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フレイムレンジ・イクセプション  作者: 九条智樹
第1部 アーダー・ティアーズ
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第4章 慟哭の果て -7-

「ッたく、分かりづれェ構造になってンなァ」


 第4階層から第3階層へ上がる通路を探していた所長だが、どうもそれが無いと分かったらしい。


「先に第2階層に行かねェといけねェみてェだなァ。メンドくせェ」


「行かせる訳がありませんの!」


 その所長の前に、息を切らした七瀬が姿を現した。全速力であの研究所から地下都市に舞い戻って来たようだ。


「あァ、波涛ノ監視者かァ。研究所にいると思って忘れてたぜェ。どうだァ? 今さら気付いてもほとんどの能力者がこっちに来た後なんじゃねェのかァ?」


「その通りですわ。ですから、わたくしの失態くらいは拭わせていただきます」


 水のランスを生み出し構える七瀬に、所長は舌打ちする。


「どいつもこいつもメンドくせェ限りだなァ、オイ。どォ足掻いたってオレには勝てねェって、分かンねェのかァ?」


「――ちょっと待ってくださいな。どいつも……?」


 その言葉が七瀬に引っ掛かる。それではまるで、既に誰かが負けたように聞こえる。


「あァ、テメェは知らねェのかァ。なら教えてやるよォ」


 嘲るような口調で語る所長の口角が、醜く吊り上がる。


「燼滅ノ王は、オレが殺したァ」


「なッ――!?」


 その言葉だけで七瀬の表情が大きく傾いだ。


「堪ンねェなァ、その表情(ツラ)ァ。最ッ高だァ!」


 歓喜に嗤う所長を七瀬は睨む。


「黙りなさい……っ」


 七瀬はすぐに表情を立て直していた。彼を信じているから。


「あの御方が、貴方程度に負ける筈がありませんわ」


「そォいう信頼も良いんだがなァ。現実をちゃんと見てから言えよォ。東城大輝は死んだ――」



「んなわけねぇだろ」



 張り上げる事も出来ない小さな声が、それでも所長と七瀬の鼓膜を確かに震わせた。


「大輝様!」


 七瀬よりも後ろに東城は立っていた。既に頼りない足取りだが、それでも不思議と倒れそうには見えない。


「テメェ、あの怪我でまだ生きてやがンのかァ!?」


 所長は目を剥いて驚愕していたが、すぐにその顔は元に戻り歯を食いしばっていた。おそらくすぐに理由は察し、そして神戸を放置した自分の甘さを後悔しているのだろう。


「この程度で死ねるなら、俺は最強なんて名乗れねぇよ」


 眼光が、燃える。


 その視線に射抜かれた所長が思わず僅かに後ずさっていた。


「七瀬――」


「わたくしも共に戦います。たとえ貴方が何と仰ろうとも」


 東城に言葉を続けさせず、七瀬は東城の横に立った。


「いや俺なら大丈夫だ。それより柊の所へ行ってくれ。出来るならあいつを支えて、もし追いかけてくるようなら止めてほしい」


「ですが……ッ!」


「大丈夫。俺はちゃんと戻る。あいつにもそう約束して来たからな」


 その力の無い笑みは、誰が見ても作り笑いだと分かる。まして人の心の機微が良く分かる七瀬に、その程度の嘘が通るはずも無い。


「……分かりましたわ」


 それでも七瀬はそう言ってくれた。たとえどんな言葉を投げかけても、止まらない事を七瀬は悟ったに違いない。なぜなら、あの柊ですら止められなかったのだから。


「信じて、お待ちしていますから」


 七瀬はそう言い残して、東城に背を向け走った。その瞳が潤んでいるように見えたのは気のせいではないのだろう。それでもその涙に応える事は、東城には出来ない。


「テメェ一人で俺に勝つ気かァ? さっき負けたばっかだろォがァ」


「これ以上、あいつが泣くのなんか見たくねぇ。だから俺は、もう二度と負けたりしない」


「だから、そォいうヒーロー主義に虫唾が走るンだってンだよォ」


 所長が先に動いた。所長の持つ無効化能力は相当恐ろしいものだ。能力でしか評価されない研究所では、それは個人のアイデンティティを奪う凶悪な力だ。


 だがそれがどうした、と東城は心の中で吐き捨てる。少なくとも東城のアイデンティティはそこには無い。


 所長の放つ本気の拳を東城は右腕だけで防いでいた。


「ヒーローじゃねぇよ。そういうのはヒロインを泣かせないような奴を言うんだ。俺にその荷は重すぎる。俺はどうしたって、柊を泣かせるしかないんだから」


 所長は更に回し蹴りを繰り出すが、東城は蹴りの方向へと軽く飛んで威力を殺す。


「当たらねぇよ。お前の攻撃は神戸と比べれば止まってるように見える。ある程度でも回復した俺に避けられねぇようなものじゃねぇ」


「うるせェ!」


 所長が拳と蹴りを織り交ぜて乱打する。だが、そのどれもが最小限の動きで東城に防がれた。


 神戸拓海との戦いを見れば分かる。右手で右手に絵を描けないように神戸は自分の脳自体は操作できないといえ、脳の処理以外の神経伝達速度や筋力値はおそらく理論上の最大値に達している。それを相手に、炎しか操れないはずの東城は対応していたのだ。


