第1章 陽光と月光 -5-
超能力は、一人に一つしか発現できない。――それは、脳の容量によるものだ。
生活に支障のない範囲で能力を脳にインストールするなら、一つが限度。だから全ての能力者は能力を一つだけに制限されている。
だが。
寿命を削ることになることを許容すれば、その制限は意味をなさない。
ただ一人、その思想の下に生み出された二重能力者。
それが双光ノ覇王の異名を持つ、宝仙陽輝の特異性だ。
*
「そーか、テメーがあの双光ノ覇王か」
宝仙陽輝の眼前で、パンクなファッションの少年――錬金ノ悪魔は一人納得したように頷いていた。だがその日常的な動作の間にも隙は一切なく、ただ殺気だけが溢れている。
「……やっぱ、名前が売れてるか。燼滅ノ王ほどいろいろなことに首を突っ込んではないと思うんだけど」
「変わんねーよ、テメーも燼滅ノ王も、やってることの質も量も全く同じだ」
「その言い分だと、燼滅ノ王に邪魔された訳か?」
「クラッキングがなかった頃にな。所員がいやがったから戦えはしなかったが」
だから、と錬金ノ悪魔は言う。
「その代わりくらいは務めてくれよ、双光ノ覇王」
「随分と上から目線だな」
呆れ、陽輝はやれやれと大仰に肩をすくめる。
「俺が持つ能力は二つ。発火能力と発光能力、どちらもアルカナだぞ」
「……単純に、自分の方が二倍強いとでも?」
「別にアルカナは強さの尺度じゃねぇだろ。勝手に持ち出して貶すようで悪いけど、たとえば接触感応能力者や精神感応能力者の全知ノ隠者とか天空ノ女教皇が相手で、お前が相打ちになるとは思えないし」
「分かってるじゃねーか」
「ただ、そこに至る『努力』に、お前は目を向けるべきだ」
そう言って、陽輝は全身から紅蓮の業火を迸らせる。
「お前が一つの能力を極める間に俺は二つを極めたぞ。この意味を、この重さを、お前はもっと恐れるべきだよ」
「ハッ。恐れる? 愉しむの間違いだろーが!!」
無数の刀剣を生み出し、錬金ノ悪魔は吠える。
その総重量は数百キロにも及ぶだろう。陽輝の周囲で猛る業火に重さはないが、体積はせいぜいが十リットル。物量では完全に押し負けている。
だが、陽輝は微塵も臆さない。
業火が蠢き、陽輝の右手に集められる。
それは、炎で形作られた一振りの刀だった。
もはや炎の揺らめきすらなく、赤く輝くだけの刃だ。発火能力者である彼が炎から成形する瞬間を見ていなければ、それが炎だと分かる者はいないだろう。
その業火の剣で、陽輝は迫る無数の刃を横薙ぎに払う。それだけで、陽輝に迫っていた刀剣は全てねじ伏せられていた。
「――ッ、運動操作で擬似的な硬度を作ったか」
「ご明察。俺の炎の操作性は発火能力者の中でも随一なんだ。能力による制御だけで、並の金属と同じ程度の硬さは作れる」
炎に本来実体はない。だが、能力でそれらを成形することは可能だ。
例えるならそれは、形を持たない空気を、風船に入れてしまうことで任意の形を与えるようなもの。その風船が、能力による制御だ。
未熟な者であればそれは紙風船のように、触れただけで潰され形を失うだろう。
だが、陽輝のレベルであればその風船はもはや鉄の容器と同じだ。中身がどれほど不確かであろうと、形を押し固めるというその演算だけで、まるで金属のような硬度を与えられる。
「この辺りの操作の感覚は、発光能力のおかげで掴めた。曲がらないものを曲げなきゃいけなかったからな」
「――ッ」
