第1章 火焔の戦い -2-
「はぁ、長い説教やったわ……」
授業後も三十分にわたって続いた説教のあと、東城たち三人はようやく帰路についた。
今は期末考査語である為、午前中の三時間で終わる特編授業だ。おかげで、まだまだ日は鬱陶しいくらいに昇っている。その暑さのせいで、東城もあまり白川に構う気はなかった。
「自業自得だろ」
「仏の顔は三度までって言うやろ。一回や二回、見逃してくれてもえぇと思わんか?」
「雅也が知らないだけで、永井先生は仏の三倍くらい優しかったんだよ」
流石の四ノ宮もすこし辟易した様子で、暑い中で白川の愚痴に付き合うのはごめんだ、とでも言いたそうに別の話題を振った。
「それで、今日も帰りにご飯食べていく?」
「あー、悪い。俺まだ病院に行かねぇといけねぇから」
その四ノ宮の誘いを、東城は残念だが断らざるを得なかった。
東城が通院している原因は、これも十日前の出来事だ。
超能力者である東城大輝は、それを生み出した負の研究を潰すべく尽力した(それはあくまで結果で目的は一人の女の子を泣かせない為、などというものだったが)。
そこで東城は無事に目的を果たすのと引き換えに、左肩関節を完全に砕かれ、全身に及ぶ重度の火傷や亀裂骨折、打撲なども含めれば挙げだすときりがないほどの怪我を負っていた。
ただし、東城が救った能力者は九千人もいる。破れた制服は時間操作能力者の力で元に戻してもらい(身体は記憶や血流の都合で全身、局所を問わず回帰は不可)、彼ら能力者の暮らす地下都市にある病院で、肉体操作能力者の治療を受ければ身体の怪我は完治する――はずだったのだが。
ここで問題があった。
前日が夜勤だったオッサンが返ってくるのは、夕方。それまでに家に戻らなければいけないという庶民的な、そして絶対に覆してはいけない制約があったのだ。
絶対的な再生能力を持つ神ヲ汚ス愚者こと神戸拓海はエネルギー切れで当分目覚めず、他の肉体操作能力者の治療では午前十一時の時点でなお八時間以上かかるということで、結局東城は夕方、治療半ばで地上に戻らなければいけなかった。
その時点で残っていたのは両腕両足の筋断裂、右足首の捻挫だが、それ以外は無事に済んだのだから十分に僥倖だろう。
どうにか隠し、翌日また治療をしてもらおうと考えた東城だったのだが、夜勤明けのオッサンは跛行する東城を見て一目で怪我の程度を理解し、有無を言わせず病院に連れていった。
さすがに以降は勝手に完全回復していたらバレるので、東城は今も通院させられている、というわけだ。
ちなみに、流石にそんな超能力などという突飛な話を白川や四ノ宮のような一般人にするわけにはいかないので、治療してくれているオッサンにすら詳しい怪我の経緯はごまかしている。
「あぁ、階段から落ちたんだっけ?」
その程度の嘘しか思いつかなかったことは、東城自身が一番後悔している。
「なんだったら病院まで一緒に行って待ってようか? そんなに時間はかからないんだよね?」
「まぁな。予約取ってあるから行ってすぐやってくれると思うし、移動は除いても十分もかかんねぇはずだけど」
「ほな行くぞ!」
……何故か、白川が随分と乗り気だった。
「何でお前がノリノリなんだよ」
訊くまでもない事とは思っているが、東城は一応訊いておくことにした。
「べ、別に白衣の天使とかナース服とかに興味はないんだからね!」
「二重の意味で気持ち悪いよ、雅也」
ツッコミではなく、虫を見るような蔑みだけを込めた目と声で四ノ宮は言った。
十五分後。
視界は、病院に埋め尽くされていた。
その場から四十五度ほど首を上げるがそれでも空を遮るほどの、巨大な建造物が堂々たる様子でそこに鎮座している。それも、囲む三方の全てがそれだ。
「なんじゃこりゃあ!?」
「病院だよ」
「見たら分かんだろ」
白川のボケの混じったリアクションに、四ノ宮も東城も冷たさを以って付き合った。
「いや、ちょい待て! お前ら反応薄すぎるやろ! くっそデカイやないか!!」
