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フレイムレンジ・イクセプション  作者: 九条智樹
外伝 クロスライト・レコード

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第3章 落陽 -8-


 人気(ひとけ)を奪われた夏の朝の海辺だった。

 紫電が走ると共に砂塵が舞い上がり、汗の珠が散る中を少女が転がるように駆けずり回る。


「どォした、逃げてばっかりじゃねェかよ!!」


 紫藤大雅が快哉を叫ぶように吠え、琥珀ノ狂戦士の乱撃が見境なく海岸線を蹂躙する。対する三田芽依はその隙間をどうにか潜り抜けるので精一杯だった。

 だがその精一杯すら、三田芽依には偉業だった。

 紫藤大雅の攻撃は雷撃の槍。すなわち、秒速一五〇キロの一撃だ。見てから躱すのでは決して間に合わないそれらの攻撃を、紫藤の視線一つで完璧に読み切り回避してみせるその勘は、もはや常軌を逸している。


「――く……っ」


 しかしそれでも、それほどのことを成し遂げていても、決して対等ではない。

 呼吸は荒く、肩で息をするしかない。反復横跳びとシャトルランを繰り返しているような状態だ。どれだけ鍛えていても長く続かないのは自明だろう。

 芽依は一度も反撃の手を掴めずにいる。防戦一方でありながら、その防御や回避も全て紙一重。どこで崩れていてもおかしくない。

 綱渡りのような局面を何度も潜り抜けて、どうにか凌いでいるように見せかけているだけ。状況の優劣などを火を見るよりも明らかだ。


「いま退けば、なンて甘ェ言葉は期待すンじゃねェぞ。テメェは徹底して叩き潰す」


「……私、あなたと出会った覚えはないんだけど」


 ギリギリの回避を繰り返しながら、芽依はつぶさに紫藤の動きを観察する。

 たとえ現状に優劣があっても、三田芽依はアルカナで、眼前の紫藤はレベルAの発電能力者だ。その実力自体は非常に高いレベルで拮抗している。――だからこそ、感情の動き一つで状況は一変する。


「テメェには関係ねェ話だ」


「それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


「――ッ」


 表情が揺れ動いたのを、芽依は見逃さなかった。そのまま畳みかけるように、確信を持って彼女は続けた。


「私たちより年下の女の子にアルカナの座を奪われたからって八つ当たりなんて、みっともないね」


「挑発が下手だな。覚えとけ、テメェには向いてねェ。――が、それに乗ってやろォか」


 バチィッ、と彼の全身から紫電が迸る。


「アルカナから転がり落ちたのに、よく吠えるね」


「覚えとけよ。オレはあの静電ノ少女(エレクトロガール)と正面切って戦った訳じゃねェ。――殺し合いでオレが負けるとは思っちゃいねェよ」


 その啖呵に、芽依は否定の言葉が紡げない。

 彼の放つ殺気は、紛れもなく百戦錬磨。負け犬の遠吠えや些細なプライドを保持するための虚言ではない。


「そもそも、アルカナの座が力をくれる訳じゃねェだろォが」


 それは、絶対の自信。

 自らの能力が最強であることに一切疑いがない。その過剰とも思える自信を裏打ちするだけの強さが、彼にはあるのだ。

 そこからも、止まることなく紫藤大雅は怒濤の雷撃で攻め立てる。


「テメェは元々防御に特化した能力者だ。発火能力者みてェな制圧力に特化した能力者相手なら完封できるだろォが、二十二種最速を名乗る発電能力者が相手じゃ意味はねェよ!!」


 隙間はなく、それをこじ開けるために芽依はどうにか砂浜を操作して壁を作るが、さらさらの白砂は一撃で吹き散って時間稼ぎにもなりはしない。

 あまりにも劣勢だった。

 そしてその原因は、この地形だ。


「――使えねェよな」


 にやりと、迸る紫電の向こうで紫藤が嗤う。

 それで悟る。


「全部分かってた、ってことか……っ」


 歯噛みし、芽依は紫藤を睨み付ける。


 芽依たちの足下に広がるのは、真っ白な砂浜だ。

 地形操作能力でそれらをどれほど操作しようとも、瞬く間に流砂となって元の形に戻ってしまうだけだ。

 陽輝や晃の炎のように能力で無理矢理に形を押し固めると言うことも出来なくはないが、それでも紫藤の雷撃の衝撃波には耐えきれない。

 アスファルトや頑丈な地盤があって、初めて三田芽依は実力を発揮できる。こんな砂浜では、琥珀ノ狂戦士を相手取れるほどの力を引き出すことが出来ない。


「砂の下の地盤を引きずり出そォにも、せめて視界に収める必要がある。オレの放電の衝撃波で砂をバレずに削ろォとしてたみてェだが、そんな手に引っ掛かってやるほど甘くはねェよ」