「二つの能力に警戒すればいいってもんじゃねぇぞ。元々あった俺の中の『苦手』ってやつを、二つの能力を鍛える上で塗り潰し合ったんだ」
「いーじゃねーかよ、双光ノ覇王。その強さを踏み越えてこそ、オレは生きてる意味があるってもんだろーが!!」
物量による圧砕に意味はないと悟ったのだろう。
あれほど生み出していた金属の塊は泡沫のように消えてなくなり、代わりに、まるで巨大なボールのような銀色が産み落とされる。
それは自重で潰れるように、球体の形を歪めている。
「液体か……?」
「さーな!」
それを振るう錬金ノ悪魔が懇切丁寧な説明を与えることなど、はじめから期待していない。
だがあれを液体だと仮定した場合、可能性は二つ。
一つは、高温の状態で金属を生成した可能性。形状はないが、その熱により触れただけで致命傷を与えるという算段の代物だ。発火能力者であっても熱を掌握しているわけではない。高温によるダメージは十分に通用する。
だがそれは、先ほどの晃が剣戟に対してやったように、爆発で吹き散らしてしまえば意味をなくす。飛沫が吹き飛ぶ中で空気に冷やされ、ダメージはなくなる。
だから、必然的に可能性は二番目だ。
「――ッ!!」
察し、業火を足裏から吹き出す形で加速を得た陽輝は、横たわる晃を抱えて遙か遠くまで間合いを取った。
あの液体金属と真正面からやり合うわけにはいかないから。
「――チッ。全力で回避したってことは気付いてる訳か」
「どうせ水銀だろ。爆発なり何なりで熱を加えて蒸発させたら、体に毒素が巡ってアウトだ。もっと上手く、ただの熱い金属だと思わせれれば罠に嵌まったかもな」
「抜かせ。どーせテメーなら気付く」
錬金ノ悪魔の周囲で液体金属――水銀が蠢いている。それはやや不完全ではあるが、まるで繭のように彼自身を守る盾となっている。
「だが、気付かれたところで問題はねーよ。これがある限り、お前に突破は不可能だ」
火炎ではあの水銀の壁を突破できない。つまり、陽輝の最も得意とする中近距離での戦闘は完全に封じられている。
遠距離からの爆撃を試みたところで、躱されてお仕舞いだ。それだけのスペックが彼にはある。――まして、陽輝の能力の性質上、発火能力ではそれをさせないだけの面制圧力を出すだけの操作ができない。
陽輝の発火能力の唯一の弱点は、その生成量にある。
先ほど最初に見せた十数リットルの体積。それが限界だ。――それを補うために、中近距離での威力を求めて刀を形成する術を身につけた。
もしも彼がただの灼熱ノ天子であったのなら、この時点で状況は極めて劣勢だ。勝利よりも、退避を視野に入れるべき局面。
だが、宝仙陽輝は余裕を持って笑ってすらいた。
「晃と戦ってたせいで、視野が勝手に狭まってくれてるみたいでありがたい」
その不敵な笑みに、錬金ノ悪魔は怪訝な顔を向ける。だがそれを無視して、彼は「忠告してやる」と告げた。
「――避けようとはすんなよ。絶対に防げ」
そう言って、まるで指で銃でも作るみたいにして人差し指を錬金ノ悪魔へと向ける。
瞬間。
閃光があった。
まるで制御を失ったように、水銀は辺りへばしゃばしゃと飛び散って銀色の水たまりと化す。
そして。
錬金ノ悪魔は左肩を押さえてうずくまっていた。
「テ、メー……っ」
「だから言ったのに」
呆れたように陽輝はそう言った。
「何をした……っ」
「見えなかったろ? 正確には、見えると同時に腕を貫かれていた」
陽輝はそう言って、指先を見せる。
まるで火でも灯っているかのように、その先が眩く光っている。