「確か、この前の建て替えで規模は日本一になったらしいよ。新聞に載ってたし、割とここらへんじゃ有名だよ」
「むしろ同じ街に住んでるお前がどうして知らないんだよ」
東城たちは冷たいが、それでも白川が驚くのも無理はないくらい、大規模な病院であるのは確かだ。
今は入口の前に立っていて三方を病院の外壁に囲まれているが、この裏には重粒子線治療のための建屋など、先端医療の塊のような別棟がごろごろある。
日本じゃ才能のある医者は一度海外へ留学するそうだが、この病院だけはむしろ海外から留学してくる研修医団もいるというほど、桁違いのレベルで最先端を歩んでいる。
白川にそんな説明を適当にしながら、東城は自動ドアをくぐった。
身体に気を使った冷たすぎない冷気が肌に気持ちいい。
ロビーが呆れるほどに広い。一階の全部がロビーだからそれも当然で、見舞いや相談などだけでもかなり大勢の人がいるので本来なら圧迫感を覚えるはずなのに、開放感の方が少しばかり勝っているようにすら思われる。
「すごい人気の病院だね」
「オッサンいわく、病院に人気なんてあっちゃだめらしいけどな」
四ノ宮の感嘆の声を聞きながら、東城は左にある階段を指差した。
「隣の棟の二階が確かカフェとかになってたはずだから、そこでゆっくり待っててくれ。別に見舞客とかじゃなくても使っていいらしいから、遠慮なくな」
そう言って東城は二人を見送りもせず、人の波を掻い潜って受付の隅に顔を出した。そしてそのままナースステーションの中に入る。
「なぁ、オッサンって今ヒマ?」
「あ、こら大輝君。勝手にナースステーションに入るなって、いっつも言ってるのに」
わざわざ奥から東城を出迎えてくれる薄ピンクに統一された服に身を包んだ、一人のナースの姿があった。
浦田夏帆ナースだ。
女性の中では割と背が高いはずなのだが、丸めの顔や薄い茶髪、目鼻立ちもどこか幼さを残しているせいで、実年齢よりもかなり幼く見える。
最近になって東城は知ったのだが、永井先生と浦田ナースは高校時代の同級生らしい。全く同じ年齢でこうも差が出るのか、と東城は思ってしまう。
「別にナースステーションに入るくらいいいだろ。俺は部外者ってわけじゃないんだし」
「大輝君はれっきとした部外者ですー。……まったく、そう言って絶対反省しないんだから。わたしもそろそろ怒っちゃうぞ?」
唇を尖らせ腰に手を当てて怒るその様は、あまりに迫力に欠けていた。欠片ほどの恐怖もなく、むしろあざといくらいの可愛さしかない。
ただ、彼女があざといのではなく残念な人だというのを知っている東城としては、まったくドキドキもしないが。
「はいはい。で、オッサンに診察してもらう予定になってんだけど」
「スルーか……。仕方ないなぁ。たぶん今は院長室にいるだろうし、わたしから連絡しとくからいつもの診察室に行っておいで」
浦田さんは内線の準備をしてくれていたので、「ありがとな」と礼だけ言って東城は関係者用のエレベーターを無断で借りていつもの診察室へと向かった。
軽やかな電子音のあとに開いた扉を出て真っ直ぐに診察室へと向かうと、既にそこにオッサンは待っていた。
手術衣の上に直接白衣を羽織っているだけの簡素な姿だ。その白衣のポケットにも大量のボールペンやメモやらが挟まっているのを見ると、とても忙しそうに見える。
今年で確か五十六になるのだが、その忙しさのせいか既に頭髪は真っ白だ。仕事に忙殺していて運動不足なのか、それとも忙殺するほどの仕事に耐えるためなのか、身体も随分と丸くなってしまってメタボリックが心配になる。
だがそれも、持ち合わせた柔和な顔立ちと合わさって小児科の優しいおじさん、くらいのイメージを与えてくれる。――本当は世界的に有名な総合医者らしいから、驚く同業者も多いそうだが。
「やぁ、大輝くん。おかえりなさい」
「ただいま。――まぁ、家じゃないけどな」