「……なるほど。初めから策略だったわけだ」


 偶然にも不利な状況に追い込まれたのだと判断していた芽依は、その不利を気取られまいと行動していた。だが、それ自体が無意味だった。

 隠す必要もない。

 それが分かったのなら、もう良いだろう。


「……なンだ? テメェ、何をして――」


 問う紫藤を無視して、変化があった。

 蠢く。

 砂の大地が、まるで生きているかのように。


「私の普段の戦法は、固い大地を操作した圧砕と防御。だから、これ以外をすると私の弱点を知られる可能性があって避けていた」


 歌うように彼女は言う。


「私は、能力による生成が一切出来ない。既存の地面はどれだけでも操作できるけれど、自ら地面を生み出すような真似が出来ない」


 発火能力者や液体操作能力者であればそれは致命的だっただろうが、こと地形操作能力者に関してその制約はあまり意味をなさなかった。

 故に、彼女はその弱点を背負っていてもアルカナの座に至った。


「それでもこうして出来ることと出来ないことはあるし、不利にもなる。だから隠すためにこっそりと下の地盤を探そうと思ったんだけど、もういいや」


 あっさりと自らの弱点を暴露し、三田芽依は言う。

 その荒唐無稽な振る舞いは、おそら数多の殺し合いを経たであろう紫藤大雅ですら理解の埒外にあった。


「テメェ、どォいうつもりだ……ッ」


「バレてるかも知れない弱点を隠そうとするのは無駄だし、バレたところで私のそれはあまり致命的ではないもの」


 ――本来なら、それでも有利になるような行為では決してない。

 だが、そもそもその程度の有利不利に左右されるほど、大地ノ恋人の名は甘くない。

 蠢く砂は嵐となり、紫藤大雅を呑み込んだ。


「こンなモンでやられッかよ」


 紫藤が無造作にその砂嵐へ手を伸ばす。

 瞬間。

 その砂の牙は、紫藤の皮膚を抉り取った。


「――っづ、ァァ!?」


「砂だと思って甘く見ちゃ駄目だよ。高速で吹き付ければ金属だって削り取る。人の皮膚なんてズタズタだよ」


 砂塵の向こうで吹き出しているであろう血飛沫を想像しながら、極めて冷ややかに三田芽依は告げる。

 既に状況は芽依の優勢だ。皮膚を一度でも抉られてしまえば、その痛みが恐怖となって紫藤大雅の動きを縛り付ける。

 現状、彼にはあの砂の檻から出る策はない。

 そして、出ることが出来なければ紫藤は芽依へ攻撃できない。

 基本的に彼らが能力を行使できる範囲は自分の感覚器の範囲内に限られる。見えないものを操作したり、死角に能力で何かを生み出すことは出来ない。それは、空間的な座標というものが瞬間移動能力者の能力の範疇になり、他の能力者ではそこに踏み込めないからだ。

 だから、閉じ込められるということはその時点で圧倒的な不利になる。何らかの打開策が出る前に仕留めきればそのまま芽依の勝利だ。


「――甘ェなァ、オイ」


 だが。

 紫藤の声に恐怖も焦燥もありはしなかった。

 瞬間。

 その砂の檻を喰らうように、真っ赤な腕が飛び出した。


「な――ッ」


 理解より先に、芽依は砂浜を操作して自分の目の前へ避雷針を生み出していた。それとほとんど同時、青白い閃光が走り、衝撃が体を駆け巡る。


「――っか、は……ぁっ……っ」


 喘ぐことで精一杯。いま自分がどんな体勢で何を見ているのかさえ、一瞬の思考の空白のせいで分からない。


 ただ、分かるのは。

 あの血で染まった腕から、紫藤大雅が電撃の槍を撃ち放ったということだ。


「皮膚を削る程度だろォが。痛みは覚えた。なら、覚悟さえしてりゃなンにも問題はねェだろォがよ」


 皮膚をえぐり取られ、肉すら見える真っ赤な拳を握り締めて、崩れた砂の檻から這い出た化け物は嗤う。

 目で見えずとも、体を起点に能力で生成することはある。だからと言って、片腕を捨てるような真似を一瞬の躊躇もなく出来るなど、狂っていると言わざるを得ない。


「とっさの避雷針で、受けたのは側撃雷くらいか。チッ、随分と甘ェ割に本能は研ぎ澄まされてンじゃねェかよ」


 吐き捨てるような紫藤の声が遠い。ほとんどは地面へ受け流したはずだが、それでも側撃雷として溢れ出た分が芽依の体を蹂躙している。神経が焼き焦げたみたいにあらゆる感覚が支離滅裂になっている。

