第4章 慟哭の果て -6-
「ぁ、大輝……」
まだ生きているという事実からぎりぎりで自我を保っている柊は、しゃがれた声を出した。東城に這って近づいていく。彼の腹を突き抜けたその鉄骨を能力で加速・射出した周囲に散らばっている鉄片で切断し彼を自由にする。
しかし東城に触れても、彼は何の反応も示さない。
「生きて、よ……。生きてくれる、だけでいいから……っ!」
弱まっていく彼の鼓動を感じながら、しかし柊にはどうしようもなかった。
助け出す術がどこにも無い。最強だ最速だと張り合っていたあの超能力は、欠片ほどの役にも立ちはしない。
「記憶なんて、もう良いから……」
戦い続けたその覚悟を、柊はあっさりと棄てた。それほどに彼女にとって東城は大切な存在だった。
「ただ、生きてさえいてくれれば……っ!」
だが返事は無い。ただ彼の顔から、生気が消えていく。
「た、いき……」
もう無理だと、諦めかけたその時。
脚に熱を感じたかと思うや否や、体に別の何かが這い回る奇妙な感覚があった。
ふと視線をその脚に落とす。
血は消えていない。だが突き出ていたはずの骨はどこへ?
「退いて、下さい。柊先輩は、もう治ったはずですよ……」
しわがれたように掠れた声は、聞き馴染みのある、穏やかな少年のものだった。
「先輩じゃ無理でも、僕なら出来る……」
振り向いた先に立っていた神戸の全身は、酷く痙攣していた。体中の全てのエネルギーはとうに尽きているのに、それでも神戸は東城と柊の為に動いていた。
彼が死ぬには東城も柊も欠かせないから、などという打算には到底思えなかった。彼に死ぬ気があるようにはもう見えない。それでも彼が立ち上がった意味くらいは、柊にも分かる。
「どれほど身勝手か、分かってますよ……。東城先輩の記憶を奪っておいて、今なお牙を剥いておいて、こんな事で赦されるはずもないけど……。でも、僕にも護らせて下さいよ……」
これ以上神戸が能力を使えばどうなるか、柊には分からない。彼の命が無事で済むかの確証すらない。それを本人も分かっていて、それでもこう口にした。
「先輩を救えるのは、僕だけなんですから……っ!」
震える手を東城の腹に当てて、神戸は深く息を吸う。
瞬間、東城の体が僅かに跳ねた。鉄柱が体から抜け落ち、しかし出血は無かった。
「腹部の欠損部位の再生と輸血、完了しました……。左肩関節の粉砕骨折や火傷、全身の創傷の治療もしたかったんですが……、これが、手いっぱい、でした……」
息も絶え絶えな様子でどうにか言い終えると、神戸の眼がぐらりと揺れ、そのまま倒れた。浅いが呼吸もしているし、完全に全ての力を使い果たしただけなのだろう。
「生き、てるの……?」
東城の手首に触れ、その鼓動の強さを確認する。能力でバイタルサインを確認しても、もう回復しているのが分かった。
「よかった……」
柊は東城の手を強く握り、涙を零す。
*
「ひい、らぎ……?」
その手を、東城は優しく握り返した。
「もう気がついて――」
「所長は、どこだ……?」
ぎりぎりで一命を取り留めただけの東城は、それでも立ち上がろうとする。
治ったのは貫通した場所だけで、他は何も変わっていない。もう東城に立ち上がれる力など、物理的に存在するはずが無いのだ。
「っ何してんのよ……。今は、まだ寝てなさいよ」
「そんな場合じゃねぇ……」
今すぐ所長を追わなければ全ての能力者が一年前に戻ってしまう。一度無効化が効かないと知った所長の事だ。ここで逃げられればもう二度と姿を見せないだろう。最悪の場合、九千の能力者を総動員して東城と柊を殺そうとするかもしれない。
チャンスは、今しかない。
止めなければいけない。またここで失敗するわけにはいかない。
ここで終われば、また柊を護れない。
「大丈夫だよ。俺はまだ戦える」
にっと笑って、柊の触れていない手で拳を作って見せた。
だがその手の皮膚は僅かに爛れていた。自身の能力が、最後の最後で抑えきれなくなっていたのだ。
「クラッシュ、しかけてたんじゃない……っ!」
隠そうとした東城の焼けた手を寄せ、柊はその火傷の痕を見る。まだ軽い火傷のようで、おそらくちゃんと治療すれば能力に頼らずとも元に戻る程度の傷だ。だがそれでも東城がクラッシュの寸前からほんのつま先分、そのラインを超えてしまっているのは明らかだった。
「アンタは常に最大限の加減をする為に、細か過ぎる程の緻密な演算を繰り返してた……。その上でのレベルSとの連戦よ。アンタの脳は、もうこれ以上の負荷には耐えられない……っ」
言われるまでも無く、疲れ果てて能力を制御できていないのは、身を以って分かっている。
おそらくあと一度。たったそれだけ能力を振るえば東城は完全にクラッシュし、その身は燃え尽きるだろう。
分かっていて、それでも東城は選ぶ。
「俺は、行くよ」
ここで立ち上がれば柊にはきっと辛い思いをさせる。また泣かせてしまうかもしれない。
それでも、ここで立ち上がらなければ東城は東城大輝でなくなってしまう。
柊の思い描く東城大輝でいなければ、いずれ柊はもっと辛い涙を流すだろう。だから、東城はその偶像になる。
馬鹿みたいだと思いながら、それでも自分が東城大輝である為に拳を握る。
だが柊はその覚悟を認められなかったのか、叫ぶ。
「私にアンタを失えって言うわけ!? これ以上、私にその痛みに耐えろって言うわけ!?」
泣きだしそうにぐしゃぐしゃの顔で、柊は東城を掴んで引き留める。だがその手に応える事は、東城には出来なかった。
柊の顔がさらに歪む。押し殺して来た全てが、ここで崩れてしまう。
「やめ、てよ……っ!」
ぼろぼろと、その瞳から涙が零れ落ちる。
彼女も分かっているはずだ。東城大輝はその程度で引き下がる事は無い。それでも引き留めたいと思ってしまったのだろう。
「お、ねがいだから……。何でもするから……っ。もう、やめて……っ! もう戦わないで!!」
柊の最後の絶叫に、東城の心が音を立てて軋む。
それでも彼は、もう引き下がれない。
「――……待ってて、くれよ」
最強の能力者は、呟いていた。
自分では彼女を救えない事を悔やみ、怒り、嘆く、あまりにか細い声で。