そう言いながら東城はカバンを入り口近くの棚の上に置いて、簡易ベッドに腰かけて靴と靴下を脱いでおく。
「またよろしくな」
「はいはい。でももう、ほとんど治っているだろうけどね」
オッサンは小さいスツールに東城の足を置き自分も事務用の椅子に座ると、手際良く東城のズボンを捲り湿布を剥がしていく。
「もう痛みはないかい?」
「一週間前から無かったよ。あるとしたらふくらはぎとか二の腕の筋肉の方だな」
「他に違和感は?」
「あったら言ってるって」
東城がそう言うとオッサンは優しい手つきで東城の足首を軽く回した。特に問題もなく、人体の正しい動きで回る。痛みに耐えるような表情はないかとオッサンが観察しているが、本当に痛くない東城は平然としている。
「うん、問題ないね。この分ならもう湿布も要らないかな。通院もいいよ。家で経過だけ見ておこう。ただし筋断裂の方が深刻かな。テーピングは欠かさずに、派手に動いたらまた再発するから、気を付けるんだよ」
「おう」
「はい、ならこれで今日の診察も終わりだ」
オッサンは剥がした湿布を乗せたバットや未使用だったが用意しておいた新しい湿布、テーピング用のテープなどをカチャカチャと片づけ始めた。
「あぁ、ありがとうな」
「どうしたしまして。しかし、階段で転んだだけで筋断裂なんてするのかな?」
「きっと一瞬の間で体勢を立て直そうと無意識にもがいたんだろ」
医者の見透かしたような疑いに、東城は適当なことを言ってごまかす。
「――まぁ、今度からは隠そうとせずに素直に言うようにね。僕は君の親なんだから」
ここまで親切にしてくれるというのに真実を言えない、というのは非常に胸が痛んだ。今の言葉の裏にも、まだ隠していることがあるなら言ってほしいという意図があることくらい分かる。
それでも、言ってはいけなかった。それにもう全ては終わったことで、これから先にもそんな目に遭うわけではない。わざわざ真実を告げて、無用な心配を招く意味がない。
「はいはい。そう何度も言わなくたってちゃんと頼りにしてるよ」
診察の前の状態に服を整えて、診察室を出ながら東城は笑ってオッサンにそう答えた。
そして、東城はナースステーション(正確にはその一歩外)でおかしな画を目撃した。
「若い子っていいよねぇ。なんて言ったって元気がるもの。わたしも少し懐かしくなってきちゃう。男の子でもこんなに肌が綺麗なんだよねぇ、つんつん」
「四ノ宮。俺は今、こんなにも美人のナースさんにボディタッチをされている」
「知ってるよ。だって見えてるもん」
勤務中にジュース片手に談笑する怠け者ナース(浦田さん)と、何故か涙を流して喜んでいる変態(白川)と、冷ややかな一瞥をくれつつも手に持った文庫本にしか興味を示さない真っ当な学生(四ノ宮)がそこにいた。
白川の視線は主に浦田さんの太ももの辺りで固定され、浦田さんも若干わざとらしくスカートの裾を持ちあげている。
「……何やってんの、お前ら」
もはや浦田さんもお前呼ばわりして、東城は白い目を向けていた。
「何ってお前、ナースさんと楽しくおしゃべりや」
「……お前さ、十日前に出会った茶髪の女の子はどうする気だ」
東城が言っているのは、十日前に東城たちの前に唐突に現れ白川が一目惚れした、そして実は東城の命を狙っていた最強の液体操作能力者の七瀬七海のことだ。
「……それはそれ、これはこれ?」
「世の女性が聞いたら軽蔑されそうなセリフだね」
そんな白川はいつものことだ、とでも思っているのか、四ノ宮はそれ以上ツッコんだりはしなかった。
「で、浦田さんは勤務中に何してんの?」
「暇だったし、ちょっとした誘惑?」
いや、その理屈はおかしい。
「二十五のオ――ねぇさんが、高一の男子に何やってんだ」
言いかけて訂正したのだが、浦田さんの耳は決して聞き逃さなかった。
「ねぇ、大輝君。いま、オバサンって言いかけなかった? 言いかけたよね? こんなにも若く美しいナースに向かってそんな失礼なことを言いそうになったよね?」