 優劣は一瞬にして逆転していた。

 紫藤大雅の猛攻が始まれば、もう芽依に為す術はない。

 紫藤を覆う砂も意味はなさず、感電で身体能力が著しく低下した今の芽依には先ほどまでのように走り回って回避するような力もない。

 絶体絶命だった。


「……っ」


 勝機はない。だが仲間もまた戦っている頃で、助けはない。

 心が軋む。

 迫り来る死を前に、痙攣とは別に手足が震えてくる。

 だがそれでも、芽依は霞んだ視界で紫藤大雅を睨み付けていた。


「気に食わねェな。この状況で勝てるつもりでいやがるのが」


 誰がどう見たって、三田芽依の敗北だ。これ以上は無駄に時間を引き延ばすだけで、それ以上はない。


「オレの能力に死角はねェぞ」


「……分かってる」


 ここまでやり合えば十分に理解できる。少なくとも、三田芽依が突けるような弱点をこの琥珀ノ狂戦士は持っていない。

 分かっていて、一歩も引く気のない芽依の姿に、心底から苛立っているように紫藤大雅は舌打ちした。


「……終わりにしてやる」


 もはや勝利を確信して、紫藤はそう告げる。

 容赦のない電撃の嵐が芽依へ襲いかかる。

 それを、押し固めた砂の柱を盾にギリギリで防いでみせる。

 先ほどのように衝撃波で砂を散らすような真似をしている余裕はない。こそこそと隠れて下の地盤を剥き出しにする以前に、そもそも感電でズタズタにされた筋肉では一歩たりとも躱せない。

 先ほどのような余波すら、今の体では受けていられない。衝撃を飛んで殺すような体力もなければ、そんなダメージにも耐えられないほどに体は痛めつけられているのだ。完全に、完璧に、雷電を大地へ受け流しきらなければいけない。