 いくら能力を封じられようと関係ない。東城の恐れられるべきはその能力(アビリティ)ではないのだ。神戸と対等に立てるほどの圧倒的な反応速度と、どれほどの痛みを受けてもなお立ち続ける精神力。それらをまとめあげる(キャパシティ)こそが、東城の神髄だ。


「どうした。左腕は使わないのか?」


「チッ。分かって言ってやがるなァ……ッ」


 所長は左腕を使えない。わざわざ柊の蹴りを半回転してから右腕で受け止めた理由がそれだ。大方、脳にマイクロチップを埋めた弊害だろう。


 大人と子供の筋力差も、記憶が無くとも残る今まで戦ってきた経験で十分に補える。全身のダメージを鑑みても、片腕を使えないというディスアドバンテージがあっては所長に勝機は無い。片腕で神戸と身体能力で渡り合った東城に、同じ条件で勝とうという方が無理な話だ。


「ざけンなよォ……ッ!」


 一度東城から遠ざかり、体勢を立て直そうとした所長。だがそこに爆炎の加速で間合いを詰めた東城の拳が襲い掛かる。


 能力無効化のせいで所長の半径五十センチに入った途端、東城の速度は惰性すら失って消えた。だがそこからたった一歩、踏み込むだけで十分だ。


 能力無効化で可能な事は文字通り能力を消す事だけだ。この速度で詰めた間合いに即座に対応できるようになるわけではない。五十センチで常人の速度に戻ったところで、関係ない。


 所長の口から血の混じった唾液が散り、痛みに顔をしかめていた。それでもなお反撃に転じた所長の蹴りが、東城の防ごうとあげた腕とぶつかりあった。骨と骨のぶつかり合う、痛々しく耳障りな音が灰色の世界に反響した。