「自分で言うなよ――じゃなくて、気のせいだよ」
「嘘だ! 絶対に言いそうになったよ!」
「誰も浦田さんを四捨五入したら三十路だなんて思ってねぇよ」
「思ってるんじゃん!」
浦田さんの抗議を東城はとりあえず無視した。ナースステーションの奥に鎮座する婦長の、サボり魔に対する視線が痛いからだ。
「ほら、白川。さっさと帰るぞ。俺は腹減ったし、浦田さんは仕事があるんだ」
「……しゃあない。また明日遊びに来るか」
「雅也。何を目的に雅也がそう言ってるのかは察してるから忠告するけど、病院はそんな目的で気軽に来るところじゃないよ」
未練たらしくナース服を眺める白川の首根っこを掴んで、四ノ宮は大人しくさせていた。
「――そう言えば、大輝君の怪我はもういいの?」
「あぁ、後は家で経過を見ればいいってさ」
「ふーん。つまんないの」
「それがナースの言うセリフか」
正直過ぎるセリフに東城は嘆息する。それと同時に、奥の婦長も頭を抱えていた。
「ちょっと前までは抱きついたら筋断裂で痛くて振り払えなかったじゃん。すっごく面白かったのに」
「……白川、そんな目で見んじゃねぇ」
目一杯の嫉妬、羨み、ジェラシーを込めた視線で射殺そうとする白川を、東城は言い訳すらせず武力でねじ伏せた。
「ったく、怪我人で遊ぶなよな」
悶えている白川は見なかったことにして、東城は苦笑した。
毎度の通院の帰り際の襲撃を思い出すと、わざわざ介護の要領でしっかりホールドして抱きついてからお菓子をやたらと食べさせたがっていた。たぶん、東城をおもちゃか何かだと思っているのだろう。正直、迷惑だった。
「だって大輝君、面白いんだもん。またいつでもおいでね」
「嫌だよ、ここ病院だぞ」
「わたしのナース服を見に」
「もっとやだ」
「もっとってどゆこと!?」
予想外だったらしい返しに浦田さんは驚いていたが、いつも通り東城は何ごともなかったかのようにスルーする。
「……こうなったら無理やりキスでもして、ナース服のありがたみをその身に教えてあげようか……。じゃないとこの若さで大輝君が枯れてしまう」
「枯れてねぇし、そんなことしたら本気で殴るからな。ていうか、自分の制服をなんだと思ってんだよ、あんた」
「劣情を催させる最終兵器?」
駄目だ、この人。
「……もうツッコむのも嫌になってきたんだが」
「えー、大輝君はこの良さが分からない?」
ちらっ、とスカートの裾を上げて見せる浦田さん。
「ほらほら、この美脚が――」
「……太った?」
ピッシィ! と、浦田さんの心にヒビが入る音が聞こえた気がした。
「ヒ、ヒドイ……。昨日の夜は水分多くとって寝ちゃったから、ち、ちょっと、ほんのちょっとむくんで見えるだけだもん……」
二十五のリアクションとは思えないオーバーなものに、東城は関西弁の親友の顔を思い出す。――まぁ、思い出すまでもなく横で鳩尾を押さえてうずくまっているが。
「何もこの前の真由美ちゃんとおんなじこと言わなくてもいいじゃんか……。大輝君のばーか。あほー」
「この前も言われたんだったらそれは水分のせいじゃ――ごめん、何でもない」
ごほんごほんとわざとらしい咳払いをするが、浦田さんは結構本気で睨んでいた。
「安心しろよ。半分冗談だから」
「残りの半分は!?」
本当に泣きだしそうになる浦田さんに、東城は思わず吹き出して笑ってしまう。
「……大輝君、変わったね」
「そうか?」
「うん、ちょっと前までよりは断然明るくなったよ。――ひょっとしてひょっとすると、恋でもしちゃったのかなーん?」
「……あほなこと言ってないで仕事に戻れよな。婦長が手招きしてるぞ」
若干図星気味だった東城は頭を掻きながら浦田さんに背を向けて歩き出した。
(そう言えば、ふと思い出したけど、あれから会ってないよな……)
脳裏によぎるのは、あの金髪の少女だった。それは少し寂しくもあるけれど、どうしてか、そんなに遠くない内にまた会えるような気がしていた。