「チッ。そーか、発光能力か……ッ」
苦々しげに錬金ノ悪魔は呟く。その抑えた肩には穴が空き、傷は黒く炭化しているだろう。
発光能力者を用いたレーザーによる一撃だ。装甲を生み出して防ぐのならいざ知らず、生身の肉体でどうこうできるような威力ではないし、秒速三〇万キロの一撃を避ける術などない。
だから、陽輝はわざわざ忠告したのだ。
防がない限り、その体を穿つことは確定事項であったから。
「俺は最強の発火能力と最強の発光能力の二種を持つ双光ノ覇王だぞ」
遠距離に陣取って灼熱ノ天子を攻略した気になったところで、何の意味も持たない。――それはレーザーで打ち貫くことに特化した、光輝ノ覇者のレンジだ。
得手不得手など存在しない。近距離も遠距離も関係ない。広範囲攻撃も狙撃も全てをこなしてのける。
それが陽輝の双光ノ覇王。
万能を有した、常勝無敗の超能力だ。
「もう一度言おうか。――俺を相手にするっていう意味をもっと考えろ。じゃなきゃそのまま死んじまうぞ」
「そーかよ、なら、こっちも全霊で挑むしかねーわな!!」
陽輝の忠告に噛み付くように吠えて、錬金ノ悪魔は腕を振るう。
タブレット端末程度の大きさの分厚い装甲が一枚、錬金ノ悪魔の眼前に展開される。
瞬間、それはまるで手品のように瞬く間に数を増やし、彼の周囲を囲むように回転し始める。
その内側に、水滴のようなものが散っているのも見える。
水銀と装甲の二段構え。これにより、陽輝の攻撃を封じるつもりなのだろう。その上で自身の攻撃の機会を窺う、と言ったところか。
「――甘く見られたもんだ」
呆れ混じりのため息をついて、宝仙陽輝が髪を掻き上げる。
「その程度で、俺を攻略した気か」
完全に自身を覆っていないのは、自らの視界を確保するためだろう。回転させて自分の周囲を取り囲んでいるのは、初速を与えておくことで自分の前方に展開する時間を短くするため。
陽輝がレーザーを撃つべく指先を向けた瞬間に分厚い装甲が錬金ノ悪魔の前方を埋め尽くすように展開される。
あのレーザーではその分厚い爪甲を打ち貫くことは不可能。しかしだからといって近づき火炎による爆裂を狙えば、装甲板を後退させられ水銀の毒素を撒き散らされる。
分かっていて、陽輝は指先をゆっくりと錬金ノ悪魔へと向ける。
瞬間、まるで壁のように、彼の周囲に旋回していた装甲が一瞬にして立ちはだかる。
それと同時、陽輝は地面を蹴った。
足裏に爆発を生み出した加速は、常人の跳躍を遙かに凌ぐ。
瞬きの間で間合いを詰めた陽輝は、装甲の手前で制動をかける。
――いまこの瞬間なら、爆裂を起こしても水銀は錬金ノ悪魔が自ら生み出した壁の向こうだ。毒素を吸う恐れはない。
業火が彼の右手で蠢く。
――だが。
「馬鹿が、かかったな!!」
快哉を叫ぶ声があった。
同時、装甲が蠢き、無数の剣と化す。隠れる気も守る気も、錬金ノ悪魔は持ち合わせてなどいなかったのだ。
ただ宝仙陽輝の判断を誘導し、背後への一撃に全てを賭けていた。その瞬間のカウンターに全霊を注いだのだ。
この状況で陽輝が火炎を振るえば、水銀の毒素はそのまま彼の体を内側から破壊する。さらに、刀剣へと変じたそれらを防げずに全身を刺し貫かれる。下手に踏み止まっても、結果はほとんど変わらない。――はじめから、陽輝の行動を誘うためのフェイクだったのだから。
勝機はない。
盤面は詰んでいる。
――ように、そう見せた。
「チェックメイトはお前だよ、錬金ノ悪魔」