「ウゼェ……。目障りなンだよ、実験動物モルモットォ!」


 力任せに押し切られた東城は、硬いコンクリートに押し倒された。更にその状態からまともに蹴りを喰らい、無様に転がっていく。


「負けらンねェ。テメェみてェなヒーローが本当にいるンなら! このくそったれな現実は、ちっとはマシになってたはずだろォがァ!!」


 所長はただ叫んでいた。


 痛かった。身体以上に、その言葉が東城の胸に突き刺さっていた。


 どこか、似ているのだ。

 おそらく所長にも東城のように護りたい大切な人がいるのだろう。

 恋人か親か。それとも、子か。

 自分を犠牲にしてでも護りたい相手だ。他の何と天秤にかけようと、その相手の乗った皿だけを手に取る、なんて真似を躊躇なくできてしまうような相手のはずだ。


 それを護るために、彼は能力者を踏み躙り続けた。

 そこにある事情までは東城にも分からない。そもそも、他人が分かって良いような事ではないだろう。

 だが、そんな事をすれば相手が傷付くと知りながらそれでも引き下がれないような、そんな覚悟だけは東城にも分かる。


 だから東城は、彼を嘲りも憎みもしない。


「だからって……。だからってそれは、柊がテメェに傷つけられていい理由にはならねぇ」


 そこまで分かっていながら、相手の護りたいものの価値が自分のそれと同等であると知りながら、それでも東城は柊を選ぶ。


 どこまでも冷徹に、相手の大切にしているものごと全てを焼き尽くす。

 自分勝手だと思う。それは、正義でも何でもないと。


「それでも俺は、勝たなきゃいけねぇんだ……」


 もう何度倒されたか、それでも東城は立ち上がる。


 いくら神戸に治してもらったとはいえ、それは完全ではない。

 左肩はとうに潰れてしまって動かないし、額から流れ出る血は止まらない。

 背中も腹もずきずきと痛むし、膝はがくがくと震えもう走るどころか立つのがやっとだ。


 だが、それがどうした。


 東城の瞼の裏には、涙を流して見送った彼女の姿が映る。それだけで十分だ。

 出会ってまだ三日にも満たない。何か命を懸けるほどの事をされた覚えも無い。

 だがそれでもいい。理由は要らない。

 柊の涙を止めたい。そう思えたのなら、それが理由になる。


 だから立ち上がれる。だから戦える。

 たとえこの身が燃え尽きようとも。たとえその果てに誰かの心を踏み躙ろうとも。


 ――柊美里を、護る。


 東城大輝がそれを諦めるなど、絶対にあり得ない。


「テメェだけじゃねぇんだよ……。俺だって、負けられねぇんだ……ッ!」


 脚をしならせて蹴りを繰り出す所長に、カウンターで拳を叩きこむ。


「うるせェンだよォ! 何にも知らねェ実験動物が偉そうに盾突いてんじゃねェ! テメェらはオレが殺す! テメェも霹靂ノ女帝も神ヲ汚ス愚者も波涛ノ監視者も! アイツを救うジャマは絶対ェさせねェ! テメェらは肉片になるまですり潰して殺してやるよォ!!」


 所長の右腕が伸び、東城の首を掴み持ち上げた。


 東城の足が宙に浮き、息が出来なくなる。どころかその腕は頸椎をへし折るつもりらしく、力が更にこもっていく。


「……そうかよ」


 その腕を、東城が掴んだ。痛みや苦しさなど微塵も感じられない動きだ。どこにそれだけの力が残っているのか、その指は肉に食い込み骨まで抑えつけていた。


 べぎん、とあっけなく骨の折れる音がした。それはもちろん東城の首ではない。呻き声を上げる所長の右腕が、本来ならあり得ない方向に曲がっていた。


「なら、俺はここで逃げるわけにはいかねぇよ。テメェの覚悟をどれだけ感じても、九千の命を、柊の命を、捨てるなんて事は絶対に出来ねぇ……。ここで俺がテメェに同情すれば、それは俺が背負ったものを放り捨てるのと同じなんだ」


 だから焼き払う。悪も正義も誰かの想いも。たった一人の少女の為に。

 彼女を護ると、その過程で全てを救うと、彼は決めてここに来たのだから。


「柊を護るために、俺はテメェを殺す」


 そこで所長は気付く。

 右腕を握りつぶした東城の手から、煙が出ている事に。


「テ、メェ……、まさかクラッシュ――」


「あぁ、最期の業火だ。もう手加減なんか出来ねぇぞ」


 笑う東城の全身から、火の粉が散る。その一つ一つが所長の前では消え去り、ただ東城自身の皮膚を焼いていた。だが、それでも東城からは苦悶の色が見えなかった。


「ク、ソがァ……ッ!!」


 東城の覚悟が偽物ではないと悟ったのだろう。しかし折れた腕を掴まれたままで逃げ出す術も無い所長は、ただ絶望と憎悪に顔を歪ませていた。


 無効化能力の処理落ちは圧倒的速度、威力を持つ攻撃の前で起こる。そして東城ほどの能力者のクラッシュとなれば、それを引き起こすだけの力を持つ。仮にエラートラップを仕掛けて操ろうとしたところで、より高度なその処理は全体の処理落ちを誘発するだけだ。


 所長の絶対防御の壁は、この瞬間に潰えている。


 業火が走る。

 何も護る必要はない。何も救う必要はない。

 本来のあるべき姿を以って、それは全てを燼滅に導く。


 ――あぁ、まただ……。


 ただ一つ東城の記憶に残されたあの業火の情景が、今の視界と重なった。

 七瀬と戦っていた時と同じように、また、彼はその中にいた。


 繰り返す。

 何度も何度も、彼は繰り返す。

 またこうして彼は自らを死の淵に追いやって、それでも、誰かを救うために。

 その為だけに、彼は幾度となくこの力を振るい続ける。


「……ここで終わりだよ、所長。テメェの全てを俺が――……」


 腹の底から湧き上がる激情を、業火という力に変えて吐き出す。


 彼に出来る事は、初めからただその一つだけ。



「俺が、焼き尽くす」



 全てが、爆ぜた。

 真紅の業火が東城と所長を包み、焼き払う。灼熱の火焔は辺りの全てを溶かし尽くし、プラズマと化した空気が周囲の構造物を見境なく切り刻む。

 それは緋色の地獄だった。

 東城も生み出した事の無い、絶対的な業火と爆炎の嵐。所長の断末魔すら、その猛る炎の勢いに呑まれてしまう。

 その中で東城は聞き慣れたあの声が、名を呼ぶのを聞いた気がした。


 ――……悪い、美里……。


 心の中でたった一度、初めて彼女の名を呟く。

 それだけで、満たされた。

 ほんの少し笑みが漏れ、それもまた炎の中へと消えた。



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