封じるような策も用意していない三田に、元からどうにかできる相手ではない。だからこそ、柊は九千人の頂点の一人に名を刻んでいるのだから。
「私の勝ちはほぼ確定しているわ。今のアンタに覆す術はない」
再度、柊は勝利宣言をする。
だが。
「――それでも私は、あなたを倒す。そして燼滅ノ王も倒して、ヒナを殺す。そうしないと、私はもう陽輝が護った世界を護れないもの!」
柊の言葉がハッタリではないと分かってしまって、その実力差は覆せないほどのものだと見せつけられてしまって、それでも、三田は叫んでいた。
いくつも地面を隆起させて、杭にして下から柊を貫こうとする。
だが地面が盛り上がった時点で柊は電気的な加速でバックステップする。掠めるどころか、靴底すら削りきれていない。
「私は勝つ! もう二度と陽輝のように誰かを失いたくないから!」
「――アンタ、もしかして双光ノ覇王が……」
「そうよ、好きだった!」
怒鳴った直後、盛大に手を打ち鳴らして地面を叩く。そこから現れたのは、固く分厚い壁だった。杭ではなくドーム状にして、全方位から柊を囲む気らしい。
だがそれを柊は落雷などの比ではない放電を起こし、その衝撃波だけで弾き飛ばす。
いとも容易く防がれてしまう現実に三田は歯を食いしばっていたが、それでも、まだ彼女は諦めてはいなかった。
「ずっと前から、初めて会ったあの日から! ずっと一緒にいたかった。ずっと傍で戦いたかった! ずっと私が護るって、そう言ってきたのに!」
三田の叫びに、しかし柊は何も言わなかった。
「それでもあの日、私は護れなかった! 結局陽輝一人に全部を押し付けて、陽輝一人が犠牲になって、それで全部終わって! だから私は、代わりに護るの! 陽輝が護れなくなったこの世界を! 陽輝が護ろうとしたこの世界を!!」
「……、」
三田の猛攻を、柊は放電で一つずつ破壊して防ぐ。
「……言いたいことはそれだけ?」
直後、爆発のような放電が柊を中心に撒き散らされる。隆起していたアスファルトのほとんどが、そのたった一撃で吹き飛ばされた。
かつて、柊の前に霹靂ノ女帝を名乗っていた者の攻撃を尽く防いできた鉄壁が、あまりにも脆く崩れ落ちる。
「自分だけが悲劇のヒロイン、みたいな面しないでくれる? 正直、いらっとする」
嫌悪感を一切包み隠さず、柊は三田を睨んでいた。
「アンタみたいな目にあったのが、自分だけだとでも思ってるわけ? ふざけないで」
ぎりっ、と歯を食いしばる音がした。
それは柊の唯一の後悔だった。
「私だってそうなのよ。大輝を護るだなんて散々言って、結局一年前に大輝は死んだ。そこにいる大輝は、私が好きだった大輝とはやっぱり違う」
バチバチと、抑えきれない電流が柊の身体から迸る。
「悔んだわよ、泣いたわよ、憎んだわよ。でもね、それでも私は、アンタにはならない」
「どうして……っ。あなただって、大事な人を失って――」
「だってアンタがやろうとしていることは、私が、アンタが、かつてされたことじゃないの?」
東城一人に、陽輝一人に全てを押し付けて、挙句、彼を犠牲にした。
それに後悔するのなら、この現状は何だ。
ヒナの存在を宝仙陽菜一人に押し付けて、宝仙陽菜を犠牲に街を護るというのが、本当に誰も後悔しない選択だとでも言うのか。
誰か一人を犠牲にして何かを護ることを嘆くのなら、この道だけは進んではいけない。
この道は、そうやって繰り返されていく負の連鎖だ。
「気付きなさいよ。アンタがやろうとしてることは、自分の無力さの復讐を、他の誰かに押し付けようとしてるだけだって」
「――ッうるさい! なら私は、どうすればよかったっていうの! 私に今から、どうしろって言うのよ!」
アスファルトが波打ち、津波のように柊に迫る。それも、その内面には棘のように先端のとがった杭が何本も付けられている。
落雷で上部から撃ち落とせば重圧に潰され、高速移動でも回避する隙間はなく、逡巡している間に貫かれる。これが彼女の奥の手、勝利へと導いてくれるはずの絶対の手なのだろう。
三田芽依の最後にして必殺の一撃を、しかし柊はただ笑って見ていた。
「知らない自分で考えろ――って言うのは楽なんだけど。まぁ、今日に限ってはちょっとくらい面倒になってもいいかな」
ポケットから柊は十数個の金属球を取り出す。そして、それを下へ転がすように投げる。
瞬間、金属球が紫電を受け、電気的な加速で真っ赤な軌跡を残して大地の津波に激突した。
猛烈なソニックブームが吹き荒れその津波を根元から完全にへし折り、ビルの解体のように沈みながら崩れていく。
柊の足元にあるのは、既に三田の支配から離れた残骸だけになる。
三田の渾身の一撃すら、柊には傷一つ付けられなかった。
「そ、んな……ッ」
「いいから、見てなさいよ。アンタの望んだ答えは、たぶん、大輝が知ってる」
そうして、柊は東城の方を指さした。
「今の大輝は、そういう矛盾とかしがらみを徹底的に破壊し尽くしてくれるから」