「……ッ」


 秒速一五〇キロ。目で見て反応することは物理的に不可能なその最速の一撃を前に、芽依は紫藤大雅の視線や筋肉の動きからどうにか予想を立てて防いでいく。


 一瞬でも隙があればいい。

 もう自らの弱点を隠す気もないのだから、一瞬で辺りの砂を巻き上げ、下の地盤を曝け出せれば勝利の方程式の完成だ。

 だが、その一瞬があまりにも遠い。

 誰がどう見たって、追い詰められているのは三田芽依だった。

 その場しのぎにもなるはずがない。どうにか受けているように見せているが、成り立つはずがない。そんな中で下の地盤などを掘り起こしている余力など絶無だ。


 ――頭が痛い。

 能力の演算以上に、相手の手の内を読み切ることに演算リソースが割かれて、その莫大な予測演算にあらゆるエネルギーが食い潰されていく。

 無理矢理に糖や酸素を回す為に血圧が上がっているのか、毛細血管がブチブチと千切れていくような感覚さえあった。目元を伝うのは汗か血涙かさえ分からない。


 ――視界が赤い。

 もう限界は近い。紫藤の攻撃は全て『詰めろ』の乱打だ。何もしなければ即座にチェックがかかる。一手でも間違えればその時点で死が確定するような、そんな極限だ。

 だと、言うのに。


「――どォなってンだよ、テメェ……ッ」


 歯を食いしばっていたのは紫藤の方だった。

 閃光とほとんど同時に着弾するような距離だ。数十秒か数分か、時間感覚さえ途絶えたこの間に放たれた電撃の総数は優に百を超え、あるいは千に迫るだろう。

 その全てが、一歩も動かずにいる芽依の眼前で完全に受け止められているのだ。


「……負けてなんかいられない」


 自分でもぞっとするほど、凍えた声だった。


「こうしている間にも陽輝の命は削られている」


 宝仙陽輝の二重能力は、使えば使うほど彼の命を喰らう諸刃の剣だった。

 そんな状態で、こんな敵を擁するほどの実力者である氷室冬夜と戦っているのだ。比喩でも何でもなく、一分一秒ごとに寿命はガリガリと削られている。

 こんなところで立ち止まってる暇などない。ましてや負けてなどいられない。

 守ると誓った。

 彼が立ち止まらないのなら、その姿に心を打たれてしまったのなら、せめてその背を守り抜いてみせると、そう誓った。

 だから、こんなところで折れるわけにはいかない。

 潔く諦めてしまえば楽だろう。この場で投げ出したって誰も責められないほど、状況は劣悪だ。アルカナの座を持っているとは思えないほどの無様を晒し続けている。

 だがそんなことを捨て置いてでも、彼女は勝利を欲した。

 それが、こうして紫藤の攻撃を耐え凌ぐという、奇跡にも近い偉業を成し遂げさせている。


「どれだけ吠えよォが、この地形でテメェに勝ちの目は――……」


 瞬間。

 紫電を掻い潜って打ち出された()()が、紫藤の頬を裂いた。


「……ぁ?」


 理解が追い付いていない。

 当たり前だ。周囲に芽依が操れるものは砂しかない。そこから下の固い地盤を引きずり上げるような手間をかける余力もなかった。

 だが、その一撃は流砂によるものでは決してない。


「ありがとう、琥珀ノ狂戦士。――あなたの能力は嘘偽りなく、上限がない。レベルSでアルカナになった霹靂ノ女帝と張り合うって言うのもでまかせじゃない」


 高速演算の繰り返しで焼き切れそうだった脳髄が、この空白の間に急速に冷やされていく。

 冷静さと落ち着きを取り戻し、三田芽依はにやりと笑う。


「何を言ってやがる……っ」


「少なくとも一般的な気象条件じゃここまで乱造は出来ない。天災すら凌駕するその出力のおかげだよ」


「だから、何を――……」


 詰め寄ろうとした紫藤の目の前で、芽依は立ち上がる。

 そして、地面から伸びるように、槍のように整形したその正体を取り出した。


「岩石、だと――っ!?」


 あり得ないと、そう思っているのだろう。芽依の大地ノ恋人が本来の性能を発揮するのに必要なそれを、彼は排除したはずなのだから。

 だがそれは逆だ。


「――だってこれは、あなたが作ったんだから」


 ガラスの主成分はケイ酸――珪砂である。

 そしてここに広がるのは、紛れもない砂の大地だ。


「莫大な熱量を持った雷が砂に落ちれば、そのエネルギーで溶けてこういうガラス管を形成する。――閃光岩(フルグライト)って言ってね。ここの砂の成分が合致していたのは偶然だけど、あなたが人を殺すにはあまりに過剰な電力を注いでくれたおかげで助かった。それがなければこれは作れなかった」


 触れただけで崩れるほど脆いその岩石は、それでも砂に比べれば十分な強度を持っていると言っていい。地形操作能力で押し固めれば、それ一つで凶器と出来るほどに。

 だがそれでも、それは本命ではない。

 こんなただの不純物にまみれたガラスの塊では、かつてアルカナの座にいた琥珀ノ狂戦士を相手取ることなど不可能だ。


「あなたは私を恐れていた。この場を戦場に選んだのも、私が砂の下を掘り返す余地がないほどに攻め立てたのも、そういうこと。――だからこそ、砂以外のこの岩石を見て思考が止まった。何か得体の知れない罠の上に立たされているのではないかと、そう思って手を止めた」