その声は。
錬金ノ悪魔の背を叩いていた。
「――ッ!?」
彼の顔が驚愕に染まる。だが、もう遅い。
彼の左腕を業火が撫でる。
白い煙と、硫黄にも似た刺激臭。
絶叫よりも早く、彼の眼前にあった水銀も装甲も制御を失って地面に転がった。それからようやくのように、彼が痛みに悶えて叫びを上げる。
「っが、ぁぁぁぁああああああああああああ!?」
「悪いな。フリーズ狙いだったから、左腕全部焼かせてもらった。神経は焼いてねぇから、痛みだけが続くはずだ」
そう言って、陽輝は倒れた錬金ノ悪魔を見下ろす。
「テメー、何しやがった……っ」
「……まぁ、教えてやるか」
そう言って陽輝は錬金ノ悪魔から視線を外し、この壊れた演習場の出口へ向けて歩き出す。
「お前が狙ってることは読んでた。そうなるとあの防壁の中で、俺の動きを見るための穴のようなものが必要になる。開けた視界じゃ俺に感づかれる。だから、それは絶対に劣悪な視界でなければならない」
「それがどーした……っ」
「俺の能力は発火能力と発光能力。光の屈折は十八番どころじゃねぇよ。蜃気楼なり陽炎なり、お前の目を騙す方法はいくらだってある」
おそらく、発火能力者に属する最強の燼滅ノ王でもこんな真似は出来ない。発光能力を有する陽輝だからこそ、完璧に成し遂げられる作戦だ。
「お前は俺を毒素で始末する。その為に俺の爆発を利用する。安全策をとれば、爆発より先に後方へ飛び退る必要があるだろ。だからあとは、火炎の加速で先回りすればお仕舞いだ。お前の方から勝手に、無防備なまま突っ込んできてくれる」
まるで鏡のように宝仙陽輝の姿を真正面に投影する。もちろん、よく見れば左右の差異などに気付いたかも知れない。だが、視界がこの上なく狭い上に、対象はかなりの速度で動いている。そんな状況で錬金ノ悪魔に気付けという方が無理な話だ。
そうして、錬金ノ悪魔に一瞥をくれることもなく陽輝は晃に肩を貸して、そのまま出口へ足を向ける。
「待ち、やがれ……ッ」
「立ち上がれねぇだろ。左肩はレーザーで貫いてる。神経まで焼けてるからそこの痛みはないだろうが、動かすことが物理的に出来ないだろ」
「負けたオレを見逃すってか……ッ」
「お前のルールに合わせて殺してやる理由はねぇよ。ルールを決めるのは勝者だ。負けたやつが自分の取り扱いに文句を言う権利はねぇ」
「クソ、が……ッ!!」
命があることすら恨むように、その声音は憎悪に満ちていた。
「覚えていろ、双光ノ覇王!! オレは、錬金ノ悪魔の鐵龍之介だ……ッ。テメーは必ず、オレが殺すぞ。何があっても、絶対にだ……ッ!!」
「……そうかよ」
そう言って陽輝はついぞ一度も錬金ノ悪魔――鐵龍之介を見やることなく、そのまま演習場を後にした。
背後で扉が閉まる。
同時、そのまま崩れるように膝を折った。
「お、おい、陽輝!? まさか怪我したのか!?」
「耳元で騒ぐな、アホ……っ。一撃も受けちゃいねぇよ」
「けど、すげぇ辛そうだぞ……っ!?」
「急に暴れたから疲れただけだ……。気にすんな」
そう言いながら、晃に肩を貸していない方の腕で額を押さえて、陽輝は呻く。
頭痛が酷い。
まるで脳の血管が引き裂かれるような痛み。
――リミットは、あまりないのかも知れない。
「さっさと帰ろう。後のことは所員なり、鐵の仲間がやってくれるだろ」
脳の中を暴れ狂うようなその痛みに耐え、何でもないような笑顔を作って、宝仙陽輝の戦いは、そうして幕を下ろした。