 ざぁ、と音があった。

 気付けば、芽依の足下に大きな穴が空いていた。

 それは、彼女が死に物狂いで欲した『一瞬の隙』によって生まれたものだ。


「見せてあげるよ、大地ノ恋人の本領を」


 固い岩盤がせり上がるように姿を見せる。閃光岩などではない。砂浜の下に埋もれていた、正真正銘の岩石だ。

 ここから先が、彼女の本来の戦いだ。


「――上等だ」


 それを前にして、なお紫藤大雅は獰猛な笑みを浮かべていた。

 怯えはない。

 猛り狂う戦意の変わりとでも言うように、ただただ笑っていた。


「教えてやるよ。オレの琥珀ノ狂戦士の弱点は『制限時間』だ」


 自らその弱点を曝け出し、彼は周囲に紫電を撒き散らす。

 砂塵が舞い、焼けた砂のにおいが改めて辺りを漂う。


「時間制限は三十分。――その間なら、オレは際限なく発電能力を振るうことが出来る」


 それは、つまり。

 その三十分間限定で、彼はレベルSと同じ位置に立っていると言うことだ。

 紛れもなく最強だ。三田芽依とは才能の土台が違う。

 おそらくは現状、かの波濤ノ監視者(ザ・タワー)かこの琥珀ノ狂戦士のみがレベルSという隔絶された領域に指をかけている。


「このオレと本気でやり合うって意味を、その身を以て知りやがれ」


 その最強が、全霊をもって臨むと宣言した。

 ここから先に、一切の容赦はない。


 ――戦いの火蓋が再度切られる。

 迸る紫電に対し、三田芽依は岩盤から作り上げた岩の槍を無数に撃ち放つ。

 雷撃の衝撃波で打ち砕くにも、砂とは強度が段違いだ。もはや閃光の塊と化してしまうほどの出力で迎撃する紫藤を、芽依は真正面から物量だけで圧していく。


 先ほどまでとは違い、まさに互角の勝負だった。

 互いに一歩も動かない。その場で立ったまま、ただ鼻血が出るほど頭を使って周囲を自身の能力で染め上げていく。

 殺傷力に関しては、三田芽依では掠めただけで命を奪うような紫藤大雅の足下にも及ばない。

 だが防御面で言えば、打ち砕いてしか防げない紫藤に対し芽依は無数の選択肢を有している。

 ――だが、そんな拮抗の中で明確な優劣が生まれていく。


「――ざ、けンなよ……ッ」


 苦悶の表情を浮かべているのは、紫藤大雅だった。

 最強のレベルSに片足をかけた、あるいは、この三十分間は紛れもなくそれと同等の位置にいる彼が、眼前の現象に目を剥いていた。


「まだ時間は腐るほど残ってる。オレの能力は万全だ。――なのに、どォしてテメェが圧してやがる!!」


「……そんなことも分からないんだ」


 紫藤の周囲を取り囲み、まるでホウセンカのように岩石の杭を打ち放ちながら芽依は言う。


「私は陽輝を護るために戦っている。負けてあげる暇なんてないし、一分一秒を立ち止まってもいられない。あなたの能力が時間切れになるのを待つ気なんてさらさらない」


「自分の方が強ェって言いてェのかよ……っ」


 どうにか放電で打ち砕くことで防ぎきった紫藤は、粉塵にまみれながら呻く。

 それを芽依はどこまでも冷ややかな目で見ていた。


「まさか。――ただ、あなたは何のために戦ってるの?」


 その言葉に、紫藤の表情がぐらつく。


「氷室一派の目的は、快楽目的の戦闘だと思っていた。けどここまで相手を徹底して封殺するような戦いっぷりはそれに見合わないし、あなたの言動とも違和感がある」


「……黙れ」


「自分の力を必要以上に誇示して、それに心酔するみたいに追いすがってる。()()()()()()()()()()()()()()()?」


「黙れ!!」


 雄叫びのように吠え、紫藤は最大級の電撃を放つ。

 もはや地球上では発生し得ないほどの莫大なエネルギーを前に、空気は割られ砂塵を吹き飛ばし、受け止めた岩盤は一瞬にして赤熱していた。


 だが、それでも芽依の盾は打ち破られない。

 そこまで理性を欠いた一撃の威力程度を見極められないほど、アルカナの座にあぐらを掻いていたわけではない。

 真正面から受け止めてなお、その岩壁は立ちはだかる。


「アルカナの座を女の子に奪われて、あなたのプライドは砕け散った。だから、私に絶対に負けるわけにはいかなかった。――同じ女の子のアルカナを相手に敗れてしまえば、もう言い逃れの余地もなく、あなたにその座は見合わないと突きつけられてしまうから」


「黙れッつッてンだろォがァァ!!」


「勝ちたいわけでも、負けられないわけでもない。――あなたは逃げるために戦ってる。自分のアイデンティティを脅かす存在に立ち向かうことを諦めた。そんな無様な能力者に、私が負けるわけがない」


 ――もし、彼がいまの霹靂ノ女帝を認めていれば。その座を奪い返すために研鑽を積もうとしていれば、きっと芽依では届かなかっただろう。

 だが彼は地に落ちた。

 見上げることをやめた。

 見下ろすことに愉悦を覚えた。

 その時点で、きっと勝敗は決していたのだ。


「それでも敬意は表しよう。琥珀ノ狂戦士」


 どこまでも冷たい音が、荒れ狂う雷鳴の中で木霊する。


「手を抜くことはしない。――あなたはここで殺してあげるよ」


 瞬間。

 せり上がった岩盤が、まるで津波のように紫藤へと迫る。

 回避不可能な、超重量の一撃だ。


「ざけンな……ッ。オレが、霹靂ノ女帝のこのオレが、テメェみてェな女に負けるかよォ!!」


 それを前にしてなお、彼は逃げようとしなかった。

 彼女の言葉を受けて逃げてしまえば、もう彼の心は耐え切れないほどに砕けてしまうから。

 眼底を衝くほどのスパークの連続だった。

 鼓膜が割れるほどに轟音が鳴り響く。

 一撃では砕けないその岩盤の津波を、無数の放電で迎え撃とうとしている。


 ――だが、それはあまりに無駄だった。

 その程度で砕けるのであれば、芽依が最後の一撃に選ぶわけがない。

 砕くことも避けることも絶対に出来ない、正真正銘、三田芽依の全霊を込めた必殺だ。

 きっとそれを本人も理解していたのだろう。このままではどうしようもないと。

 一瞬、音が止んだ。

 それと同時、芽依は背筋が凍るのを感じた。理屈を無視して、真横へ飛ぶ。

 まるでその残像を貫くみたいに、紅の閃光が駆け抜けていた。


「――さすが、と言うしかないね……っ」


 心臓が狂ったように暴れ出す。寸前の死の恐怖に、遅れて体が反応していたようだった。

 たった一撃の反撃。間違いなくそれは芽依の命に届き得た。――だが、それでもその牙は彼女の体に届くことはなかった。

 決着だった。

 津波の圧搾は止まらない。

 その閃光の穴を塞ぐように、一度きりの反撃を許容してもそのまま彼の肉体を押し潰す。

 耳を塞ぎたくなるような音があった。

 そして、それが止んだ後、浜の面影もない線上は驚くほど静まり返っていた。

 そしてようやく、芽依は最期に紫藤の放った一撃の正体に気がついた。


「……レールガンか。放電じゃどうしても地球に電流が流れて威力を保てないけど、金属の弾丸なら貫通できる」


 理に適った一撃だった。最後の一瞬ですらなお紫藤は勝負を諦めてはいなかった。霹靂ノ女帝の名に固執してさえいなければ、どれほどの脅威だったか分からない。

 それでも勝敗は決していた。

 長い息を吐き、その亡骸が眠るであろう大地へ芽依は背を向けた。

 ――だと言うのに。


「……ま、だだ……ッ」


「――ッ!?」


 風が吹くような、小さな音だった。

 それを声と認識することすら難しいほどに掠れたそれは、それでも押し潰したはずの大地から聞こえていた。


「負け、ねェ……ッ。オレの、力は、エンプ、レスに……ッ」


 見れば、その隙間から赤黒い何かが這い出ようとしていた。

 彼の能力は発電能力者だ。筋肉に電流を流せば、痛みや折れた骨など関係なく体を動かせる。――ただしそれは、正しく筋肉が残っていればの話だ。

 もう彼の体は、ただの肉塊だ。

 それでもなお彼の戦意は衰えない。

 眼球一つ動けば、あとは演算だけで芽依を焼き殺せると、そう確信している。


「……恐ろしい執念だね」


 きっと、彼は静電ノ少女にその座を奪われたときから、理性なんてものを失っていたのだ。

 狂戦士の名は伊達ではなかった。

 彼ほど戦闘に狂った者を、三田芽依は知らないし、これからも見ないだろう。


「……でも、私は言ったよ。あなたを殺すと」


 そっと地面に触れ、彼女は冷たい視線を向ける。

 もはや憐憫すらない。

 陽輝を救う道に立ちはだかるその存在に、ただ彼女は嫌悪の目を向けていた。


「邪魔をしないで、()()()()()()


 お前は霹靂ノ女帝ではないと、そう突きつけるように能力名を告げて、芽依は目を閉じた。

 重い地響きがあった。

 大地が裂ける。――その割れ目に肉塊は音も声もなく落ちていく。

 やがて裂け目を隠すように大地は閉じる。

 その岩壁に肉も骨も脳も押し潰され、狂戦士の命の灯は完全に消えた。


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